≡ 執事録シリーズ 2 ≡

二人の執事と十二支事件 (2)  ‐‐‐

 


 

 初日は蛇。
 その次は雀。
 三度目は鼠で、四度目はまた蛇。
 五度目となる昨日は、なんとモグラだった。
 繰り返される嫌がらせに、厨房のスタッフはみんな窓の外を気に掛けるようになっていたが犯人を目撃したものは誰もいなかった。
 犯人は幽霊のように足音ひとつせず忍び寄り、悪戯を仕掛けて消え去ったとしか思えない。
 もちろん窓際とは言え腰から下の高さの部分は不透明な壁であるから、身体を伏せていれば厨房からは目撃されない。だが犯人が窓の外を這いながら移動しているというのはいささか現実味に欠ける話だった。
 なにしろ事は人目の無い夜ではなく真っ昼間から夕方に掛けて起きており、何より地面には靴跡ひとつ残っていなかったのだから。


 

 セバスチャンは朝から屋敷中を隅から隅まで探しまわり、結局夕方近くになって視野にも入れてなかった庭園で目的の人物を発見することとなった。
「おいっ、斎藤!」
 八つ当たりもかねて声を張り上げるセバスチャンの剣幕に目を剥いてか、錦織家の第一執事と話していたその男は「ではこれで」と、そそくさとその場を後にする。
「あれ? あの人は……」
「一体なんですか、騒々しい」
 斎藤はいささかウンザリした表情でセバスチャンを見る。もっともこれはいつものことである。
「なぁ、あの人って庭師の田崎さんじゃなかったか?」
「ええ、そうですよ。少し彼に聞きたいことがありましたので」
 それよりも何か用事があったのではないのですか。そう斎藤が促すと、セバスチャンは途端に目を輝かせ振り返った。
「そう、そうなんだよ! オレ、ついに分かったんだ!」
「自分の頭の悪さにですか?」
「違げえよっ! 今回の事件の真相に決まってるだろ!」
「真相……ですか?」
 セバスチャンは意気揚々とうなずく。
「そう。今回の事件は何と、すべて『十二支』になぞらえられているんだ!」
 斎藤は途端に微妙な顔をするけれど、セバスチャンは気付かず得意げに自分の推理を披露し始める。
「初日の蛇は『巳』、二回目の雀は『酉』、三番目の鼠は『子』というように、どれも十二支に出てくる動物が使われているんだ」
「モグラはどうするんです? 寡聞にして十二支にモグラが出てくると言う話は聞いた事がないのですか」
 まさかこれだけは例外扱いするのかと揶揄するように尋ねるが、セバスチャンはあっさりと答える。
「モグラは『辰』だよ。モグラには土竜って言う呼び名もあるだろう」
「……知りませんよ。そんな無駄な雑学は」
 若干不満そうなその声は、無意味と知りつつもセバスチャンに自分の知らない知識をひけらかされた事が気に食わなかったからだろう。
「それで?」
「それでって……?」
「犯人は十二支になぞらえてこの事件を起こした。ではその目的は? 犯人は十二支に出てくる動物を使うことで、一体何を言おうとしていると仰るのですか?」
「そ、それは……」
 冷ややかな目つきの斎藤に聞き返され、セバスチャンは口ごもる。
「だいたいなぜ十二支になんてなぞらえる必要があるのですか。もし私が誰かに何かを伝えたいとしても、わざわざこんな面倒臭い手段は用いませんね」
「そ、そうか……」
 冷たくあしらわれてセバスチャンはしょぼんと意気消沈する。しかしそれでも彼はめげなかった。
「じゃあお前は分かったって言うのかよ。この事件の真相が!」
「ええ、確証はまだ得ていませんが」
 半ば八つ当たりとして噛み付いたセバスチャンは、あっさりと返した斎藤の言葉に耳を疑った。
「えっ、そ、それって」
「実際に調べてみない内は何とも言えませんが、それでも大まかなことの次第は掴めたと思います」
 斎藤はその涼しげな眼差しを、呆気に取られるセバスチャンに向けた。
「では、この悪戯の犯人を捕まえるといたしましょうか」


 

