第三章 4、ビースト・ダンス (3)

 

(良かった。成功した……)

 ジェムはゼーヴルムたちが二人の見知らぬ男たちと対峙するのを見て、小さく息をついた。

 その途端、生臭い、錆びた鉄にも似た臭いをまともに吸い込んでしまい少年はむせる。周囲には食い散らかされたウサギの血肉が散乱していた。
  濃厚な血の臭いに当てられ頭がくらくらとするが、それでもジェムは真摯な眼差しで彼らを見つめる。

 こうなるように画策したのは誰でもなく、自分に他ならないのだから。

 


 

 ようするに、これはあえて自分たちを囮にして犯人を誘き寄せようという作戦であった。

 朝を待ち、仲違いをしたかのように見せかけ三人だけがこの洞穴に来る。
 洞穴内には夜のうちに結界を張っておき、さらに入り口付近には森で捕まえたウサギを置いた。(ちなみにこれは本当に自分たちが血を流したと思わせるための罠である。)

 本当なら派手に火を焚き煙でもたて犯人にわざと見つかるようにしようとも考えたのだが、結局そうするまでもなく相手の放った獣はやってきた。

 もっとも、成功したからこそ作戦だと胸を張って言っているが、どちらかと言うとこれはむしろ無茶な賭けに近かっただろう。なにせ作戦からして穴がいくらも空いていたし、最終的には相手の出方次第というとんでもないものだ。

 犯人が囮である自分たちではなくシエロたちの方に向かってはいけないし、自分たちを発見して貰えなければ話にもならない。
 もし一日待って何も起こらなければ、この計画は諦めようと本気で思っていたくらいである。

 しかしこれほどまでに不完全な作戦であると分かっていて、自分の計画に賛同してくれたのがゼーヴルムとシエロだった。
 このためにゼーヴルムは夜の森でせっせと兎狩をしなければならなくなったし、寝入りばなこっそり叩き起こされて結界を張らされたシエロもいい迷惑だろう。
 だが二人とも何も言わずに自分に協力してくれた。

 ジェムは二人に報いられたことに心底安堵せずにはいられなかったが、所詮これはまだきっかけに過ぎない。
 問題は犯人に対面したこれからだ。ジェムは祈るような気持ちで三人の仲間を見つめた。


 


 

 


 

「ほら、さっさと答えて貰うぜ。どうしておれらを付け狙うのか」

 後になってようやくことの詳細を教えられたバッツが、さも当然の顔をして二人の男を睨みつける。ゼーヴルムも続いて問いかけた。

「それからお前たちの黒幕もだ。我々の邪魔をするのは、けしてお前たちの独断ではないだろう」

 少なくとも、自分たちの誰もがこの男たちとは初対面であることに間違いはないし、これまで見も知らずの男たちの恨みを買うような物騒な生き方をしてきたつもりもない。
 この男たちは誰か特定の人物を狙っているのではなく、巡礼使節それ自体が標的だ。だとすればなおさら個人で動いているということもないだろう。

「ふん、誰がお前らの言うとおりに答えるものかっ」

 術士の男は若干怖気づいてはいるものの、馬鹿にする口調で吐き捨てる。
 それに触発されてかバッツは早々にいきり立つが、それを制したのは巡礼の仲間ではなく敵側の禿頭の大男だった。

「我が名はジャマル・ガーゼイ。間違いなく、お前たちの妨害をするために雇われた人間だ。雇い主に関しては自分の口からは何も答えられないことを、先に詫びておく」
「お、おい!」

 ズーオは顔をしかめ怒鳴るが、彼は問題ないと首を振る。そして巡礼者たちを見て言った。

「お前たちにひとつ頼みがある」
「はっ? た、頼みっ!?」

 少年たちはぎょっと目を見張った。
 まさかここにきて相手に下手に出られるとはとは思ってもみなかった。予想だにしない言葉である。

 果たしてこれは罠か謀略か。

 戸惑う気持ちもあるが、ゼーヴルムは慎重にうなずいてみせた。

「いいだろう。聞くだけ聞いてやる」
「今すぐ巡礼使節を解散させ、それぞれの大陸に帰るんだ」

 彼らは再び息を呑んだ。
 ジャマルは怒るでもなく、ただ淡々とまっすぐな視線を彼らに向けている。それは彼のほうからは事を荒立てるつもりはないという意思表示である。

 だがさすがにここで分かりました、と聞き入れる訳にはいかない。かと言って声高に拒絶して戦端を開くのも愚かな選択だ。
 彼らが答えあぐねている中誰が口を開くよりも早く、ふいにシエロが疑問を投じた。

