初陣の舞台は、小競り合いと言うにはやや大仰な海戦だった。
戦いも佳境に近付き、両国共に疲弊が隠せない。そのため自分たちのような新兵がいる部隊も実戦配備が申し付けられたのだろう。 しかしそれは自分にとっては好都合だった。
だから指揮官の忠告も聞かず、白兵戦になると同時にいの一番に駆け出した。できるだけ官位の高い人間を倒して、周囲に認めさせようとした。
敵艦に乗り込み、敵をなぎ払う。あまり奥まで入り込むと危険だという考えも意識の隅にちらと上ったが構わなかった。
何人の敵を切ったか覚えていない。やがて視界の中に敵将校の姿が見えた。 チャンスだ。 そう考えると同時に、敵に向かって血と脂に塗れた剣を突き出した。敵の身体が崩れ落ちる。 やった。これで認められる。 自分の成し遂げた成果に喜び震えたとき、 ――自分は背後から斬られ、海に落ちた。 ※ ※ ※ 薄暗い半地下の酒場にぴりりとした空気が漂っている。
彼――ゼーヴルムは意識を扉の外へ向ける。 「六人……いや七人か」
気配を数える彼に対して、黒服の影、パスマはぴしゃりと正確な数を答えた。
「自分が五人をやる。後の三人を任せた」
ぎょっとしてゼーヴルムは否を唱えようとしたが、すでにパスマは動き出していた。
剣を持ち待ち構えるゼーヴルムを目に留めた刺客たちは、彼を取り囲むように広がっていく。しかしすぐさま苦痛を訴える悲鳴が背後の一角から響いた。 ぎょっとして目を向ける暇もない。
その正体はパスマの手の中にある長く鋭い針である。それで急所を一突きにしている訳だが、手口を察しさせないそのあまりにも素早い動きは、まるで死の精霊がその腕(かいな)を一撫ぜすることで人を冥府へ追いやる様を見ているようでもある。 (……手慣れているな) パスマのまるで躊躇うこともなく死を与えてゆくその姿に、ゼーヴルムは相手がこうした行為に非常に慣れていることを実感した。 もっとも他に気を割いている場合では無い。
ゼーヴルムは敵の刃を弾いた剣をそのまま鞘に戻し、次の一息で敵の懐へ飛び込んだ。そして剣の柄を思いっきり相手のみぞおちに叩きつける。敵は苦悶の声を上げる間もなく気絶した。
「私の背後を取ろうなど十年早い」 そして一人残され慌てふためく敵に一足飛びに近寄ると顎を突き上げるようにして掌打を食らわせた。衝撃に足元をふらつかせる敵の背後に回りこみ延髄に手刀を落とした。 顔を上げてあたりを見回すと、パスマは己の宣言どおりすでに五人の敵を倒していた。五つの体はもはやぴくりとも動かない。
「……全員、殺したのか」 低く、唸るようにパスマに訊ねる。パスマはあっさりとした態度で頷いた。 「そちらはまだ生きているようだな。助かった」 死体に尋問はできないからな。そう答えるパスマに、ゼーヴルムは険しく顰められた顔を向けた。 「殺すことは、なかったのではないか」
パスマはすっと片目を眇め、ゼーヴルムを見返した。 「敵に情を掛けても己の寿命を縮めるだけだ」
違うだろう、と暗に言われゼーヴルムはぐっと息を呑む。けれども彼は憤然と言い返した。 「それでもっ、人は殺すべきではない!」 パスマは胡乱げな眼差しを彼に向ける。 「甘いことを言っているのは承知している。剣は人殺しの道具だ。剣を持つ以上、殺し合いをする覚悟はついている。だがそれでも、人は人を殺すべきではない」 「……相手が、殺すつもりで掛かってきてもか」
淡々とパスマがたずねる。ゼーヴルムは躊躇う事無く頷いた。 「これを聞き届けられないようなら、私は貴殿と手を組むのは止める」
パスマは呟き、視線を落とす。ゼーヴルムは黙って答えを待った。
「人は……人間は人間を殺すべきではない――、」 ふいにパスマはゼーヴルムの言葉を繰り返した。 「それは貴様や他の人間だけではなく、自分にも当てはまることなのか」
ゼーヴルムはいぶかしみながらも肯定する。
「……自分は、生け捕りにするのは慣れてない」 ふうと唇からかすかなため息が漏れた。 「だが、出来る限り心がけてみよう」
ゼーヴルムは幾分かほっとした様子でパスマを促した。 「では、さっそく生き残った者たちに話を聞かせてもらおう」
ゼーヴルムは気絶した二人を店内から探し出した縄で手早く縛り上げる。そして今度は肩を外した男へと向かっていった。 「随分と、手馴れているようだな」
感心するように呟くパスマにそう答えて、ゼーヴルムは気絶した男の肩を無造作にはめる。まるで電気を流されたようにびくんっと男の体が跳ね上がった。
だが、ゼーヴルムは再び男の腕を掴み背中に捻り上げると同時に床に押さえつけた。 「随分と身体が硬い様だな」 痛みとそれから焦りでバタバタと暴れる男に、ゼーヴルムはぼそりと話しかけた。 「あまり暴れると、また肩が外れるぞ」 ぎくりと、男の抵抗が弱まった。 「素直に答えれば悪いようにはしない」 そう前置きした上で、ゼーヴルムは男に詰問した。 「お前たちの拠点、それから“荷”の隠し場所はどこにある」 その言葉に、パスマはふっと目を細めた。 「そ、それは……っ」 男は口籠もるが、押さえつけられた腕に力を込められ情ない悲鳴を上げた。 「強情を張ると、痛い思いをしなければならないぞ」
男は涙声で叫んだ。 「港だっ。港の倉庫のひとつだ。荷も全部同じ所に隠してある!」
男はいくつか数字を答えた。 「なるほど」 ゼーヴルムがぱっと手を離すと、男は素早く立ち上がり逃げ出そうとする。だが出口にたどり着く前にパスマに首筋を打たれ崩れ落ちた。 「……殺しては、いないぞ」
ゼーヴルムは頷いて立ち上がった。 「首謀者の名前は聞かなくて良かったのか」
急がなければ逃げられる。
「随分と勝手が掴めているようだな」
ゼーヴルムはぎょっとパスマに視線を返す。けれど目を見張っていたはほんの僅かのことで、彼はすぐに不敵に口端を吊り上げた。 「……ああ、そうだな」
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