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≪五万ヒット御礼企画≫

これは長編『少年は世界を夢見る』の番外編です。


01 歌声

 

 
 物心ついた時にはすでにいつだって精霊がそばにいて、自分にまとわりついてきた。
 やつらはおれが声を出すときゃらきゃらと笑って喜ぶので、高い声を出したり低い声を出したり、声を長く伸ばしたり短く切ったりして一緒に遊んだ。

 それが歌と呼ばれる行為だと知り、同時にそれが『歌』ではないと知ったのは――それがすっかり身に馴染んだ後だった。


 

「ムアッジンにならないかい、ハラーム=ハーミン」

 そう言われたのは、女部屋を出て大人と一緒に男部屋で生活するようになって一年くらいたった頃だったか。
 それを自分に告げたのは一族の、もうかなり老輩の朗唱師(ムアッジン)だった。

 ムアッジンとは日に六回の礼拝の時を告げる歌――アザーン――を謡う特別な人間を指す。それは一種の神職に当たり、それゆえにこの役割を担った人間は敬虔深い自分たちの民からはかなり尊敬されていた。

 若い頃は近隣に鳴り響くほどの美声の持ち主だったらしいムアッジンは、今でも甘く掠れた豊かな声で自分に話しかける。

「私も最近は寄る年波に敵わなくってね、毎日のアザーンがきつくなってきたんだ。完全に謡えなくなる前に、後継者をつくっておきたくてね」

「それは断ることはできない頼みか、ムアッジン」

 おれは躊躇いがちに、ムアッジンに尋ねる。
 ムアッジンは名誉ある役割だ。誰にでもできる仕事ではなく、その歌の上手さを、声の美しさを認められた人間だけがこなす事のできる務め。その後継者に目されたのだから、おれは喜んでそれを受け入れるべきなのだろう。

 だけど、おれは嬉々としてその申し出を受けることはできなかった。

「どうしてそんな事を聞くのかね、ハラーム=ハーミン」

 やはりムアッジンはそうおれに尋ねてきた。
 だがその声はあくまでも穏やかで、長い年月を生きてきた人間だけが持ちえる余裕のようなものを感じさせる。おれはしぶしぶとぶっきら棒に答えた。

「おれの歌は人間のための歌じゃない――それが理由」

 おれは物心着いた時からずっと精霊と共に、精霊のためだけに歌ってきた。
 人間のために歌ったことなどは、それこそ片手で数えるほどしかない。つまり――、

「そうだね。これまでに歌っている君を目にしたことはあるが、君の歌はどちらかと言えば精霊の言葉に近いものだ。人間の歌とは性質が違う」

 おれは無意味に視線を泳がす。

 誰かから歌を教わることなく、ただ気が向くままに精霊とばかり歌ってきたおれの歌は人間が思う『歌』というものとは少し違うものとなっていた。おれは別に何とも思わないが、一部の人間にはそれは耐えようが無いほどに違和感を与えるものらしい。

「だが技術的なものに関しては、練習次第でいくらでも得ることができるよ。――ああ、もしかすると君は誰かに何か言われたのかい。例えば――貶し謗られた、とか」

 何気ない調子でムアッジンは言う。だがその瞬間、かっと顔に血が昇った。
 口では否定も肯定もしなかったが、それが何よりも饒舌な肯定であることは誰の眼にも明らかだっただろう。おれはぐっと唇を噛みしめる。

「それが、君が人前で歌わない理由なんだね。どこにでも口の悪い子はいるものだが……君は精霊の愛し児だから、彼らの言葉にはそれに起因する部分もあったんだろうね」

 ムアッジンはさも有りなんとばかりにうなずいている。確かにそれは間違った解釈では無いだろう。

 おれは自分が他の人間よりも随分恵まれた立場にいることは理解していた。一族のまとめ役――シャイフ――である父を持ち、精霊の愛し児という能力を産まれながらに有している。
 そうした立場に相応しい人間であろうと努力はしているけれど、大人にちやほやされる自分を気に食わない人間は特に同年代の子どもの中には少なからずいた。

 嫉妬からの当てこすりや嫌がらせで傷つく誇りを持ち合わせているつもりは無いけれど、おれが何も感じないかと言えば――それはきっと嘘だ。

「それでも私は、君の歌声こそが誰よりもムアッジンの役割をこなすに相応しいのだと思っているんだよ……どうしたんだい、ハラーム=ハーミン。泣いているのかい?」
「――っ、泣いてなんかない!」

 おれは拳で目尻をこすって顔を上げる。

「おれは気高き砂漠の男だ。泣いたりなんかけしてしないっ」
「そうだね、君は誇り高い子だ。つまらない嫌がらせで泣くような子ではないね。大丈夫、君がムアッジンになったからといってそれを贔屓だと言う人間は絶対に現れないよ」
「……どうして、そんなことを言い切れるんだ」

 おれは訝しむ思いでムアッジンを見る。ムアッジンはにやりと笑って言った。

「君には天賦の才があるからさ」
「……」
「ハラーム=ハーミン、君はシャイフの息子であることにも精霊の愛し児であることにも誇りを持っている。だったらその歌声にもまた誇りを持ちなさい。それもまた、紛れもなく神が君にお授けになった才なのだから」

 おれは何とも受け入れがたい思いでその言葉を聞く。耳障りだと言われたことはあるが、人間に歌声を褒められた一度たりともないからだ。
 かつてその美声でスズリ大陸中に広くに鳴らした老人は優しげに語り掛ける。

「君は自分を曲げる必要はないよ。歌いたくないと思ったら歌う必要はない。それが自分に誇りを持つということだ。だけどひとつだけ――君の思い違いを訂正しておこうか」

 朗唱師は言った。

「ムアッジンの歌は、必ずしも人間のためだけのものでは無い。むしろそれは――神へと捧げる歌だ。我らに加護を与えたもうたただひとりの御方を讃え、それを広く知らしめることが我らムアッジンの役割なんだよ」

