【 嘘つきな竜 1 】
  

 

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 チャイムが鳴って学校が終わると、あたしは玄関にかばんを放り投げてすぐに友達との待ち合わせ場所に走った。
 後ろからは母さんの「たまには手伝いをしなさい!」という声が聞こえてくるけど、いつもの通り知らない振りをする。

 だって家の手伝いは夜にだってできるけど、友達とは日が暮れるまでしか遊べない。
 意地悪な二つの太陽はあたしたちが充分遊び切る前に、さっさと沈んでしまうのだから。

 
 

 あたしが住んでるのは国境のそばにある小さな村。
 朝になれば二つの太陽が昇るし、夜になると大きな緑の月が昇る。
 

 でもそれはうちだけじゃなくって世界中みんなそうなんだ、って学校の先生は言っていた。
 名所も名産品もないけれど、山に行けば木の実が取れるし川に入れば魚が取れる。隠れ鬼だって追いかけっこだって何だってできる。
 だからあたしはこの村が大好きだ。
 でもあたしより大きなお兄さんやお姉さんは、この村を田舎でつまらない所だと言って嫌がっている。
 だから村の外ってそんなに良い所なんですか、と学校の先生に質問したら先生はちょっと困った顔をして言った。

「じゃあそれは、裏山の竜に聞いてみたらどうだろう?」

 先生は授業に関係ない質問をするといつもこうやって答える。

 
 ――― そう。
 裏の山には竜が住んでいるのだ。

 
 
 

 村の裏山の天辺には大きな洞窟がある。ぜんぜん日の差さないその洞窟の奥の方には一匹のとても長生きの竜が住んでいる。

 今の時代、すぐ近くに竜がいるのはけっこう珍しいことなんだって。
 大昔はどこにでも、少なくとも近所に一匹ぐらいは竜が住んでいたんだけど、おじいちゃんが子供の頃に竜は悪い奴だと思われて、退治されたり苛められたり、いつのまにかみんなどこかにいなくなってしまった。

 もちろん今はそんなこと全然ない。
 うちの村でも年の初めにはみんなで挨拶にいくくらいだもの。

 だけど竜はとても長生きだから、苛められていた時のことも人間よりずっとよく覚えている。だから竜はたいてい偏屈な性格をしているんだって。
 これも先生が言っていたこと。

 でもうちの村の竜は偏屈と言うよりかは、はっきり言って「変」。
 だって竜はいつも嘘をつくんだから。

 

 

 あたしは友達といっしょに枝になっている木の実をつまみながら、裏山のてっ辺まで登った。そしてそこにぽっかりと大きく開いている真っ暗な穴に向かって叫ぶ。

「ねぇっ! 竜いる?」
「…いなくもない」

 わずかにくぐもった声がしてあたしたちは顔を見合わせる。そしてどんどんと洞窟の奥に向かって歩いていった。

 洞窟の中は真っ暗だけど、少し歩くとそのうち目が慣れてくる。穴の奥のさらに奥にうずくまるようにしているのは、たぶんあたしの家と同じくらい大きな生き物。

 もちろん竜だ。

 何故たぶんなのかと言うと、あたしはこの竜を明るいところで見たことが一度もないから。竜はたいていこの洞窟の奥の暗いところでじっとしている。

「竜、ちゃんといるじゃないか。どうしていなくもないなんて、曖昧な言い方をするんだよ?」

 金物屋のジョーイがぷっくりと頬を膨らませる。竜は大きな目をぱちくりと瞬きさせると、いつものように鼻を鳴らした。鼻の穴から小さな炎がちょろりと覗く。

「ふむ、まあ君にしてはいい質問だね。君たちが僕に呼びかけた時、僕はちょうど思考の最中だった。思考とはすなわちインナースペース、心象宇宙を旅する行為だ。だとすれば僕の心はここにいながら同時にここではない遠い世界に存在していたということになる。つまりは存在と不在が同時になされていたわけだ。だとすればそれはいなくもなくさらにいるでもないということと同じことだとは思わないかね」

「…訳がわからないよ、竜」

 ジョーイが渋い顔をした。

 竜の声はガラガラとしていて、まるで岩と岩をこすり合わせているように聞こえる。でもすっかりそれに慣れているあたしたちには聞き取れないということはない。

「それはともかく君たち、手と口がずいぶんとカラフルだ。山ブドウはもうすっかり食べ頃のようだね」

 あたしたちはお互いの手や顔を見合う。あたしたちの身体のあちこちは山に登りながら摘んで食べた木の実の所為で紫色になっていた。
 竜は何でもお見通しである。

「はい、これ竜の分」

 仕方なしにあたしが口の中に落とした山ブドウの実を竜はもしゃりもしゃりとやりながら、「うん、これはうまい」と目を細めた。

 どうやら喜んでいるらしいけど、それならうちの犬の方がずっと愛嬌がある顔をしている。だし汁を取ったあとの骨をあげると、犬はとっても嬉しそうに尻尾を振るし。
 でもあんまりいっぱい振るものだから、そのうちポロリと取れてしまうんじゃないだろうかとあたしはちょっと心配だ。

