≪人に祈りを、宇宙に実りを≫

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『人の祈りを紡ぐ宇宙(ソラ)』 <1>

 

「まったく、よくやってくれたな……」
 叱責とも賞賛ともつかない、疲れきった声でそう言ったのは、椅子に埋もれるように座り込んだボルト提督だった。
「お前たちには、惑星で住民の救出を指示していたはずだったのだがな」
「それは優秀な仲間たちがしっかり役目を果たしてくれております。問題ありません」
 いっそ慇懃無礼な物言いでそう言ったのは、まだ若い女性将校だった。彼女は幼い顔立ちに似合わぬ頑な表情を浮かべたまま、しゃんと背筋を伸ばして不動の体勢でいる。
「私は『たまたま』手が空いた時に、『偶然』逃亡しようとしている容疑者を発見し、捕らえただけです」
「だが、あの『大統領』は中央宇宙議会の議員の親戚だぞ」
「それになにか問題でも?」
 犯罪者は犯罪者だと、彼女は冷たい眼差しを上官に向ける。
 そう答える彼女は、データーベースによればミノリ・ハタナカ曹長であり、その背後に佇む青年はソルト・サオトメ伍長というはずだ。サオトメ伍長はハタナカ曹長と同じ養護施設で育った戦災孤児で、長じた現在もハタナカ曹長の良き補佐役だった。今もまるで番犬のように彼女の背後に黙って控えている。
「それで私は昇級するのですか? それとも懲罰を?」
「昇級だ、ハタナカ『准尉』。功績を上げた者に、意味なく罰を与える訳にはいかんだろう」
 ボルト提督は疲れたように深々とため息をつく。
「特にお前は……その、なんだ、『追撃王(エース)』とか何とか呼ばれているらしいじゃないか。そんなことをして周りが納得するわけがない」
「ですが、そのまま放置するわけにもいかない、というお顔ですね」
 ボルト提督は、ハタナカ准尉をねめつける。それは優秀だが扱いづらい部下の手綱を握ることに、ほとほと嫌気がさしているようでもあった。
「では、ボルト提督。報償の代わりに、私に権限を与えてください。今、軍で構想中の食料生産用の試験ステーションがありますね。そのうちの、農業ファームの責任者に私を就任させて欲しいのです」
「何故お前がそのことを……っ、いや、そもそもどうしてそんなことを言い出すんだ?」
 予想外の要求に、提督はいぶかしむ。しかしハタナカ准尉は淡々とした声で、問いを重ねた。
「できないのですか?」
「いや、そんなことないが……」
 ボルト提督は口ごもる。むしろ言ってしまえば、彼にとっては逆にありがたい申し出だ。戦闘機乗りとして優秀すぎるハタナカ准尉は、その撃墜成績によって一般兵から英雄扱いをされ、大変な人気を博している。それは、もはや勢力の一つとして数えても良いほどだ。だが、軍に取って制御できない勢力は単なる脅威でしかない。なにか問題が起きる前に手を打たなければと思っていた矢先のことであった。
「だが、本当に良いのか? 権限と言っても、ステーションは辺境地区に建設される。中央に対する影響力はないに等しいだろう。そもそも、そうなればお前には戦闘機を降りてもらうことになるんだぞ」
 あまりにこちらに有利すぎる申し出に、何か裏があるのかといぶかしむボルト提督だったが、こちらを真っ直ぐに見るハタナカ准尉の強すぎる眼差しに思わずたじろいだ。
「ボルト提督、私は――軍支給の固形携帯食にはうんざりなんですよ」
「はぁ?」」
 唖然とするボルト提督に、ハタナカ准尉はどこかそわそわした様子でごほんと咳払いをする。
「まあ、それは冗談として」
 耳の辺りが若干赤くなっているが、彼女は気にせずに続ける。
「私には夢があります。それはどこで生まれてもどこで育っても、平等に美味しい食事が取れるという世界です。この宇宙はいびつで、同じ人間であっても、どの宙域で、どの惑星で育つかによって環境が大きく変わってしまう。貧富の差も激しい。でも、だからこそ食べる楽しみくらいは平等に取れる世界にしたいと思うんです」
 そこで初めてハタナカ准尉は微笑んだ。それは本来の彼女の性質にふさわしい、柔らかさをともなった明るい笑みだった。
「どんなに今日が辛くても、明日美味しい物が食べられると思えばそれだけで希望が持てます。特に私は野菜が好きだから、皆が私の作る野菜を食べることによって希望を得てもらえればなおさら嬉しい。これは、私にとって千載一遇のチャンスでもあるんです」
 現在計画されている軍の食物生産実験が成功すれば、食料を作るステーションはあらゆる宙域に建設されるだろう。食料格差は、世界でもかなり上位の問題として上がっているのだ。
 そうすればひとまず、この国際宇宙で持ち上がっている食料問題は、格段に解消に向かうはずである。それだけで今あるすべての問題が解決するには到底思えないけれど、いつも空きっ腹を抱え、味気ない固形携帯食だけで食いつないで成長する子供がいなくなれば、もう少し未来は明るいものになるだろうと彼女は信じているらしかった。
「私はなにかを壊すよりも、希望を生み出し育むような仕事をしたいと、ずっと思っていたんです。だから――、」
 ハタナカ准尉は、信じられないという顔をしているボルト提督に、ただひたむきな表情で頭を下げた。
「私を農業ファームの責任者に就任させてください。お願いします」


