番外編 「遥かなる友へ」(1)

 


 オレの奴への第一印象は、「なんとまあ暗い目をしてる奴なんだろう」だった。

 だが奴は奴でオレに「なんて軽薄そうな人間なんだ」、という印象を持っていたらしいから、たぶんおあいこでいいんだろう。

 ようするに互いに最初の印象はまったく良くはなかった訳で、となるとオレたちはそのままろくに話しもしないまま遇って別れてもぜんぜんおかしくなかったわけだ。

 だがそんな運命の歯車を操る神に唯一誤算があったとすれば、それはオレが相手に嫌われると逆に構いたくなるという天邪鬼な性格だったということだろう。

 これはお互いにとってかなり幸運なことだったと思うのだが―――、ジェム、お前はどう思う?




      ※    ※    ※




 授業を終えて寮に戻ると、ルームメイトがオレに一通の手紙を差し出してきた。

「ん、なんだ? 恋文か」
「ちげえよっ、ど阿呆」

 オレが訊ねるとルームメイトは心底嫌そうに顔をしかめ怒鳴りつけてきた。
 まったく冗談の通じない奴だ。

「この部屋宛に手紙が着たんだが差出人に覚えがない。お前宛じゃないのか」
「部屋宛? 宛先に名前は書いてないのか」
「ない。部屋番号だけだ」

 オレは首をかしげる。
 そんな差出人不明ならぬ宛先人不明なんてけったいな手紙を送ってくる相手にオレも心当たりなどなかったが、とりあえず受け取ってみる。

 そして裏返して差出人の名前を確認して途端、軽く吹き出した。

「わっ、なんなんだ」
「いや、悪いな。確かにこれはオレ宛の手紙だ」

 思わず苦笑したオレはそう言って手紙を懐に入れる。

「つうかいったい誰からの手紙だったんだ?」

 ルームメイトは興味津々と言った顔で手紙を覗き込もうとするが、オレは懐を手で押さえた。

「別に大したもんじゃない。ただの級友からの手紙だよ」
「級友がわざわざ手紙なんか送るのか。何だか意味深だな。怪しいぞ」
「なぁに、ちょっとした理由があるのさ」

 オレは再びドアノブに手を掛け、入ったばかりの部屋を出る。

「あ、おい。どこ行くんだ」
「盗み見られたりしないところでこっそりと手紙を読むつもり」

 そう言ってオレは廊下を足早に歩き出した。

 懐の中で手紙が存在を主張するたびに、ついついにやけそうになる口元をオレは手で隠す。
 まったく相変わらずの奴だ。呆れちまうやら可笑しいやら。
 しかしよくよく思い返せば、奴との出会いそれ自体も相当けったいなものだった気がするな。
 もうずいぶん前の記憶が脳裏に鮮やかに蘇る。

 あれは確か、オレがこの学院に来てまもなくの頃だ―――、




      ※    ※    ※




「なぁなぁ。あいつ、いったい誰よ?」

 オレは椅子の後ろ足二本でうまくバランスをとりながら後ろの席の奴に尋ねた。
 こいつとはそれほど仲が言い訳じゃないが、まあよく話す級友って奴だ。

 あごでしゃくった先には見知らぬ子供が一人、今まさに席に着こうとしている。
 子供といってもオレとそう年は変わらないわけで、勝手にお子様扱いすれば怒られる可能性は結構高い。
 それでも、周りにいるのが少なくとも五歳は年上の奴らばっかりなので何か特徴を挙げるとすればそう評するのが一番早かった。

 むしろ彼は子供であること以外何も目立った部分が見つからないような超平凡な少年である。人ごみの中で見失ったら十中八九見つからない。
 それでも今この部屋の中にいる子供は、いや、学院中探しても子供はオレとくだんの彼だけなので、この瞬間に限っては素晴らしく目立っていた。

 だが一方オレはそんな彼を目にしたのは今日が初めてなのである。これは確率的にちょっとありえない。

 後ろの席の奴は呆れた顔でオレの名を呼び、深々とため息を吐いた。

「おまえよぉ、とりあえず俺のほうが年上だろうが。敬えとまでは言わないがちょっとは年長者に対する礼儀をわきまえろよ」
「へ? なんでさ」
「何でって、お前…。まあ、いいけどな。お前は途中編入だから会うのは初めてか。あれが噂のリヴィングストーン『閣下』だよ」

 オレはほほう、と目を見開いた。

 『ジェム・リヴィングストーン』。

 名前だけは良く聞いていた。むしろ嫌でも耳に入って来たと言うほうが正しいだろう。
 超難関の北の学院『サチェス神学院』に平均をかなり下回った年齢で編入したオレは、ことあるごとに奴の再来やら第二のジェムなんて呼びかたをされていた。
 だが他人と比較されても面白くも何ともない。むしろかなり不快であったわけだが、実際本人に会ってみると浮かび上がってきたのは、意外なことに『親しみ』の感情のほうが強かった。

