≪黒薔薇狂詩曲≫

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15 インフェリオリティ・コンプレックス

 

 淳哉はもう一度門真、英梨の二人と向き合っていた。今度は最初と同じように目隠しも何もしない、そのままの姿。
 あたしは少し離れた所から、黙ってそんな彼らを見ていた。
「ふん、まだやるつもりか。往生際の悪い奴だな」
「それはどうも。諦めが悪いのが、うちの一家の長所でね」
 淳哉は先程までの焦燥感が嘘のようにあっさりと肩をすくめる。一方門真は無様なものでも見るような目つきで淳哉を嘲笑った。
「だが何度やっても同じ結果だぞ。お前では俺を倒すことは不可能だ」
「ああ、それは分かってるさ」
 淳哉は意外なほどにあっさりと頷く。
「純粋な技量は置いておくとしても、炎術と幻術だ。さすがに相性が悪すぎる。これは確かに俺に分が悪かったな」
 そうやって素直に自分の弱さを認める言葉に、門真は怪訝そうな顔をした。これまでの淳哉の必死さを思えば、確かにそれは不思議に思えるかもしれない。だけど門真が再び口を開く前に、淳哉は彼の陰に隠れるもうひとりに声をかけた。
「英梨」
 びくりと英梨が肩を震わせた。
「お前は何もしないのか。門真の陰に隠れているばっかりでなくてさ」
 けれど英梨は何も答えない。代わりに口を開いたのは門真だった。
「こいつにできることなんて何もないさ。弱っちい臆病者なんだ。俺の後ろに隠れているのが精一杯だよ」
「そうなのか、英梨?」
 淳哉は尋ねるけれど、英梨は申し訳なさそうに俯きがちに視線をそらし、ぎゅっと門真の袖を掴むだけだった。そうか、と淳哉はにやりと不敵に笑う。
「だったらこの勝負、俺の勝ちだな」
「世迷い言をっ。さっきまで散々無様な姿を晒していた事をもう忘れたのか!」
 かっとなった門真は淳哉を睨みつけたけれども、淳哉は余裕のある態度を崩さなかった。
「それは今からやってみればすぐに分かるさ」
 淳哉はばっと手を合わせると、指を絡め複雑な手印を結ぶ。
「《火天(かてん)朱須烙(しゅすらく)円妙(えんみょう)臥縁(がえん)》」
 ぼぼぼっ、と淳哉を取り囲むように炎球が浮かび上がる。
「《赤烏、鼓翼し、宣下を為せ》」
 炎球は次々に門真の元へ殺到する。しかし門真は冷たく鼻を鳴らした。
「ふん。馬鹿の一つ覚えでもあるまいに。何度やっても結果は同じだっ」
 門真は腕を伸ばし、これまで通り指を鳴らそうとする。しかしその寸前、鋭い声が彼を打った。

