<競作小説企画 第七回「夏祭り」参加作品>

  □■□ 怪しいバイトは真夏の夏期講習の後で □■□
 

 

  ヒグラシの鳴き声が聞こえてくると、どれだけ残暑が厳しくとも、夏の終わりを意識するようになる。
 暑く、眩しく、力強く、そしてどこか胸の浮き立つような。どこまでも遠くに行けてしまうような、そんな感慨を抱かせる季節は徐々に過ぎて行き、どこか寂しさを感じさせる秋の足音が近付いてくる。
 そうなってくると人々は、途端に夏を惜しむようになる。
 熱に溢れた季節が終わってしまう前にと、一日でも多く、遊びや旅行、デートなどに力を注ぐようになるのだ。
 ――もっとも、社会人ならいざ知らず、学生達のそんな思惑を邪魔する存在がある。

「あーっ、やっべ忘れてた。そう言えば、夏の宿題全然やってねぇ!」
「阿呆だな。まぁ、そういう俺は課題図書すら買ってないわけだが。つか、タイトルなんだっけ?」

 次のシフトに入る予定の高校生が、バイトの制服に着替えながら互いにそんなことを言い合っている。

 彼らには、これまでずっと放置してきた夏休みの宿題や課題が、てぐすねを引いて待ち構えているらしい。
 他にも暑い日差しが照りつける下、わざわざ学校まで足を運び、夏期講習を受けなければならない学生もいるだろう。
 俺なんかからして見れば、子供は休みのうちは勉強の事なんか忘れてぱーっと遊んでしまえばいいと思うわけだが、競争社会と呼ばれる今の時代に生まれた子供たちは、片時も油断している暇はないらしい。
 しかしそれでも彼らは、忙しい時間の合間を縫って残り少ない夏を満喫するのだ。

 もちろん過ぎ行く夏を惜しむ気持ちは、学業よりむしろアルバイトに精を出す本末転倒な貧乏学生の俺であっても同様だ。
 ファミレスバイトの帰りの道すがら、休みのうちにもっと割りの良いバイトを詰め込むべきだったなと後悔すると同時に、少しぐらいは遊んでおいても良かったかなという気持ちがちらっと過ぎる。
 金のない苦学生にとって、夏の本分はバイトだというのは重々承知しているが、それでもふいにそんなことを思ってしまうことこそ、夏の魔力のなせる業なのかもしれない。

 そうすれば、例えばひょんなきっかけで可愛い女子高生と出会っちゃったりとか、冷房の効いた図書館や美術館で手を繋いでデートしちゃったりだとかできるかもしれない。と、他愛もない妄想が、ひらりひらりと脳裏を掠める。
 だが俺は、はっと我に返るとブンブンと頭を振ってそれを打ち払った。
 今の俺に必要なのは、可愛い彼女じゃなくて福々しい諭吉さんだ。そもそもデートしようにも、金がない。
 だから諸々の誘惑に耐え切り、残りの夏休みもバイトに精を出すぞ。

 そう改めて気合を入れていた、その時。ふいに俺の携帯が着信を告げた。

「あ、もしもし健介? オレオレ。突然何だけど、明日、女子高生のところに行くんだけど、一緒に来る?」
「行く」

 思わず俺が即答してしまったのも、恐らくは過ぎ行く太陽の悪戯だったに違いない。


 太陽は今日も全力を出して、ギラギラと地面を焼き焦がそうとしている。
 俺は噴出す汗を拭いながら、晴れ渡る空に不似合いな、重々しいため息を漏らした。

「……ああ、そうだよ。分かっていたさ。これで良かったんだよ……」
「どうしたんだよ、健介。何をぶつぶつ言ってるのさ」
「うっせぇ、全部おまえのせいだ!」

 八つ当たりとは分かっているが、思わず声を張り上げてしまうのは何も俺の心が狭いからだけではないと思いたい。
 昨日、俺に電話を掛けてきたのは、早乙女昌彦といって俺と同じゼミの同級生だ。
 奴は常に柔和な笑みを浮かべ、周囲に惜しげもなくノートを貸したり、ゼミ室にケーキやお茶を差し入れたりと、日頃の気遣いを忘れない。それ故にか、ゼミの女どもからは『アフリカツメガエルみたいで可愛いよね』と、評判も高い。
 だが、もっとも俺はそんな奴のことを長らく苦手としてた。

