≪黒薔薇狂詩曲≫

back / top / next


14 彼らは最後の戦いに臨む

 


(彼らの母親が入院したという話は、本当だったんだ……)

 あたしは二人と始めて顔を合わせた時に交わした会話を思い出した。

 それが日常になってしまうくらい、頻繁に入退院を繰り返しているという母親。
 彼らが怖いぐらいに真剣だった理由が、今ようやくにして分かった気がした。

 淳哉は苛立たしげに唇を噛みしめる。

「もっと設備の整った大きな病院に入院できれば、母さんだってよくなるかも知れないってアニキも言ってたじゃないかっ」

 なのにどうしてと、兄に詰め寄る。昭仁はどこかもどかしげに眉をひそめると、視線を落とし小さくつぶやいた。

「……ああ。だけどそれがお前と引き換えならば、オレは迷わずお前を取る」
「アニキ」
「たしかに母上が健康になれるのなら、それに越したことは無い。だが、それも隣にお前が居てこそだ。これ以上力を酷使すれば、お前は間違いなく身を損なうことになる……」
「そんなこと――っ」

 自分の身なんてどうだっていい。
 淳哉は納得がいかないとばかりに、乱暴に兄の肩を揺さぶった。けれど――、

「――淳哉っ!」

 昭仁は弟を一喝した。
 びくっと淳哉の肩が震える。その視線で貫き留めようとするかのように、昭仁はまっすぐに弟を見つめる。
 その恫喝は淳哉ばかりでなく、あたしをも驚かす程の迫力があった。

「お前にも分かっているだろう……っ」

 感情の起伏に乏しい彼には珍しく、その声にははっきりと強い意志がこもっていた。

「誰かの犠牲の元に願いを叶えても人は本当には幸せになれない。オレはお前を含め、もう誰も犠牲にすることはできない。だからこそオレは……オレたちは、彼女に断られた時点でいさぎよく諦めなきゃいけなかったんだっ」

