<競作小説企画 第三回「夏祭り」参加作品>

  □■□ 怪しいバイトは真夏の太陽の下で □■□
 

 

 夏だ。
 この季節ほど危険な誘惑で満ち溢れている時期もない。
 だらだらと流れ落ちる汗。雲ひとつない真っ青な空。
 太陽が燦然と輝く海では、浜辺の女神たちがセクシーな水着を身にまとって俺にウィンクする。
 山の涼気が心地よい川辺で、バーベキューに舌鼓を打つのもいい。
 そして墜ちるひと夏の恋。
 浴衣を着た彼女と巡る祭の夜店に、星空に咲き誇る満開の花火。
 俺は彼女の肩に手を回し、カキ氷のいちごシロップで赤く染まった唇にそっとキスを――

 ……なんて夏らしい娯楽を楽しむには、何を差し置いても先立つものが必要だ。
 富める人間が心地よい汗を流しながら夏の休暇をエンジョイする一方で、俺はむしろ金を稼ぐために汗水をたらさなければならない。この世の中は、持つ者と持たざる者で綺麗に二層化されているように思うのは、果たして俺の気のせいだろうか。なんとも切ない貧乏学生のぼやきである。
 だが、夏休みだからこそ割りのいいバイトが見つかるというのもまた真理。
 来年の大学の授業料を少しでも稼ぐために、苦学生の俺は冷房の効いた図書館で熱心にバイト探しの無料情報誌を読んでいた。そんな時、ふいに誰かが俺の肩を叩いた。
「よお、健介」
「なんだよ、早乙女かよ」
 そこにいたのは俺と同じゼミ生の一人、早乙女昌彦だった。
 早乙女の手にはゼミで出された課題図書が乗せられている。どうやらレポート制作のために図書館にやってきたらしい。
 まったく、ついてない。俺は内心ため息をついた。
「なんだ、おまえバイト探してるのか?」
「あ、ああ。まぁ、そんなところだ」
 早乙女は俺の手元を覗き込んで首を傾げる。俺は頷きながらも言葉を濁していた。
 俺は、早乙女が少し苦手だった。
 いや、早乙女がすごくいい奴であることには俺も異論はない。少し浮世離れしている変わった雰囲気の男ではあるが、授業には毎回真面目に出席しているし、試験前ともなれば友人たちに惜しげもなくノートを貸している。またことあるごとにゼミ室に手土産と称したケーキやら茶やらを買って持ってくる。
 奴はそんな気前の良い男なのだが、俺はそれに素直に甘えることができなかった。
 そういえばゼミの女どもが、早乙女の着ている服はいつもさりげなくブランド物ばかりだと色めきたっていたのを耳にしたこともある。
 僻んでいると思ってくれても別にいいが、俺は奴のそんな金回りの良さにどうにも気後れと不信感を覚えていたのだ。
 どこのボンボンだか知らないが、こいつにはせっかくの夏期休暇がアルバイトに費やされる空しさなんて知るべくもないだろう。と、そんなことを考えているとふいに早乙女が手を叩いた。
「ああ、なるほど。健介がこの間のゼミの肝試しに参加しなかったのは、バイトがあったからなのか」
「ご名答」
 俺は遣る瀬無い思いでため息交じりの正解を告げる。
 先日ゼミ仲間の間で肝試しが企画されたのだが、俺はどうしてもバイトのシフトが動かせず欠席を余儀なくされたのだ。
「てっきり幽霊が怖いから不参加だったのかと思ってた」
「そんなわけねえだろ。ガキじゃねぇんだから、んなもんちっとも怖かねえよ」
 俺は腹立たしさからひくりと顔を引きつらせる。
 むしろバイトがなければ、是が非でも参加したかった。
 肝試しとくれば、夏の重要なイベントのひとつじゃないか。
 例えそれが普段見慣れた小うるさいゼミの女どもであっても、女子と手を繋いで暗がりを歩くなんて機会はそうそうない。しかも他のゼミ仲間に聞いたところ、女どもは示し合わせて浴衣で参加していたらしい。いったい俺に対する何の嫌がらせだ。
「なるほど、それはちょうど良かった」
 何がちょうどいいだおいコラ、とやさぐれ気分で顔を上げた俺は、早乙女の助かったと言わんばかりの眩い笑みを訝しい思いで見る。
「健介さえ構わなければ、この夏オレと一緒にバイトしない? ひと夏で、これだけ稼がせてあげるよ」
 そう言って、早乙女は人差し指をぴんと立てる。
「これだけって……十万か?」
 それなら労働量と時間帯によってはと一考し始めていた俺は、早乙女の返事に思わず吹き出した。
「いや、百万円」
「はっ? ひゃ、ひゃくまん!!!?」
 俺の叫び声に咎めるような視線が周囲から突き刺さる。他の利用者に謝罪の会釈をしながら、俺は真っ白に吹き飛んでしまった思考をどうにか再起動させようと懸命なる努力をしていた。


