それは遥かなるいにしえの時代。
五大神がその手でこの世界を管理していたころ。
人間はすべて地神の信者だった。
けれどある時、一部の人間が己の意思で火の神を崇めるようになった。
彼らは自らを火神の眷属、『火の民』と名乗リ始めた。
火神もそれを受け入れ、彼ら『火の民』に守護を約束した。
それは単なる神話。
今では黄ばんだ聖書の中の、忘れかけられた御伽話でしかない。
しかし―――――、
「それ以来、『火の民』の中にはときおり炎を自由に操れる者、『火霊使い』が生まれるようになったと言う。そんな子どもは特別神の寵愛が深い者とし、始めに火神のもとへ下った人間の名をとって『炎の崇拝者(シェシュバツァル)』と名づけるらしいよ。もっとも俺も、この目で見るのは初めてだだけどね」
夢物語のような説明を聞きながら、ジェムの脳裏に喧嘩の現場に残された焼け焦げた跡が思い浮かんだ。そして今視界を赤く染めるこの炎と熱。
そして今視界を赤く染めるこの炎と熱。
どれも古ぼけた神話なんかではない。
全てが紛れもない現実だった。
呆然とするジェムの前で突然炎が開けた。
「てめえっ、ふざけんじゃねえぞ!!」
がつんと殴りつけるような罵声に、ジェムは思わず身をすくませた。
火の手がそこだけは避けたかのように、円形に取り残された空間。そこにいたのはまさしく火神の申し子たる少年シェシュバツァル。そして炎に劣らぬ真紅のドレスをまとったアンジェリカだった。
「どうやら彼はかなりかっとなりやすい性格みたいだねぇ」
火の民だけに。駄洒落なのかもどうか良く分からないことを呟くシエロの横で、ゼーヴルムが素早くバッツを羽交い絞めにする。
「落ち着け。自分が何をしているか分かっているか」
バッツの前にはアンジェリカが力なく倒れ伏している。どうやらかなりの火傷を負っているようだ。そのあまりに無残な有り様にジェムは低くうめいた。
「ひどいっ。女の人なのに……!」
「うるせぇっ。こいつはオレをこんな所に閉じ込めただけでは飽き足らず、ゴロツキどもをけしかけたのは二回とも自分だと、抜けぬけとそう言いやがったんだ。その上言うことをきかないと二度とここから出さないと! こんなふざけた話があるかっ。大体こいつは女でもねぇ!」
こんな状況下にありながら、ジェムは思わずぽかんとしてしまった。そして慌ててすぐそばの二人を見る。
「気付いて……なかったのか?」
いぶかしげなゼーウルムが逆に問う。反射的に目をやったシエロも、
「俺もまあ、何となくだけどね」
と、困ったように笑っていた。
確かによくよく思い返せば、女性にしては声が低く骨太だったような気もしないでもないが、だからと言ってそんなまさか……。
「あーっ! てめえ、よく見りゃオレを牢獄にぶち込んだ兵隊じゃねえか。貴様もそこに直りやがれ!!」
「遠慮しておく」
バッツはじたばたと暴れるが、ゼーヴルムにしっかりと脇を抱えられているので完全につま先が宙に浮いている。それがさらに気に喰わないのか、忙しなく足をばたつかせていた。
「ハイハイ。とりあえずみんな落ち着こうね。冷静に、冷静にね」
パンパンと手を叩く音が炎の舞う室内に響く。
「ちっと腰据えて話しましょ。バッツくん、君もこの炎を消してくれよ。こんなに轟々と火をたかれちゃ落ち着くもんも落ち着かないからね」
燃え盛る炎の中、ひとりだけ汗もかいていないシエロが余裕たっぷりの表情で微笑んでいた。
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