第四章 A 影と騎士(1)

 


 初陣の舞台は、小競り合いと言うにはやや大仰な海戦だった。
 敵はギュミル諸島の主国の内もう一国、ノート島の海軍。

 戦いも佳境に近付き、両国共に疲弊が隠せない。そのため自分たちのような新兵がいる部隊も実戦配備が申し付けられたのだろう。

 しかしそれは自分にとっては好都合だった。
 ここで手柄を立てて一気にのし上がる。もはやそれだけしか考えられなかった。

 だから指揮官の忠告も聞かず、白兵戦になると同時にいの一番に駆け出した。できるだけ官位の高い人間を倒して、周囲に認めさせようとした。
 これまで思うように戦わせてもらえなかった憤懣をぶちまけるように、がむしゃらに戦った。

 敵艦に乗り込み、敵をなぎ払う。あまり奥まで入り込むと危険だという考えも意識の隅にちらと上ったが構わなかった。
 多少危険なぐらいでちょうどいい。味方の陰で怯えているようでは永遠に手柄は立てられない。
 その危険を乗り越えられるぐらい、自分は強いと思っていた。

 何人の敵を切ったか覚えていない。やがて視界の中に敵将校の姿が見えた。

 チャンスだ。

 そう考えると同時に、敵に向かって血と脂に塗れた剣を突き出した。敵の身体が崩れ落ちる。

 やった。これで認められる。

 自分の成し遂げた成果に喜び震えたとき、


 

 ――自分は背後から斬られ、海に落ちた。


 

       ※  ※  ※


 

 薄暗い半地下の酒場にぴりりとした空気が漂っている。
 それはこれから起こる惨事を予感させる殺気でもあり、緊張感でもある。肌の上で爆ぜるようなその鋭く尖った空気に、彼は否応なしに己の神経が研ぎ澄まされていくのを感じた。

 彼――ゼーヴルムは意識を扉の外へ向ける。

「六人……いや七人か」
「八人だ」 

 気配を数える彼に対して、黒服の影、パスマはぴしゃりと正確な数を答えた。
 パスマは懐に手を入れたまま視線をわずかにゼーヴルムに向ける。

「自分が五人をやる。後の三人を任せた」
「待てっ、私が――、」

 ぎょっとしてゼーヴルムは否を唱えようとしたが、すでにパスマは動き出していた。
 直後叩きつけるようにドアが蹴り開けられ、招かれざる客が徒党を組んで現れる。取り付けられた鐘がけたたましい音をたてた。
 ゼーヴルムはちっと舌打ちして剣を抜いた。

 剣を持ち待ち構えるゼーヴルムを目に留めた刺客たちは、彼を取り囲むように広がっていく。しかしすぐさま苦痛を訴える悲鳴が背後の一角から響いた。

 ぎょっとして目を向ける暇もない。
 彼らの間を縫うように黒い影が駆け抜ける。獣じみた身のこなしだが、靴音も呼吸の音さえも一切感じさせない動作はむしろ幻影のようにすら感じられた。
 その黒い影がふと首もとを掠めると、ただそれだけで敵は断末魔の声を上げて倒れる。

 その正体はパスマの手の中にある長く鋭い針である。それで急所を一突きにしている訳だが、手口を察しさせないそのあまりにも素早い動きは、まるで死の精霊がその腕(かいな)を一撫ぜすることで人を冥府へ追いやる様を見ているようでもある。

(……手慣れているな)

 パスマのまるで躊躇うこともなく死を与えてゆくその姿に、ゼーヴルムは相手がこうした行為に非常に慣れていることを実感した。

 もっとも他に気を割いている場合では無い。
 ゼーヴルムも剣を振るい自分に向かう敵を打ち倒そうとするが、すぐさまそのやり難さに眉を顰めた。狭く天井の低いこの店内は長剣を振るうのに向かないのだ。

 ゼーヴルムは敵の刃を弾いた剣をそのまま鞘に戻し、次の一息で敵の懐へ飛び込んだ。そして剣の柄を思いっきり相手のみぞおちに叩きつける。敵は苦悶の声を上げる間もなく気絶した。
 ゼーヴルムはその身体を次の敵目掛けて突き飛ばすと、相手が怯んでいる隙に身を翻し背後から忍び寄ってきた敵に相対した。
 死角を狙っていた敵は逆に虚を突かれてぎょっとする。ゼーヴルムは刃を持つ敵の腕を掴むと素早く身を捻った。不自然に腕を捻られ敵が激痛に呻く。ごきり、と肩の骨が外れる音がした。泡を吹いて倒れる敵にゼーヴルムは鼻を鳴らす。