 ジュワジュワと殺人的な喧しさで蝉が鳴き喚いている。
 だがそれよりも殺戮級の激しさなのが、ガンガンと容赦なく照りつけてくるこの憎き太陽だ。
 ちょうど二時を過ぎてもっとも日差しが強くなる時刻なのだが、肌どころか呼吸のたびに肺まで焼かんとばかりの熱気が俺を襲う。直射光もまるで頭上からスナイパーに間断なく狙撃され続けているかのような破壊力があった。
 足元のアスファルトも飽和状態に近いところまで熱を蓄え、焼けたフライパンの上どころか半ば融解して歩くたびに靴底が張り付いてくるような違和感がある。というか、あきらかに溶けかけてないか。それになんだかだんだん意識までもが朦朧としてきた。
「ほら、ちゃんと水を飲みなよ。これから一働きして貰うんだから、こんなところで日射病にでもなったら洒落にならないぞ」
 早乙女がナップザックから下げていたペットボトルを投げてくる。危うい所でそれを受け止めた俺は、がぶがぶと中身を一気に呷る。そうするとうだるような暑さにやられかけていた意識が、どうにかはっきりとしてきた。
 結局俺は早乙女の誘いに乗って、奴のアルバイトに同行することになった。
 なにやら非常に胡散臭くはあったけれど、ひと夏で100万円の儲けと言うのはあまりにも魅力的な提案だったのだ。
 どんな仕事なのかと尋ねたところ、早乙女はあっさりと害虫駆除みたいなものだと答えた。多少危険はあるが、危険手当込みだからこその破格のバイト料であるとのこと。
 すでに車で二時間ほど移動して、そこからさらにかれこれ二十分ほど歩かされている。さすがにこんなところまで来て何をするのかと、俺はだんだん不審に思いはじめてきた。
「なぁ、いったいどこまで行くんだ?」
 迸るように流れる汗をぬぐいながら、俺は早乙女に尋ねた。
 車を留めておいたあたりは新興住宅地らしく真新しい小奇麗な家ばかり並んでいたが、ここらへんは建物もまばらな寂しい土地だった。周囲には雑草が鬱陶しく生い茂る空き地ばかりが目立つ。いったいこんな場所でどんな仕事があるというのだ。
「もう着いたよ。ほら、あそこ」
 早乙女が指差したのは、一軒の家屋だった。だがそこはほとんど廃墟に近いくらいにまで朽ち果て、人が住んでいる気配はまるでない。もとはそれなりに立派な屋敷だったのだろうが、田舎の暴走族が根城にでもしていたのか、家の壁は下品な落書きで埋め尽くされていた。
「あ、あれ描いたのオレね」
「はぁっ!?」
 俺はぎょっとして早乙女を見る。こんなくだらない悪戯をして喜ぶような人間だとは思ってもみなかった。早乙女は見るからにおっとりとした人畜無害そうな顔をしている。
 だが早乙女は道路に面した門の前に立つといきなりそれを蹴倒した。蝶つがいが錆びきっていた戸はあっけなく内側に倒れる。
「な、なぁ……お前って、そんな乱暴な奴だったっけ?」
 堂々と敷地内に入っていく早乙女に唖然とした目を向けながら、俺は慌ててその後を追っていった。
「まぁ、これも仕事の一環だからね」
「もしかしてお前の言うアルバイトって、地上げ屋か何かか……?」
「あ、それ近い。ある意味、立ち退き請求だね」
 その言葉に俺は焦る。
「ちょっ、待てよ! さすがに犯罪行為に加担するつもりはないぞ!!」
「大丈夫大丈夫、追い出すのは人間じゃないから」
 早乙女はあっけらかんと笑って手を振る。早乙女は背負っていたナップザックを下ろすと、中身を取り出しながら奇妙な話を始めた。
「この家にはさ、とある業突く張りな爺さんが住んでいたんだって。この爺さん、結構な小金を溜め込んでいたらしいんだけど、それに目をつけた悪い奴が家に忍び込んで爺さんを殺して金を奪って逃げたらしいんだ」
 あっさりと語られる惨劇に、俺はぎょっと目を見開く。