 理由は奴がさりげなくいつもブランド物の服を着ていることだとか、苦労を知らなさそうなお坊ちゃん面しているとか、そんな子供染みたやっかみだ。
 しかしそんな思いを抱えていた俺は、夏休みに入って割りの良いアルバイトを紹介されたことをきっかけに、奴と妙な縁を持つようになってしまったのである。

「ったく、バイトなら最初からバイトって言えよな……」

 先日の電話も、合コンとか合コンとかの誘いではなく、純粋にバイトの連絡だった。
 いやもちろん分かっていた。分かっていたから即答したわけだが、ほんの微かに期待していた部分もなきにしも――いや、なんでもない。

「それで、今回のバイトは女子高生がらみなんだよな。依頼人が女子高生なのか? それとも女子高生の霊なのか?」

 半ばやけっぱちな気分で、俺は早乙女に尋ねる。
 何を隠そう。早乙女から紹介されたバイトとは、幽霊退治の助手なのである。
 やっていることは一般的に想像される除霊とはだいぶかけ離れているとは言え、それでも恐ろしい顔をした幽霊に追っかけられるとか心霊写真や動画を見させられるとかで、正直言って賃金が破格でなければ真っ平ごめんの仕事である。
 じゃあなんで俺がこのバイトを続けているかというと、単に地獄の沙汰も金次第という奴であった。

「うーん、断言はできないけど、たぶん女子高生の霊じゃないと思うよ。依頼主も女子高生本人って訳じゃない」
「はぁ? じゃあどういうことだよ」
「ようするに、場所が問題ってこと。ほら、ここが今回の仕事場だ」

 早乙女はそう言って立派な門扉を指差す。俺はそれを見て思わずあんぐりと口を開いた。

「……ここ、マジで入っちまって良いわけ?」
「仕事だしね。じゃあ、行こうか」

 一切の躊躇いを感じさせず、奴はあっさりと中へ入っていく。
 門扉には見事な達筆で『男子立入禁止』と立て札が貼ってある。
 それを無視して潜り抜けた先には、『私立聖神楽坂女子高等学校学生寮』とこれまた見事な書体で、でかでかと書かれているのであった。



 私立聖神楽坂女子高等学校は、男の俺でも知っている有名私立女子高である。
 全寮制で、都心に近い場所にありながら、なかなか広大な敷地面積を有し、およそ百年近く前から名家の御息女とやらが行儀見習いのために入学してきた――という歴史はあるが、現在はまあ普通のお嬢様学校である。どちらにせよ、俺には縁がないのことには変わりない。
 ただし重要なことは、この学校はかつての伝統を引き継いで、完全男子禁制であるということだろう。

 俺はそわそわと周囲を気にしながら早乙女の後ろに付いて行く。
 もちろん仕事で来たのであり、無断侵入しているわけではないのだから、誰かに咎められる心配はない。だが、それでもどうしたって『女の園』とやらに気後れを感じてしまうのは当然だろう。
 つうか、ここまで堂々と女子寮の中を歩ける早乙女に、俺はかつてないほどの尊敬の眼差しを向ける。

「それにしても、随分と静かだな……」

 寮内はしんと、静まり返って人気がないように感じられる。
 外からはジョワジョワと蝉の声が聞こえ、こめかみに汗が伝う茹だるような暑さだというのに、底冷えするような寒さを錯覚してしまう静けさだ。
 それは躾の行き届いた女子生徒ばかりが集う寮内だからか、それとも今もなお霊の恐怖に今も怯え縮こまっているからなのかーー、