 ――深夜、翌日の下ごしらえも済み、非常灯の青白い光がシンクに冷たく反射する。業務用の大型冷蔵庫の稼動音だけが鈍い音を周囲に響かせている中で、ふいに場違いとも言える男の声がした。
「駄目だろう、お前は。あんなことをしちゃ」
 暗がりでぼそぼそと囁かれる声。しかしその不気味なシチュエーションに反して、その内容はまるで小さな子供に語りかけているようでもある。
「もしばれたら、もうここにはいられなくなっちまうんだぞ。だから――、」
「それはもちろんそうでしょう」
 冷ややかに響く声。それに被さるように、唐突に厨房の明かりが点灯した。
 白熱灯の目の眩むような明かりに照らし出され、その人物はびくりと弾かれたように身を起こす。ついで、厨房の床を何かが勢いよく駆け抜けた。
「セバスチャン!」
「あいよっ、まったく人使いの荒い奴だ!」
 金髪長躯の執事は、そう言いながらもその長い腕を巧みに使い、すばしこく逃げ回るその小さな生き物を捕まえることに成功する。しかし彼は、己の手の中に掴み取ったそれを見て、大きく目を開いた。
「ね、猫――っ!?」
 そして「ぶぇ、ぶえっくしょんっ!」と大きなくしゃみをする。
 これは堪らないと慌てて放り出した猫の首を斎藤は器用に受け止めた。
「お、お前……分かっててオレに捕まえさせただろう!!」
 充血した目でぐずぐずと鼻を鳴らすというなんとも哀れな様子で、猫アレルギーの第二執事は同僚に迫るもののしれっと無視される。
「さて、それでは何か申し開きはありますか。稲川さん?」
 数週間前に雇われたばかりの新米キッチンスタッフ稲川は、斎藤の言葉に観念したようにがっくりと肩を落とした。


 

 彼がその猫を拾ったのはおよそ二週間前。
 稲川が錦織家で働き出して一週間が経つか経たないかという頃だった。
 新しい職場での仕事にも何とか慣れ始め、自己研鑽を行う余裕も出始めてきた時期である。帰宅途中の冷たい小雨が降りしきる中、彼は段ボール箱で震えていた小さな子猫を見つけてしまった。純朴な気質の彼は冷たい雨に濡れて震える子猫を見捨てることができずに拾ったは良いものの、現在住まうアパートはペット厳禁。しかもこちらには上京してきたばかりなので、頼れる知り合いもいなかった。
 最初のうちはこっそりアパートの自室で世話をしていたが、とうとう大家に見つかってしまう。誤魔化し切れなくなった彼は、思い余って仕事場であるお屋敷にまで猫を連れてきてしまったのだ。