『インビジブル!』

 次の瞬間、炎の球が唐突に消失した。それはもちろん門真の幻術によるものではない。
「……なっ!?」
 今度、驚愕に言葉を失うのは門真の方だった。
 消えたと思われた炎は、けれどその効力までも失った訳ではない。
 門真と英梨、二人の足元で突然不可視の炎が破裂し、彼らはその衝撃に吹き飛ばされた。地面に尻餅をついた二人ははっと顔をあげる。
「元より目に映らぬものを消すことは、例え幻術であれ不可能」
 乾いた眼差しは無感動に二人の少年を見下ろす。
 悠然と彼らの前に現れたのは、黄色いニット帽を目深にかぶった無愛想な青年――四ノ宮昭仁だった。
「アニキっ!」
 兄の姿を確認した淳哉が喜色満面の表情で昭仁に駆け寄る。尻尾があればぶんぶんと振りそうな勢いだったけれど、対する昭仁の顔には無表情ながらもどこか冷たい色が浮かんでいた。
 それに気がついたのだろう。淳哉も昭仁に飛びつく寸前でぴたりと足を止める。
「……淳哉」
「は、はいっ」
 淳哉は慌てて直立不動の姿勢をとる。
「戻ったら、修練のやり直しだ」
「……はい」
 がくりと肩を落とした淳哉が力なくうなずいた。
 たぶん自分の不甲斐無さには彼自身も歯痒い思いをしていたのだろう。彼が不平を唱えることはなかった。もっとも……昭仁からなら例えどんな理不尽な要求でも、淳哉は頷いたに違いないだろうけれど。
「あの、昭仁さん……?」
 あたしはおずおずと彼を見る。昭仁はすっと最小限の動きであたしに視線を向けた。あたしは思わずびくりと肩を振るわせる。
「怪我は」
「だ、大丈夫です」
 あたしが答えると彼はこくんと頷く。なんだかいつもに増して口数が少ないのは果たしてあたしの気のせいだろうか。
 それでもあたしは気になっていた事を彼にたずねることにした。
「その、昭仁さんこそ一族の招集の件は大丈夫だったんですか?」
 淳哉が単独であたしの救出に来たのは、一族がかけた術者への召集に昭仁が向かったからだ。それに関してはもうすでに片付いたのだろうか。
「……大丈夫では、ないかも知れん」
 昭仁はやはり相変わらずの無表情で、しかし明らかに目を逸らし気味に淡々と答えた。なんとなく、いや、あからさまに嫌な予感がひしひしとする。
「呼び出しの理由なのだが、どうやら厳重な管理をしていたはずの呪物が、一族の保管場所から軒並み消えてしまっているらしい。それも歴々の四ノ宮の総力をもってしても滅することが叶わなかった、強大な魔物を封じ込めていた呪物ばかりが」
「はぁっ!!?」
 それに関してはやはり初耳だったらしい淳哉が目を丸くする。あたしも驚きのあまりに開いた口が閉じなかった。
「仔細は不明だが、事態を重く見た一族は主だった術者に捜索を命じた」
「そ、そりゃ当然じゃないですか! 大事件ですよ!」
「そうだな」
 昭仁はこくりとうなずく。むしろそんな大騒動をそう淡々と答えないで欲しいのですが!
「アニキ……、それなのにこっちに来ちゃって大丈夫なのか?」
 おずおずと淳哉がたずねる。それは確かにあたしも非常に気になるところだ。しかし昭仁の答えはまたもあっさりとしたものだった。
「確かにこれは一大事だが、同時に一晩二晩でどうにかできる問題でもない。ならば緊急性からしてこちらの方が先だ」
 昭仁は手を伸ばし、あたしの髪に触れる。そうしてようやく冷たく凍えているようだった昭仁の瞳に暖かみが戻った。そこにはあたしの無事を確認してようやく安心できたとはっきり書いてある。
 昭仁に触れられた瞬間、かっと熱くなったあたしの体温は、しかし急速に冷えていった。どうしてだかあたしは、昭仁が来てくれた事を素直に喜ぶことができなかった。
「ひ、卑怯だ!」
 突然聞こえてきた喚き声にあたしははっと振り返る。
「そんな二人掛りだなんて卑怯だぞ!」
 見れば地面に尻餅をついたまま、門真がこちらを睨みつけている。
「ああ、そうだよ。二人掛りだ。だけどそれのどこが卑怯なんだ?」
 門真を見おろして、淳哉は飄々と笑う。
「俺一人だったら確かにお前には勝てなかっただろうよ。だからアニキに力を借りた。同じようにアニキだけだと勝てない敵には俺が必ず手を貸す。二人なら、俺は誰にも負ける気がしない。だからお前が独りで戦っている限りは、絶対に俺らに勝てないぜ」
 果たしてその自信はいったいどこから来るのだろうか。しかし門真は腹の底から口惜しそうに、淳哉と昭仁の兄弟を睨みつけていた。
「くそうっ。俺がこんな汚れた、下賎な奴らに負けるはずなんてないんだっ」
「……自分よりも血統の劣る人間を指摘すれば安心か」
 ぼそりと漏らされた呟きに、あたしははっとしてそちらを見る。
「なんだと……」
