第一章 5、「黒い羊愛好家」(2)

 

「はぁ?」
 突然の告白に、ジェムたちは目を丸くした。
 そんなことは気にもとめずアンジェリカが歌うように続けた。
「物でも人でも、何でもそう。珍しいものが好き。平凡でありふれたものなんて見るのも嫌よ」
 ああ、なるほど。とシエロはうなずいた。
「それがバッツ君を連れて行った理由か。火の民の一族はめったに大陸から出てこないからな。めずらしいっちゃめずらしいか」
 アンジェリカは胸の前で両手を組むと、夢を見ているかようにうっとりと目を細めた。
「そうなの。あたくし思いましたわ。これはぜひともあたくしの手元に置いておきたいと。はじめて見た時からそう決めてましたの」
「そしてコレクションでもするつもりか」
 盛大に顔をしかめて兵士が吐き捨てる。嫌悪の表情を隠そうともしない。どうやら彼女とはかなり性格が合わないようだ。
 一方でジェムもまた納得していた。ジェムの外見は典型的な地の民のものだ。ここ、ノルズリ(北の)大陸では最もありふれて、よく見かけるもの。彼女の嫌う平凡そのものである。
「あなたもそうよ、シエロさん。あなたもあたくし、とても気に入ってしまったの。月影の金髪に空の色を思わせる碧眼がとっても素敵なんですもの。さすがはヴェストリ(西の)大陸の方ね」
「そりゃどうも……」
 シエロは笑って礼を言うが、さすがに頬が引きつっていた。
 異常なまでに熱のこもった瞳。
 それはさながら何かに憑りつかれているようでもある。
「ではやはりおまえがこの近辺で起きている、誘拐事件の犯人なんだな」
「誘拐犯だなんて人聞きの悪いこと言わないで」
 アンジェリカは眉をひそめて兵士を見る。
「そりゃあ、連れてくるのに多少乱暴な方法を取ったこともなきにしもだけれど、あたくしはただ子どもたちを雇っているだけよ。別に閉じ込めたりしているわけじゃないもの。嘘だと思うなら直接この子たちに聞いてみなさいよ」
 悪びれないとはこのことだが、たしかにそう言われてしまえば返す言葉がない。
「それにあたくし、ちゃんと知っているのよ。あなた方は巡礼使節の子なのでしょう? あたくし、あなた方を助けてあげたいの。あんな危険な旅に子供たちを送り出すなんて信じられないわ。あたくしの所に来ればそんな事しなくて済むのよ」
 アンジェリカの言葉に、シエロは首を振る。
「悪いけど、そう易々と答えられないな。俺の一存で決められることじゃないからね。それよりも早くバッツ君に合わせてよ」
「そのバッツさんはあたくしの提案を受け入れてくれたのよ」
「なら余計だ。その事についても彼とじっくり話をさせて貰おう」
 兵士もまた彼女を睨み付ける。二人から拒絶の言葉を投げかけられ、アンジェリカはさっと顔をそむけた。恥辱からか頬がわずかに赤くなっている。
「今すぐは会わせてあげられないわ。……そうね、晩餐の時はどうかしら? その時になったらバッツさんと合わせてあげる。だからそれまでここで待っていて頂戴」
 足早に部屋を出ようとする彼女に、後ろからシエロが声を掛けた。
「ねえ、アンジェリカ。そんなに珍しいものが好きならいい事を教えてあげるよ。一つ目の人間を見世物にしようと一つ目人間の国へ入って、反対に見世物にされてしまった男の話だよ」
「……申し訳ないですけれど、あたくし自身はこれ以上特別になろうとは思いませんのよ。では夕食の時にまたお会いしましょう。その時までに考え直して頂ければ嬉しいわ」
 その言葉を最後に、彼らの目の前で扉が閉まった。もちろん、その直後にしっかりと錠が落ちる音がしたのは言うまでもない。



 おもむろに静まり返った部屋に三種類のため息が漏れた。
「さてさて。これは困ったことになったぞ」
 実際には困惑の色なぞ欠片も見せず、シエロは朗らかに笑った。
「ねえ、どう思う? アンジェリカの言ったこと。バッツくんは本当にあの人の提案を受け入れたのかな」
 兵士が無造作に首を振る。
「はったりだろう。もしそれが事実なら間違ってもあのタイミングで言ったりはしない」
「えっと、あの……」
 二人の視線がジェムに集まった。それぞれが少なくともジェムより頭二つ分は背が高いので自然と上から見下ろされるような形となり、ジェムは意味もなくすくみ上がった。
「どうしたの? もしかするとジェムはアンジェリカの提案を受け入れたかったのかな」
 シエロからそう尋ねられ、ジェムは慌てて首を振った。
「いいえっ。そんなことはないです。ないんですけれども……」
「ないんだけれど?」
 ジェムは恐る恐るシエロをうかがう。
「巡礼って、そんなに危険な旅なんですか?」
 彼女の真意がどうであれ、巡礼の旅を思い止まらせようとするその言葉に偽りは感じられなかった。まさかそれほどまで巡礼というものが危険なことだとは、思ってもいなかったジェムである。
 シエロはかんらかんらと笑い、一転、真面目な顔でジェムを見た。
「もしかして何も聞いてなかったのかい?」
 暗にその言葉が真実であったことを告げられて、ジェムはがっくりと肩を落とした。どうやら自分の見込みはかなり甘かったようである。
 それでもまだ諦めきれずに、ジェムはシエロに一縷の希望を託した。
「でも、前々回の使者は生死不明だけど、前回の使者はちゃんと無事に帰ってきたって……」
「ちゃんと帰ってきたよ。ちゃぁんとね。でも、あれは無事にとは言いがたいなぁ……」
 シエロはぽりぽりと頭を掻いている。
 ふうっと意識を遠ざけながらも、ジェムは心の中で学長に対するありとあらゆる罵詈雑言を並べたが、すでにあとのまつりである。
 ショックを受けるジェムの肩を、しかしシエロは気楽に叩いた。
「大丈夫、だーいじょうぶ。きっと何とかなるって」
「うぅ、無責任なことを言わないで下さいよ」
「平気だってば。だって俺たち、ひとりで旅に出るわけじゃないんだからね」
 あっけにとられ立ちすくむジェムにぱちんとウインクを残し、シエロは会話の相手を兵士に移した。
「ところで、アンジェリカは子供たちを誘拐している訳じゃないって言ってたけど、実際俺たちにしているのは拉致監禁だよな。そこら辺の理由から、今ここで君があの人逮捕するわけにはいかないの?」
「悪いがそれは無理だ。当然のことだが私は正式には警備兵ではないからな」
 シエロは大きく目を見張った。
「ええっ、あんなに偉そうにしていたのに本当は警備兵じゃなかったの!」
「シエロさん、そこ突っ込みどころと違うから」
 実は自分も同じことを思ったのも確かだが、ジェムには他にもう一箇所妙なまでに気になったことがあった。
「あの、『当然』って、それはいったいどういうことですか?」
 怯えすら混じっているようなジェムの疑問に、しかし兵士はいぶかしげな瞳を返した。
「当然は当然だ。当たり前だろう? 私は巡礼使節だぞ」
 ジェムとシエロは互いに顔を見合わせた。
「はぁ〜っっ!?」
 絶対何かの間違いだろう。
 それは紛れもなく二人の正直な感想だった。