第三章 1、「東の神殿」(2)

 


 ジェムたち一行は東の神殿にたどり着くと、早速そこで彼らの務めである樹神への祈りを捧げた。
 そしてこの神殿の大神官に、北の大陸では会うことのできなかったアウストリ大陸の巡礼者について聞くことになったのである。

 ――と、本来はそうなってしかるべきだろう。

 しかしさすがは災難だらけの巡礼だけあって、そう簡単に話が進むはずがなかった。



「はぁ!? 入れないってどういうことだよ」
「どうしたもこうしたもない。現在は何人たりともこの樹大神殿に立ち入ることはできない」

 バッツがいぶかしげに顔をしかめるが、門の前に陣取った僧兵たちは頑として譲らなかった。
 簡略化された鎧をまとった僧侶たちは、手にした錫杖を十字に掲げ強情な参拝者を威圧している。眉間に皺を寄せたバッツは噛み付くように僧兵に詰め寄った。

「なんだよそれ、おれたちゃわざわざノルズリ大陸からやってきたんだぜ。なのに敷地に入れてもくれないのかよ」
「だいぶ遠くから来たようだな。かわいそうだとは思うが、決まりは決まりだ。諦めて立ち去るがよろしかろう」

 と、もう一方の僧兵。まったく取り付く島もない。

「……ああ、この頑迷な感じ。なんだかちょっと懐かしい」

 デジャビュだ。とシエロが遠くに目線をやる。その隣ではゼーヴルムが何ともいえない複雑な表情で口をへの字に曲げていた。

「えっ、でもこの神殿はたしか一般の人も参拝は可能なはずでしたよね。どうして突然駄目になっちゃったんですか?」

 おずおずとたずねたジェムが、不思議そうに首をかしげた。
 参拝を禁じる神殿なんて聞いたことがない。あえて不謹慎な言い方をすれば、神様なんて人々に拝まれてなんぼだ。ほとんどの神殿は年中無休で参拝歓迎のはずである。しかし対する僧兵たちも不思議そうに眉をひそめた。

「貴殿ら、街の様子を見てわからなかったのか?」
「街の様子、ですか?」

 初めて訪れる彼らにとっては、かなり活気がある賑やかな街だというのがこの街・ヴィリディスに対する印象なのだが。

「物忌みを示す五色の旗が掲げてあるだろう。この街はいま喪に服しているのだ」
「えっ、あの旗ってそういう意味なんですか!?」

 ジェムが目を丸くした。ノルズリ大陸では五色の旗は主に祭りなど祭事の際に掲げており、喪を示す色は黒だと相場が決まっている。これではまったく意味が反対だ。
 見れば横ではシエロもまた、興味深そうにうなずいていた。

「へぇ、おもしろいなぁ。東の大陸では葬式の色は神の五色なんだ。これまた派手だねぇ。うちの所は地味な白装束だから羨ましいよ」
「あれ、西の大陸では白いんですか?」
「えっ、ノルズリ大陸では違うの?」

 二人は顔を見合わせる。

「お前たち、今はそんな話をしている場合ではないだろう。そういうことは後で暇な時にでもしろ」

 ゼーヴルムがため息をついて二人の首根っこをつかんだ。優先すべきは如何にこの事態を解決するかだ。
 しかしその時、彼らの背後から何とも呑気な声がした。

「なるほど、違う大陸からいらしたのでは分からなくても当然かもしれませんね」
「「し、司祭さまっ!?」」

 僧兵らがぎょっとして姿勢を正す。ジェムたちも慌てて振り返ると、そこにはゆったりと神官服に身を包んだ壮年の男性が立っていた。

 いくすじかの白髪と交じり合う黄みがかった茶色の髪。鼻筋に掛かる品の良い小さな丸眼鏡と合わさって、何とも人好きのする朗らかな雰囲気の僧侶だ。だが僧兵の反応からすると、どうやらかなり高い位にいるようでもある。

「アウストリ(東の)大陸では、高貴な身分の方が身罷られたときには神々の祝福があるようにと五色の旗を掲げます。当神殿は二週間ほど前から喪に服しており、そのためすべての職務を停止しております。ですから普通の方々の参拝は無理なのですよ」