 門真は親の仇でも見るような目で、声の主を睨みつける。英梨も同様に不服そうな眼差しを相手に向けていた。
「一族外の血が半分流れる我々は、さぞや恰好の標的だろうな」
「昭仁さん……」
 あたしは唖然として昭仁の言葉の意味を考える。
「だがそうやって他人を貶めたからと言って、己の出自が繰り上がることがないと理解しているのか」
「な、なに勝手な憶測を並べ立てて――っ」
「門真」
 いきり立つ門真を昭仁は、冷酷とも取れる冷めた眼差しで刺し貫く。
「お父上の奥方の腹の子は、順調か?」
「……っ!」
 門真は痛いところでも突かれたように、くしゃりと顔を歪ませた。
「へ? 父親の奥さんの子供って、自分の弟か妹じゃないのか」
 きょとんとした顔をする淳哉を、振り返った昭仁は若干呆れの混じった視線で一瞥する。
「……淳哉。いくらお前が一族に興味がないからとて、系譜ぐらいは把握しておけ。曲がりなりにも身内のことだぞ」
「ご、ごめんよ。アニキ」
 淳哉はしょぼんと首を窄める。昭仁はそんな淳哉を見やり、そして同様に意味が分からずきょとんとするあたしを見て言った。
「門真君は三吉埜(みよしの)の当主の長男だが本妻の息子ではない。彼は妾腹だ」
「……っ! 五月蝿いっ、黙れ! 俺を侮辱するなっ」
 その言葉に門真は顔を真っ赤にして叫ぶ。あたしはぽかんとした表情のまま、昭仁の言ったその意味を考えていた。
 当主……本妻……妾腹……。
 いまどき昼ドラか時代劇ぐらいでしか出てこなさそうなその言葉が何を意味しているのか理解し、あたしは深々と大きなため息をついた。本当に時代錯誤の一族もあったものだ。
「ようするに、門真君はその……愛人さんの息子なの?」
「言うなれば、そうなるな」
 昭仁は険しい眼差しで睨みつけてくる門真の視線をものともせず、ひとつこくんと頷く。
「門真は二親共に四ノ宮の人間だ。だが母親は一族の中でも中枢からは比較的遠い血筋となる」
「なるほど。だからこそこいつは執拗に俺らの事を扱き下ろしていやがったのか」
 意を得た淳哉はむっとした顔で門真と英梨を睨みつける。もっとも門真は果敢にもその視線を真っ向から跳ね返していた。
 門真が淳哉たちをやれ下賎な血だ、半端者だと言っていたのはすべて自分が抱く劣等感の裏返しということだったのだろう。
 末端に近い血を引く自分(こうした言い方は好きじゃないけれど)よりも遠い、外部の血を引く淳哉たちを貶すことで門真はどうにか自分の矜持を保っていた。むしろ気位の高い彼はそうすることでしか、自分のプライドを守ることができなかったのだ。
「それに長らく分家長の子供は門真しかいなかったが、今は違う。三吉埜の御正室は現在懐妊中だ。その子供が生まれれば、門真は嫡男としての立場すらも危うくなる可能性がある」
 あたしはようやく、今回の事件の全容が掴めた気がした。
 なぜ門真がここまでルードヴィッヒと戦うことにこだわったのか。
 門真はあの魔性を倒すことで、一族に自分の力を認めさせる。ひいては自分の嫡男としての立場を守りたかったのだろう。
「うるさいっ! 黙れっ。黙れ、黙れ――っ!!」
 自身の内情を暴露された門真は咽喉も裂けよとばかりに叫ぶ。そして怒りに青ざめた顔であたしたちを強く睨みつけた。
「お前らに俺のいったい何が理解できると言うんだっ。ふざけた事を抜かしているとただじゃおかないぞ!」
 虚勢にしか聞こえない門真の罵声。しかしあたしは何だか非常に嫌な予感を覚えて、きょろきょろと落ち着きなく視線をさまよわせる。そして次の瞬間、ぞわりと肌の粟立つ感覚がした。
(……これはっ!?)
 あたしは思わず自分の腕をきつく抱きしめて顔をあげる。見れば淳哉たちもこの気配には気付いたようで、鋭い警戒の表情が浮かんでいた。
 その一方では門真があたしたちに対して何かを仕掛けようとしているのが分かった。あたしはとっさに身を翻そうとして――愕然とする。
(身体が、動かない……っ!?)
 腕も足も、すべてが硬直したように言う事を聞かない。
 混乱は一瞬。その理由はすぐに推測できた。
 これは英梨の使い魔の能力。影を喰らって動きを封じる技。
 だけどそれが分かっても、逃れられなければ何の意味もない。
 それはほんの一秒にも満たない間でしかなかっただろう。だけれどその間に門真は術を放つモーションを終わらせていた。
 あたしは目をつぶり、ただでさえ動かない身体をさらに強張らせる。そして口を衝いて出そうになるひとつの名前を必死で飲み込んだ。
「――美鈴ちゃんっ!!」
 緊迫した淳哉、あるいは昭仁の声に被さるように衝撃があたしの身を包み込んだ。

 

 

 

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