「理由は」
「理由?」

 ジャマルが眉をひそめる。シエロはくすっと無邪気に笑みを浮かべ肩をすくめた。

「おや? 訳も教えず人に言うことを聞かせようというのかい。それは少々不躾なことだと思うけど」

 実際は訳を聞いたからといって了承する気もさらさらないのだが、それを知ってか知らずか、ジャマルは小さく息を吐いて答えた。

「お前たちに巡礼を続けられると困る者がいる」
「何故?」
「それは言えん」

 間髪入れずに返されたのは拒絶の言葉だった。

「だがこれはその者だけでなく、お前達のためでもある」

 硬い声音で言い切ると、そのままぴたりと口を閉ざす。その頑なな表情を見ると、もはやこれ以上の情報を聴き出すことは無理そうだ。シエロはやれやれと首を振った。

「悪いけど、さすがにそれじゃあ納得してあげる事はできないな。今度はもう少しマシな口説き文句を考えて出直しておいで」
「『次』はない。今ここで答えを貰おう」

 ジャマルの口調に初めて重圧が生じた。
 けして声高に脅しかけている訳ではない。しかし初めて感じる痺れるようなプレッシャーに、彼らはごくりと唾を呑んだ。

「……答えは、否だと言ったらどうするか」

 ゼーヴルムが片足を引き、剣の柄に手を置く。それはいつでも抜き放てる体勢だ。

「残念だな」

 それまで穏やかとも言えた男の目に、すっと冷たい光が宿った。

「お前たちには、少し痛い目に合ってもらおう」
「上等だっ。やれるもんならやってみやがれ!」

 バッツが高らかに吼え猛る。
 腰のシャムシールを翻し、抜く手も見せず一息にジャマルに向かって駆けだした。

「バッツっ、先走るんじゃない!」

 向こう見ずな独断専行をゼーヴルムはとっさに諫めるが、血の気の多い少年は聞く耳も持たない。
 ゼーヴルムは顔をしかめ、同様にいま一人の妨害者に向かった。


 


 


 

 ズーオは自分のほうに向かってくる巡礼者を見るなり、慌てて指先を口元にあてがう。そして勢いよく口笛を鳴らした。
 甲高い音色が木々の隙間を縫い森全体に響き渡る。
 バサバサと羽音が続いた。

 今にも切りかからんと、ズーオに切っ先を向けていたゼーヴルムはそれに気づいてとっさに身を引いた。そこに掠めるように鋭い鉤爪が通り過ぎる。

「ちっ」

 彼は舌打ちをして距離を置いた。

 ズーオの周囲には毒々しい色の羽を持つ怪鳥や鋭い刺を全身に生やしたオオトカゲ、さらには小型の魔狼などが彼を護るように取り囲んでいる。それは操魔獣術士が常に手元においておく獣、俗に使獣と呼ばれる使い魔である。
 数はそれほど多くはなく、またその体躯もせいぜい人の半分ほどの大きさもなかったが小回りが利く分それでも厄介には違いなかった。

 ゼーヴルムは隙を窺い活路を見出そうとするが、四方から襲い掛かる鳥獣に翻弄され、かと思えば死角からズーオの鋭い鞭が跳んでくる。

 いくらゼーヴルムは腕が立つとは言え、所詮剣は近距離で戦うための武器だ。敵に近付くことができなければ、手も足も出ないに等しい。

「はんっ、モリオオカミどもは手放してもうたが貴様ら相手ならば小物で十分だな」

 自らの優勢を見て取ったズーオが嫌味たらしく嘲笑を浮かべる。
 その鼻持ちならぬ言い草にゼーヴルムは眉をしかめるが、結局は相手の言う通りでしかない。相手の愚弄を翻したければ今の状況を何とかして打破しなければいけないのだ。

(仕方あるまい……っ)

