◇◆ 呪われ林檎の王子様 ◆◇
  

 

 皆が羨む素敵な彼との初デートの帰り道。

「誰よりもあなたのことが大好きよ!」

 そう言って愛するダーリンの唇にキスをした瞬間。

 「ぼよんっ」という間の抜けた効果音と、もくもくと広がる白い煙を残して、


 

 彼は一個の林檎になった。


 

「嬉しいよ、マイハニー」

 あたしは足元に転がる真っ赤な林檎を呆然と見下ろしてしまった。

「君のお陰でやっと呪いが解けた」
「え、何これ。食えってこと?」
「食っちゃ駄目ぇぇ!! ってか話をちゃんと聞いて!?」

 林檎はフルフルと震え、彼の声で言葉を発する。
 あたしの頭はようやく何が起こったのかを認識した。すなわち、やっと思考が再稼動し始めたのだ。

「――ち、ちょっちょっと! これいったいどういうことなの!? 手品なの? それとももしや夢を見ているのっ? あたしのダーリンはいったいどこ!?」
「落ち着いて、マイハニー。ぼくはここにちゃんといるよ」

 蜜をたくさん含んでそうな林檎は、つやつやと美味しそうに輝いている。
 あたしは混乱の絶頂に達したままこの林檎を思いっきり、蹴り飛ばしたくなった。

 ――が、すんでのところで我慢する。

「君のお陰で呪いが解けたんだ」
「呪い?」

 あたしは顔を引き攣らせながら聞き返す。

「そう、ぼくには悪い魔女に魔法で人間にされてしまっていたんだ。この魔法は最愛の人にキスしてもらえない限り、決して解けないものだった」

 それが君のお陰で――、と林檎は感極まった声で叫んでいたけれどあたしはそんなのまったく聞いちゃいなかった。

「なにそれ! 信じられないわ! どうしてあたしのダーリンが林檎なのよ!?」
「大丈夫、林檎に戻っても君への愛は永遠だよ」
「黙れこの『ど腐れ林檎』」

 く、腐ってないよ、新鮮だよ〜、と林檎は泣きそうな声で訴えてくる。
 しかし泣きたいのはむしろあたしの方だった。あたしは林檎の前にひざまずき必死に話しかける。

「嘘でしょ、ダーリン。お願いだから嘘だって言って! ダーリンが林檎のわけないじゃないっ」

 そう。あたしの愛する彼は眉目秀麗で才気煥発。近隣のアイドルにして女なら誰もが恋人になりたいと願うようなパーフェクトマン。
 あたしは運と努力と裏工作によってその栄光の座を勝ち取ったけれど、彼はもちろんどこからどう見ても紛れもない人間だった。
 まかり間違っても林檎であるはずがない。

「ああ、驚くのも無理はない。だけどね、さっきも言ったとおりぼくは人間になる呪いを掛けられた林檎だったんだ」

 林檎は美味しそうに輝いている。

「そして君のお陰でようやく真実の姿に戻れたんだ」
「いや――――っ! 最っ低――!!」

 あたしはぐわしっと林檎を鷲掴みにして叫んだ。

「痛い痛いっ、もっと丁寧に扱ってっ」
「何それ、冗談でしょ! あたしが並み居るライバルたちを押しのけ、蹴落とし、叩きのめし、闇に葬り去ってようやくファンクラブ会員数にしてのべ113人中1人の彼女の座を射止めたのは、一個の林檎を手にいれるためじゃないのよ!」
「いま初めて聞いた! ぼ、僕の知らないところでいったいどんな争いが――」
「うるさい、この『一山幾ら』!」
「ええっ、ぼくはそんなにお安くないよっ」

 あたしは悲しみに任せ林檎を握る手に力を込めた。

「お姫様のキスで王子に戻る蛙の話なら知っているけど、どうしてイケメン王子から林檎になっちゃうのよ!」
「うわ〜、待って待って。握りつぶさないでっ、ミシミシいってるっ!!」

