≪黒薔薇狂詩曲≫

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12 罪滅ぼし

 

 背後でもぞりと動く気配がした。
「……あれ、ここは?」
「まだ別荘の中よ」
 あたしが答えると背後の相手はびくりと身体を震わせた。
「み、美鈴ちゃん」
 淳哉がようやくあたしの存在に気付き、慌てたように名前を呼ぶ。 ていうか、またちゃん付けに戻ってるし。あたしは小さくため息をついた。
 あたしたちは再度門真に捕まっていた。閉じ込められている場所はさっきと変わらず窓のない一室。唯一違うことはと言えば、あたしと淳哉は背中合わせで手首を繋いで縛られているということだ。
 淳哉もすぐにその状況に気が付いたらしく、困ったように詫びの言葉を口にした。
「……あー、ごめん。しくじった。やっぱり門真とは相性が悪いわ」
「別にそれはいいけど」
 背中合わせというのは、この場合少し都合がいいかも知れない。互いに顔が見えないぶん、声色だけで相手の感情を推し量れる。表情や言葉づらはいくらでも取り繕えるけれど、声の調子にはどうしても本心が出てしまうものだ。
 あたしは極めて淡々と、淳哉に問い掛けた。
「さっきの門真君の台詞は、何だったの?」
「……」
 淳哉は答えなかった。もっともそこには黙秘をしている、というよりかは何を言えば分からないと言うような戸惑いの気配が強く漂っている。
「ねぇ、別にあたしは怒ってないから、本当のことを教えてよ。まさかあなたたちが殺したなんて、そんなはずは無いんでしょう」
 そう。冷静になって考えればすぐに分かる。
 あたしの父、四ノ宮怜一が死んだのはあたしが物心つく前。即ち十年以上前のことなのである。
 つまり昭仁も淳哉も十歳にもなっていない、まだ幼い子供であったはずだ。ならば直接的にというのは勿論のこと、間接的にだって誰かを殺すなどということはありえるはずがないのだ。
 あたしはもはや彼らをこれっぽっちも疑ってはいなかったのだけど、しかし淳哉は小さく呟いた。
「――間違ってはいないよ」
「えっ」
「君のお父さんの死の原因となったのは、間違いなく俺らなんだ……」
 か細いながらも、震えることなくはっきりと伝えられる声。
 けれど淳哉の声には、どこまでも深い悔恨の思いが込められているように感じられた。彼は深々と大きなため息をつく。
「何があったか語ろうとすれば、言い訳染みてしまうかな。でも端的に語るような事でもないから――ちょっと長いけど、聞いてな」
 そう言って淳哉はぽつりぽつりと十三年前の真相を語り出した。


 


 その当時、彼ら兄弟は四ノ宮の一族の中で暮らしていた。
 彼らの母親は一族の意向を無視して四ノ宮の血筋では無い人間と結婚したが、その夫は異能の力を持った子供を受け入れることができなかった。仕方無しに母親は昭仁と淳哉を連れて一族に戻ってくることとなったのだ。
 だが一族に逆らって外の人間と結婚しておきながら出戻ってきた彼女を、一族はけして歓迎してはくれなかった。彼ら母親は先代のニノ錘の長の娘だったため、追い出されることはなかったけれどそれでも淳哉たちの一族内での立場は微妙だった。
 大人も子供も、忌み蔑むことはあっても関わってくることはほとんど無い。一族の宿命(さだめ)として身体の弱い母親は、自分たちを慈しんでくれたけれどもそれでも余計な負担を掛けることはできない。居場所をなくした兄弟たちは、逃げ場を探すように二人だけで広い一族の敷地を探索することが常だった。
 そんな中、いったいどのような偶然が作用したのか。見捨てられたような風采で建てられていた離れの庵で、彼らは一人の男性と出会った。
 そしてその人こそが、本家の後継者――四ノ宮怜一だったのだ。
 長らく一族の妄執から逃れ、追跡を退け続けていた彼であったが、その時はすでに一族の手に落ちここに軟禁されていた。 もちろん仮にも直系の血筋、一族の後継者だ。滅多な扱いをされるわけではない。
 けれど彼をもはや逃がすことのないように、と厳重な呪術的な結界でもって彼はこの離れに閉じ込められていたのだった。


 


