第四章 3、風を喚ぶ者(4)

 


 「な、なんなんですかっ。いったい!?」

 ジェムはびっくり眼で喧騒の大元へ視線を向けた。さっそく野次馬が厚い人垣を作っていたが、どうやらそれは喧嘩のようだった。

 ふざけんな、てめぇっ。なんだと、きさまこそぶっころすぞ!

 荒々しい海の男の野太い罵声に、ジェムは思わず身を縮める。

「なんでぇ、またブッチョとツリメかい」

 カイガラは背伸びして喧騒の中心を覗き込み、呆れたような声を出した。おずおずとジェムはカイガラに尋ねる。

「あ、あの、何の騒ぎだか分かっているんですか」
「ああ。ブッチョとツリメというあだ名の若い水夫だよ。あいつら二人して賭け事に興じちゃあ、やれイカサマだペテンだと揉めやがる。いつも最後には殴り合いになるんだから、端から手を出さなきゃいいのにな」

「だ、誰か止めなくていいんですか!」

 ジェムはおろおろと周囲を見回すが、他の海賊たちはやれいけそれやれと囃し立てるばかりで止める様子など欠片も見当たらない。
 カイガラもまたそっけなく肩をすくめて言った。

「ほっとけほっとけ、いつものことだ。それにすぐに専門家がやってくる」
「へ、専門家って――、」
「おまえら何やっていやがるっ!!」

 尋ねるジェムの声を掻き消すように、威勢の良い声がきんと甲板に響き渡った。野次馬の輪がすっと途切れ、その間を堂々と歩いてきたのは、

「ダリアさん!」

 海賊船の若頭、ダリアだった。

 ダリアは互いに掴み合う二人の海賊の首根っこを掴むと力任せに引き剥がした。そして甲板に尻餅をつく二人を冷たい目で見下ろす。

「まぁたおめぇらか、ブッチョにツリメ。今度はいったいなんだってんだ」
「せ、船長……そのですな」
「いや、大したことじゃあねぇんですぜ」

 おろおろと言い訳をしようとする二人に、ダリアはずばりと言い当てる。

「ちょいと手慰みに博打をしていたら、イカサマめいたことをされて腹が立ったと」
「「……へぇ」」
「なぁるほどなぁ」

 おずおずとうなずく彼らに鷹揚な笑みを向けていたダリアは、しかし途端に表情を一変させ二人を盛大に怒鳴りつけた。

「航海中は金を賭ける類いの娯楽は禁止だっつってんだろうがっ!!」
「す、すいやせんっ」
「申し訳ないっ」

 二人の海賊は慌てて頭を下げた。

「なんで航海中は賭け事が禁止なんですか」

 そんなやり取りを遠目に窺いながら、ジェムは幾分かほっとした心持で傍らのカイガラに尋ねる。

「そりゃ金のかかった揉め事はえげつないからな。下手すりゃ船内で殺すの殺さないのの騒ぎが起きる。それを防ぐために悶着の起きやすい博打は大抵の船では禁じられているのさ」
「そうなんですか」

 ジェムはうなずいた。だけどそうした決まりも、あまり船の中では徹底されてはいないようだった。それは彼らとダリアの会話からも窺える。もっとも軍艦のように厳しく決まりで締め付けてしまっては逆に士気に関わって来るだろうから、ある程度は見逃すのも致し方ないのかもしれない。

 ダリアは甲板に転がる布袋を手に取った。ちゃりんと涼しげな音がしたので中身はたぶんお金だろう。

「これが騒ぎの原因か。――よし。これはオレが預かっておくことにする」
「そ、そんなっ」
「横暴ですぜ、船長!」

「じゃかあしいっ!!」

 ダリアはなんだかんだと騒ぐ二人を一括する。そしてちらりと足元に散らばる無数の遊び札を睥睨した。

「ふん。じゃあてめえらその足元に散らばっている札で裏返しの奴好きなの一枚取れよ」

 ブッチョとツリメは不思議がりながら適当な一枚を手に取る。

「『農夫』の札です」
「おれは『商人』だ」

 二人が引いたのは二番目に小さな札と真ん中くらいの強さの札だった。

「じゃあ、どっちにしてもオレの勝ちだな」

 ダリアは勝ち誇ったような声で、靴の下から一枚の札を引き出す。ブッチョとツリメはぎょっと目を見開いた。二人に突きつけられたのは最強の札『皇帝』だった。
 つまりそうやって彼らの流儀に合わせたのだから文句など無いだろう、とそういうことである。

