士官学校にて、自分が予想以上に軍人に向いていることに気が付いた。
もっとも月日が経つうちに、自分は優秀な人間として注目を浴びるようになっていた。
礼儀正しく、腕も良いと教官からの覚えは良くなり、それに伴って敬遠されていた級友からも頼られるようになった。
もっともそれが気に食わないらしい人間も、特に本島出身の代々軍の幹部を務める家柄の者には多かったが、それは仕方がないことだと気にすることはなかった。 ※ ※ ※ 店主に言われたとおり、彼は奥の席に座る客に近付いていった。 「失礼――、」 声を掛けた瞬間ぎろりと睨まれる。切れ味の鋭い刃のような眼差しだった。 瞳の色は闇を切り取ったような漆黒。髪の色も同じだ。
(なぜ、他大陸の人間がこの国のことを嗅ぎまわっている?) 人のことは言えないものの軽い疑いを持ちながら正面の席に座ろうとした途端、彼はぴくりと動作を止めた。切り裂くような容赦ない殺気に気が付いたからだ。 (……このまま座ろうものなら一呼吸のうちに殺されそうだな) 半ば目を伏せ、もはやこちらに興味がないとばかりの様子ではあるが、服の下に隠された筋肉がいつでも飛びかかれるよう緊張しているのは明らかだった。
「失礼」 彼はもう一度呟き、剣の柄に触れさせていた片手を離した。無意識にも近い癖ではあったが、確かに人に何かを訊ねるには無作法だっただろう。今度は座ろうとしても咎められることはなかった。 彼は客の正面に座り、早速とばかりに切り出した。 「店の主人に聞いたところ、どうやら私と貴君は同じ情報を求めているようだ。そこで情報交換を申し出たいのだが、どうだろうか」 「――なぜ、そんなことを言う」 客が始めて口を開いた。
「それが互いのためだと思ったからだ」 それは嘘ではない。彼はなるべく誠実に聞こえるよう淡々と理由を述べていく。 「失礼ながら貴君はこの国の方では無いようだ。しかし私はここにいくらかのツテを持っている。貴君が知らないことでも、私は知っているかもしれない。一方貴君も私が知りたい情報をすでに得ているかも知れない。それぞれの情報を交換することで、よりいっそう互いの目的に近づける可能性がある」 「それだけが理由では無いだろう」 感情のこもらない声がぼそりと返してきた。思わず反応しそうになり、彼は慌てて感情を押し殺す。 「意味が分からないな」
表情には出さなかったものの、彼は胸の内で舌打ちした。客の言葉は図星だった。 「自分を知りたい事柄に関わりのある人物ではないかと考えている。それゆえに近付こうとしているのだろう。しかしそれは的外れだ」 これまでほとんど無表情だった客がはじめて苦虫を噛み潰したような、いたく不愉快そうな顔をした。 「誰が好きこのんでこんなことに関わりあう」 どこか拗ねたようなその顔は、魂のない人形のようだった客に途端に人間らしさをもたらした。
「自分は貴様に用は無い。失せろ」
拒絶に被せるように素早く質問を放った。ぎろりとこちらを睨みつける視線は絶対零度の冷たさを孕んでいたけれど、それで怯むような可愛らしい性格をしていない。 「好きこのんで関わりたくは無い、と言ったな。ではそれでも調べようとする理由とは、果たして何だ」
ふとその声に嘲笑の色がかすめた。 「特に己のことは何一つ告げず、他人の情報ばかりを得ようとする輩にはな」
その意見には素直にうなずいた。ただで情報を得ようとするのはまさしく公平ではない。しかしこここそが交渉のしどころだった。 「しかしこちらの事情を話すことは、情報交換に応じるということだと私は判断するが構わないか」 そう訊ねると客は僅かに逡巡した。
「――いいだろう」 呆れたような物言いを彼は少し不思議に感じたがそれでもとりあえずは問題無いだろう。彼はまず礼儀として自分の事情から話し始めようとした。 「私は――、」 しかし話しかけてすぐぴたりと口を閉ざし、素早く周囲に意識を走らせる。見れば向かいの客も同様の様子だった。 「つけられた覚えは」 厳しい口調で訊ねられ首を振る。
「どうやら場所がまずかったようだな」 いつの間にやら店内にもう一人いたはずの客の姿が消えていた。どうやら自分たちは罠に引っかかったようである。
「奥に隠れていろ。少し、騒がしくなる」 始めはきょとんとしていた店主であったが、若い時分に培ってきた経験がようやく事態を飲み込ませたようだった。 「裏口にご案内しましょうか」 いささか強張った顔でそういう店主に彼は首を振った。 「いや、わざわざ向こうから来てくれたんだ。むしろ好都合だ」 一応横目で確認すると、客もまた同意見のようだった。
「疑わないのか」 ふと聞こえた声に振り返ると、懐に手を入れ身構えるもう一人の客の姿が目に付いた。 「店主をか」
店主は何も知らないだろう。ただその存在を利用されただけ。
「自分が貴様を罠に掛けたとは思わないのか」 そしてそれはこの客にも当てはまることだ。しかし彼は首を振った。 「思わない」 客は不思議そうな顔をする。彼は小さく口端を吊り上げた。 「これでも人を見る目はあるほうだ」
客は素っ気無くうなずくが、微かに立ち位置を変えた。彼に背中を預ける形だった。 「共同戦線を張る前に、一つ訊ねてもよいだろうか」
彼はちらりと客を見た。 「貴君の名前を。私はゼーヴルム・D・ラグーンと言う」 小柄な痩身を黒衣に包んだその客は、ぴくりとわずかに身を強張らせる。けれど一呼吸をおくと、ゆっくりと答え始めた。 「……自分には名前というものは存在しない」 ゆえに己の事はこう呼べ、と客は言った。 「パスマ。イルズィオーンのパスマが自分を示す記号だ」 |