「無事犯人は捕まって、この家は爺さんの遠縁が相続したらしいんだけど、まぁ、殺人事件が起きた家だろう? 自分じゃ住みたくもないし、かと言って貸家にしても借手がいなくてさ。最近このあたりも開発が進んでいるから、それならいっそ家を潰してマンションにしようってことになったんだ。だけどいざ家を取り壊そうとしたら――、」
 早乙女は声を低めると、両手を顔の前でだらりと下げる。
「出るんだってさ――、爺さんの幽霊が……」
 俺はひくりと顔を引きつらせた。
「じょ、冗談だろう……?」
「冗談なものか。この家を誰にも渡すまいと爺さんの霊が頑張って祟りを起こすから、取り壊し作業がちっとも進まなくってさ。どうにかしてくれっていうのが、今回の依頼」
 しれっと告げられた早乙女の言葉を、危うく俺は聞き逃すところだった。
「どうにかするのが、――今回の依頼!?」
「そうだよ。だって幽霊退治のアルバイトだもん」
 俺は思わず声を張り上げた。
「ちょ、ちょっと待て!! 聞いてないぞ!?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
 そんなことは欠片も聞いてはいない。俺はぶんぶんと首を横に振る。
「でも、健介は幽霊なんて怖くないんだろう?」
「い、いや、確かにそうは言ったけど!! だけど俺は念仏なんて唱えられないぞ!」
「ああ、そんなのいらないから」
 早乙女は笑って手を振る。
「今回、下準備は全部オレがやったけど、次からは健介にも手伝ってもらうからな」
「下準備って……?」
「例えば壁に落書きしたり、真夜中に大音量で音楽を流したり、一晩中ビームライトで家を照らしたりとか」
「まるっきり地上げ屋じゃん!」
 と言うか、普通に不快な嫌がらせばかりだ。
「だいたい、幽霊退治っていっても、今は昼間だろう」
 幽霊の活動時間といえば草木も眠る丑三つ時と言うのが定番で、灼熱の太陽が照りつけるこの時間帯には出てこないものではないのだろうか。
 そう尋ねると、早乙女はナップザックの中からなにやら大量のロケット花火を取り出しながら笑って答えた。
「いやいや、そこも心配要らないよ。むしろこの時間帯で好都合なんだ」
 早乙女はいきなり足元に落ちていた石を投げつけて、窓ガラスを粉砕する。そして火のついたロケット花火を家の中に放り込んだ。
「ちょっ、お前……っ!?」
 家の中で激しく花火が飛びまわり、喧しい破裂音がした。
 そのあまりにもとんでもない仕打ちに青ざめる俺に、早乙女はにっこりと無邪気な笑みを向けてきた。
「第一この家の幽霊は、昼間から出没するくらい凶悪だから」
 その言葉に被さるように、無人のはずの家屋の玄関がぎぎぎぃと低く軋みながら開いていった。
『貴ぃぃ様らあぁァァ〜……っっ』
 地獄から這い出てきたような嗄れ声とともに姿を現したのは、全身を血に濡らし死人のように青ざめた顔色の老年の男。半ば透けたその姿はあきらかに幽霊、いや怨霊だ。目は血走り吊り上がり、口は耳まで裂け歯を剥き出しにしている。
 はじめて目にする幽霊の姿に凍りつき、そのまま動けなくなった俺の腕を、早乙女は強く引っ張った。
「ぼんやりしてないで、行くぞっ」
 早乙女はナップザックを背負い直すと、道路に向かって一目散に駆けて行く。置いていかれそうになった俺は、大慌てでその後を追って走った。
『待ぁァァぁてぇェぇぇエェェぇ〜……ッッ!』
 男の幽霊は怒り心頭、恨み骨髄に徹すとばかりの表情でこちらを追ってきた。
 というか、ここまでされたらさすがに俺でも怒り狂うに違いない。その気持ちは非常に良く分かる。
 だが、だからと言って足を止める勇気などあるはずがない。
 幽霊が迫ってくる背筋の凍るような気配を感じつつも、血の気を失った俺は暑さも忘れひたすらに焼けたアスファルトの上を走り抜けていた。