 どうしてこんな事になったのかあたしにはさっぱり分からない。
 大体何がしたいんだ、この似非ファンタジー。まったくもって意味がわからない。

「ねぇ、本当にあなたは林檎なの? だってこれまで普通に人間してたじゃない。だったら始めから人間だったと思う方が普通だわ」

 むしろ、そう考えた方がずっと通りがいい。
 まぁ現実味なんて話は始めから度外視だ。ホント、ありえないだろうこんなこと。

「だけどぼくは林檎であって――、」
「えいっ」
「うわっ!」

 あたしが決死の思いで照り輝く林檎の表面にキスをすると、再び「ぼよんっ」と間の抜けた音がして白い煙の中から愛しい彼の姿があらわれた。
 あたしの予想は大当たりである。

「やっぱりそうよ! ほら、あなたは本当は人間なのよ」

 あたしは大喜びで彼に飛びついた。

「人間になる呪いを掛けられた林檎じゃなくて、きっとキスするたびに林檎になったり戻ったりする魔法を掛けられた人間に違いないわ」

 あたしはもう離さないぞという思いで彼に寄り添うけれど、物憂げな美貌を持つ彼はいささか呆然とした顔で自分の長い足や白い手を見ていた。

 彼は長い睫毛の下の眼差しを伏し目がちにあたしに向ける。
 そして無言であたしの頬に触れると、軽く腕を引き唇を自分のそれに重ね合わさせた。


 

 「ぼよんっ」――、とみたび白い煙が沸き立つ。


 

「……どーして、自ら林檎の姿に戻るかなっ」
「ハニー、やめて! 踏まないで踏まないでっ、潰れるから!!」
「喚くな、この『傷物につき値下げいたしました』!」
「値下げしてないから! むしろこれで傷がついちゃうから!」

 あたしは林檎を顔の前まで持ち上げて、涙まじりに訴える。

「ねぇ、どうして林檎に戻っちゃうの? あたし、人間のあなたが好きなのに!」
「だけどぼく自身は林檎でいるほうがずっとしっくりくるんだけど……」
「てめぇの感想なんか聞いてねぇよ、『見切り品』」
「見切られてないしぃっ」

 あたしはもう一度林檎にキスをして彼を人間に戻す。

「よく考えて。林檎っていうことは、林檎の木があって、それに花が咲いて、受粉して、実ができて、枝になっていたということよ。あなたに林檎の木に実っていた記憶があるの!?」
「そ、それは……」

 彼が視線をそらして口ごもる。あたしは自分の思いを精一杯込めて、ぎゅっと彼を抱きしめた。

「お願い。あたし、あなたの正体が何であろうとあなたのことを愛しているわ。だけど林檎のままじゃ駄目なの。どうか人間としてあたしのそばにいて!」

 あたしの懸命の訴えに、しかし彼は視線を落としてぽつりと言った。

「……ごめん」
「この分からず屋っ!」

 あたしは彼の頬を力いっぱい引っ叩いた。その途端、


 

 ――ぼよんっ


 

 妙に気の抜ける音を立て、真っ白な煙が周囲を埋め尽くす。

「ああっ、思い出したよハニー。やっぱりぼくは林檎なんかじゃなかった!」

 煙の向こうから喜びに満ち溢れた彼の声が聞こえてきた。

「君のお陰でようやく真実を思い出すことができた。そう。ぼくは愛する人に叩かれることで元の姿に戻れる呪いを掛けられた――、」


 

「桃だったんだ!」


 

  煙がきれいに晴れたとき、そこにはみずみずしくも立派な桃がひとつころりと転がっていた。

「安心しておくれ、マイハニー。たとえ桃でもぼくの君を思う気持ちは変わらないよ」

 桃はフルフルと震えて喋る。
 あたしは足元に転がる果物を見下ろし、これを踏み潰すべきか蹴飛ばすべきか真剣に考えだした。

  【終】  

 

 

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