≪黒薔薇狂詩曲≫

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03 思い掛けない訪問者

 

 いささか釈然とはしないものの、あたしはとりあえず買い物を済ませて家路についた。
「う〜ん、これは本格的に風邪を引いた……かな?」
 あたしは鼻をすすりながら家の門扉に手を掛ける。
 これまでの人生で一度も風邪を引いたことがないという伝説級な丈夫さの持ち主、美登里さん――すなわち母とは違い、あたしはたまにだったら風邪を引く。
 試験が終わって気が緩んだか、それとも単に薄着でクーラーの効いた店内にいたのがいけないのか。どうにもさっきからくしゃみが止まらないのだ。
 こういう時は薬を飲んで早めに寝るに限る。あたしはそう決めると、さっさと家に入った。
 借家ではあるものの、一応うちは一軒家だ。
 二人暮らしには少々広すぎるものの、美登里さんが知人から借りている家だから普通にアパートを借りるよりも安いらしい。
 ただいまと声を掛けながらいつもどおり玄関に足を踏み入れたのだけど、その途端、あたしはふと覚えた違和感に首を傾げた。
 あたしと美登里さんが当番に従って掃き清めている玄関。
 靴箱の上では、美登里さんが会社から貰ってきた紫陽花が硝子の花瓶に活けてある。
 そんな見慣れた玄関のたたきには、見慣れない靴が二足並んで置いてあった。しかもこの大きさは間違いなく男の人のものである。
(珍しい、お客さんかな)
 そんな予想を裏付けるように、リビングからは賑やかな笑い声が聞こえてきた。
「――だけどね〜、みすずちゃんってばすっかり奥手でぇ」
「いえいえ、そんなところも俺は可愛いと思いますよ」
 耳あたりの良い、はきはきとした声。
 なんだかいやに聞き覚えがあるような……。
(まさか――っ)
 あたしはどたばたと足音が立つのも構わず、廊下を大急ぎで駆け抜けリビングの扉を開け放った。
「ああ〜〜っ!!」
 無作法ながら思わず指を突きつける。
「あら、みすずちゃん。どうしたの?」
 そんな大声出しちゃって、と美登里さんが可愛らしく首を傾げる。
 そんな彼女と仲良くお茶を囲んでいたのは見間違いようもなく――、
「お久しぶり、片瀬さん」
 淳哉と昭仁の四ノ宮兄弟だった。

 
 ◇◇◇

  
(そうか、くしゃみの原因はこれだったのか……)
 唖然とその場に固まるあたしを置き去りにして、「ちょっと買い物に行ってくるわ〜」と美登里さんは出かけていった。
 通り過ぎざま、わくわくと期待に満ちた視線を送られる。……貴女は娘にいったい何を期待していると言うのだっ。
 取り残されたあたしは、とりあえず仁王立ちになって彼らに対して身構えた。
「……それで、いったいあたしに何のご用事ですか」
 警戒心たっぷりの目で睨みつけると、淳哉はとたんに困ったような顔で眉尻を下げる。
「そんな怖い顔しないでよ。俺たちが今日やってきたのはね」
「先日の詫びだ」
 そう言って昭仁が紙包みを二つ差し出してきた。それぞれが一抱えはあるような箱を押し付けられてあたしは思わずぱちくりと瞬きをする。季節柄ちょっと早いがお中元かだろうか。
「これ、なんですか?」
 おずおずと尋ねると、淳哉はあっさりと答えた。
「このあいだの詫びと手土産の菓子折りね。どういったものが好みか分からなかったので、こちらで勝手に選ばせて貰ったよ」
「ちなみに中身は栗羊羹と栗最中だ」
(なんで、栗尽くし……?)
 そのセンスにはいまいち首を傾げざるを得ないものの、こうやって手土産を渡してくるあたり今回は敵対する意志はないということだろうか。
(信用しても、いいのかな?)
 戸惑い半分呆れ半分といった気分で、あたしは二人を窺う。だけど飼い主に叱られた犬のように小さくなっている彼らを見て、あたしはやれやれと息をついた。
 とりあえず、ここに来られてしまったものは仕方がない。
「それじゃあとりあえず、お茶でも入れなおすわね」
「おかまいなく」
 途端に淳哉が顔をあげて、にっこりと手を振る。
 ……なんだかしてやられたような感じがするのは、たぶん気のせいだろうと思いたい。
 
