夢見鳥の唄 5
「美人のミイラの添い寝を希望」


 篠崎はこちらに向かって悠然と歩いてくる。その後ろからちょこまかと付いてくるのがミサトだ。……つかオメエはどっちの味方なんだよっ。
「篠崎。てめえ、何で……」
「大塚君。先生と呼びなさい」
 信じられないという顔でつぶやくオオツカに篠崎は授業中とまったく変わらない調子で注意する。
 篠崎は俺らが入学する前からこの学校で教師をやっている。ならば俺たちよりもこの学校に詳しくて当然かもしれないが、だからといってそう簡単に納得できるものでもない。
「せんせ、なんであんたがこの歌を知っているんだ」
 俺も疑問をぶつけた。
 しかも奴はだいぶ詳しそうだ。ならば篠崎はこの歌について何か知っているのかもしれない。単にオオツカに負けず劣らずの謎の歌フリークであるだけかもしれないが……。
 オオツカは先ほどからずっと険しい眼差しで篠崎をにがんをつけている。その危険極まりない眼光はいざとならば教師だろうが何だろうが関係ないと言っているようでもあった。すごく頼もしい反面、ごく平均的な人生を歩んできたおれはちょっとどきどきだ。お願いだから刃傷沙汰だけは勘弁してくれっ!
 だがそんな視線を受けてもなお、篠崎はやっぱりクールだった。
「私がその歌を知っている理由? それはね、私がその歌声の主を知っているからだ」
 俺たちはそろって息を呑む。
 予想以上に俺の推測は当たっていた。
 篠崎は眩しさをこらえるようにすっと目を細める。
「声の持ち主は《キノシタ チョウコ》。君たちの先輩に当たるこの学校のかつての在校生だ」
 かつての在校生。その奇妙な言い回しに、俺は思わずどきっとした。
「当時合唱部に所属していた彼女はそこのホープだった。豊かな才能の持ち主でな、演奏会でもよくソリストを務めていた。やさしくて明るくて面倒見が良いので、下級生からも同級生からも好かれていた。私もそんな彼女に憧れていたな」
「そ、それでまさか壁に埋めたとか……」
 篠崎の噂のひとつ、付き合っていた女子学生を殺して壁に埋めたという話がいきなり現実味を帯びてくる。こ、これはまさか大穴が来るのかっ!?
「埋める……? 何のことだ」
 からからに干からびた女子学生の死体が壁の中で歌っているところまで想像して俺は青ざめたが、篠崎は不思議そうに首をかしげた。
「あの人は私よりひとつ上の学年だったが、だいぶ親しくしさせてもらっていた。そう、彼女は本当に良い先輩だったよ」
 ええーっ、とミサトが素っ頓狂な声を立てた。
「篠崎先生ってこの学校の卒業生だったんですか?」
「もう二十年近く前のことだけれどもな」
 篠崎はかすかに苦笑したようだった。
 おれもこっそりと胸を撫ぜ下ろす。
 どうやら篠崎がその女子学生を埋めたということはなさそうだ。当時一介の男子学生だったのなら、とてもではないがそんな手間ひまのかかる作業ができるはずがない。まあ、一介の教師にだってできることとは思えないが。しかもよくよく考えればだいぶ失礼な話だ。そんなこと口走った奴に考えなくても分かれと言ってやりたい。俺のことだが。
「彼女は明るくて勝気な生徒だったが、卒業が近くなるにつれてだんだんふさぎ込むようになっていった。卒業したくない。ずっとここで歌っていたいというのが口癖になっていた」
 篠崎は壁にそっと手を触れる。
 その仕草は偶然にも、先ほどのオオツカとまったく同じだった。
「結局、彼女が卒業することはなかった。卒業を間近にして彼女は亡くなったんだ」
「まさかっ、殺されて壁に埋められたんですかっ」
 ミサトが再び叫んだ。どうも俺たちは似たような思考回路をしているようである。類は友を呼ぶというか朱に交われば赤くなるというか。だとしたらむろん感染源はあいつの方。
「いや、交通事故だった。死体もきちんと荼毘に付された。しかしさっきから埋められた埋められたって何の話だ? 学校でそんな噂でもはやっているのか?」
 篠崎は不思議そうな顔をする。
 まさか噂の中心はあなたですとも言えず、俺たちは顔を見合わせて適当にお茶を濁した。
「それで、いったいどうしてこの歌が聞こえるようになったんですか」
 まさかその少女の幽霊が歌っているのか、それとも何か仕掛けがあるのか。
 ついにその謎が明らかになろうとしている……!
「さあ、それは私にも分からないな」
 だが篠崎もまた、あっさりと回答を放棄した。
 俺はがたがたと膝から崩れ落ちる。
 肩透かしというか、ここまで意味深に登場しておいてそれはないだろう!
「センセ〜、この歌について知ってるんじゃなかったんかよお」
「私が知っているのは単にこの歌声が誰のものかということだけだ。だいたいこんな超常現象の仕組みについて説明できるようなら、とっくに論文の一本や二本書き上げてノーベル科学賞を授与しているはずだとは思わないか」
 篠崎はしれっとした顔でうそぶく。
 うちの学校の科学教師はこれで結構野心家らしい。クールドライな篠崎でこれなら、体育の熱血教師・安藤 勇雄なんかは普通に世界征服でも企んでいておかしくない。ちなみに歴史のナベやんはエジプトで美人のミイラに添い寝してもらうのが夢だと言っていた。これもかなり不健全な発想。
「だが幽霊が歌っているとまでは言わないが、この歌声にはやはり彼女の想いが何らかの形で関係しているのではないのかな。彼女は歌うことが本当に好きで、そして学校を愛していたからね」
「この学校に何か心残りが有ると……?」
「さてな。だが彼女の性格からして恨みだとか執念だとかそんな暗い感情を残しているとは考えがたい。彼女はだいぶさばさばした、どちらかと言うと竹を割ったような性格をしていたからな。思いを残していたとしてもせいぜい学校が好きだとか楽しかったぐらいのものでしかないだろう。もちろん、結局のところ私にも真実がどうなのか、この原因が何なのかはさっぱり分かりやしないのだがな」
 困っているような疲れているような、溜め息混じりのそんな声。
 遥か遠くを窺っているかのようにどこか昔を懐かしむ色を瞳に浮かべていた篠崎は、しかし瞬きひとつでそんな様子を一気に払拭すると、いつもと変わらぬ淡々とした声音で俺たちに告げた。
「もし君たちが彼女について知りたいなら図書室にでも行くといい。あそこには歴代の卒業アルバムが保管してあって彼女の代のものもあるはずだ。一応、彼女の写真も載っているはずだろうからな」
「……分かりました。よし、いくぞっ」
 名残惜しそうなミサトを無理やり引っ張って、俺は屋上を後にする。
 一瞬だけ振り返ると、篠崎はその場にただぼんやりと立ち尽していた。
 俺には篠崎の奇行の理由が、少しだけ分かったような気がした。






 耳障りな金属音がして扉が閉まる。
 子供たちがいなくなって一気に静まり返った屋上では、まだ甘く優しい歌声が流れている。
 篠崎はひびの入った壁際まで歩み寄ると、その壁に背をつけそのままずるずると座り込んだ。
「チョウコ先輩。あなたはいつまでこんなところで歌っているつもりなんですか?」
 呆れたように空を見上げる篠崎の顔にどこか面白がるような色が浮かんでいる。
 本人も気付かず、見ている者はどこにもいなかったが。 その笑みは、かつてこの学校に通っていた頃のそれとなんら変わらぬものだった。