 穏やかな口調でそう説明されては声高に非難することもできない。
 ジェムはおずおずと、バッツはしぶしぶとうなずいた。

「だが一般の礼拝者そうでも、我々は五大神殿に認証された巡礼使節だ。他の参拝者同様に神殿に入ることすらできないというのはいささか納得できかねるのだが」

 司祭はおやと眉を上げる。

「何か、巡礼の証は持っておられますか」

 ゼーヴルムは懐から七色に光るペンダントを取り出し司祭に差し出した。

「ああ、そうか。先にそれ見せとけばもっと話は早かったかもね」
「はあ、かも知れません」

 肩をすくめるシエロにジェムは曖昧にうなずく。むしろ『巡礼使節』の名を出すだけでも事態は進展していたのではないかとも思うが、どちらにせよそういう方面にはまったく気が向かなかった。

 司祭はペンダントに刻まれた神殿の紋章を見て、ふむふむとうなずいた。そしてゆったりと頭を下げる。

「そうですか。巡礼使節の方々でしたか。これは失礼をいたしましたね」
「謝罪は結構。しかし礼拝はまだ無理でも、先に大神官様に会わせては頂けないだろうか。ひとつお尋ねしなければならないことがあるのだが」

 しかし司祭はゆっくりと首を振った。

「残念ながら、それもかないません」
「なぜ」

 神殿から正式に任じられた巡礼なのに、礼拝どころか大神官への面会も不可能。これほど理不尽な話もそうはないだろう。
 ゼーヴルムの声にもかすかに苛立ちが混じるが、司祭はあっさりとした調子で答えた。

「それは、なくなられたのが大神官様その人であらせられるからです」

 ジェムたちは絶句した。

「我々は約一ヶ月間の服喪の後、二週間の時をかけて次の大神官を決める会議をしなければなりません。我々が喪儀を行ってからすでに二週間が経っております。申し訳ないのですが、あと一ヶ月ほどお待ちいただけないでしょうか?」

 司祭はなんとも申し訳なさそうに巡礼者たちに尋ねる。だが、あまりにも予想外の事態に、彼らは困った顔で互いに顔を見合わせるだけであった。

「なあ、おっちゃん」
「お、おっちゃっ……!? お、お前、この方をどなたと――っ!!」
「まあまあ、落ち着きなさい」

 バッツを怒鳴りつけようとした僧兵を宥め、司祭は片膝を着くと首をかしげた。

「何ですか? 少年」

 真っ白な祭服が土に汚れることもまったく意に介していない。バッツはわずかに眉をひそめたが、きっと顔を上げると彼に向かって言った。

「大神官がいないのは分かった。だけどさ、何か他に巡礼のことに詳しい奴っていうのはいないのかよ」

 その横柄な言葉遣いに周囲の人間は思わずはらはらするが、司祭はそれでも丁寧な態度を崩さずニッコリと言った。

「神殿によって差はありますが、とう樹神殿では巡礼については代々大神官がじきじきに手を掛けておりました。ゆえにほかの者はまったく関知していないのです。お心に添えずに申し訳ありません」
「ならば――、」

 ゼーヴルムが会話に割り込み口を挟みかけたが、その時神殿の内部で激しい犬の吠え声が騒々しく響き渡った。どうやら中で何かあったらしい。

「はて、何でしょうか?」

 司祭も不思議そうな顔をする。
 だが人々の意識がそちらに向いたその隙に、バッツはくるりと踵を返した。

「あっそ。じゃあ、もうここにいる意味はないな。おい、行くぞお前ら」
「ちょ、ちょっと待ってください。バッツさん!?」

 バッツは身を翻してつかつかと来た道を戻っていく。ジェムは司祭とバッツを交互に見ていたが、一礼してバッツの後を追った。ゼーヴルムもたずねかけた言葉を飲み込み彼らに着いていく。