「うん、夏休みだし帰省と言うことでほとんどの生徒が帰っちゃってるらしいよ」
「……っ、マジか!」

 つまり人がいないから故のこの静けさらしい。
 ああ、そうだよ! 二度目のことだが、分かってたよ! 生徒がほとんどいないこの時期だからこそ、俺らみたいな怪しげなバイトが除霊に入る隙があったんだよな!
 最初から別に何にも期待していなかったわけだけれど、それでも全てを諦め切った俺は早乙女に着いて行く。気持ちは悟りを開いたお坊さんのようだ。
 ほとんど無人だと聞くと、あれだけ緊張をしていたはずの寮内も途端に空虚なものに感じられるから不思議だ。

「本当は寮母さんから話を聞くはずだったんだけど、どうやら骨折して入院しちゃったらしくてさ。代わりに残っている数人の生徒から話を聞けることになったんで、一緒に来て」

 肩がぴくっと震えるが、俺は相変わらずの無心で早乙女の後を着いて行った。
 人は学習する生き物なのである。




「現代戯画研究会部長の二年野々村です」
「同じく現代戯画研究会の一年尾崎でぇす」

 一階の共有リビングで挨拶をしてきたのは、二人の女子生徒だった。
 部長と名乗る二年生は、目の下にくっきりと隈をつくり、頭もぼさぼさでずいぶんと憔悴しているようだ。しかしどういう訳か、目だけが爛々と光っている。なにかおかしなものに取り憑かれていないと良いのだが。
 もう一人の一年生尾崎は、やはり同じようによれよれで、黒髪の部長と違い明るめの茶髪とつり目が印象的な少女だった。

「えーっと、とりあえず大丈夫? なんだか眠れてないみたいだけど」

 幽霊を怖がって、睡眠がしっかり取れないのかと思いきや、部長はあっさりと首を振る。

「大丈夫です。寝てないのは単に締め切りが近いだけなので」
「締め切り?」

 聞き返すと、彼女は大変力強くうなずいた。

「我々戯画研が出している同人誌です。毎回、学外で開催される即売会に出品しているのですが、明日がそのイベント当日で」
「なるほど。それは忙しい所オレたちに協力してくれて、ありがとうね」
「い、いえ。ご馳走さまです!」

 早乙女がその無駄に良い愛想を振りまくと、部長さんは途端に顔を赤くしてうつむく。
 緊張しているのか何やら頓珍漢な返事が返って来たが、まぁ男に免疫のない箱入り女子高生なのだろうから緊張もするだろう。
 と、そこで俺は背後から妙な寒気を感じて振り返る。すわ幽霊かと思いきや、背後の扉の影から四、五人の女子生徒がトーテムポールのように顔をのぞかせていた。
 恐らく戯画研の残りの部員らしい彼女たち。その爛々とした目に、何故か肉食獣を前にした小動物のような気持ちになってしまい、俺は思わず背を向ける。あれ、昨今の女子高生ってこんなに肉食系だったっけ?

「じゃあ、今回の幽霊騒ぎについて、しっていることを話して貰えるかな」
「はい、分かりました」

 ともかく、促されて口を開いた部長さんの話を聞くため、俺は早乙女の隣に腰掛けた。
 その途端、なにやら背後からどよめきが聞こえた気がしたが、たぶん気のせいだろう。



「ことの始まりは、夏休みに入る数日前のことでした」

 期末試験が終わって、終業式まで残り数日となると途端に校内は落ち着かない雰囲気になる。
 答案返却が主となる授業は気もそぞろで、みんな夏期休暇が待ち遠しくてそわそわしてくるのだ。
 それが分かっているから、先生たちも苦笑して授業を短めに終わらせたりもする。そんな長い放課後に暇を持て余した一部の生徒たちが、ある日とある遊びに手を出した。

