第一章 1、「始まりの神殿」(3)

 

「ここ、酒場じゃないですか!」
「酒場だよ」
 当然だと言わんばかりに、彼はカウンター前に腰をおろす。ジェムもおどおどと辺りを窺いながら身を隠すように彼の隣に着いた。まだ昼間の早い時間だとは言え、薄暗い酒場の中にはまっとうではない職種であろう人間が数人たむろしている。彼らは子ども、つまりはジェムを場違いであると責めるような鋭い目でじろりと注視していた。
「君はここをどこだと思って来たんだい?」
 彼は呆れたような目でジェムを見る。そんな事を言われても、困っているのはジェム自身であった。
 少なくとも同じ巡礼使節の少年が自分の居場所として言い残していった店である。何をどう間違っても、こんないかがわしい場所であるはずがない……、はずだった。
「本当になんでこんな店に……」
 一体何を考えているのか。ジェムはまだ見ぬ仲間の神経を心から疑ったのである。
「それで君はこの店に何の用事なのかな?」
 はっとして顔を上げると、彼が不思議そうに首をかしげてこちらを見ていた。
「いくらなんでも酒を嗜みに来たようには見えないんだけどなあ……」
「やっ、違います。ここには人を探しに来たんです」
「人を?」
 彼は面白そうに笑う。カウンターに肘をつきピンと指を立てた。
「君とはことごとく気が合うみたいだ。奇遇なことに俺も人を待ってるんだよね。ふふ、でもそういうことならまだお役に立てそうだ。ここ半月のあいだ、俺はずっとこの店に入り浸りだからなぁ」
 その言葉を証明するかのように、彼は「いつものね」と慣れた調子で注文を頼む。まだ年若いバーテンダーはグラスに酒を注ぎながら、丸々と目を見開き彼に笑いかけた。
「何だ。誰かと思えばあなたですか。どうしたんですか? その帽子」
「うん? ああ。なんかね、最近どうも俺の事を嗅ぎ回ってる奴がいるらしくて、用心のためにちょっと変装。それよりもこの子、人を探しているらしいんだけど。話を聞いてやってくれないかな」
 そう言って彼は帽子を外す。そのとたん薄暗い店内に、さっと光が射したかのような錯覚があった。
 満月の光にも似た金色の髪がふわりと広がる。
「あなたですかっ!」
「へっ? 何が」
 突きつけられた指先を前に、金髪の青年は驚いたようにぱちくりとまばたきをする。深い青の瞳がジェムに注がれた。
 同時に突然の大声を咎めるような視線があっちこっちから向けられる。
 刺すような視線にジェムはほんのり頬を赤らめた。



「何だ、君が探していたのは俺だったんだね。だったら早く言ってくれれば良かったのに」
 くつくつと笑う彼とは対照的に、ジェムはぷっくりと頬を膨らませた。
「そんな、分かるわけないじゃないですか。だいたい何であんな所にいたんですか? だいたい巡礼に行くのは少年なんじゃなかったんですか?」
 ジェムは金髪の青年を拗ねたような眼差しで見上げ、じっとにらみつけた。
 ジェムと彼とでは軽く頭二つ分身長に差がある。そして彼はけして老けている訳ではないが、ジェムからしてみれば『少年使節』と呼ぶには多少トウが立っているように思えた。
「君はどうやら何か勘違いしているみたいだね」
 彼は粋に微笑み、ちちちっと指を振る。
「少年巡礼使節と銘打ってあるけれども、選ばれるのはけして子どもじゃなきゃいけないってわけじゃないんだよ。ようは成人してなきゃ構わないのさ。大体考えてもみなよ、いくら神の名の下に神殿を巡る巡礼使節だとしても世界をぐるりと回るんだぜ? ちっちゃな子どもだけじゃ危なっかしくてしょうがないじゃないか」
「……確かにその通りですね」
 素直にうなずく。最近は世の中も物騒だし、辺境ともなれば盗賊や魔物が出ることも珍しくはない。子どもばかりの一団では何が起こるか分かったものではないだろう。ジェムは自分の考えが足りなかったことを自覚した。
「もしかしたら君にとっては俺なんかは未成年に見えないのかもしれないけど、場所によって成人とされる年齢や条件は大分変わるものだからね。慣れないことも多いだろうけど、せっかくだから楽しくやろうよ。俺はシエロって言うんだ。よろしくね」
「ぼくはジェム・リヴィングストーンです。それでなんで酒場になんていたんですか」
 シエロはひくりと笑みを凍らせた。やけに口数が多いと思ったら、どうやらそれでごまかせると思っていたらしい。そういう訳にはいかないぞ、と凝視すると彼はうつろな笑いを浮かべどこか遠くの方に視線を向けた。
「まあ、なんて言うの? 俺ってばこう見えてもかなりの箱入り息子だから、旅に出る前の軽い社会見学って奴? あそこは耳さえ澄ませてりゃかなり面白い話が聞けるし、酔ったおっちゃんが何かしら奢ってくれたりもするし……。まあ、俺の話はいいんだ! 他の子たちはどこだい? もうみんな集まったんだろう?」
 にっこりと無邪気に微笑むシエロを前に、今度はジェムが顔を引きつらせる番だった。言いにくそうに他の人たちはまだいない旨を告げると、さすがの彼も目を見張り、笑みを絶やさぬ口元からは深々とため息が漏れた。
「なんだい、他はまだ誰も来ていないのかい? 困った人たちだなぁ」
 あなたも人のことは言えませんが。
 ジェムはこわばった顔のまま、その言葉を飲み込んだ。