 理解してくれ、と昭仁は淳哉の肩を強く掴む。
 それを黙って聞いていた淳哉は俯き、ぎゅっと歯を食い縛った。

「……分かったよ」

 無理やり搾り出したかのような声が低く響いた。

「分かったけど、最後にもう一度だけやらせてくれ。それで駄目だったら、もうすっぱり諦める」

 彼は顔を上げると昭仁をまっすぐ見据えた。昭仁はその視線を黙って受け止めていたが、やがてしぶしぶといった様子で小さく息を吐いた。

「仕方がない……」

 昭仁はくるりと振り返るとルードヴィッヒに向かい堂々と言い放った。

「常盤闇の鬼神、後一度だけ我々にお相手願おう。我ら兄弟、死力を尽くして貴殿に挑む」
「良かろう、格の違いというものを見せてやろうぞ」

 挑むような眼差しを高らかに笑い飛ばし、ルードヴィッヒは首元に纏いつく漆黒の巻き毛を優雅に払い除ける。

 さながら火花を散しあうように、彼らは互いだけを見つめ向かい合った。

「ちょ、ちょっとあなた達――、」

「下僕は黙っておれ」
「片瀬さんは下がっていて欲しい」

 慌てて声をかけた途端、双方から邪険な扱いを受けてあたしはぐっと息を呑んだ。

「俺たちもこのまま何事もなかったかのように引き下がる訳にはいかないんだ。立場的にも、心情的にもね」

 そう微笑み、淳哉はおもむろに片膝を着く。その傍らに昭仁は立った。

「《朱殷(しゅいん)乾坤(けんこん)炎跋(えんばつ)満天(どうだん)》」

 淳哉が素早く印を結ぶ。

「《花鳥(かちょう)切磋(せっさ)琅々(ろうろう)にして、――断糸っ》」

 真紅の炎が天に喰らいつくかの勢いで立ち上がった。ルードヴィッヒはそれを軽く身をひるがえして避ける。淳哉はそれに合わせて刀印を切った。

「《砕っ》」

 炎柱から飛び出すように炎の刃がルードヴィッヒめがけて襲い掛かる。

「……」

 だけどルードヴィッヒは微かに眉をひそめただけで、右腕を振ってそれを弾き飛ばした。炎に焼かれた黒衣の袖が炭化してはらはらと地に落ちた。

「その程度か?」

 美貌の吸血鬼はすっと目を細くし、異能の兄弟に問い掛ける。

「この程度の手妻では、余を排するには到底おぼつかんぞ」

 しかし淳哉はそれには答えず、再び印を組み合わせ呪を唱えた。

「《花蘭(からん)祝融(しゅくゆう)総司(そうし)(えみし)》」

 炎の塊がルードヴィッヒに襲いかかる。
 代わり映えのしない攻撃に呆れたように、彼は小さく息を吐いてそれを軽くいなそうとした。その時、

「……インビジブル」

 淳哉の攻撃を黙って見ていた昭仁が小さな声で自分の使い魔を呼びだした。白い妖魔が彼の傍らに浮かぶ。

「やれ」

 昭仁はそちらにちらりとも視線を向けぬまま命じた。

 見えない攻撃が来る――、そう考えたあたしは妖魔の攻撃のタイミングをルードヴィッヒに伝えようと身構えた。

 しかし、妖魔は消えなかった。

「……っ」

 ルードヴィッヒははっと目を見張り、僅かに動きを止める。
 次の瞬間、彼の全身は何の前触れもなく真っ赤な炎に包まれたのだ。

「き、きゃああっ!!」

 あたしは思わず甲高い悲鳴をあげた。
 消えたのは妖魔ではなく、淳哉の放った炎だった。

「くだらない手妻と言われようが、切り札は最後まで取っておくものだ」

 昭仁は傍らの妖魔をそっと撫ぜる。

「インビジブルの本当の能力は自分の姿を消すことじゃない。望む対象を完全に見えなくするのが、本来の正しい使い方だ」
「俺たち兄弟が得意とするのはただのコンビネーション攻撃なんかじゃない。『不可視の炎』――それが、俺たちの本当の力なんだよ」

 目に見える炎と、見えざる妖魔の攻撃。
 これまでずっと単一の攻撃パターンに慣れてしまった相手は、予想外のこの攻撃に即座に対応することができない。

 彼ら兄弟の真価とはそんな策略を平然と組み立て、なおかつ辛抱強く契機を待ち続けることができる、その計算高さなのかもしれない。

「常盤闇の鬼神、俺たちを見くびるな。俺たちが二人揃えば、出来ないことなんてないんだっ」

 淳哉は高らかに吠え立て、まっすぐに指を突きつける。そこには自分たちを信じる確かな誇りが見て取れた。

「……ふふふっ、良かろう」

 ふいに炎の中から楽しげな笑みがこぼれた。

「きさまらの力、確かに認めてやろう。だが所詮人間は人間。余に勝つことなどできはせんよ」

 ルードヴィッヒを取り巻く火焔が突如としてひるがえる。彼は炎に包まれた己の上着を威勢よく放り捨てた。

「そうやって余裕をかましていられるのも、今のうちだっ」

 淳哉はきっとルードヴィッヒを睨みつけ、複雑に指を絡め手印を結ぶ。

「《貴封(きふう)冠代(かんたい)涼白(すずしろ)天鉦(あまがね)》」

 朗々と唱える彼の額にはじっとりと汗が滲み、顔色も悪く呼吸は荒い。たぶん、これが体力的にも最後の攻撃となるのだろう。

「《朱紡(しゅほう)切々(せつせつ)にして、今請い願う》」

 励ますかのように、昭仁がその肩をしっかりと掴んでいた。

「《急急と律令の如く、招来、鳳凰陣っ!!》」

 轟っ、といっきに五本もの炎の柱がルードヴィッヒを取り囲むように立ち上がった。もっとも一瞬の後には天をも焦がすその炎はことごとく消失する。

 だがそれも単に見せ掛けのことに過ぎない。目に見えないだけで炎は間違いなくそこにある。その証拠にあまりの熱に陽炎が揺らめき、こちらから見れば黒衣の吸血鬼の姿は奇妙に歪んでいた。