「俺らはそんなことも知らずに、その離れに忍び込んだんだ。あそこの結界は彼を出さないことに関しては強い効力を発揮していたけれど、関係のない人間の出入りに関してはさほど問題はなかった」
 ――あるいは、それも仕組まれていた事かも知れないけれど。
 淳哉は懐かしさ宿していた眸に、ふと自嘲の色を紛れ込ませる。
「彼は意外な来訪者を快く歓迎してくれたよ。自分もそんな呑気な立場じゃない筈なのに、俺らの相手をしてくれた。まるで自分の子供のように可愛がってくれてさ。本当は、すぐにでも飛んで帰りたかっただろうに――、」
 一緒くたに括られた手首の縄が、わずかに震えていた。けれど、淳哉の声は飽くまで淡々としている。
「俺はその頃はまだ六歳だったからな。実を言えば、当時のことはそれほどはっきりとは覚えてないんだ。それでも、俺があの人の事をとても慕っていた記憶だけは残っているよ」
 あの人は、すごく優しかったんだ。と淳哉ははにかむ様な調子で言う。
「だから怜一さんが殺されたと知った時の君の態度には、少し腹を立ててた。それでちょっと酷いこととか言っちゃったんだけど、――ごめんね」
 あたしは首を振る。そしてそれじゃあ相手に伝わらないという事を思い出して「気にしないで」と答えた。
「実を言えばね、あの後兄貴に怒られたんだ。自分の尺度で人の気持ちを量るなって」
 どきんと、あたしの胸が鳴った。それに被さるように淳哉の声が苦笑を漏らす。
「その通りだよな。俺らには怜一さんがどんなに優しい人だったか、どれだけ君を大切にしていたかって記憶しているけど、君にはそれもないんだ。なのにショックを受けているように見えないからって責めるのは筋違いだよな」
 淳哉は言った。
「怜一さんは君の事をよく話してくれたよ。うちの可愛いお姫さま、ってね。あの時は親ばかだなぁ、と思ってたけど。――でも同時に君に嫉妬していたりもした」
「嫉妬?」
「俺らは実の父親に良い思い出がひとつもないからね。まるで怜一さんを父親のように感じていたんだ。あの人を、君たち家族の元に戻すのが嫌になるくらい」
 ――だから、告げ口した。
 初めて、淳哉の声が低く震えた。
「ある日、あの人は俺らだけにこっそり教えてくれたんだ。自分はここを出て行くつもりだ。だからどうか元気で、って挨拶してくれた。でも俺らはあの人をどうしても出て行かせたくなくって――大人に知らせに行ったんだ」
 それから先は言われなくても分かった。その所為で怜一の逃亡は失敗し、そして最終的には命を失った。
 やがて淳哉はゆっくりと話を再開させた。
「――怜一さんが亡くなったのを聞いて、誰よりもショックを受けたのは兄貴だった。兄貴はあの人が死んでしまったのは己の所為だと、ひどく自分を責めていた」
 俺は情けないことに、よく分かっちゃいなかったんだけどな。そう言った淳哉が肩をすくめたのが背後の動きから伝わってくる。
「一ヶ月前君をこの別荘に呼び出したのは、俺は唯一の味方だった千草バアちゃんが死んじまったことで焦ったのが理由だったけど、兄貴は純粋に君の力になるために行動を起こしたんだ」
 自分の独占欲から死なせてしまった怜一の変わりに美鈴(あたし)を守りたい、そういう思いから――、
 あたしはふいに、胸の奥にぞわりと何かが横たわるのを感じた。
 それはけして良い『何か』ではない。だけどいったいその感情が何なのかということを、あたしは自分でもまだうまく掴みとることができなかった。
「もちろん今では俺も君の事を、真剣に助けてあげたいと思ってるよ。だから頑張って、一緒にここを抜け出そう」
 ごそごそと背後で淳哉が身じろぎをした。なんとか縄を抜けようとしているのだろうけど、正直手首同士が繋がっているためあたしの腕がぐいぐい引っ張られているだけである。それでも一応あたしは淳哉に尋ねた。
「どう? 抜けられそう?」
「いや、これはちょっと無理そうだな。しかもどうやらこの部屋には術封じも掛けられているみたいだ」
 もっとも、と淳哉の口調がふいに愉しそうなものに変わる。
「こんなちゃちな術封じで、四ノ宮随一の炎術使いの火を消し止められると思うなよ、ってんだ」
 ふいに背後から焦げ臭いにおいが漂ってきたかと思ったら、突然あたしは前方にころりと転がってしまった。背後で身体を支えていたもの――二人を繋いでいた縄が焼き切れた。
「やった、助かった!」
 あたしは腕に絡まっていた残りの縄を振りほどいた。
 やはり手首は擦りむいてしまっていたようで、血が滲んでいる。振り返ると淳哉もまた自分の手首をしきりに気にしているのが目にとまった。むしろ彼の手首はここから見ても分かるほど赤くなり、はっきりと火傷ができている。
「淳哉さん、腕っ!」
 あたしは慌てて彼に駆け寄る。
「あぁ、なんてことないよ。さすがにいつものようにコントロールはできなかっただけ。けどこれくらいの火傷なら慣れているさ」
 そう言ってぺろりと火傷を舐める。
「何言ってるの! 慣れちゃ駄目でしょ、そんなものに!!」
 あたしは慌ててあたりを探る。火傷は冷やすのが一番なのだけど、この部屋には水もなければ薬もない。仕方がないのであたしはポケットの中に入っていたハンカチで包帯を作り、淳哉の腕に巻いた。
 これは英梨君が洗って持ってきてくれたものだから、たぶん清潔であるはずだ。
「よし、これでどうにか」
 応急処置とも言えない簡易的な手当てを終えて顔をあげると、なぜだか淳哉が驚いたような表情を浮かべていた。
「どうしたの?」
「……いや、ありがとう」
 不思議がってたずねたけれど、淳哉はぼそりとお礼を言って背を向ける。
 ――何か悪いことでもしたかしら。
 あたしは再度首を傾げることになったのである。

 

 

 

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