「よし、これくらいでいいだろう」
 どれだけ走っただろう。幽霊屋敷が見えなくなるまでひたすら走り続けたあと、おもむろに早乙女が足を止めた。
 一方俺は恐怖と焦燥と混乱の中での逃走の結果、疲れ果てて息も絶え絶えの状態だった。もっともかといって走るのをやめたら、文字通り息が絶えてしまっていた可能性も否定できない。
 ばてきった俺はそのまま道路にひっくり返りたい衝動に駆られたが、何時間も真夏の太陽に炙られたアスファルトの上に寝転がったら火傷は必至だろう。俺は膝に手を置き懸命に呼吸を整えていた。
「じゃあ、そろそろ戻ろうか」
「はぁっ!!?」
 あっさりと逃げてきた道を戻ろうとする早乙女を俺は信じられない思いで見る。
「冗談じゃないぞっ! あんなとんでもない悪霊から、ようやくの思いで逃げてきたんだぞ!」
「もう大丈夫だって。ちゃんと確認して最後の仕上げをしないと、バイト代がもらえなくなるんだよ」
 絶対に安全だからと自信たっぷりに言う早乙女に半ば脅されるように説き伏せられ、俺はびくびくと来た道を戻っていく。
 やがて幽霊屋敷が見えてきたあたりで早乙女が嬉々とした声を張り上げた。
「よかった、見つけたぞ!」
 早乙女は地面を見て快哉を上げると、ナップザックを下ろし中身を探りだす。背後から恐るおそる覗き込むと、アスファルトの上にゲル状の半透明のよく分からない物体がへばりついていた。
「なんだ、これ?」
 見たこともないようなそれを不思議に思い、つんつんと爪先で突っついていると、
「さっきの幽霊」
 早乙女があっさりと答えたので俺は腰を抜かしそうになった。もつれさせる勢いで足を慌てて引っ込める。
「な、なんでこんなことに……!!?」
 驚きのあまりそれ以上言葉の出ない俺に、早乙女は理科の実験結果でも説明するような口調でさらっと答えた。
「幽霊は焼けたアスファルトの上に長くいると、こんな風に溶けて固まっちゃうんだよ。俺らはその習性を利用して幽霊退治をするわけ」
 すなわち地上げ屋もかくやという嫌がらせを繰り返すことで幽霊をわざと怒らせて、真昼の太陽の下に誘き寄せる。
 怒り心頭に達した幽霊は我を忘れて犯人を追いかけるが、そこに待ち受けているのはじりじりと焼けたアスファルト。
「やがて幽霊は道路の熱で融解し地面にへばりつくことになる。そうすれば後の処理は簡単なんだ」
 早乙女はナップザックからなにやら白い粉を取り出すと、それをぱらぱらとゲル状になった幽霊に振りかけはじめた。
「それ、なんだ……?」
「清めの塩」
 塩を掛けられた幽霊はじわじわと消えていく。だがそれはどちらかとうとナメクジに塩を掛けて溶かしている様に酷似しており、俺はげんなりした。
「よし、これで幽霊退治完了」
 幽霊がすっかり溶けて消えると、早乙女はいい仕事をしたと言わんばかりに晴れ晴れとした表情で汗をぬぐった。
「まぁ、とりあえず仕事内容としてはこんな感じかな。次からは健介にも色々と手伝ってもらうことになるけど、いいかな」
「じょ、冗談じゃないぞっ!!」
 俺は反射的に吼えた。なにしろこれほどまでに肝を冷やしたのは人生において初めてのことだ。だいたいあんな恐ろしげな顔をした幽霊に追いかけられて、命からがら逃げることになろうとは一言だって聞いていない。
 毎回こんな命懸けの仕事をしていたら、心臓がいくつあっても足りないだろう。それならいっそ、時給1000円で飲み屋のバイトでもしていた方がずっとマシだ。
「もうこんなことは金輪際御免だ! 俺はこれっきりにしてもら――、」
「ちなみにこれで20万円くらい貰えるんだ。健介の取り分は5万円くらいかなと思ってたけど、半分の10万円を渡してもいいよ」
「……じ、10万円?」
 早乙女はにっこりと笑って頷く。
 俺は頭の中の冷静な部分が、ぱちぱちとソロバンをはじき始めた。
 取り分が二倍になるとしたら、単純計算で最終的な収入は100万円の倍だから……200万円。授業料を払ってもまだお釣りが出る。
 気がつけば、俺は上ずった声でこう答えていた。
「……お、おう。分かった」
「ありがとう。これからもよろしくな」
 にっこりと早乙女が笑う。
 仕方がない。こうなれば多少の危険には目をつぶることにしよう。俺は意識を切り替えて、腹を括った。
 なにやら早まった気もするが、気のせいだと思うことにする。地獄の沙汰も金次第だとは良く聞く言葉じゃないか。
「良かった。健介が手伝ってくれて本当に助かるよ。ちなみに、一番の繁忙期はお盆時だからよろしく頼むよ」
 あまりにも予想通りのその言葉に、俺はひくりと顔を引きつらせたがこれも覚悟を決めて頷いた。
 今年の夏は、海にも山に駆け回り、幽霊退治に精を出すことになりそうだ。この季節はまさしく、危険な誘惑でいっぱいである。
 だがそれ以上に危険なのは、果てのない人間の欲なのかも知れない。
 じりじりと焼けつくような日差しを浴びながら、我がことながらに俺はちらりとそんなことを考えた。
 


【終】

 

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