「そんな訳でこの掛け金はオレの物になった訳だが」

 しかしダリアは済ました顔で、口惜しがる二人を見下ろした。

「まぁ、オレも鬼ではない。お前ら互いの取り分を公平に話し合ってオレの所まで取りに来い。そしたら返してやるよ」

 そうやってチャリンと金袋を揺らす。その代わり、とぎろりと鋭い視線を突きつけることも忘れなかった。

「もしまたこんな騒ぎを起こしたら、どんな理由があろうと問答無用で船から叩き落すから覚悟しとけよ」
「分かりやしたっ」

 二人の海賊は声を揃えて答え、がっくりと肩を落とした。

 

 事が落ち着いたのを見てとって、わらわらと野次馬が離れていく。ジェムもまた大きな騒ぎにならなかったことにほうっと息をついた。

「ダリアさんは船長なだけありますね。見事な采配です」
「うんな訳あるかい」

 ジェムはダリアの喧嘩の仲裁に感心したのだが、カイガラはむしろ不満なようでやれやれと呆れ返っていた。

「かなり力任せの強引な治め方だよ。大体あの『皇帝』の札は、表返しで落ちていたのを知って踏んでたんだ。ようするに船長のイカサマ勝ちというわけさ」
「へっ!?」

 ジェムは思わず目を見開く。そんなことまったく気がつかなかった。つまり船長は始めから自分が勝つと知っていて彼らに札を引かせたわけだ。

「まぁ、グレーンのように、ああいう無茶苦茶でいい加減な部分を気に入って船に乗っている奴もいる訳だがな」
「じゃあカイガラさんは違うんですね」

 気付けば話は喧嘩が始まる前に交わしていたものに戻っていた。カイガラは苦笑するようにうなずいてみせる。

「他には船長の血筋に敬意を払っている奴も多いな。船長の親父はこのあたりの船乗りの顔役だった。世話になった奴も少なくない。親父さんへの恩返しのつもりで、あいつの面倒を見るために船に乗っている水夫もいるわな」

 なるほど。ジェムは思わず納得する。船長であるはずのダリアに皆があれだけ厳しい態度を見せていたのも、そういうつながりであれば理解できる。

「でもそれだけって訳でもないぜ。純粋に船長の能力を評価している奴も多い」

 ふと空を見上げたカイガラが、にやりと意味深に笑ってジェムに言う。

「え、それは船長としての処理能力のことですか。それとも――、」

 ジェムが訊ねたその時、突然甲板に突風が吹いた。
 あまりの風圧にばたばたと帆が暴れる。しかし船は不思議とあまり揺れることはなかった。

「な、なんですか。いったい!?」

 ジェムは驚き、突風に細めた目をなんとか開こうとする。その目に映ったのは、真っ白い大きな鳥が優美に甲板に降り立つところだった。
 鳥が翼を仕舞うと途端に強風は静まった。

「よお、アイセ。派手な登場だな」

 誰よりも先に動いたのはダリアだった。ダリアは駆け寄るように真っ白な鳥に近付き、その身を抱え上げ腕に乗せる。

「久々の逢瀬だもの。元気だったかしら、リア」

 これまで一度も耳にした事のない甘い女性の声が突如聞こえた。
 ジェムは目を大きく見開き、そしてあんぐりと口をあけた。

「と、鳥がしゃべった!?」
「鳥じゃねぇよ」

 ジェムの驚き様が可笑しかったのか、カイガラがからからと笑って鳥を指差した。

「あれは船長贔屓の風霊アイセだ。船長は『風喚(かざよ)び』、陸の言い方をすれば風霊の愛し児なんだよ」

 ジェムは思わず絶句した。

 
 もともと他の系統の魔法に比べ、風霊魔法の使い手は格段に少ないとされている。
 それは風霊が自由を愛するとても気まぐれな性質を有しており、何か一つのものに縛られること、つまり契約することをしばしば拒むからだ。
 それが精霊の加護を受ける『風霊使い』ともなるとさらに少なく、百年に一人ほどの割合でしか誕生しないと言われている。


「ギュミル諸島においては風霊魔法を使える呪術者は船乗りたちにとても尊敬されていてな、『風喚び』にいたっては聖者にも近い扱いを受ける」

 つまりダリアは『風喚び』の能力者であるゆえに、船長たる資格を持っていると言うことになる。

「おい、小童。それから下っ端もこっち来い」

 ダリアは顔を上げ、二人を指で招く。船尾近くで作業をしていたエジルはしかし肩をすくめて声を張り上げた。

「おかしらぁ、ぼかぁもう前に姐さんの紹介はして貰いましたぜぇ」
「ああ、そうだったっけかな。じゃあ小童だけでいいや」

 ジェムは何となく恨めしげな眼差しをエジルに向けて、びくびくとダリアのもとへ向かっていく。

「アイセ、こいつが新しい仲間の小童だ」

 まだ海賊になった訳じゃない。そういう訴えは、たぶん彼の耳を素通りしていくだろう。
 ジェムはすっかり諦めた態でしぶしぶとその紹介を飲み込んだ。アイセと呼ばれた鳥はくるりと可愛らしい仕種で首を傾ける。