「こっくりさんをやろうって、言い出した人たちがいたんです」
「こっくりさん! 知ってる知ってる。俺らが小学生の時にも流行ってたなぁ」

 こっくりさんとは、五十音と「はい」「いいえ」、それから鳥居のマークを書いた紙の上に十円玉を置く。それに数人が指を乗せ、「こっくりさんこっくりさん、いらっしゃいましたらーー」と言うと十円玉が勝手に動いて質問に答えてくれるという占いの一種だ。

「俺はやったことないけど、女子たちが好きな人がどうのこうのって十円玉に指乗っけてーー、」
「十円玉?」

 懐古からくる俺の呟きに、部長さんはきょとんとした表情を浮かべる。

「あれ? なんか俺間違えた? こっくりさんってアレだよね。五十音表と十円玉を用意して……」
「私たちの学校では、タブレットPCに皆で指を乗せてやってましたよ」
「ーー知らない間に随分進歩しちゃってんのなっ、こっくりさん!」

 俺は科学技術の発達とともに失われた、侘び寂びというものに思わず思いを馳せる。
 あれか、ジェネレーションギャップとかってこういうことを言うのか。

「それで、最初のうちはみんな楽しんでやっていたんですが、寮内でも流行り出した頃から段々おかしなことが起り始めたんです」

 深夜に誰もいない廊下から足音が聞こえたり、個室の窓を叩く音が聞こえたり、消灯後の風呂場から不気味な唸り声が聞こえてきたりと、様々な怪現象に悩まされるようになったのだ。

「他にも、別々に干しておいたはずの洗濯物が全員分ごっちゃにされたり、共有冷蔵庫に入れておいたデザートのプリンを食べ散らかされちゃってたりとか、本当に酷いことばかり起ってーーっ」
「酷いっつか、普通に嫌がらせだな」

 本人たちにしてみれば困るのだろうが、心霊現象としては微妙にしょぼい気がする。

「それに前後して、こっくりさんが言うこともおかしくなってきて、それで原因がこっくりさんじゃないかってみんな気付いたんです」

 彼女は、その頃のこっくりさんの言葉をプリントアウトしたものです、と一枚の紙を差し出してきた。俺は早乙女とともにそれを覗き込む。

「うわっ、なんだよこれ。酷いな、文字化けか」

 打ち出された文字は一番最初の列は

『ぉмаぇσヵゝ→ちゃωЙёぁωτ〃→ゑT=→ゑU〃ω』

 と、不気味な文字列が並んでおり、その後数行に至るまでまるで意味をなしていない。それが余計に不気味さを醸し出していた。
 部長の隣にいた尾崎さんも、痛ましそうに眉を顰めている。

「本当に酷いですよね。『おまえのかーちゃんねあんでーるたーるじん』だなんて。馬鹿にするにもほどがあります!」
「はい!?」

 俺はぎょっとして彼女を見る。そして謎の文字列と交互に視線を向ける。

「もしかして、君たち。これなんて書いてあるのか読めたりするわけ……?」
「当たり前じゃないですか」
「ごく普通のギャル文字ですよ」

 二人はあっさりと頷いてくれる。
 つうか、いくら何でも時代に媚び過ぎだろうよ、こっくりさんよぉ!

「そうだよ、こんなの常識だよ。健介」

 お前もかよ、早乙女! つかなんでお前までギャル文字に精通してるんだよ! そもそもネアンデールタール人って貶し文句じゃねえだろ!?
 俺は時代に取り残された気持ちで、思わず頭を抱えてしまった。大丈夫だよな、別にギャル文字知らなくたって普通だよな?

