≪黒薔薇狂詩曲 第二部≫

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01 陰鬱なる謀略の館

 

「どうやら、ニノ錘(にのすい)の兄弟が返り討ちにあったそうですな」
 広々とした和室で、虫の羽音にも似た耳障りな囁きが言い交わされる。
「鬼神にですか」
「それ以外何がある」
 ぼそぼそとしたさざめき。三十畳以上ある室を照らすのは行灯に似せた照明の僅かな薄明かりのみで、暗く翳る人々の顔はその性根に根付く陰鬱さを浮き彫りにしているような錯覚が過ぎる。
「やはり伝説と見縊るのは――、」
「しかし所詮奴らは半端者……」
「だがあの兄弟より力のある者と言えば――、」

(くだらない……)

 胸のうちで彼は侮蔑の言葉を吐き捨てた。
 口さがない噂話の中で取り交わされる意味のない言葉の羅列。
 この部屋の中で弁論に耽っていれば、誰かが何かをしてくれるとでも思っているのだろうか。
(自身は一歩たりともここから出ようとは考えぬ癖に)
 誰とも視線を合わせぬまま、彼はひとり苦々しげに眉をひそめる。
 だが一方で、そんな連中と同じ所に閉じ込められている自分に殊の外腹が立った。
 傍から見れば、自分も同じように見えるだろうと分かりきっているぶん余計に。
 老人たちの愚にもつかないお喋りが飽きもせず繰り返される。
「これからどうすれば――、」
 
 ――がたんっ
 
 僅かに勢いをつけて襖が開かれる。室内のほぼ全ての視線が一様にその先に向けられた。
真那瀬(まなせ)殿っ」
 歓声にも似た声が幾重にも重なり放たれる。
 呼び掛けなどまるで意に介さず、静かな足取りで部屋に足を踏み入れたのはまだ若い男だった。
 肩に無造作におろされた髪は長く、枯れ枝のように細い体躯を濃色の和服が包んでいる。等身が高いということもあるだろうし、実際に上背もあるのだろう。180センチはあろう長身だが、上から見下されているような雰囲気はない。
 しかし威圧感はあった。
 流水にも似た静謐さを湛える男の気配には、しかし小川のせせらぎなどではなく滝や渓流を思わせる迫力がある。
 それもそのはず。この男、真那瀬は若くして当主に代わり一族を掌握する唯一の人間。
 初めのうちは反発も無い訳ではなかったが、現在では表立って反意を述べようとする者も少ない。
 血筋こそ直系には及ばぬものの、家柄も、能力も、四ノ宮特有のあの“力”さえ、この男は海千山千の一族の民たちを統べるに相応しい技量を抱いている。
 実際ここ数年の間、彼の一族を纏め導いてきた手腕はかなりのものであった。
「……決断が下った」
 日本人にしては色素の薄い虹彩を薙ぐように滑らせ、当主代理は一同に告げた。
 淡々として低く、流れる水のように静かな声だ。だが人々は打たれたように静まり返る。
「当主との相談の結果、今しばらくは直系の娘への手出しを控える旨となった」
「なぜ――っ」
 ざわりと一気に波紋が広がった。
 本家の血筋を取り戻すことは彼らの悲願――否、宿命ですらあるはずだった。もとより四ノ宮は本家あっての一族。跡継ぎを失って以来ただ戦々恐々とするしかなかった彼らに与えたれた最後の光。
 果たしてどの家が手に入れるかという軋轢はあっても、手出し自体を禁じられるというのはまったく予想だにしない出来事であった。
 真那瀬はその涼やかな目元を、騒ぎ立てる人々に黙って向ける。
 非難の声は段々に小さくなり、ついには完全に絶えて消えた。
 一言も声を立てない、無言の鎮圧である。
 真那瀬は完全な沈黙に満ちた人々を前にゆっくりと口を開く。
「知っての通り、この度の本家長姫への接触は紛れもなくニノ錘傍流の独断専行だ。だがあの者たちは我らに情報をもたらした。――『常盤闇の鬼神』の復活だ」
「……っ」
 風聞としては耳にしていても、やはり当主代理の口から聞くとなると少なからぬ衝撃があった。
 再び高まる声が静まるのを待ち、真那瀬は続ける。
「さすがにこの中でさえ『鬼神』を直接知るものはいないだろう。伝聞でしか知られていなかった最強の魔性の力を、彼らはその身をもって計ったことになる。その結果、今はいたずらに『鬼神』を刺激するのは慎むべきだとの結論に達した」
「しかしながら当主代理っ、『常盤闇の鬼神』は元来四ノ宮の手の内のもの。それにニノ錘の兄弟は所詮半端者であり――、」
「……力も相応でしかないと?」
 冷水を浴びせるような真那瀬の言葉に、意見した者はうっと言葉を詰まらせる。
「忘れてはならない。『常磐闇の鬼神』は、四ノ宮直系の血筋にのみ従う者。直系が望めば如何様にも我らに敵対しよう。またニノ錘の二人は『鬼神』に敗北し、みだりな手出しは控えるようにと我々に忠告までしてきた。この意味が分からぬ者はおられまい」
 もはや彼らにはぐうの音も出なかった。
「何も永遠に放逐するという訳ではない。いずれ本家の姫君にはお戻り願うことになるだろう。だが急いて事を起こす必要もない。今は様子を見るにとどめ、万全の準備を整えた後――、」
 彼はふいに視線を逸らし、たずねた。
三吉埜(みよしの)の、どこへ行く」
「……飽きた」
 これまで黙って真那瀬の言葉を聴いていた彼は、おもむろに立ち上がり障子に手を掛ける。僅かに開いた隙間から涼やかな夜気が流れ込んでくる。
「自分がここに居る必要はないだろう」
 こんな無意味な話し合いに参加する意味を、彼はこれ以上見出せなかった。
 愚かで、無能で、凡庸なる老人ども。
 それらは彼が何よりも嫌悪してならない物でもある。
 あまりに奔放すぎる彼の行動にざわりと方々から咎める声が上がるが、彼はそれを無視して廊下に下りた。
「三吉埜の、あまり勝手な真似はしてくれるなよ」
 唯一真那瀬だけは苦笑交じりに寛容な言葉を与えたが、彼は反射的に言い返した。
「分かっているっ。ニノ錘と同じ轍を踏んだりはしないっ」
 分別の付かない幼子をたしなめるような真那瀬の言葉は、彼にとって嘲笑と同じ響きを有していた。
(――侮られたっ)
 力任せに障子を閉めると、その向こうから「だから最近の若い者は――、」と吐き捨てるような嘲りの声がかすかに届く。
 彼は黙って廊下を歩き始めた。
 誰も彼もが自分を見縊り、馬鹿にする。
 だがそれは単に己の能力を明らかにする機会に恵まれていなかったからだ。
 しかし――これからは違う。
 
 そう。自分は奴らの二の舞になったりはしない。

 「あんな無能な兄弟とは違うのさ……」
 ふっとこぼれた彼の笑みは、月明かりの下にあってなお、ひどく歪んだものとなっていた。

 

 

 

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