第三章 1、「東の神殿」(1)

 




『 ――――― 世界の創造を任された三柱神は、       .

この世界をもっと生命に溢れる場所にしたいと、

生き物が暮らしやすいよう世界を調えることをお考えになられた。

そうして造り出された方こそ世界を美しく彩り、なおかつ恵みに満たすための存在。

それは大地に根を張り
身の内に水をめぐらせ
常に空を目指し育つもの

このようにして五大神の一席、樹神『ユークレース』は誕生し、

         世界には緑が生い茂るようになったのである。        』










 樹大神殿を有する街・ヴィリディス。
 大陸のほぼ真ん中に位置するこの街は五大神殿の直轄地であり、大国の王都にも引けをとらない規模を持っていた。

 東の神殿とも称される樹大神殿は、大陸のシンボルとしてまったく申し分の無い堂々とした有様で緑深い森を背にした高台に鎮座している。
 森の緑と建物の白さのコントラストが実に美しいその神殿は傍から見てもかなり立派なもので、街の人たちが自慢に思っているのがその誇らしげな顔から窺えた。

「うわぁ、すごい活気のある街ですね」

 ジェムが物珍しげな顔できょろきょろと辺りを見回している。街のあちこちでは五大神を示す五色の旗が鮮やかにはためき、乗合馬車の駅がある広場は人でごった返している。食べ物の屋台からはいい匂いが漂っていた。

「お前なぁ、そんな田舎者丸出しな顔してんなよ。荷物ひったくられてもしらねぇぞ」

 大体これくらいの人ごみなら『始まりの神殿』とこでも見てんだろう、とバッツが呆れた顔でジェムに注意する。

 たしかに『始まりの神殿』がある港町もかなりにぎわっていたが、あの時ははっきり言ってそのことに感心しているどころではなかった。
 それに同じように大きな神殿のある街でもあちらとこちらではだいぶ雰囲気も違っている。それが何とも面白かった。

 熱心に人波を眺めているジェムの様子があまりにも微笑ましく、ついついスティグマは苦笑を浮かべた。

「この街にはアウストリ大陸の各地から信心深い人たちが参拝に集まるからね、貿易の拠点である沿岸部と並んで大陸の中心地になっているんだ。それに『始まりの神殿』はちょっと特殊な施設だから街の人々の関心は信仰よりも現世利益が勝ってしまってる部分が有るが、ここではまだ信仰が生きている」

「あれ、スティグマさんも『始まりの神殿』に行ったことがあるんですか?」

 ジェムが不思議そうな顔をする。
 スティグマは一瞬虚を衝かれたような顔をしたがすぐに曖昧な笑みを浮かべた。

「……ああ、言っただろ。わたしはもともとノルズリ大陸の出身だって」
「あっ、そうでしたねっ。ごめんなさい、間の抜けたこときいちゃって」
「まあジェムの天然は今に限ったことじゃないけどね」

 シエロがとぼけた顔でそうつぶやく。

「ううっ、シエロさんっ。確かにそれは否定できないですけど酷いじゃないですかぁっ」

 ジェムは悔しそうに歯を食いしばり足をばたばた踏み鳴らした。

「さて。それじゃあ、あたしたちはここでお別れね」

 フィオリがふぅと息を吐く。
 続けてシエロに文句を言おうとしていたジェムははっとして振り返った。

「えっ!? どうしてですかっ」
「どうしてって、始めから言っていただろう。君の体調に心配がないと分かるまでの同行だって」

 スティグマが苦笑した。優しい眼差しでジェムを覗き込む。

「もう、君は大丈夫だよ。心も身体もすっかり健康だ。何の問題もなく旅ができるはずさ。だから、医者の出番はもう終わりだ」
「でも、そんな……」
「ほら、そんな泣きそうな顔しないの、男の子でしょ」

 フィオリがジェムの頭を小突く。

「別にこれが今生の別れって訳でもないんだし。会おうと思えばいつでも会えるわよ」

 フィオリは気丈にそう言うが、それが必ずしも真実ではないこともジェムには分かっていた。

 ジェムもフィオリも互いに旅の身空であるし、ジェムたちが無事巡礼を終えるかどうかも定かではない。
 それでもジェムはぐいっと滲んだ涙を拭うとまっすぐに顔を上げた。

「フィオリさんもスティグマさんも。本当にお世話になりました。ありがとうございます」
「お礼を言いたいのはこちらも同じだよ」

 スティグマが優しく笑ってジェムの頭を撫ぜる。

「おかげでうちのフィオリのノルズリ大陸嫌いがだいぶ治った」
「あっ、あたしはまだジェムを許したわけではないのよっ!」
「わかってるって。それでも昔に比べればだいぶマシになったってことだ」