「これなんかはまだまだ序の口で、これ以降、死ねや呪われろなんて不気味なことばかりを言うようになったので、みんなこっくりさんはやらなくなったんです。でも、おかしな現象は収まらなくって、誰かがお稲荷さんの呪いだってーー、」
「お稲荷さん?」

 早乙女の質問に、部長は神妙な顔でうなずいた。

「寮の裏庭にある小さなお稲荷さんです。この学校ができた当初からあるそうで、陰気な場所にあるんでこれまであんまり人は近寄らなかったんです」
「アタシなんかは、お稲荷さんの所為じゃないって言ってるんですけどね」

 尾崎さんは不満そうに口を尖らせて便乗する。

「ともかく、そんなことが続いたものだから、他の生徒達はみんな帰省とか旅行とかにかこつけて、寮を出て行っちゃったんです。寮母さんも先日階段を踏み外して骨折、入院しちゃって。なので、今、ここにいるのは私たち現代戯画研究会のメンバーだけです」

「どうして君たちは、寮内に残ったのかな」

 いかにも文系然とした線の細い彼女達は、さすがに全員が全員幽霊なんてものともしない豪胆な性格をしているとは考え辛い。
 その問いに、部長も不思議そうな顔をしてうなずいた。

「即売会が近かった、というのもあるんですけど、部活動のために集まっている私たちの部屋では、一切心霊現象の類が起こらないんです」

 なので、実害がないならいいやと、締め切りのほうを優先したという。
 そうとは言え、幽霊屋敷の様相を呈してきた寮に居残り続けようと思える彼女たちは、予想に反して強靭な神経の持ち主だったらしい。あるいは、他に理由でもあるのか。

「それは確かに不思議だな。念の為、その部屋とやらを見せて貰――っ」
「死んでも駄目ですっ!!」

 俺が早乙女にそう提案しようとしたところで、部長が何やら食い気味にそれを拒んだ。
 それまでの淡々とした物静かな様子をかなぐり捨てた彼女の勢いに、思わずぎょっとすると、野々村部長は途端に顔を赤くして俯きながら弁解を始めた。

「いえ、あの、できれば遠慮して欲しいです。そのう、締め切り間際なものですから、部屋がものすごく散らかっていて、できれば男の方には見られたくないなっていうか、見せられないって」

 なるほど、そういう事情なら必死になって拒否するのは当然だ。

「というか、謙介。出会ったばかりの女の子の部屋を覘きたがるのは、オレはどうかと思うぞ」

 早乙女が、眉をひそめて俺をたしなめる。
 反射的に反発しそうになるが、確かに親しくもない女子高生の部屋を見ようとすること自体、デリカシーに欠けていたかもしれない。
 部長に謝ると、彼女は頬を染めながらあっさりと許してくれた。――なんか、早乙女の株ばかりが上がり続けているみたいだな。軽くジェラシー。

「じゃあ、廊下とか共有部分は見させてもらっても大丈夫かな」
「ええ、もちろんです。個人の部屋は無理ですけど、他の場所は自由に見て頂いて大丈夫です。案内とか要りますか?」

 早乙女は、野々村部長の質問に首を振る。

「いいや、大丈夫。謙介と二人で見て回るから」
「……っ、ご馳走様です!」

 相変わらず、彼女らの緊張は続いているようである。




 ということで、俺と早乙女は寮内を見て回った。
 廊下などは、相変わらず静まりきって取り立てておかしなところなどは見あたらなかった。けれど、食堂の窓の一つに良く見ると大量の手形が付いていることなんかに気付いて、俺は息を呑む。
 こんなものを目にしてしまったら、確かに一刻も早く寮を出たくなってしまうだろう。……たとえ良く見ると、手形でハートマークや笑顔マークがスタンプされていたとしてもだ。一体誰得なLINEだよ、これ。
 一通り寮内を見て回った後は、寮の裏庭にあるというお稲荷さんを見に行った。
 植木の陰の薄暗い所にあるその小さな社は、確かに随分古いものらしく屋根が傷んでいたり、塗装が剥げていたりする。
 なので、恐がった生徒達がお供えしたのであろう大量のコンビニ菓子の山が妙に、違和感を醸し出していた。つうか大半が封を切られて空っぽじゃん。誰が喰ったんだよ。