「私の背後を取ろうなど十年早い」

 そして一人残され慌てふためく敵に一足飛びに近寄ると顎を突き上げるようにして掌打を食らわせた。衝撃に足元をふらつかせる敵の背後に回りこみ延髄に手刀を落とした。

 顔を上げてあたりを見回すと、パスマは己の宣言どおりすでに五人の敵を倒していた。五つの体はもはやぴくりとも動かない。
 ゼーヴルムはぎゅっと唇を噛んだ。

「……全員、殺したのか」

 低く、唸るようにパスマに訊ねる。パスマはあっさりとした態度で頷いた。

「そちらはまだ生きているようだな。助かった」

 死体に尋問はできないからな。そう答えるパスマに、ゼーヴルムは険しく顰められた顔を向けた。

「殺すことは、なかったのではないか」
「甘いことを言う……」

 パスマはすっと片目を眇め、ゼーヴルムを見返した。

「敵に情を掛けても己の寿命を縮めるだけだ」
「しかし」
「貴様はこれまでに人を殺したことがないのか」

 違うだろう、と暗に言われゼーヴルムはぐっと息を呑む。けれども彼は憤然と言い返した。

「それでもっ、人は殺すべきではない!」

 パスマは胡乱げな眼差しを彼に向ける。

「甘いことを言っているのは承知している。剣は人殺しの道具だ。剣を持つ以上、殺し合いをする覚悟はついている。だがそれでも、人は人を殺すべきではない」

「……相手が、殺すつもりで掛かってきてもか」
「甘んじて殺されろと言っている訳ではない」

 
 だが殺されそうになったから殺したと言うのは、言い訳にすぎない。
 相手は物ではなく、生きた人間なのだ。
 家族を持ち、喜怒哀楽を伴う長い人生を経て、自分と同じように生きる人間なのだ。
 死ねば、二度と戻らない。


「殺さずに済むなら殺してはいけない。貴殿にはその技量がある。ならば不要な人殺しはするべきではない」
「それは、共に戦う条件か」

 淡々とパスマがたずねる。ゼーヴルムは躊躇う事無く頷いた。

「これを聞き届けられないようなら、私は貴殿と手を組むのは止める」
「そうか……」

 パスマは呟き、視線を落とす。ゼーヴルムは黙って答えを待った。
 パスマが過剰な殺戮を止めないならば、例えどんな有益な情報を持っていようとも手を組むことはしない。それはゼーヴルムの本心だった。

「人は……人間は人間を殺すべきではない――、」

 ふいにパスマはゼーヴルムの言葉を繰り返した。

「それは貴様や他の人間だけではなく、自分にも当てはまることなのか」
「当然だ。私は貴殿に言ったんだぞ」

 ゼーヴルムはいぶかしみながらも肯定する。
 パスマは何かを考えるように口を引き結んでいたが、やがてぼそりと呟いた。

「……自分は、生け捕りにするのは慣れてない」

 ふうと唇からかすかなため息が漏れた。

「だが、出来る限り心がけてみよう」
「ああ。そうしてくれ」

 ゼーヴルムは幾分かほっとした様子でパスマを促した。

「では、さっそく生き残った者たちに話を聞かせてもらおう」


 

 ゼーヴルムは気絶した二人を店内から探し出した縄で手早く縛り上げる。そして今度は肩を外した男へと向かっていった。

「随分と、手馴れているようだな」
「ああ。こちらは貴殿とは違って、生け捕りにするのが仕事だった時期もあるからな」

 感心するように呟くパスマにそう答えて、ゼーヴルムは気絶した男の肩を無造作にはめる。まるで電気を流されたようにびくんっと男の体が跳ね上がった。
 激痛に悶えていた男はやがて涙で潤んだ目を周囲に向けたが、周りにいるのが自分たちが襲い掛かるはずだった標的二人であることに気付いて慌てて起き上がり身を翻す。

 だが、ゼーヴルムは再び男の腕を掴み背中に捻り上げると同時に床に押さえつけた。

「随分と身体が硬い様だな」

 痛みとそれから焦りでバタバタと暴れる男に、ゼーヴルムはぼそりと話しかけた。

「あまり暴れると、また肩が外れるぞ」

 ぎくりと、男の抵抗が弱まった。

「素直に答えれば悪いようにはしない」

 そう前置きした上で、ゼーヴルムは男に詰問した。

「お前たちの拠点、それから“荷”の隠し場所はどこにある」

 その言葉に、パスマはふっと目を細めた。

「そ、それは……っ」

 男は口籠もるが、押さえつけられた腕に力を込められ情ない悲鳴を上げた。

「強情を張ると、痛い思いをしなければならないぞ」
「分かった! 答える、答えるから止めてくれっ」

 男は涙声で叫んだ。

「港だっ。港の倉庫のひとつだ。荷も全部同じ所に隠してある!」
「番地は」

 男はいくつか数字を答えた。

「なるほど」

 ゼーヴルムがぱっと手を離すと、男は素早く立ち上がり逃げ出そうとする。だが出口にたどり着く前にパスマに首筋を打たれ崩れ落ちた。

「……殺しては、いないぞ」
「ああ。分かっている」

 ゼーヴルムは頷いて立ち上がった。

「首謀者の名前は聞かなくて良かったのか」
「こいつらはただの下っ端だ。上の名前は聞かされていない。訊ねるだけ無駄だ。それよりも早く現場を押さえなければ」

 急がなければ逃げられる。
 そう言って素早く身支度を整えるゼーヴルムをパスマはすっと半眼で見つめた。

「随分と勝手が掴めているようだな」
「こうしたことは別に私にとっては初めてではないからな。慣れてないとは言わない。まぁ、もっとも――、」
「禁制の品を扱う密輸団を相手取るのは、初めてか」

 ゼーヴルムはぎょっとパスマに視線を返す。けれど目を見張っていたはほんの僅かのことで、彼はすぐに不敵に口端を吊り上げた。

「……ああ、そうだな」