―― 魔法の鏡はかく語れり ――
第四幕 正体見たりてなんとやら

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「実に素晴らしい引っかかりっぷりでしたわぁ、ブラン殿下」
 堪えきれないとばかりに愉快に笑い、魔女様は地面に座り込むブラン殿下の顔をささっとハンカチで拭われました。そしてピカピカに輝く手鏡を取り出し魔法を唱えます。
「鏡よ鏡、ブラン殿下を綺麗にしなさい!」
 するとキラキラとした光の粒がブラン殿下を取り囲み、次の瞬間には枝葉が絡みつきボサボサになった髪の毛も、泥にまみれた洋服も、涙でぐしゃぐしゃになった顔も、まるで湯上りのようにすっきりぴかぴかになったのです。残る痕跡は泣きはらした赤い目だけ。
「――これは、どういうことなの……?」
 しかしブラン殿下は赤い目のまま周囲に立つ面々を睨みつけられます。それは普段のほわほわとしたへたれ殿下とは思えないほど、険しい眼差しでございました。なにより、その眼差しは魔女ソルシェ様と共に現れたスーリヤにも向けられております。
 呆然とした顔で魔女様についてきたスーリヤは、ブラン殿下の険しい眼差しに気付き慌ててぶんぶんと首を振りました。
「私にもさっぱりだ。人攫いの袋からこの人が出てきて、心配ないから着いて来いと――、」
「そんなの、ブラン殿下に対する突発的どっきり企画にきまっているじゃあ、ありませんかぁ」
 魔女様は相変わらず楽しくて仕方がないとばかりにくつくつと笑っていらっしゃいます。
「ちなみに今回の主演男優賞は、王宮勤務のこの狩人さん。殿下は自分のところの家来の顔くらい覚えておいてくださいましねぇ」
 宮廷狩人と紹介された人攫いの男は、そのけわしい顔の厳つい眉尻を申し訳なさそうに下げて、
「脅かしてしまってすみませんでした、殿下」
 と頭を下げる次第です。
「殿下も頑張りましたけど、まだまだ爪が甘くございますわね。せっかくお教えした魔法も肝心なところでああでは、まだまだへたれの称号を払拭するにはいたりませんわよ」
 それでも、まぁお疲れ様でしたと、魔女様は座り込むブラン殿下に手を差し出されます。しかし、その手は当人によってぱしんと弾かれてしまいました。
「な、なんだよ……」
 驚く魔女様の目の前で、ブラン殿下は勢い良く立ち上がります。
「僕、本当に恐かったんだからね! スーリヤの事は絶対に守らなくちゃって……それなのに、それなのに……ソルシェの馬鹿! もう一緒に遊んでやんないっ!」
 目にいっぱい涙を溜めた殿下は、そう叫んで走り出しました。
「待て、ブラン……っ!」
「いえ、それには及びません。スーリヤ姫」
 慌てて追いかけようとするスーリヤ、いやいや、スーリヤ姫は自らに向けられたその言葉にぎくりとし、足を止められました。
「砂漠の国のスーリヤ姫。わざわざ見合いのために我が国にお越しいただいたというのに、このような騒ぎに巻き込んでしまい申し訳ございませんでした」
 林檎の魔女ソルシェ様は、これまでの愉快そうな雰囲気はどこに放り投げてしまったのやら、真面目そのものの表情で砂漠の国のスーリヤ姫に向かって膝を折りました。
「あなたは……、私の正体を知っていたのか?」
「もちろんでございます。砂漠の至宝であらせられるスーリヤ姫。あたくしはこの魔法の王国の宮廷魔術顧問にしてメイド、そして林檎の魔女であるソルシエール。この国に関る事で、あたくしに分からないことはありませんわ」
 林檎の魔女ソルシェ様は、文字通り林檎のように赤い唇をにんまりと吊り上げ、嫣然と微笑まれます。
「そして今まであなた様の傍にいたのは、我が国の王弟殿下であらせられますブラン様ですわ」
「では、彼が私の……」
「見合い相手になりますわね」
 唖然とするスーリヤ姫に、ソルシェ様はあっさりとうなずかれます。
「ブラン様は幼い頃に母君を亡くされ、それ以来あたくしが母親代わりだったのですが、ついついあの子可愛さに甘やかしがちで」
 ふうと魔女様は吐息をこぼされます。
「すでにお聞き及びだとは思いますが、その所為かへたれもへたれに育ち、見合いも五十二連敗。今回の事は、たとえ芝居の上の事であってもあなた様にはブラン殿下にも良いところがあるのだと知っていただきたかったんですの」
 申し訳なさそうにそう話すソルシェ様の目には、国を見守る魔女として以上の、慈愛に溢れた色が浮んでおります。
「ですが、本人に見合いをする気がないのでしたら所詮仕方のないことでしたわね」
 ソルシェ様はもう一度林檎色の唇から深々と息を吐いて、スーリヤ姫に向かって頭を下げられました。
「あなた様の従者も血眼になって姫を探していらっしゃいましたわ。連絡はとりましたので、ブラン殿下のことは放ってお帰りくださいませ」
「断る」
 しかしスーリヤ姫は、ソルシェ様の言葉をたった一言で拒否なさいました。
「噂に名高いソルシエール殿。貴殿のブランに対する思いは良く分かったが、それにしても貴殿はやりすぎだ」
「殿下に同情くださいましたの?」
「同情ではない」
 スーリヤ姫は首を振りました。
「ブランは自分からひきつけ役を買って出てくれた。貴殿が言うほど彼は弱虫じゃないぞ」
 まっすぐにソルシェ様を見つめ、スーリヤ姫はそう言い切られました。魔女ソルシェ様は、黙ってスーリヤ姫を見つめ返しておりましたが、ふいににっこりと微笑まれました。
「さようでございますか」
 楽しさに浮かれた雰囲気でも、真面目で固い雰囲気でもなく、ソルシェ様はただ優しい眼差しでうなずかれました。
「では、こちらを。これがあなた様を殿下へ導いてくれることでしょう」
 そう言って、ソルシェ様はどこからか取り出した一冊の本をスーリヤ姫に渡しました。
「ブラン殿下のことを、どうぞよろしくお願いいたします」
 そして本を受け取りブラン殿下を追いかける姫の後姿に、ソルシェ様は深々と頭を下げたのでございました。
 


 

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