「んー、ちょっとばかり気になることもあるけど、たぶんここのお稲荷さんの仕業じゃないだろうね」
「そうなのか? でも、こっくりさんって確か狐の事だって聞いた覚えがあるんだけど」

 漫画か何かで見た聞きかじり知識だが、そう言うと早乙女はちょっと驚いた顔をして俺を見た。

「謙介、良く知ってるね。確かにこっくりさんって『狐狗狸さん』とも言われて、日本だともともとは狐の霊を呼び出すものと言われていたんだ」

  しかし早乙女が言うには、こっくりさんの元となったのは「テーブル・ターニング」と呼ばれる西洋の降霊術であり、それゆえに呼び出されるのは狐とは限らず、むしろ低級霊や浮遊霊、場合によっては悪霊である場合も多いのだという。

「運良く狐が現れたとしても、性質の悪い野狐や動物霊の可能性だってあるわけだから、素人が遊び目的でやるのはお勧めしないんだけどね」
「まぁそうだろうな」
「そもそも、こっくりさんをやった後は、呼び出したものを返すための儀式や使った道具の処理の仕方なんかも決まってるんだけど、誰もそれをきちんとやってはいないだろうし。だから恐らくは、呼び出された雑霊や動物霊が悪戯をしているんだと思うよ」

 だったら、と早乙女は肩をすくめて笑った。

「この寮に執着している霊じゃないなら、一度追い払ってしまえば戻ってくることはないはずだ。今日は確認だけにしておいて、明日、まとめて処理をしよう」
「分かった」

 早乙女の提案に俺は頷く。雇用主の言うことだから、まあ是非もない。
 と、その時ふいに背筋に悪寒がはしり、俺は振り返る。寮の窓の一つから慌てたように人影が離れていくのが見えた。

(あれも、恐らく霊なんだろうな……)

 この寮で暮らす生徒達のためにも、きちんと片をつけてやらないとな、と俺は改めて気を引き締めたのだった。



 翌朝早く、俺たちは女子寮の門の前で現代戯画研究会の部員達を見送ることになった。
 なんだか逆のように思えるが、実は昨晩、彼女たちに熱心に引き止められ、寮に一晩泊めさせて貰うことになったのだ。
 理由は、人が急に減ってしまったので、自分達だけでは冷蔵庫の食材を消費しきれないということだった。
 けれど、彼女たちの本音は、大量の霊がいるとされる寮に、自分達だけで残るということが不安だったのだろう。可愛らしいものである。

 そういことなので、夕飯を食べさせてもらった後、俺と早乙女は共有リビングルームのソファで雑魚寝させてもらった。
 深夜、廊下を歩くような微かな足音や何者かの視線が気になり、翌朝はしっかり閉めておいたはずの戸が僅かに開いていたりなどということがあったが、よく眠れた方だと思う。どこでもぐっすり眠れるのは、俺の特技のひとつだ。
 しかし女子生徒たちはどうやら一睡もできていないようで、目の下に黒々と隈を作っている。
 まぁ、俺のような太い神経の持ち主でも、この幽霊寮の気配が気になったりしたのだ。繊細な女子高生なんかは眠れなくても仕方ないだろう。

「なんだか、眠れてないみたいだけど、そんなんで出かけて大丈夫なのか?」
「はい、皆ギリギリまで製本していたもので。でも、しっかり鋭気は養わせてもらったので、大丈夫です!」
「そ、そうか……」

 彼女たちのギラギラとした眼差しに気圧されつつ、俺はどうにかうなずく。
 女子高生って寝不足でも随分元気なんだな。

「でも、幽霊がいると分かっている場所を、深夜にうろつくのはあんまり感心しないよ」
「す、すいません」

 早乙女が苦笑しながらそう言うと、部員達は一様に顔を赤くしてうつむく。
 俺が寝ている間に何かあったのかもしれないが、まぁ、あんまり突っ込んで聞かなくてもいいだろう。
 彼女たちの誰かが、早乙女に一目惚れして告白なんてイベントがあったのだとしたら、悔しくて夜も眠れなくなるし。