「あら珍しい。あなたが地の民を船に乗せるなんて」
「まぁな。ちょっとした縁って奴だ。小童、こいつがオレといい仲の風霊アイセだ」

 その精霊は見た目は純白の大鷲だった。両の羽根を広げた長さはたぶんジェムが両手を広げるよりも大きいに違いない。

 はじめまして、地の民の坊や。そう言って鳥の姿の風霊はクルルと咽喉を鳴らす。

(あたし)は風霊のアイセ。リアに手を貸して、遠くを見てきてあげたり、おっちょこちょいの船長と船の伝令役をしてあげたりするのよ」

 そう言うと途端にダリアは顔をしかめる。その様子にアイセはまた声を出して笑った。
 しかし見るからに鳥であるその外見から、柔らかい女性の声が聞こえると言うのはなんとも不思議なものである。もっともジェムはもとよりどうしても、この鳥が精霊だとは思えなかった。

「あの、どうして貴女は精霊なのに姿が見えるんですか」

 ジェムはびくびくと怯えながら、大鷲に話し掛ける。ジェムの知る精霊とはいつかの森の地の精霊であり、シエロやバッツに手を貸しているという自分の目には見えない何かだった。

「あら、あなたは精霊に詳しくないのね」

 くすりとアイセは笑った。

「精霊には段階があるの。弱い精霊は特別な目を持った人にしか見えないのだけれど、ある程度力をもった精霊なら人の目に映るように他の生き物の姿をとることもできるのよ」

 つまり一般的に精霊使いが力を借りるのは下級や低級と言った下位精霊であり、その姿は特殊な方法でのみ人々の目に映る。けれど高位精霊はその限りではない。
 中級の精霊では動物の姿でしかないけれど、上級精霊になれば人の姿を取ることだって可能になるという。

「もっとも精霊は誇り高いから、滅多に人に姿なんて見せないのだけれどね」

 うふふ、と笑うその声色しかしは非常に人間臭いものだ。ジェムはびっくり眼のまま固まってしまう。
 万人の目に映る精霊自体今目の前にしても信じがたいと言うのに、人の姿をした精霊にいたってはもはや想像の埒外である。

「そう言えば、リア。あなたに伝えたいことがあるの」

 話は済んだとばかりに、くるりと風霊は向きを変えてダリアに話しかける。
 もはやジェムのことは一顧だにしなかった。そこらへんは気まぐれな風霊の性質を良く表わしているのかも知れない。

「ここから北東にしばらく向かった先に、嫌な感じのする船がいるの」
「嫌な感じの船って」

 ダリアは訊ねる。アイセは首を傾げると歌うように言った。

「たぶんあなたの捜している船よ。だけど何だか少し様子がおかしかったみたい」
「――ふぅん。なるほどな、分かった」

 いったい彼らは何の話をしているのか。ジェムにはよく理解できなかったが、ダリアはすっと海色の目を細めると、一息に声を張り上げた。

「進路変更っ。船を北東に向けろ!」
「アイアイサーっっ」

 威勢の良い掛け声と共に、船は急激に進路を変えた。


 

   ※  ※  ※


 

 船は風を切って飛ぶように進む。
 それはダリアに、ひいては海賊船『イア・ラ・ロド』に力を貸している風霊がいるからなのだろう。

(何だか変な感じがする)

 ふいに違和感を覚え、ジェムは自分を抱く腕に力を込めた。
 世界を構成し人知を超えた力を自在に操る権限がひとりの個人に委ねられている。それは何だか不自然なことであるような気がしたのだ。

(でもバッツさんだって火霊の加護を受けている訳だし)

 さして気にすることでもないと、ジェムは首を振って無理にその考えをかき消そうとした。

「どうしたんだぃ、また元気ないじゃねぇかい」
「エジルさん」

 ジェムははっと顔を上げる。気がつけばエジルが自分を心配そうに覗き込んでいた。

「そろそろ目的の船に着くみたいだから、どっか隠れてなと言おうと思ったんだけどねぃ」

 船は今までの安穏とした空気からすっかり一変していた。
 船を走らせる操作に翻走されていると言うこともあるが、船はどこか浮き足立った血と戦闘の気配を予想させるそれへと変化している。