「お手数ですが、また一月後にいらしてください。その時までにはすべての準備が整うはずです」

苦笑交じりの司祭の声がジェムの背に届いた。





「バッツさんっ。いったいどうしたんですか、急に!」
「……」

 早足で歩くバッツの後を、ジェムたちは慌てて追いかける。バッツは無言で神殿より続く坂道を下り、それが遠く背後に窺える場所まで来てようやく足を止めた。

「いくらなんでも、ああいう言い方は失礼だと思いますけど……」

 追いついたジェムは眉をひそめてバッツの顔を覗き込む。浅黒い肌の砂漠の少年は張り詰めた表情でぐっと唇を引き結んでいたが、おもむろにぶはっと息を吐き出した。

「っはぁ……。苦しかった。見ろよこのさむイボ。まだ背中がぞくぞくするぞ」

 顔をひそめて神殿を振り返る。

「いったいなんだったんだ、ありゃ……?」
「え、どうしたんですか」

 どうも訳が有りそうなその様子に、ジェムは態度を一転させ恐る恐るたずねる。バッツはイラついた様子で髪をかきむしった。

「どうしたもこうしたも……。あの神官からやけに強い血臭がしたんだ」
「ケッシュウ……?」
「血の臭いだよ。あそこじゃ神への供物に家畜の心臓でも捧げてんのか」

 服に臭いが移っていないか心配するようにくんくんと袖を嗅ぐ。

「そんなものはしなかったが……。気のせいじゃないのか?」
「ああん? あれほどどぎつく臭ってたのに気付かなかったのかよ。鼻が詰まってんじゃねぇの」

 馬鹿にするような目つきでゼーヴルムを睨みつける。

「それかだいぶ鈍いかのどっちかだ」
「だが少なくともお前以外の誰もその匂いを感知しなかった」

 暗にお前のほうがおかしいんじゃないのかと言われ、バッツとゼーヴルムは往来の真ん中でばちばちと火花を飛ばしあった。このままでは、またいつものように人目も気にせぬ激しい口論が繰り広げられてしまうだろうとジェムはあせる。しかし――、

「案外死霊の匂いかもね」

 ポツリと出てきた意見に彼らはぎょっとして振り返った。見るとシエロがにこやかな笑顔でぴんと指を立てている。

「だって大神官さん死んじゃったんでしょ。よく言うじゃん。死霊は恨みを持つ相手や親しい人に纏わり憑くって」
「……そんな話聞いたことないぞ」
「えっ、じゃあこれもうちの地方だけの伝承?」

 シエロは不思議そうに首をかしげた。

「つうか、何でお前今まで一言も喋らなかったんだよ」

 バッツはぎろりと睨みつけるがシエロはどこ吹く風で肩をすくめる。

「だって俺口下手だから初めて会った人の前じゃうまく喋れないんだよ」
「口下手どころか口から先に生まれたように見えるけどな」
「ふふっ、お褒めに預かり恭悦至極」

 道化た仕草でぴょこんと頭を下げたシエロは、同じ勢いで顔を上げると伸ばした人差し指をくるりと回した。

「でもまあ、いいんじゃないの。あの神官さんから血の匂いがしようが肥えの匂いがしようが、どうせ次にあそこの神殿に行くのは一ヶ月先なんだし。それより日が暮れる前に、今晩泊まる宿決めちゃおうぜ」

 すっかり神殿に厄介になるつもりでいた彼らは、まだ泊まる場所すら確保していなかったことを思い出した。目論見の外れた巡礼者の口からは色々な意味で重苦しいため息が深々ともれる。

「……そうだな。今は宿を決めるのが先決か。シエロ、バッツ。この話はもう終わりだ。ジェムも、いくぞ」
「あっ。は、はいっ」

 ゼーヴルムがすばやく話を打ち切り、宿場街へ足を向ける。ジェムも慌てて振り返り、後に続こうとするが――、

「うわっ」
「ぷぎゅっ」

 ちょうど背後からやってきた人物にぶつかり、盛大に尻餅をついてしまった。相手の抱えていた大量の本がばさばさと地面に散らばる。

「ジェム? 大丈夫か?」
「へ、平気ですっ。あの、すぐ追いつきますから、先行っててください」

 呆れたように声を掛けるバッツに答え、ジェムは立ち上がった。
 むしろ大丈夫でないのは相手のほうだ。ぶつかった相手もまた尻餅をつき苦しげに咳き込んでいる。下を向いているその人の豊かな白髪が目に入り、ジェムは本を拾い上げながら慌ててその人にたずねた。

「あの、だっ、大丈夫ですか、お――、」

 お爺さん。と続くはずの言葉は声にならなかった。
 いや、声に出さなくて正解だったろう。もし実際に言ってしまっていたらだいぶ失礼になったはずだ。
 その人はジェムとそう変わらない、せいぜい二つ三つ年上な位の、立派な若者だったのである。