第四章 5、嘘と真相の欠片(1)

 


  初陣で手柄を立てることはできなかったが、それでも順調に出世していくことができた。いくつかの任務をこなした後、自分は海上警備隊の隊長を任されることになったのだ。
 最初の部隊で同期だった相手はさらに上の官位を得ていたけれど、焦る気持ちはなかった。自分は自分の仕事を精一杯やろう。そう思える己に満足した。
 海上警備の仕事は楽ではなかったが、遣り甲斐はあった。
 海路の安全に配慮し、港の治安に気を配り、海賊を取り締まる。
 特に海賊対策に関しては、とある海賊団の首領が事あるごとにちょっかいを出してきた。取り立てて悪辣な海賊ではないのだが、捕まえようにもちょろちょろと逃げるのが鬱陶しい。まるで構って欲しくて悪戯を仕掛ける悪がきの相手をしているような気分だった。
 そのうち自分が管理している港で、密輸組織が暗躍していることが判明した。その組織はかなり狡猾で、なかなか尻尾を掴ませない。まるでこちらの情報を前もって知っているようだった。
 密輸組織の摘発はかなり大掛かりなものとなった。幾重にも罠を仕掛け、本当に信頼できる者だけを周囲に配置し、いっせいに取り締まった。
 そしてその結果、捕まえたその組織には軍の大物が関係していることが発覚したのだった。


 
 

    ※  ※  ※


 