 同じようにぐしゃぐしゃと頭を撫ぜられてフィオリはぷっくりと頬を膨らませた。

「わたしたちはここからさらに南西の方向へ向かおうと思っている」
「南西、ですか?」
「ええ。そこにあたしの故郷があるの」

 ジェムたちははっとした顔でフィオリを見た。

「とは言っても焼き払われて今では何もないんだけどね。だけどこれまで一度も足を運んだことがなかったから」

 フィオリは少しだけ寂しげな表情を浮かべた。

「お墓参りもしたいし、これを機会に自分を見つめなおしてみようかなって」

 そう語る彼女の声は静かだけれども、それでもどこか晴れ晴れとした音色を伴っていた。

 バッツもうんうんと尊大にうなずいて言う。

「小娘も、少しは大人になったっていうことだな」

 そのとたん。

 穏やかだったフィオリの額にピキッと青筋が浮かんだ。先ほどの落ち着いた雰囲気などはどこへ行ったのやら。にっこりと愛らしい笑みを浮かべバッツに視線を向けるが、その口の端はヒクヒクと引きつっていた。

「あなたも、次に会うときまではまともな言葉遣いってものを覚えておくことね、ボウヤ」
「なんだとっ、おれを誰だと思っている! シャイフ=アサドの息子、フーゴのシェシュバツァルだぞ!」
「そんなの全然聞いたことないわよっ」
「どおどおどお」
「まあまあまあ」

 火花を散し合う二人を互いの保護者が引き離した。このまま放置すれば掴み合いの騒ぎにでも発展しかねない。
 バッツが熱くなるのはゼーヴルムとの口論の時も同じなのだが、フィオリが相手の場合は特に態度が子供っぽくなるようだ。どちらかといえば実年齢より大人びている彼なのだから、年相応になるだけと言えばそれまでなのだが。まさに天敵と言っていいような二人である。




  からあぁーん からぁーん

 神殿の鐘が高く響き渡った。
 スティグマがぎょっと顔を上げる。

「しまった! もうそんな時間かっ。急がないと馬車に間に合わないぞ」

 フィオリもはっと我に帰り、二人はあたふたと荷物を抱えた。

「それでは、どうか達者でな。君たちの旅が無事果たされることを願うよ」
「色々あったけど、あなた達との旅そんなに嫌じゃなかったわよ」

 駆け出す彼らにジェムは大きく手を振った。

「本当にっ、本当にありがとうございました! 絶対にまた、会いましょう!!」

 スティグマたちが飛び乗ると同時に馬車が勢いよく走り出す。
 幌の間からフィオリが身を乗り出し何か言っていたが、轍の音にかき消されて言葉の内容までは届かなかった。
 馬車は街の外へ向かい走っていきやがて見えなくなった。

「……行っちゃいましたね」
「なんつうか、出会いも別れも騒々しい奴らだったな」

 バッツが呆れたようにため息を吐いたが、別に騒々しかったのは彼女たちだけの責任ではないのでは。と、いう言葉をジェムはごくんと飲み込んだ。

「そういえば最後にフィオリちゃん、何か叫んでたみたいだけど何を言っていたのかな」
「さてな。だがそれは次に会ったときにでも聞けばいいことだ」
「また、会えると思いますか……?」

 一度袂を分てば、それが今生の別れとなることも少なくないこの時世。
 もはや二度と会えないかもしれないという思いもあって、ジェムはおずおずとゼーヴルムに訊ねる。しかし彼は相も変わらぬ詰まらなさそうな表情で軽くうなずいた。

「いざとなれば向こうから会いに来るだろう」
「へっ、なんで?」

 彼にしては珍しく楽観的なその物言いに、お株を取られたシエロが不思議そうな顔をする。
 ゼーヴルムはあっさりと応えた。

「まだ医療費を支払っていない」
「あっ!」

 ジェムははっとして口を押さえた。
 最初にジェムが倒れた時の入院費、旅先で負った怪我の治療費共に1オーロだって払ってない。
 心なしか引きつった顔のシエロが恐る恐るたずねた。

「まさかゼーヴルム、君知ってて黙ってたんじゃないだろうね」
「さて、なんのことだか」
「うわっ、何それ、卑劣っ。軍人にあるまじき態度だよ。ジェム、バッツ、こんな大人になっちゃ駄目だからね」
「私は巡礼使節の一員でまだ未成年だが」
「そうやって屁理屈言うしっ」

 ジェムはくすくすと笑みをもらした。

「じゃあお金は次会ったときにちゃんと渡しましょうね」

 再び会えるという確証はどこにもない。しかしそうやって口に出すと、不思議と気持ちが楽になった。

「じゃあとっとと神殿に行こうぜ。こんなところでグダグダしてないでさ」

 バッツが唇を尖らせる。ゼーヴルムもそれにうなずいた。

「そうだな。目的地を目の前にして足踏みをする道理はない」

 見上げた先にあるのは高台の上にそびえ立つ石造りの真っ白な神殿。
 気高く、堂々と、何とも美しいその景観。
 ジェムは高鳴る心臓の上に手を置き、最初の巡礼地に向かって足を踏み出した。