「竜、そんなに食べたいなら洞窟を出て食べに行けばいいのに」

 あたしがそう言うと竜はふんと鼻を鳴らして首を振った。

「そこまでしてまで食べたいと思わないよ」

 竜はかなり出不精だ。滅多に洞窟を出ることはない。
 せいぜい雨がどしゃ降りの日に身体を濡らしたり、新月の夜に洞窟からわずかに顔をのぞかせて背筋を伸ばしたりするぐらい。

「もしかして竜は外が怖いのかよ」

 怖いもの知らずのケビンが鼻の穴を広げて竜を馬鹿にした。

 あたしたちがおいおいと思ったように、さすがの竜もむっとしたようで、ケビンに向かって鋭い牙の並んだ口をぐわっと向けた。

「僕を弱虫呼ばわりするのかい。あんまり僕を侮ると、ぱっくり一口で飲み込んでやるぞ」

 丁寧に研いだばかりのような真っ白な牙。布団くらいの大きさのある真っ赤な舌がなめらかに動く。
 ケビンは顔色を変え思わず身を仰け反らせるが、負けじとばかりに言い返した。

「お、俺知ってるぞ! 竜は人間は食べないんだって。親父から聞いたんだぞっ」

 すると竜はつまらなそうに鼻を鳴らした。

「ふん。可愛げのない子供だな」

 だけど竜はそれでも誇るように顎を仰け反らす。

「確かに僕は人間なんか食べないよ。でもね、僕はもっとすごいものをお腹に収めたことがあるんだぞ」

 竜は言った。
 

「僕は太陽を飲み込んだことがあるんだ」

 

 あたしたちは顔を見合わせるとやれやれとため息をついた。
 またいつもの話が始まった。
 もうこれまでに何度聞いたか忘れたけど、とにかく竜と話しているといつだってこの話になるのだ。

「竜の嘘つき! 太陽なんて飲み込めるわけないじゃない」
「竜族は嘘はつかないものだよ」

 あたしがイーっと歯をむくと竜は空っとぼけてそう言う。

「だけど太陽はちゃんと空に二つ揃ってるわよ」

 粉屋のトリシアが洞窟の外を指した。

「それは残った太陽が寂しそうだったから吐き出してあげたんだよ」

 と、これまた澄ました顔。

「太陽はとても熱くってね、だから僕は炎を吐けるようになったんだ」

 竜は息を吸い込むと、あたしたちの足元に向かってぼおっと炎を吐いた。
 あたしたちはあちちっと叫んで慌てて洞窟の外に走って逃げる。竜はガラガラと咽喉を鳴らして笑った。

 その時、ふとあたしは今日来た目的を思い出し振り返った。

「ねえ竜、村の外ってそんなに良いところなの?」
「さてね、どこも大して変わらないと思うよ」  

 そう答える竜の目は、なんだかわずかに細まっていた。

 

 
 ※  ※  ※
 
 

 それから数ヶ月が経った頃。
 あたしたちの村には異変が起こった。

 いつもなら二ついっぺんに空に昇っていくはずの太陽が、いつの間にか交互に昇るようになり、気が付けば夜がぜんぜん訪れなくなってしまったのだ。
 空はいつまでたっても青空のまま、まったく様子が変わらない。

 でも、これは異常でもなんでもなくて、数十年に一度ある自然現象なんだと先生は言っていた。
 だからそれよりも深刻なのは、雨がまったく降らなくなったことだった。

 一週間雨が降らず、二週間経っても降らず、一ヶ月丸まる雨が降らなくなって、さすがに大人たちも焦り始めた。
 毎朝、顔を洗えと怒るお母さんも、青ざめた顔で今日からは水で顔を洗っちゃだめよとあべこべのことを言う始末。

 どうやら山脈をはさんだ隣の国ではちゃんと雨が降っているらしい。むしろ洪水が起こりそうで困っていると行商の人は言っていた。それなら少しは分けて欲しいものなのに。

 畑の野菜は元気がなくなり、魚が泳いでいた川はすっかり干上がった。そしてとうとう村の井戸水までもにごってしまった。

 このままでは何も飲むものがなくなってしまう!

 大人たちはからからに乾いた畑の縁にぼんやり腰掛けていて頼りにならない。
 あたしたち子供は相談の上、裏山の竜のところへ行くことにした。
 

 

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