「じゃあ、いってきまーす」
「どうぞごゆっくり!」
「夕方まで戻りませんので」

 キャリーケースや大量の荷物を持って、口々にそう言って出かけていく彼女たちに、俺は手を振る。なんだかまた寒気を感じたが、今日の除霊が終わればそれも解消されるだろう。
 それでは、ようやく仕事である。

 残された俺と早乙女がまずしたことは、寮内の家電やソファ、家具などにビニールの袋を被せていくことだった。
 個人の部屋のものはできないが、それでもどういうわけかマスターキーまで預かっていた早乙女がそれぞれの扉を大きく開いていく。

「それで、今回はどんな風に除霊を行うんだ?」
「うん。ある程度広い室内が対象だから、煙を使おうと思っているんだ」

 準備をしながら俺が尋ねると、早乙女はそう返してきた。

「煙? そんなものに効果があるのか?」
「もちろんあるよ。例えば『スマッジング』と呼ばれる浄化方法があるんだけれど、これはネイティブアメリカンの人々が古来より神聖な儀式の前に用いた方法で、ホワイトセージの煙で燻すんだ」
「へぇ」

 いきなり話が世界規模になって、俺は思わず感心の声を漏らす。
 その煙は邪気を払い、あらゆるものを浄化することができるという。

「他にも、お寺とかに行くと境内で煙を浴びたりするだろ。常香炉と言ってあれも身体を清めるためのものだし、密教の願掛けでは護摩を焚くだろ」

 出された具体例に、そう言えばそうだと俺は納得する。意識していなかっただけで、煙で浄化をするという行為は極ありふれたものであるらしい。

「だから寮内に神聖な煙を充満させることで、邪悪な霊の力を弱めたり追い出したりする、というのが今回の除霊方法だね」

 そう言って、早乙女は袋からそのための道具を取り出した。が――、

「バルサンじゃねえかっ!」

 俺は思わず全力で突っ込む。
 神社仏閣の由緒正しい除霊道具ではなく、そこにあるのは日本人なら馴染みの、くん煙殺虫剤であった。

「あははは、やだな謙介。そんな訳ないじゃないか」

 早乙女は朗らかに笑いながら否定する。
 爽やかな笑顔で嘘を付くなと思うものの、霊を払うための道具がまさか本当にバルサンというのも考え辛い。
 となると、それは何らかの事情で殺虫剤に偽装してあるものの、霊験あらたかな本物の除霊道具なのかもしれない。

「ちなみにこれを使うと、霊以外にも害虫も退治されるから寮生の女の子たちも大助かりだね」
「やっぱりバルサンじゃねえか、それ!」

 害虫と一緒に駆除される霊に、俺はほのかな同情心を抱いたのであった。



「そう言えば、なんで戯画研部員の部屋には幽霊が出なかったんだろうな」

 煙を蔓延させている間、寮内には入れないので俺たちは裏庭のお稲荷さんの掃除や修繕を行っていた。
 本来ならば除霊の範囲内ではないのだけれど、仕事をさせてもらう以上土地神やこういった存在に礼儀を尽くすのは当然のことらしい。
 がさがさと食い散らかされた菓子の空き袋をまとめながら、俺は疑問を口にする。

「こういったお狐様もそうなんだけどね。霊やその類は基本的に陰の気の存在なんだ。狐なんかは引き寄せられるというけど、霊は逆に陽の気が満ちる場所は苦手とされているね」
「陽の気?」

 早乙女はうなずく。

「女性は陰の象徴で、男性は陽の象徴。だから女子寮なんかは陰の気が溜まりやすくて、今回みたいなことになっちゃったんだと思うよ」
「そりゃ分かるけど、それでなんで彼女達の部屋に陽の気が満ちてるんだ?」