 ゼーヴルムはいくらかの負傷は覚悟の上で術者であるズーオのみに狙いを定めた。そうなれば使獣の攻撃をまともに受けることになるが、少しでも奴に近付くためにはそれしか方法は無い。

 ゼーヴルムは使獣を振り切り、ズーオへの突進を試みたが敵もそう甘くはなかった。相手はすでにそれを見越していたようで、無防備になったゼーヴルムの背後へ鋭い牙を剥き出しにした魔狼が踊りかかった。
 とっさに身を庇うが時すでに遅し。ゼーヴルムは痛みを覚悟して腕を振り上げる。その時――、


《――風であり鳥であり空の一部である者の名において。いざや来たらん吼天氏、とくと参りて我が障害を薙ぎ払え!》
 

 凄まじい突風が唸り声を上げ彼らの周囲を駆け抜けた。

 


 


 
 

 

 ゼーヴルムと彼に群がる使獣を中心にごくごく局地的に吹いたその風はしかもゼーヴルムには何の影響も与えず、ただ使獣だけを吹き飛ばした。

 もっとも弩(いしゆみ)で飛ばしたかのように空高く舞い上がる訳にはいかず、少し大きな獣になるとごろごろと地面を転がるだけだったが、それでもゼーヴルムの周囲から引き剥がすには十分だ。

 それが誰の手によるものだかゼーヴルムはすぐに理解した。

「今回ばかりは、俺も手伝うよ」
「シエロ……」

 張り詰めた顔のゼーヴルムにシエロが肩を並べる。この苦しい状況の中では願ってもない援軍だ。
 だが彼の表情には安堵はなく、そこにはより厳しいものが浮かんていた。

「――正直な話、我々だけでは厳しいと思うか」

 ゼーヴルムは緊張を浮かべた顔で問いかける。

 シエロは生き物を殺せない。それは彼に架せられた絶対の戒律であり、この原則こそが彼がこれまでの戦闘に参加しない唯一の理由であった。
 だが彼は同時にこうとも漏らしていた。
 ゼーヴルムたちだけでは倒せない敵に行き合った時は自らも参戦することを約束する、と。

 慎重に訊ねるゼーヴルムにシエロは小さく笑ってあっさりと答えた。

「俺の見立てだとね」

 その答えにゼーヴルムは眉根を寄せ、静かにそうか、と呟いた。
 だとすれば、ただ勝つ事だけではなくどうにかしてジェムたち非戦闘員を逃がす方法も考えなくてはならない。

 素早く思考を廻らすゼーヴルムに、シエロはひょいっと顎でしゃくって見せる。

「つうかね。俺の観察眼が正しければ、こっちのデブよりあっちの禿げの方が格段にやばいよ」

 その先にはバッツと激しく斬り結ぶジャマルの姿があった。

「ならば奴はバッツの手には余るな。私が行こう」

 単純な技能から言っても、経験の差から言ってもバッツの腕はゼーヴルムのそれより数段劣る。僅かでも勝率を上げるために、ゼーヴルムは自分がより強い方を受け持つと言うがシエロの意見はそれとは違った。待って、と小さく首を振る。

「理由は分からないけど、今のあいつには殺気が感じられない。だったらあいつがバッツにかかずらっている間に、こっちを先に片付けておいた方がいい」
「しかし――、」

 懸念の表情を浮かべていたゼーヴルムの肩にぽん、と軽やかな重みが乗った。シエロはにやりと笑ってゼーヴルムの顔を覗き込む。

「バッツは君を信じてジェムを任せた。だったらこんどは君が彼を信じる番だ。大丈夫、シェシュバツァルはそう易々とやられてしまうような柔な男じゃないよ」

 シエロはぴんと人差し指を立てると、徐々に態勢を立て直しつつある使獣およびズーオを不敵に見やった。

「細かいのは俺が引き受けるから、ゼーヴルム、君はあの操魔獣術士を叩いてくれよ」
「そう上手くいくものかな」

 ゼーヴルムはボヤキながらも、すっと剣を構える。
 シエロはにんまりと微笑んだ。

「そこを君が、上手くやるんだよ」
「……よかろう。承知した」

 そして二人はそれぞれの敵に狙いを定めた。