 
「そうして昼間は庭に放し、夜はこのキッチンで飼っていたわけですか」
 斎藤は呆れたようにため息をつく。稲川は図星を付かれてますます肩身を狭くした。
 もっともこんな騒ぎになって、慌てたのは当の稲川だろう。
 拾った当初は衰弱していた子猫だが、いまはすっかり体力も回復した。それだけに留まらず、元気の余りあるわんぱくな子猫は放された広大な庭でせっせと狩りに励み、仕留めた獲物を稲川に見せびらかそうとするのである。
 すなわちこれまでの不気味な悪戯は、無邪気な猫による手柄自慢だったのだ。
「でもどうして――犯人が猫だと分かったんですか?」
 おずおずと稲川はたずねる。
「死体に残された噛み痕」
 あっさりと斎藤は答えた。
「ですから最初から予想はしておりました。一応確認のため庭師の田崎さんに問い合わせたところ、見つかった動物はすべて屋敷の敷地内にいる生き物だと答えていただけました」
 ならば犯人は間違いなく内部にいるもの。それも庭にいるものと決まっている。
 しかもこの屋敷では夜間に放される番犬以外に動物を飼ってはいないのだから、誰かが持ち込んだとしか考えられない。
「じゃあ稲川だと断定できたのはどうしてだ? そりゃ事が起こったのはキッチンだ。厨房スタッフの誰かだと考えるのは分かるにしても――、」
 そこでセバスチャンもはっと顔をあげた。斎藤はうなずく。
「それは貴方が言ったことですね。稲川さんは誰よりも先に厨房に来て、誰よりも遅く残っている」
 さもなければ夜に猫を匿うことも、早朝庭に放つこともできないだろう。
「また料理長に聞けば、ここのところ前日の片付け時と翌朝では微妙に物の配置が変わっているそうです。きっと猫が散らかした後の始末でもしていたのでしょう。それから餌の準備。冷蔵庫から余り物の食材が消えていたと言う話も聞きましたし」
 もっとも料理長は、新米が料理の練習をしているものと期待していたようですが――、そう嘆かわしげにため息をつく斎藤に、稲川はぼそりとつぶやく。
「練習もしていた……」
 すると途端に斎藤はしたり顔で頷いてみせる。
「そうですね。何しろそれは貴方が猫を拾う前からのことだったそうですし」
 稲川は再びばつが悪そうに俯いた。
「それじゃあ、これからどうするつもりだ?」
 セバスチャンは稲川を顎で示しながら斎藤に尋ねる。
「そうですね。何しろこんな騒ぎを起こして厨房を混乱させたのです。もちろん解雇処分――、」
 びくりと稲川の肩が震える。
「――と、いうことも考えましたが、一応試用期間の延長という事で手を打ちましょう」
 斎藤は澄ました顔でそう答える。稲川と、なぜだかセバスチャンまでがほっと胸を撫ぜ下ろした。
「良かったなっ」
 ばんっと、セバスチャンが稲川の背をたたく。しかし斎藤の目がふいに冷ややかさを孕んだ。
「ただし、この猫はこちらで処分させて頂きます」
「えっ!?」
 稲川はぎょっとして斎藤を見る。
「ど、どうして……?」
「当然でしょう。このまま厨房で猫を飼い続けることまで許可はできません。ここは食事を作る場所なのですよ。動物を飼うなんて不衛生極まります」
「いや、だけど処分って言うのはさ――、」
「では貴方が面倒を見ますか?」
 思わずたしなめたセバスチャンも、ぐっと言葉を詰まらせる。
 猫アレルギーがなくても執事というのはかなりの激務だ。セバスチャンには猫の面倒を見る余裕はない。呆然と立ち尽くす稲川、押し黙るセバスチャンを横目に、猫の首根っこを掴んだ斎藤はすたすたと厨房を出て行く。
「お、おい、待てっ。待てよ、斎藤!」
「静かになさい。今何時だと思っているのですか」
 とっさに追いかけるセバスチャンと、歯牙にもかけない斎藤。
 声を落として続けられる二人のひそやかな言い争いは、結局セバスチャンの劣勢のまま決着を迎えるかと思われたが――、
 
「――ねぇ、どうしたの二人とも」
 ぎくりと斎藤の肩が強張った。そんな斎藤の背中越しに、セバスチャンは自分の主の姿を見つけて眉を上げる。
「ありゃ、お嬢様。おこしてしまいましたか?」
「ううん。あたしはのどが渇いたから、ちょっとジュースでも飲もうと思ったの」
「そうですか。でもジュースはやめておいた方が賢明ですよ。歯を磨いた後なんですから」
 ネグリジェをまとった彼らの主、莉緒が寝ぼけ眼を擦りつつ階段を下りてくる。
 ちなみに莉緒の若干舌っ足らずの喋り方は、まだ意識がはっきりしていないから――というだけでなく、半分以上がもともとだ。
「あれ、斎藤は何を持って――、」
 半分閉じられていた彼女の目が、斎藤の手元に引き寄せられる。
「あっ、ねこちゃんだ! 斎藤、この子どうしたの!?」
 夢うつつの中にいた彼女の意識はいきなり覚醒した。
 きらきらと目を輝かすお嬢様を前に、斎藤は主に気付かれないようにそっとため息をつく。
 こうして気付かれてしまった以上、もはや隠し通すことは不可能だろう。
 斎藤はすっかり観念すると楚々とした態度で、手の中のそれをお嬢様に捧げ渡した。
「お嬢様、どうやら気の早いサンタクロースからの、……クリスマスプレゼントのようです」
 小さな子猫は虹彩をまん丸にしたまま、にゃあと一言鳴いた。


「まぁ、犬に比べれば猫のほうがだいぶマシですけどね」
 嘘か真かもともと本当に処分するつもりはなかったと言う錦織家の第一執事は、後にしみじみとそう語った。
 何はともあれ厨房を騒がせたいたずらものは、こうして錦織家の一員に加わった。
 もちろんその餌係の役目は、見習いの皿洗いの仕事に追加されたのであった。


 

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