 一方『ワタシ』は、執務室を移す監視カメラの映像を録画してファイルにする作業と平行して、自身の一部をコピーし始めていた。
国際連合宇宙軍の中央管理システムである『ワタシ』の存在すべてをコピーすることは、そのデータのあまりの膨大さから不可能である。だから『ワタシ』そのものである自意識プログラムと、建物管理などに必要なシステムをいくつかより分け、複写する。
 おそらく、ハタナカ准尉の希望は叶えられるだろう。何しろ、彼女の望みを阻む理由はどこにもないから。
彼女が赴任する農業ファームを作るとき、新しいステーションを建設するのか、すでにある建物を利用するのかは分からないけれど、その際には必ずシステム管理AIが必要になる。『ワタシ』はそれを、自身のコピーAIにこっそり任せるつもりでいた。
 国際宇宙の中心の一つである宇宙軍の中央管理システムである『ワタシ』は、普段決してそんな公私混同はしない。でも、電子演算機(AI)であるはずの『ワタシ』も彼女には興味を持ったのだ。
 ささやかな、しかしだからこそ壮大な夢を抱いた彼女は、それを叶えることができるのか。いや、穏やかで優しい、でもその奥底に不敵さを隠しきれない笑みを浮かべる彼女なら、決してそれも不可能ではないだろうと思った。
だから『ワタシ:アタシ』は、彼女をそばで見ていようと決めたのだ。
 そんなわけで『ワタシ』は、その時が来るまで株分けした『アタシ:プラム』をこっそり隠しフォルダで暖めておくことにしたのだった。



