空はきれいに晴れていた。 冬の間の厳しさが和らぎ春めいた陽気の中、薄くたなびく雲の白さと空の青さのコントラストが目に痛いほど鮮やかだ。差し込む太陽の光はぽかぽかと暖かく、実に心地のいい昼寝日和。 森の中の一本道はどこを向いても樹木ばかりで、濃厚な緑の香りでむせ返りそうだ。 道端の木陰には二人の少年がのんびりと腰を下ろしている。何とも微笑ましくも平和な光景だ。 「――――だからね、俺はその男に訊ねたんだ。『どうしてあなたは頭の上に赤い洗面器を乗せて歩いているんですか』って。すると、男は答えた。『それはね…』」 「あの…」 「なんだい、ジェム」 得意満面の笑みで自慢の小話を披露していたシエロは口を挟まれ顔をしかめた。月の光を織り上げたような金髪が、太陽の光を弾いてきらりと光る。 「これからがいいところなんだよ」 「えと、それはもちろん、あのとてもよく分かるんですけど…。でも、あのですね――――、」 小柄な少年は汗をかきながら、なかばシエロの背に隠れるように身を縮めこませ、怯えた眼差しで彼を見上げる。 「い、今は、そんな話をしている場合じゃないと思うんですけれど…」 「フム。なるほどね。確かにそれは一理あるな。じゃあ、彼らに聞いてみようか」 にっこりと笑い、ピンと伸ばした人差し指をくるくると回す。そしてその指を彼らの前方に立つ二人の少年に向けた。 「調子はどうだい。ゼーヴルム、バッツ?」 ぴくんと、彼らの背中が震えたようだった。シエロはさらに悠々と彼らに言葉を投げかける。 「いや、なかなか大変そうだがこっちはこっちで君らに対する声援は惜しまないつもりだ。がんばってくれよ。ところで今日到着する予定の村のことなんだけど…」 「くっちゃべってるヒマがあんなら、少しはこっちに気を使えよ!!」 飛び掛ってきた野犬の鼻っ面を強打しながら、全身に鮮やかな刺青を施した褐色の肌の少年―――、バッツが怒鳴った。吹っ飛ばされた野犬はそのままごろごろと後ろへ転がるが、すぐさま体制を戻し不気味に唸り声を上げる。 彼らを囲むのは二十匹近い山犬たち。ある犬は目を血走らせて、ある犬は鋭い牙を剥き出しにして彼らを威嚇している。 穏やかな昼下がりの街道。森の中の静かな旅路は、しかし一転して緊迫した雰囲気に包まれていた。獣の荒い息づかいに険しく低い唸り声。それなのに彼らの五倍近い数の野犬に立ちはだかるのはなんと二人の少年だけ。さらにそのうちひとりはまだ十代前半の子どもだ。 けれども、そんな空気をぶち壊しにするかのごとくひときわ呑気な声が歌うようにうそぶく。 「だってしょうがないじゃないか。実際かなりヒマなんだよ。俺たちにできることはと言えば、ここで縮こまって君らを応援するか、くだらない話で時間をつぶすか。なにせ―――、」 懸命に応戦する二人の少年の間をかいくぐり、一匹の野犬がジェムとシエロに向かって飛び掛ってきた。ジェムは「うわっ」と叫び身を硬くする。しかし野犬はその一歩手前という所で見えない障壁に弾かれ地面に転がった。ひゅるり、と風が走るような音がする。 シエロは髪一筋たりとも動揺することなく、両手をぴらっと広げて平然と笑って見せた。 「俺たちはこんなにも無力なんだからさ」 「そんな何の役にも立たんような自慢ならすんなっ!」 バッツが腹立ちまぎれにその野犬を蹴り飛ばす。きゃうんと悲しげな声を立て犬は下がっていった。 「まったくだな」 冬の海を思わせる冷たい灰色の瞳で襲い来る獣をけん制しながら、ゼーヴルムもぼそりとそれに肯定した。
暴力沙汰を心底苦手とするジェムは青ざめた顔色のまま、よろよろと怪我を負ったバッツの応急手当てをはじめる。 「全くなんだったんだ、これは…」 始めはかすり傷だと治療を拒否していたバッツだったが、今は諦め素直に手当てを受けている。彼はあたりを見回し呆れたようにつぶやいた。 「どうやらこいつが原因のようだな」 ゼーヴルムが最後に倒した野犬の首根っこを掴んで持ち上げる。他の犬より一回りも大きいその野犬は毛並みの色も他とは違っていた。しかし、何よりも特徴的なのは二つあるその長い尾だった。 「ふむ。ただの野犬ではないな。これは魔物、魔犬だ。こいつが他の野良犬どもを操っていたようだ」 「問題はなんでおれ達に襲い掛かってきたかだろ。おれ達になんか恨みでもあるのかよ。大体、どこぞの最果ての地ならまだ分かるにせよ、大陸の外れとは言えここは立派な主街道だぞ。それなのに、これで何度目の襲撃だ!?」 「面倒だから正確には数えてないけど、そろそろ両手の指じゃ足りなくなってくる頃かな」 シエロがおどけたように肩をすくめる。ゼーヴルムは眉間に皺を寄せ、やれやれとため息をついた。 「大人しく船に乗っていればこのような苦労はなかったものの」 普段の彼は可決された懸案事項にいつまでも文句を唱えるような性格ではなかったが、たび重なる襲撃にさすがに疲れを感じているようだ。ぽろりと口から嫌味がこぼれでる。 「貴様、こうなったのはおれの責任だとでも言うのかっ」 琥珀色の瞳を金色に光らせ、バッツが噛み付いた。ゼーヴルムは目をすがめつまらなそうに細く息を吐く。 「いいや、だがこれほど頻繁に襲われるということはなかっただろうなと思うだけだ」 「ま、待って下さい。こっちの道に賛成したのはぼくも同じです。だからバッツさんばかりを責めないで下さい!」 険悪な雰囲気になりかける二人の間を、ジェムが慌てて割って入る。 それはもはやいつもの光景だった。 |