 
 あたしが席に着くと、まず淳哉と昭仁はテーブルに手を着いて深々と頭を下げた。
「それじゃあ改めて」
「先日は大変申し訳ないことをした」
「ちょ、ちょっとそこまでして貰わなくてもっ」
 あたしは慌てて立ち上がる。
 確かに別荘で大変な思いをさせられたと言うのは事実だけど、その件については少なくともすべてが終わったときに確かに謝ってもらった。
 もちろんそれですべてチャラになったとは言わないけれど、何度も何度も謝らせてしまうのはやっぱり違う気がした。
「あのあとは結局家まで送ってもらったんだし、あたしの方だってお礼を言わなくっちゃ」
「それでも一応はけじめとしてね」
 淳哉が困ったような顔で苦笑した。
「あの時はなんと言うか……気が急いていたと言うか、俺らもあんまりまともな精神状態じゃなかったから。本当にごめんよ。もうあんなことはしないから」
「気が急くって、お母さんが倒れたから?」
 おずおずと尋ねると、彼は少し悲しげな顔をして首を振った。
「それもあるけど、一番は千草バアちゃんが亡くなったことかな。詳しいこと話すと長くなるから、それは後でじっくりとね」
「……肩の傷はどうだ?」
 今度はふいに昭仁が尋ねてくる。あたしはぶんぶんと腕を回してみせた。
「もうなんとも無いです。身体の丈夫さには自信がありますから」
 そう答えると、あからさまに彼はほっとしたような表情を浮かべた。言葉は少ないがずっとそれが気にかかっていたのだろう。
 そんな彼らの気遣いに、あたしもなんだかふんわりと胸が暖かくなる。
「とりあえず、せっかくだからお茶飲んじゃってください」
 ちなみに茶菓子は今貰ったばかりの栗羊羹。
 お詫びの品だからと最初は固辞していた二人だけど、どうせこんなに大量のお菓子を美登里さんとあたしに二人で平らげることは不可能だ。そう告げるとようやく彼らは手をつけてくれた。
 もっとも羊羹に口をつけたときの嬉しそうな顔を見るに、どうやらこの栗尽くしは彼らの好物でもあるようだ。
「それで、今日いらしたのはただ謝る為だけ、ですか?」
 お茶を飲んで一息ついたところで、あたしは恐るおそる二人に訊ねてみた。
 実はどうにも先程から、妙な胸騒ぎが止まらなかった。
 もちろんそれは、彼らに対して不安があるからというだけではない。
 
 あたしの父と彼らが属する一族を四ノ宮一族という。
 それは烏有創玄と言う陰陽師を開祖に持つ異能の一族だけれど、曲がりなりにもその血を受け継いだあたしもまた、『予見』と言う能力を持っているらしかった。
 もっとも『らしい』という言い方からも分かるように、力といっても精々勘が鋭いとか、攻撃がどこから来るか分かるとかいう程度のもので、実生活で何か役に立つかと言うと正直何の役にも立たない。
 それでも悪い予感を察することに関してだけは、だいぶ前からの実績があった。……悲しいことに。

「さすがに話が早くて助かるな」
 淳哉がにっこりと笑みを浮かべた。それは飄々とした人好きのする笑みだったけれど、彼がそういう顔をした時こそが油断ならない。それをあたしは前回の件で充分に学んでいた。
「良い話と悪い話、どっちから聞きたい?」
(あ、やっぱり……)
 ひくり、とあたしは頬を引きつらせた。
 だけどここでまごついていても仕方がない。あたしは覚悟を決めて、それでもなるべく嫌なことは後回しにしつつ話を促した。
「じゃあとりあえず、良い話のほうから……」
「一族の方針として、君への手出しは控えることが決まった」
「へっ?」
 あたしはぱちくりと瞬きをした。
 昭仁のその声はあまりにも淡々としていたから一瞬聞き間違えかと思ったけれど、そうではない。
「それって、四ノ宮は――父の実家はもうあたしに構わないってこと?」
「そうだね。まぁ永遠に、とは言わないけどさ、とりあえずしばらくは君にちょっかいは出さないってことが一族の見解として発表されたよ」
「そっか……そうなんだ――」
 春の雪解けのように、全身の緊張が徐々に解けていった。
 前回も淳哉たちは別れ際にもうこんなことはしないと約束してくれていたけれど、それでもまだ何かあるのでは無いかとしばらくのあいだ始終びくびくしていたのは確かだ。
 実のところ、今もまだ不安は消えていない。
 しかし不干渉が一族の総意として決定したのであれば、そんな心配は杞憂なのだろう。
 あたしは心の底からほっとした。
「良かった。じゃあもう、あんなことは起こらないって事ね」
 あたしは手のひらを胸に当て微笑む。それにつられたように、淳哉もまたのほほんとした笑みを浮かべた。
「それでもうひとつの、悪いほうの話なんだけどね」
(あ、そのことをすっかり忘れてた)
 あたしはようやくもうひとつの話題について思い出したのだけれど、自分に悪い影響が起こらないことが確定しているのならば、そうびくびくする必要もないだろう。
 すっかり安堵しきっていたあたしは、彼らの言おうとする『悪い話』に対しのんびりと構えていた。しかしにこにことした淳哉の表情とは対照的に、昭仁の声は明らかに困惑の響きを宿していた。
 彼は「悪く思わないで欲しいのだが」と一言前置きをしてからはっきりと言った。
「それでも君を狙う輩は出てくるだろうから注意して欲しい」
 ぴしりとあたしの笑顔は、凍りついた。

 

 

 

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