 神へと捧げる歌。

 その言葉はかなりの魅力を持っておれの耳へ響いた。
 どうすればいいだろうか。たずねる思いで傍の精霊に視線を向けるが、彼らは好きにすればと言わんばかりにきゃらきゃらと笑って飛び回るばかりだ。

 おれは覚悟を決めると、ムアッジンに向かってうなずいた。

「そうか、やると決めてくれたか」

 ムアッジンは嬉しそうに微笑んだ。

「おれは飽くまで神様のために歌うんであって、人間のために歌うつもりはないけど……」
「それで構わないよ。ではさっそくアザーンの練習をしよう、ハラーム=ハーミン。君には才能があるけれど、立派なムアッジンたるにはたくさんの努力が必要だからね」

 おれはうなずく。
 努力をするのはさほど苦痛ではない。それが神に尽くすためなのだと思えばなおさらだ。
 だがムアッジンは、そこでちょっと肩をすくめて自分に言った。

「ハラーム=ハーミン、君は君が歌い時にだけ歌えばいい。強制するつもりはないけどね。だけど――いつか君が自らの意志で誰かの為に歌いたいと思えるようになって欲しいと、私は心から願うんだ」

 そんな時が来るとは思えない。愛想なくそう返事はしたものの、どこか寂しげに微笑むムアッジンの表情だけは、その後も不思議と強く印象に残った。


 

  ※  ※  ※


 

 礼拝を終え振り返ると、ぼやっとした間抜け面で自分を見ているいくつもの顔があった。

「なんだよ、なんか文句でもあるのか」

 ふくれっ面で睨みつけるとそれぞれはっと我に返ったようにぱちくりと瞬きした。まずゼーヴルムがもったいぶった喋り方でうなずく。

「……これは、確かに賞賛に値するな。まさかこれほどのものとは思わなかった」
「す、すごいです! ぼく感動しましたっ」

 ジェムがぱちぱちと真っ赤な顔で拍手をした。

「なんでこんなに上手いのに隠してたんだい、バッツ」

 すねた調子でシエロが訊ねる。たぶんうっかり聞き惚れたことを口惜しがっているのだろう。

「バッツじゃないっ。おれの名前はシェシュバツァル・フーゴだ。これだってかなり短くしてやってんだから正しく呼びやがれ!」

 おれはむっと何度繰り返した分からない文句を相手に浴びせかける。

 おれ――正式な名前で言うならば、イシュタァラ=シェシュバツァル・イヴン・アサド・イヴン・ブルカーン・ハラーム=ハーミン・フーゴは一族のもとを離れ現在は巡礼の旅に出ている。これは五大陸からそれぞれ選ばれた人間が五大神殿を廻るという名誉ある役割だ。

 その巡礼の仲間との会話の中で、おれが一族のムアッジンの役目についていたことがひょんなことから話題に上り、聞きたいと駄々を捏ねる彼らのためにしぶしぶと普段は省略している礼拝の前のアザーンを行ったのである。

「それに別に隠していたわけじゃない。単に聞かれなかっただけだ」
「だってまさか君が、こんなに歌が上手だなんて思わないじゃないか!」
「……おれも昔は、自分の歌が上手いとは思ってなかったけどな」

 けれど先代ムアッジンの言葉は間違っていなかった。おれがムアッジンとしてアザーンを歌っていくことに、異を唱える人間は現れなかった。先代にしっかりと仕込まれたおれの歌を認めるのは、もはや精霊に限ったことでなくなっていた。

 先代はおれがムアッジンとしての仕事をこなせるようになったのを見届けるように亡くなった。
 先代は病魔に冒されていて、おれを後継者に指名したときにはもう長くはなかった。そんなことを誰にもまったく気付かせなかったのは、彼が代替わりの最後の日まで変わらぬ美しいアザーンを歌い続けていたからだろう。

 ムアッジンとしての役割を最後まで勤め上げること、それが彼の誇りだった。
 そしてその役割の中には、己の後継者を育てることも含まれていた。

「でもぼくすっかり聞き惚れてしまいました。あの、アザーン以外の歌は歌ったりしないんですか?」

 ジェムがおずおずと尋ねてくる。

「悪いがおれは神と精霊のためにしか歌わないんだ。――唯一の例外は先代のムアッジンだけだ」

 先代の葬儀のとき、おれは実に数年ぶりにヒトのためだけに歌った。
 他の何者でもなく、どこまでも気高く誇り高かった偉大なムアッジンのためだけに。
 誇り高い砂漠の男はみだりに涙を流さないものだから、それがおれにできる最大の弔意の表わし方だった。

 誰かの為に歌えるようになるといいね、繰り返しそうおれに言い続けた先代の言葉は結局、本人にむけて叶えられた。

「ええ〜、そんなけち臭いこと言わないでよ」

 シエロがぷっくりと頬を膨らませる。

「砂漠の男は気前が良いのが美徳なんでしょっ」
「そうですよ。ぼくまた聞きたいです、バッツさんの歌声。あの、お祈りのついででも全然構わないんで!」
「だからバッツじゃないって言ってんだろうがっ」

 おれは子どものように駄々を捏ねる仲間を睨みつけながら、しかし思う。

 もしもこの先、誰かの為に歌うときが来るとしたら、たぶんそれはこいつらに対してじゃないか、と。

 そんなの冗談じゃないぞ、と思いながらも不思議とそれを当たり前のように受け止めている自分がいることに、その時はまだ気付かなかった。

 

 

 

 

01、「歌声」……『少年は世界を夢見る』番外編

 

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