 確かに陽気と言えば陽気な子達だったが、男勝りという感じではなかったし、それなら運動部員なんかの部屋のほうが出難い気がする。

「あとは俗説では下ネタなんかも、幽霊を退けるには効果的って言うよね。あはは」

 早乙女の話はなんか要領を得ない。よく分からんが、霊には霊の法則みたいなものがあるのだろう。

「とりあえず、燻し終わったどうするんだ?」

 話を変えて早乙女に尋ねる。

「窓を全部開けて、換気だね。その後は、掃除機で雑霊の残滓やダニの死骸なんかを吸い込む作業に移るよ」
「……なんかもう完全に単なる害虫駆除だよな」

 掃除機で霊が吸い込めるなんて、初めて聞いたし。
 俺は深々とため息が漏れるのを止められなかった。



 夕方になり、戯画研のメンバーが帰ってきた。
 朝と同じようにキャリーケースを引いていたけれど、今はそれに加えて一人いくつもの紙袋を抱えて大荷物である。
 その顔は誰もが満足げに輝いており、随分楽しんできたようであった。
 早乙女は荷物を下ろしてきた彼女たちを集めて言う。

「除霊は完了しました。学校側にも通達しますが、煙を使ったので各自部屋に戻ったら掃除をお願いします。これから寮に戻ってくる学生達にも伝えて置いてください」
「分かりました」

 戯画研部員たちは、そろってうなずいた。どことなくほっとしたような表情に、霊をものともしていないように見えて、やはり彼女達もまた寮の現状を憂いていたのだろうと思う。

「あれ、そう言えば尾崎さんがいないな」

 昨日、野々村部長と一緒に説明をしてくれた女子生徒の姿が、見えないことに俺は気付く。他の部員同様に顔色が悪かったし、無理がたたって体調でも崩したのかと心配したのだが、彼女たちは一様に不思議そうな顔をして見せた。

「尾崎さんって、誰ですか?」
「うちの部員はここにいるので全部です」
「へ? いや、でも……」

 俺が唖然としていると、早乙女が笑いながら俺の肩を叩いた。

「さっき掃除して居心地が良くなったから、社に戻ったんじゃない?」
「へっ!?」

 俺は奴の言葉に耳を疑う。いや、だって彼女はどう見ても、普通の生徒の一人にしか見えなかったぞ。

「狐も百年経つと人間に化けるらしいぜ」

 驚きに言葉もない俺を無視して、早乙女は朗らかに笑いながら彼女たちに声を掛ける。

「という事で、裏庭のお稲荷さんは大事にしてあげてね。君たちがこの寮内で無事だったのも、多分守ってくれていたからだと思うよ。彼女はどうやら、君たちの趣味に大いに関心を持っているみたいだしね」

 なにやら顔を赤くして動揺しているらしい少女たちに別れの挨拶をして、俺と早乙女は女子寮を後にする。仕事が終われば、俺たちのような余所者が長々と女子寮にいるのはよろしくない。
 本来ならわずかな接点ももたない俺らと彼女たちだ。学校が始まれば、遊びに勉強にと忙しい彼女たちはきっと俺たちのことなんてすっかり忘れてしまうだろう。しかしーー、

「どうもありがとうございました」
「どうぞ末永くお幸せに!」
「ご馳走様でしたっ」

 門を出ると、窓から彼女達が顔を出し、手を振っていた。
 相変わらずどこか頓珍漢な言葉に、俺は苦笑して手を振り返す。その際ふいに背筋に悪寒が走った気がしたが、霊は綺麗に退治されたわけだからきっとそれは錯覚に違いない。
 元気良く手を振る彼女たちの中に、明るい茶髪と吊り目の少女が、愉快そうな笑みを浮かべ混じっていたように見えたが、そちらはたぶん気のせいではないのだろう。




 


【終】

 

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