 
「風を自在に操る《イア・ラ・ロド》が、横っ腹から櫂を突き出した船を使うなんてみっともないことこの上ないからな」
 舳先に立ったダリアは、満足そうに自らの船を眺めおろし、しみじみとそううなずいた。
 なんだかかなり感情論に偏った意見だが、実はこれこそが他の海賊たちをも揺り動かした最も有力な異見だったりする。
 圧倒的多数の賛成票で己の意見を通したダリアは、傍から見ても上機嫌な様子で帆船操作に勤しんでいた。
 それを遠目に眺めつつ、シエロはひょこっと肩をすくめる。
「まぁ何はともあれ、海賊島に連れて行ってもらえるんなら俺らとしてもありがたい限りだけどね」
「え、あの……どうしてですか?」
 ジェムは首を傾げ、おずおずとたずねた。
 自分を見つける手掛かりを得るために、シエロたちはデザイアへ向かおうとしていたのだ。すでに自分と彼らが合流を果たしているいま、どうしてわざわざ危険な海賊島へ向かう必要があるのか。
 そんな呑気なジェムの言葉に苦笑しつつ、シエロはその理由を答えた。
「フィオリちゃんだって言ってただろう。俺らは海軍のおっちゃんと取引したんだって。君を探す手立てと引き換えに、情報を集めることになったんだって」
「あっ」
 ジェムは思わずぽんと手を打つ。彼らがそうした取引の末にここまでやってきたことを、ジェムは今の今まですっかりと忘れていたのだ。
「だけど良く考えればそれって、あたしたちをデザイアに連れて行ってもらう代わりの条件だったわよね」
 もっともそのフィオリも今となってはどうにも納得がいかないようで、先程から仕切りと首を傾げている。
「今更その約束って守る必要があるのかしら?」
 マレー提督に手配してもらった船は結局デザイアには着かなかったし、偶然という要素が強いにしろフィオリたちはほとんど自力でジェムを見つけたのだ。
 それならば確かに釈然としない思いを抱いてしまうのも、無理はないかも知れない。
「さぁ、どうだろうねぇ」
 シエロはそうした子供二人にくすくす笑って肩をすくめた。
「でも海の民は義理人情を大切にする民だからねぇ。俺らもちゃんと約束を守らなければ、もしかするとバッツとベルさんを返して貰えなくなるかも知れないよ」
 船医ってどこも慢性的に不足しているらしいし?
 そうシエロが言ったとたん、フィオリは血相を変えた。
「だ、駄目だめ! バッツはどうでもいいけど、スティグマだけはなんとしてでも返してもらわなくっちゃ!」
「あ、あのバッツさんもぜひとも返して貰わないと困るんですが……」
 フィオリの勢いに押されつつも、ジェムもおろおろと首をすくめる。フィオリにとってスティグマ以外が総じて二の次でしかないのは、いつものことではあるのだが。
「だけど、その提督が出した条件……探ってもらいたい情報っていったい何なんだぃ」
 彼らのそうしたやり取りを傍でおかしそうに聞いていたエジルがふいに口を挟んだ。 他の海賊たちが懸命に働いている中ここでのんびりしているということは、つまるところ彼はサボりの真っ最中と言うことである。
 これはけして褒められたことではないのだが、自分だって今は仕事を免除して貰っているのだし。それにその疑問は確かにジェムも非常に気になっていたのであえて口出しはしなかった。
「言ってしまえば人探し、かしら」
 その疑問にフィオリは答えた。
「ゼーヴルムが巡礼を飛び出す原因となった新聞記事を覚えている? その中にノート島の皇子さまが行方不明になった記事があったでしょう」
 ジェムはうなずいた。ギュミル諸島で起きた様々な事件を取りまとめた特集の中でも、それはもっとも大きく一面を飾っていた記事だ。事件自体は半年ほど前と少し昔のものではあったが、船の上から忽然と姿を消したその真相はいまだ解決されていない。
「マレー提督はね、その皇子殿下の行方を知りたいらしいのよね」
「えっ」
 ジェムは首を傾げた。
 海で行方不明になった人間を探すために、海賊島で情報を集めるのは確かに理にかなっている。シエロたちが当初海賊島へ向かうことにした目的も、他ならぬ自分の所在をそこで聞きだすためだった。
 くだんの皇子殿下も、船の上という一種の密室状態で姿を消した。
 陸の上では見つからないのだとすれば、――そして彼が生きているのだとすれば、この海賊島でなんらかの情報を得る可能性は充分にあるだろう。しかし――、
「あの、どうして海軍の提督さんが、皇子様を探すんですか?」
 当の探し主がマレー提督であることだけは、まったく不可解な話だった。
 なぜなら海軍はダグ島所属の組織であり、そして皇子殿下は他ならぬノート島の後継者だ。今は小康状態を保っているとは言え、本来は天敵同士といっても過言ではない言わば宿敵同士。それなのにどうしてマレー提督は皇子殿下を探しだそうとしているのだろうか。
「じゃあその提督さんは、少なくとも表向きは反戦派なんだねぃ」
 ぽろりと漏らされたエジルの言葉に、ジェムはぎょっとして振り返った。
「そ、それってどういう事なんですか?」
 意味を尋ねると、エジルはいささか据わりが悪そうにしながらもその理由を答えてくれた。
「つまりさ、ノート島の中でもその皇子殿下は親ダグ島派なんでさぁ」
 組織というのは大きくなれば大きくなるほど一枚岩ではなくなっていく。それがひとつの国家にもなれば、そこには様々な思惑が何重にも重なり合っていくものである。
「行方不明ということになっている皇子さんはね、以前ダグ島へ留学に行っていたんだ」
 停戦から3年後、両国間の様々な思惑が絡まりあいその留学は執り行われた。結果としてはたった一年という短い期間であり、留学とは名ばかりの人質同然の身の上であったことも否定はできない。
 しかしそのことは互いに認め合うことなく、長きに渡って敵対を続けていたダグ島、ノート島二つの島の民らの意識を変えるには充分だった。何しろ一国の後継者が数年前まで戦争をしていた敵国におもむき、そして身を損なうことなく、無事に帰国していったのだ。
 皇子はいわば両国の和平の架け橋であり、友好の象徴なのである。
「その皇子殿下がいなくなってしまうのは、休戦派の人間にとってはいささかまずいってことになるんだねぃ」
 しかも末子相続のこの地において次に継承権を持つ兄皇子は、交戦派として最後まで停戦に反対していた人間だ。正式に継承権が彼に移れば、ギュミル諸島は再び戦乱の地に戻るだろう。
「そ、それは駄目です! 大変なことじゃないですか!」
 呑気に新聞のネタになどしている場合ではない。ギュミル諸島での戦争は他の大陸へ多大な影響をもたらすことだろう。
「いったい皇子様はどこへいってしまったんですか」
「それよりもどうしていなくなったのか、そしてどうして戻って来れないのか。そこのところが僕は重要だと思うけどねぃ」
 こんな所にいるはずもないのに慌てた様子できょろきょろと周囲を見回すジェムに、エジルはまったくの他人事の顔で肩をすくめる。
「向こうも子供じゃねぇんだ。自分の立場ぐらいは心得ているだろうともさぁ。それなのに今この微妙な時期に姿をくらますと言うことは、なんらかの理由があってのことなんじゃないのかぃ」
「つまり君は、皇子殿下は自分の意思でいなくなったと確信しているんだね」
 面白がるような顔のシエロにそう問われ、エジルはとっさに息を詰まらせた。そして慌てて弁解する。
「別にそういう訳じゃないけどねぃ。だけど皇子さんは船の上からいなくなったんでさぁ。しかも護衛船が取り囲んでいる船の上だ。それなら不埒な事を考える奴だってそうそう近づけないだろうし、だったら自分から消えたと考える方が自然じゃあないかぃ」
「まぁ、そういう考えもあるかな」
 シエロは意味深に笑って見せる。難しい政治の話にはあまり興味ない様子のフィオリだったがふいにシエロに口を挟んだ。
「じゃあ、あなたは皇子殿下がどうなったと思っている訳?」
「そうだねぇ。海の底にでも沈んでいるんじゃないかなぁ」
「へっ!?」
 あっけらかんとした物言いに、誰もがぎょっとした表情を浮かべる。
「だってこんなに時間が経って、大勢の人が探してもみつからないんだ。とっくに死んじゃっていると考えた方が自然だよ」
「おいおい……」
 エジルも困ったように苦笑する。
「だけどまだ誰も死んだとは考えていないということは、よっぽど皆その皇子様のことが好きだったのね」
 フィオリは感心したようにつぶやく。彼女の頭の中には完全無欠の皇子様の姿でも思い描かれているのだろう。
「もっともいなくなってしまうまでは、気にする人間はほとんどいなかったみたいだけどね」
 しかしその幻想をシエロはガラガラと突き崩す。
「一番下の皇子ということで王位継承権を持ってはいるけれど、あまり人前にでることはなかったらしいからね。ギュミル諸島でさえ顔や、下手したら名前すらも知らない人が多い」
 それは現在の指導者が民らに計り知れない影響力を持っていると言うこともあるのだろうが、やがては自分たちの上に立つ人間にまったく関心を覚えないのだとしたらなんとも呑気なお国柄である。
「君、ギュミル諸島の事情に詳しいんだねぃ」
 エジルが驚いたように言う。
「んー、船の上は暇だからね。最初に載っていたマーテル号やその後の海賊船なんかで船員にいろいろ話を聞いてたんだよ」
 風霊というのはかなりの噂好きらしいが、このシエロも負けず劣らずの噂好きであるようだ。
 
