この手で守ってあげれなくてごめんね
たとえすべてを失っても
チュピピピ――、 小さな鳥がこずえを揺らして飛び立った。
しかしその景色をじっと見つめている少年がいた。 木の葉を散すこずえに向けられるその瞳。だがその視線は枝葉ではなく、もっと遠い底知れぬ何かを見ているようでもあった。 まだ十にも満たない幼い少年だ。 少年は固く引き結んだ唇を開きかけたが、そこから漏れる吐息が言葉になる前に愛らしい甲高い声が彼の耳を打った。 「おにいちゃんっ」 ぱたぱたと足音も聞こえる。 「どうしたの?」 少年は膝を折って中腰になると首をかしげた。そうしないと視線が合わないからだ。 少年の元に駆けてきたのは、彼よりもさらに幼い四、五歳の少女だった。 「あのね、あのね。おじちゃんがよんでたよ。すぐに来てっていってたよっ」
しかし伝えられた言葉の内容に反して、少年は立ち上がると再び視線を森のこずえに向けた。まるで耳を澄ませているかのようにぴくりと動かない。 ざわりと風が樹々を揺らした。 「おにいちゃん……?」 少女は遠慮がちに声を掛けたが、すぐにそれは必死の呼びかけになった。 「おにいちゃんっ、おにいちゃんっ!」 ――森には怖い妖精がいて、悪い子は連れて行かれて森の一部にされてしまうよ…… 母から、そして村の老人たちから聞かされた話が甦る。 だが少年は、ふと少女の様子に気付くと首を傾げて苦笑した。少女は今にも泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにして少年を見上げている。 「どうしたの?」 まるで諭しつけるかのように必死な様子で少年に言う。 「だいじょうぶだよ。ぼくには森の精霊がついているから。怖い妖精に連れて行かれたりなんてしないよ」 その言葉に少女はほっとしたように笑みを浮かべ、少年と同じように森を見る。 「ねえねえ、いまも精霊さんいるの?」 さっきまでは怯えの一色だったその目は、今はもう好奇心に溢れている。 「いるよ。精霊はいつだってぼくたちのことを見守ってくれているんだ」 わざと意地の悪いことを言ってみる。 「だいじょうぶ。君だけは助けてくれるように精霊にたのんでおいてあげるから」
少年は力強く請け負うと少女の手をきゅっと握った。 「君だけは絶対に助けてあげるから」 ふいに強くなる語調に少女は不思議そうな顔をするが、少年はすぐにまた柔らかい笑みを浮かべて少女に言った。 「精霊がね、今日は一日中とてもいい天気だって言ってたよ。だから今日はピクニックに行こう」 少女はその提案にぱっと顔を輝かせるが、すぐに顔をしかめてうつむいた。 「でもきょうは母さんのおてつだいが……」
少女が不思議そうな顔をする。 「ぼくは一度お父さんの所に行かなきゃ。でもすぐにお弁当を持って君のところに行くよ。そしたら一緒にお弁当を食べよう」 少女はいきおい良く首を縦に振った。 「たまごやきたべたいっ。あまいのがいいっ」 首をかしげる。 「お遊びだよ。原っぱについたら、ぼくが来るまでじっとどこかに隠れているんだ。勝手に出てきたり、村に帰ってきたらだめだよ」
少女が村ではやっている遊びの名称を口にする。少年はうなずいた。 「そう。かくれおに。ぼくに見つからないようにうまく隠れられたら君の勝ち。甘くて美味しい卵焼きを食べさせてあげるよ。そのかわり約束を破って出てきちゃったら怖い妖精さんに連れて行ってもらっちゃうからね」 少女は一瞬怯えた顔をしたが、すぐに楽しそうにうなずいた。 「わかった。お兄ちゃんもいそいで来てねっ」 少年は走っていく少女に向かって手を振った。 ぶわっと森から吹いた風が少年の柔らかい胡桃色の髪を揺らす。 「ごめんね。うそをついて」 その後姿が視界から消えるまで見送ると、少年は振り返って一目散に走り出した。 一緒に行ければどれだけいいか。 「だけど君だけは、君だけは絶対に助けるから」 はるか遠くで何十羽もの鳥が一気に飛び立つのが見える。その姿は青空に突如浮かぶ黒雲のようだ。 終わりの時が近づいているのが少年にははっきりと分った。しかしそれが分かっていてなお、少年はけして逃げ出すことを許されていなかった。 「ぼくは、――として村を、この森を守らなきゃいけないから」 それは十に満たない少年の口から漏れるには、あまりに滑稽で重い響きだ。 「……君だけは、絶対に守るから」 走り続ける少年の口からまるでうわ言のように言葉がこぼれる。 「たとえ、この命に換えても……、トゥーラ――、」 |