「その陣は位置を変えながら徐々に包囲を狭めていく。お前がそこから抜け出すのが早いか、それとも不可視の炎に焼き尽くされるのが早いか……勝負だ」

 力を使い果たし地面に膝を着いた淳哉がにやりと笑う。
 たぶんこの技が彼らの最強の切り札。
 ルードヴィッヒの髪が熱風に煽られ揺らめく。

 あたしはただ祈るように胸の前で指を組み、彼をただ見つめ続ける。
 何か策でもめぐらしているのか、ルードヴィッヒは黙ってそこに立ち尽くしていた。しかし、

「――下僕」
「な、何よっ」

 突然ルードヴィッヒがこちらを向いた。
 見えない熱が空気を歪めても、緑の瞳は不思議とまっすぐにあたしを捉えていた。

 ここで辞世の句でも詠まれたらどうしようとあたしは半ば本気で心配したのだけれど、しかしルードヴィッヒが口にしたのはそれよりももっと突拍子もないことだった。

「名を呼べ」
「はぁ?」

 思わず目を丸くした。

「ちょ、ちょっとなんでそんな……、」

 そんな場合じゃないでしょうと激しく思うものの、ルードヴィッヒの目はやはり真剣だった。

「良いから余の名を呼べと言っておるのだ。まさか忘れたなどと言うんじゃなかろうな」

 さすがにそんな訳は無いけれど。
 それでもあたしはぶんぶんと首を横に振る。

 だって今は淳哉の炎が迫りつつある状況のはずで――、

「――美鈴」

 ぎくりと体が強張った。
 ルードヴィッヒは出会って初めて、あたしの名前を呼んだのだ。

「きさまが名を呼ぶならば、余は――何者にも敗れぬことを約束しよう」

 ルードヴィッヒの目はただ真っ直ぐにあたしを捕らえている。

 煌めく緑柱石の瞳。

 痙攣するように微かに唇が震えた。

「……――ドヴィッヒ」

 ごくりと息を飲む。
 知らぬ間に鼓動が早まっていく。

 なんだかそれは、想像以上に大変なことであるかのような気がした。
 淳哉たちに誘われた時の様な、いや、それ以上に取り返しのつかない事態に陥るかも知れないという予感がひしひしとする。

 だけどあたしは、それでもまるでいざなわれるかの様に彼の名前を口にしていた。

「ルードヴィッヒ・イデアール・ドゥンケルハイト……っ」

 The dark of ideal. ―― 《 理想の闇 》。

 初めて口にしたその名前は、けれどよく馴染んだ歌のようにするりと舌を滑っていく。
 ルードヴィッヒはにやりと満足そうに笑った。

「良かろう」

 炎陣はもうすぐそこまで来ている。
 ルードヴィッヒは手首を素早く翻すと、連続して何かを放った。
 鋭く光を弾くそれの正体をあたしは知っていた。

 それはごくごく小さな――鏡の欠片。
 別荘の中であたしを鍛えるために使った硝子の飛礫だった。

 微妙に方向をずらして放たれたガラスの破片は、どれも炎のあまりの熱に即座に融解し形を失う。
 けれどたったひとつだけ、溶けずに残った破片があった。

 その方向こそが、炎の切れ目。

 あたしはもちろん、ルードヴィッヒも当然それを見逃さなかった。

「インビジブルっ」

 はっと気付いた昭仁が即座に妖魔に命じるけれど、ルードヴィッヒの動きはそれよりもずっと速かった。
 息もつかせぬ速さで不可視の炎陣を脱出したルードヴィッヒは、一瞬の後には淳哉と昭仁の背後に気付けばたたずんでいた。

 

 

 

 

BACK / TOP / NEXT


Copyright(C) 2006 Kusu Mizuki.All rights reserved