・ 樹大神殿を有する街・ヴィリディス。 大陸のほぼ真ん中に位置するこの街は五大神殿の直轄地であり、大国の王都にも引けをとらない規模を持っていた。 東の神殿とも称される樹大神殿は、大陸のシンボルとしてまったく申し分の無い堂々とした有様で緑深い森を背にした高台に鎮座している。 「うわぁ、すごい活気のある街ですね」 ジェムが物珍しげな顔できょろきょろと辺りを見回している。街のあちこちでは五大神を示す五色の旗が鮮やかにはためき、乗合馬車の駅がある広場は人でごった返している。食べ物の屋台からはいい匂いが漂っていた。 「お前なぁ、そんな田舎者丸出しな顔してんなよ。荷物ひったくられてもしらねぇぞ」 大体これくらいの人ごみなら『始まりの神殿』とこでも見てんだろう、とバッツが呆れた顔でジェムに注意する。 たしかに『始まりの神殿』がある港町もかなりにぎわっていたが、あの時ははっきり言ってそのことに感心しているどころではなかった。 熱心に人波を眺めているジェムの様子があまりにも微笑ましく、ついついスティグマは苦笑を浮かべた。 「この街にはアウストリ大陸の各地から信心深い人たちが参拝に集まるからね、貿易の拠点である沿岸部と並んで大陸の中心地になっているんだ。それに『始まりの神殿』はちょっと特殊な施設だから街の人々の関心は信仰よりも現世利益が勝ってしまってる部分が有るが、ここではまだ信仰が生きている」 「あれ、スティグマさんも『始まりの神殿』に行ったことがあるんですか?」 ジェムが不思議そうな顔をする。 「……ああ、言っただろ。わたしはもともとノルズリ大陸の出身だって」 シエロがとぼけた顔でそうつぶやく。 「ううっ、シエロさんっ。確かにそれは否定できないですけど酷いじゃないですかぁっ」 ジェムは悔しそうに歯を食いしばり足をばたばた踏み鳴らした。 「さて。それじゃあ、あたしたちはここでお別れね」 フィオリがふぅと息を吐く。 「えっ!? どうしてですかっ」 スティグマが苦笑した。優しい眼差しでジェムを覗き込む。 「もう、君は大丈夫だよ。心も身体もすっかり健康だ。何の問題もなく旅ができるはずさ。だから、医者の出番はもう終わりだ」 フィオリがジェムの頭を小突く。 「別にこれが今生の別れって訳でもないんだし。会おうと思えばいつでも会えるわよ」 フィオリは気丈にそう言うが、それが必ずしも真実ではないこともジェムには分かっていた。 ジェムもフィオリも互いに旅の身空であるし、ジェムたちが無事巡礼を終えるかどうかも定かではない。 「フィオリさんもスティグマさんも。本当にお世話になりました。ありがとうございます」 スティグマが優しく笑ってジェムの頭を撫ぜる。 「おかげでうちのフィオリのノルズリ大陸嫌いがだいぶ治った」 同じようにぐしゃぐしゃと頭を撫ぜられてフィオリはぷっくりと頬を膨らませた。 「わたしたちはここからさらに南西の方向へ向かおうと思っている」
ジェムたちははっとした顔でフィオリを見た。 「とは言っても焼き払われて今では何もないんだけどね。だけどこれまで一度も足を運んだことがなかったから」 フィオリは少しだけ寂しげな表情を浮かべた。 「お墓参りもしたいし、これを機会に自分を見つめなおしてみようかなって」 そう語る彼女の声は静かだけれども、それでもどこか晴れ晴れとした音色を伴っていた。 バッツもうんうんと尊大にうなずいて言う。 「小娘も、少しは大人になったっていうことだな」 そのとたん。 穏やかだったフィオリの額にピキッと青筋が浮かんだ。先ほどの落ち着いた雰囲気などはどこへ行ったのやら。にっこりと愛らしい笑みを浮かべバッツに視線を向けるが、その口の端はヒクヒクと引きつっていた。 「あなたも、次に会うときまではまともな言葉遣いってものを覚えておくことね、ボウヤ」 火花を散し合う二人を互いの保護者が引き離した。このまま放置すれば掴み合いの騒ぎにでも発展しかねない。
神殿の鐘が高く響き渡った。 「しまった! もうそんな時間かっ。急がないと馬車に間に合わないぞ」 フィオリもはっと我に帰り、二人はあたふたと荷物を抱えた。 「それでは、どうか達者でな。君たちの旅が無事果たされることを願うよ」 駆け出す彼らにジェムは大きく手を振った。 「本当にっ、本当にありがとうございました! 絶対にまた、会いましょう!!」 スティグマたちが飛び乗ると同時に馬車が勢いよく走り出す。 「……行っちゃいましたね」 バッツが呆れたようにため息を吐いたが、別に騒々しかったのは彼女たちだけの責任ではないのでは。と、いう言葉をジェムはごくんと飲み込んだ。 「そういえば最後にフィオリちゃん、何か叫んでたみたいだけど何を言っていたのかな」 一度袂を分てば、それが今生の別れとなることも少なくないこの時世。 「いざとなれば向こうから会いに来るだろう」 彼にしては珍しく楽観的なその物言いに、お株を取られたシエロが不思議そうな顔をする。 「まだ医療費を支払っていない」 ジェムははっとして口を押さえた。 「まさかゼーヴルム、君知ってて黙ってたんじゃないだろうね」
ジェムはくすくすと笑みをもらした。 「じゃあお金は次会ったときにちゃんと渡しましょうね」 再び会えるという確証はどこにもない。しかしそうやって口に出すと、不思議と気持ちが楽になった。 「じゃあとっとと神殿に行こうぜ。こんなところでグダグダしてないでさ」 バッツが唇を尖らせる。ゼーヴルムもそれにうなずいた。 「そうだな。目的地を目の前にして足踏みをする道理はない」 見上げた先にあるのは高台の上にそびえ立つ石造りの真っ白な神殿。 |