 腰に下げた携帯ラジオから、流行最先端の軽快な音楽が流れてくる。
 うっすらと滲む汗を手拭いで拭きながら、ミノリは収穫間際の春キャベツの様子を確認していた。この第四農園では、あえて地上に近い環境で作物を育てているため、キャベツの周りにはモンシロチョウがひらひらと舞っている。葉っぱにはいくつか芋虫のかじった痕ができてしまっているが、それも美味しくできた証だろう。
サラダにしても良いし、ロールキャベツもいい。甘くてサクサクした歯ごたえを想像しながら、ミノリが自分の育てた作物の出来栄えに満足していると、ふいに背後から誰かが近付いてくる気配を感じた。
「ソルト、どうしたの?」
 振り返って先に声をかけると、相手は僅かに戸惑ったように足を止めた。
「また海賊でも現れた?」
「いや、そうじゃない」
 冗談めかしてそう尋ねるが、ソルトは小さく首を振った。腰の携帯ラジオからは、臨時ニュースもなく今はのどかな民族音楽が流れている。
「本当に良かったのか?」
 そう尋ねられたミノリは、なにを、と尋ね返そうとして口を閉じる。静かな、しかし真剣なソルトの眼差しを見れば、それが何を指しているのか聞くまでもなかった。
「いいのよ。だって私は今すごく充実しているのよ」
「そうか」
 ミノリが笑って答えると、ソルトは納得したのか余計なことも言わずただうなずいた。ともすればぶっきらぼうにも聞こえるやり取りに、ミノリは僅かに苦笑する。
 恐らく先日のやりとりで、彼の目には<スケアクロウ>に乗るミノリがとても活き活きとして見えたのだろう。確かにミノリ自身も戦闘機を駆ることは性に合っているらしく、楽しさを感じることも否定できない。
だけど生業(なりわい)としたいと心に決めたものは、もうすでに別に存在しているのだ。戦闘機乗りは、ただ趣味に留めてしまったとしてもミノリは構わない。たまの休みにでも走らせ、的打ちするぐらいでも充分満足なのだ。
(もっとも、スコッチのためには、もう少し乗る機会を増やしてあげたほうがよさそうだけど)
 ミノリは部下である機械技師の最近の張り切りを思い出して、口元を少し緩ませる。
 ようやく念願の戦闘機整備に携われるようになったスコッチは、このところ実に精力的に他の仕事もこなすようになった。農耕車両などの整備を終えると、今度は飛ぶように格納庫に行き整備やチューンナップに励んでいる。彼は自分の好きな機体をいじることができれば、それで充分満足らしかった。
 趣味を仕事として充実させているのは、ローズマリーもそうである。
 彼女が業務の傍ら作り出したハイパー・ワイヤーこんにゃくなるよく分からない代物は、しかし分子工学的にも遺伝工学的にもなにやらものすごい発明だったようで、しばらく発表や学会報告のためファームを出ることが続いた。
 本来引きこもりの彼女はそれに随分とうんざりしたらしく、珍しく彼女の方からアシスタント募集の要請が来た。優秀な天才科学者である彼女の助手に立候補したい人間は随分多く、選考に苦労しそうだが、それでも近いうちにこのファームに新しい仲間が増えることは間違いないだろう。
 本意でない農作業にうんざりしていたらしいシナモンも、最近は活き活きとファームの仕事に精を出している。ようやく野菜作りのやりがいを知ってもらえたようだと、ミノリもそれを大変喜ばしく思っている。
(私も、負けないように頑張らないとね)
 ミノリがそんな風に意気を新たにしていると、ふいに思い出した様にソルトが声を掛けてきた。
「そう言えば、先ほどプラムとシナモンがまた何やら大声で言い争いをしていたぞ」
「ちょっ、あなた、だからそういう事はもっと早くに教えてってば!」
 緊迫感もなにもないソルトの言いようとは裏腹に、ミノリは慌てて手拭いを投げ捨てると第四農園を後にする。
 誰もいない春の農園の、うららかな人工太陽と気候はAIプラムによって管理されている。ベテランの人工知能である≪彼女≫は、メインデッキでシナモンと口喧嘩をする傍ら、当局のボルト提督からミノリに宛てられたメールを受信していた。
 それには、先日の海賊船拿捕に対する表彰を行うという旨の連絡と、ミノリの現役復帰を促す打診だった。しかし、プラムはどうせミノリはどちらも断るに違いないと、勝手に返事をしたためて送信してしまう。そして再び若く、威勢の良い、夢に胸膨らませた新人との楽しい口喧嘩に専念する。
 冷たく暗い不毛な宇宙空間の片隅で、『808ファーム』の農園は今日も、人の祈りと希望のためにのどかに野菜を作っている。

 

 

【了】

 

 

 

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