 ここ一週間の間にだいぶ打ち解けた気分でいたけれど、彼らの本質は飽くまで海賊でありこれこそが正しい姿なのだろう。

「あの、アイセさんが他の、その……獲物の船を見つけてくるのっていつものことなんですか」
「たぶんな。ぼかぁあんまり詳しくは無いけれど」
「そうですか……」

 ジェムは何とも言いようがない気持ちを抱いたまま、エジルの後を着いていく。と、その時高らかに頭上から声が響いた。

「船が見えたぞおっっ」

 目標発見を告げる先触れの声に、エジルは顔を上げてちっと舌打ちした。

「しょうがねえなぁ。悠長に隠れている暇もねぇかい。おまえさん、悪いがちょっくら着いてきな」

 エジルはそう言うとするすると檣索を昇っていく。ジェムも慌ててその後を追った。エジルは以前見張りをしていた戦闘楼に腰をおろした。

「たぶんこっちの方が下よりは幾分かマシさね。どうせこの船では戦闘は行われないだろうけど。まぁ、悠長に見物と洒落込もうぜ」
「はぁ……」

 ジェムはおずおずと従う。エジルは海賊船が向かいつつある船を指差して言った。

「ご覧。船のどてっ腹から櫂が突き出ているのが見えるだろ。あれはあの船がノルズリ船籍だということを示しているのさぁ」
「へぇ」

 ジェムは意外な気持ちでその特徴に聞き入る。
 北の大陸の船は精霊の力に頼らない。だから他大陸の多くの船とは違い、常に自走できるような仕組みを持っているらしい。

「そしてあの手の船が、おまえさんには申し訳ないが僕らのノルズリ大陸嫌いの一番の原因だねぃ」
「あのっ、それってどういうことなんですか」

 ジェムはぎょっとしてエジルを見た。エジルはどこか困ったような顔で理由を述べる。

「あれはノルズリ大陸国家の私略船なのさ」
「私略、船……?」

 初めて聞く単語にジェムは首を傾げる。おずおずとエジルを見上げると、彼は苦笑するように説明してくれた。

「つまり他国籍の船を襲っていいとノルズリの国がお墨付きを出した船ってわけさ」

 その言葉にジェムは息を呑み、思わず目を見開いた。

「そんなことってあるんですか!?」
「そう言われても、実際にいるんだからしょうがない」

 エジルは肩をすくめた。

「いわば政策の一つというもんだねぃ。正規の貿易ルートに割り込めないから、無理やり奪ってでも富を回収して来いってな。なかなかえげつない政策で、こちらと迷惑極まりないんだけどな」
「……すみません」
「別におまえさんが謝ることでもないだろう」

 エジルはあっさりとそう言って、ふと首をかしげる。

「しかし何かおかしいねぃ。どうしてこれだけ近づいているのにもかかわらず、相手船に何の反応もないんだ」

 その疑問は甲板の海賊たちにとっても同様のものであった。

 ダリアは罠を警戒しつつ、ゆっくりとノルズリ船籍の私略船に近付いていく。そしてとうとう接舷と言う段になっても、相手船からは誰も出てくることはなかった。
 彼らは慎重に相手船に乗り込み、そして船内各所を見回し一つの結論に至った。

 すなわち、この船はまったくの無人であると。

「とりあえず、僕らも降りてみよう」

 エジルとジェムもまた主檣を降りて、私略船に乗り込むことにした。
 二人は相手船の甲板で首を傾げているダリアに近付いていく。

「おかしら、これってどういうことなんですかぃ」
「んなもん、オレが知るかよ」

 やれやれとため息をつき、ダリアは肩をすくめた。何が起きたのか知りたいのは彼の方だろう。

「積荷はあらかた残されているのに、人っ子一人いやしねぇ。まるで幽霊船だよ」

 もっとも船の様子から見て放棄されたのはここ数日、下手をすれば数時間前のことである。

 果たしてこの船に何が起こったのかというのか。

 屈強な海賊たちであっても、この不気味な状況に対する不安は隠しきれないようである。船内を探索する彼らの顔色は甚だ優れないものだった。

「目当ての積荷だけ移してとっととずらかるか……」

 ダリアがぼそりと呟く。

(目当ての、積荷――?)

 その言葉に反応して、ジェムがダリアの顔を窺ったその時。

「おかしらっ、船室にて人発見!!」

 船内からそんな報告が届けられた。

「よし、連れて来い」

 ダリアの目がいきおい活気付いた。ようやくこの不可解な事態が解明できると思ったからだ。
 ジェムもまたその雰囲気につられ、どきどきと何が分かるか期待に胸を高鳴らせる。

 そしてついに艙口から人影が現れた。
 だがその姿を見た途端ジェムは思わず絶句し、まるまると目を見開かずにはおられなかった。

「ちょっと、女の子のことはもっと丁重に扱いなさいよね」
「ああ、清々した。やっと外に出られたよ」

「シエロさん!? フィオリさん!!? どうしてここにっ!?」

 そこから現れたのは見間違いようも無く、ジェムの仲間である巡礼使節二人の姿だった。