 と、その時突然。重い羽音と共になにやら妙に硬い尖ったものがジェムの頭に覆いかぶさった。
「うわぁっ」
 ジェムはびっくりしてそれを振り払おうとするが、うまい具合に手を避けられてしまう。
「きゃあ、ちょっとジェム!?」
 フィオリの悲鳴がそれに続く。まわりもどうにか助けようとするのだが、突然のことになかなか手が出せないようである。それは結局大慌てのグレーンが到着するまで続いた。
「すみませんね。どうやら君の頭がよっぽど気に入ってしまったようだ」
 グレーンは申し訳なさそうにそう謝ると、彼の頭からことの原因を引き剥がした。ジェムは目を白黒させて、グレーンの手に移ったそれを見やる。
「び、びっくりしました」
 それは一羽の鳥だった。南国の鳥にしては珍しく、わずかに青みがかった灰色単色の鳥である。
 自分の頭に取り付いたのが、不気味なものや怖いものではなかったと分かってジェムはほっと胸を撫ぜ下ろす。もっとも鳥の蹴爪はかなり鋭い。グレーンはジェムの髪に指を入れ、血がついていないか確認した。ジェムはおずおずとグレーンに尋ねる。
「あの、その鳥さんも精霊なんですか?」
「いいや、違うよ」
 グレーンは苦笑した。その鳥はアイセと同じ風霊が姿を具現させたものではなく、生身の生き物であると言う。
「これは単なる伝書鳥。ダリアだったら風霊に伝言を頼むことができるけど、我々にそんな芸当はできないからね。その代わりにこうやって手紙のやり取りをしているんだ」
 この地において単色の鳥は伝書鳥の証であり、それを射落としたり妨害することは慎むべきというのがギュミル諸島での暗黙の了解となっている。
 グレーンは鳥の足に付けられた筒を開き、小さく丸められた紙を取り出す。
「我々の仲間はこの船に乗っている者以外にも沢山いるからね。デザイアに寄るならそこにいる彼らにも連絡を取っておこうと思って」
「確か会計係と鍛冶屋さんでしたね」
 ジェムがそう言うとグレーンは驚いたように目を見開き優しく微笑んだ。
「一回聞いただけなのに良く覚えているね」
「いえ、たまたまです」
 ジェムは照れたように顔を赤くした。
「ところでグレーン副長は自分の意見が通らなかったのに対して気にしている様子が無いね」
 ふいにシエロがぶしつけな質問をグレーンにぶつけた。あまりにも率直かつ無遠慮な言葉に周囲はぎょっと彼らを見る。
「なんだい。自分の意見が通らなかったことで私が子供みたいに腹を立てているとでも思ったかい」
 しかしグレーンは気にした様子も無く、くすくすと笑う。
「私の目的はダリアにより良い航海をしてもらうことだからね。その為の方法にはこだわらないよ」
 船が自分の思っていたものと違う海流に乗っても、それに合わせた操舵を行えばいいだけだろう、と彼は言った。
「ははぁ、グレーンさんは大人ですね」
 感心したように呟くジェムにグレーンは照れたように笑う。
「そんなことはないさ。少し私を買い被りすぎだよ」
「まったく確かにそうだね」
「……シエロ、あなたにだけは言って欲しくないと思うわよ」
 我が事のように同意するシエロを、フィオリはじとーっとした目で睨む。シエロはははっと笑った。
「ほら、やっと海賊島が見えてきたよ」
 誤魔化すようにシエロが指差したその先には、しかし確かに懐かしの大地が久方振りの邂逅を待ちわびていた。