「へえ…。あれが名にし負う天才少年ってわけか。ちょっくら声でも掛けてみるかな」

 興味を持ったオレはがたんと椅子を鳴らして立ち上がる。が、それ以上進むことはできなかった。
 何せそのときオレは後ろからがっしりと腕をつかまれていたからだ。

「ん? なによ」
「…やめとけ。あいつには関わらんほうがいい」

 後ろの席の奴は妙に真剣な顔で首を振る。

「なんでさ。もしかしてイジメ? 初等学校みたく皆でシカトこいてんの?」
「あほっ! ちげえよっ」

 顔が苦虫を噛み潰したようにしかめられる。

「あいつは、危険なんだ…」
「もしかして、あんなちっこいなりでこの学院の番格張ってんの?」
「そうじゃねぇ」

 奴はオレの気の利いた冗句にもう怒鳴ることはなく、どこか怯えた目で天才少年を見ている。いや、彼だけではなく教室中がどこかよそよそしい落ち着かない雰囲気だった。

「あいつと親しかった奴らは一人残らず学院から消えちまった。噂では気が狂っただとか半死半生の大怪我を負ったとか色々言われているが原因は不明だ。あいつ自身もついこの間まで入院していたらしい」

 話がいまいちよく分からないが、なにやら訳有りなのは確からしい。

 オレとしては別にそれがどうしたという感じなのだが、皆それなりに苦労をしてこの学院に入学したためだろうか。他人のとばっちりを食らって放校になるのをなによりも恐れているようだった。

 だがオレはそんなことでひるむような人間ではない。

「ふうん、それはますます面白いじゃん」

 にやりと口元に笑みが浮かぶ。オレは級友の制止を無視して悠々と『閣下』に近づいていった。

 

 

 

「よお、ハジメマシテ」

 机に手をつき声を掛けると天才少年はちらりとこちらを見た。しかし、すぐにふいっと顔をそらしてしまう。

(どうも、お呼びでないって感じだなぁ)

 オレはぽりぽりと頭をかいた。どうやら眼中にさえ入れてもらえないらしい。これはなかなかの難関だ。
 だがオレは難関なら難関であるほど燃えるたちなのである。でなきゃこんな学院に入ろうなんて思わないだろう。

「あんたの話だったらよく聞いてるぜ。おかげでなんだが初対面って感じはしないな。馴れ馴れしくて悪いけど、これはオレの性分なんで諦めてくれ。そうそう、オレの名前は―――、」
「タイ」
「へっ?」

 オレは目を丸くする。いやいや、オレの名前は「タイ」じゃないし。

「何で着けてないの?」

 こちらを見ようともせず指先で自分の胸元を示している。ああ、なるほど。オレはようやく納得がいった。

 オレはシャツの第二ボタンまで開いているが、この学院の決まりでは第一ボタンまできっちり閉めてなおかつタイの着用が義務付けられている。

 オレはにやっと笑ってポケットからタイを取り出した。まあ、多少皺が寄っているが気にするようなことでもない。オレ的には。

「ほれ、ちゃんと持っているから大丈夫だ。ようするにうるさそうな教師が来たら見つかる前に締めればいいんだろう?」

 そこらへんはちゃんと考えてあるのだ。
 だが奴は自分から聞いてきたくせににこりともしないで、なおかつこう言い放った。

「ぼくと関わらないほうがいいよ。ぼくも君と馴れ合うつもりはないから」

 そして初めてまともに視線がぶつかる。

「煩わしいから近寄らないで」
「…っ」

 オレはとっさに二の句が継げなかった。

 その目を見た瞬間、感じたのは「虚無」。
 すべてを諦め、疲れ果てたかのような虚ろな眼差しだ。

 まだ十二やそこらのガキんちょが、いったいどんな目に合えばそんな眼差しを持てるようになるのか。
 オレは愕然となった。

「おまっ、それ―――、」

 だが言い出しかけた言葉は鳴り出した鐘の音によって中断させられた。時刻にうるさい教師が鐘の鳴り終わるのと同時に教室に入ってくる。いつも思うのだがあんたはドアの前で待ってんのか?

 オレはちっと舌打ちをして自分の席に戻った。言いたいことは何一つ言えなかったがチャンスだったらまだまだたくさんある。

 教師が出席を取っている間、オレはまた椅子を傾け後ろの席の奴に話しかけた。

「なんだかかなり無愛想な奴だな」
「休む前までは物静かだが人懐っこい奴だったんだぜ。それが今では人が変わったかのような豹変振りだ。いったい何があったんだかな」

 口は疑問の形を取りながらも、実際はべつにどうでもいいような顔で帳面を取り出し始める。
 成績が落ちれば放校だって有り得る学院だ。みんな自分のことで必死ならしい。

 オレは鼻を鳴らして席に着き直した。
 色々と期待に胸を膨らませて入った学院だったが、予想に反してオレはなんともけったいなところに来てしまったようだ。

(とりあえず、授業の内容だけはそれなりに面白いんだがなぁ)

 黒板の前では教師が細かい字で板書をしている。ふいにその手が止まった。

「この公式を誰か―――、」

 教師が生徒を見回す。

「リヴィングストーン、答えなさい」

 別に難しい問題でもなんでもなかった。長らく授業を休んでいた奴に肩慣らしをさせるつもりで指名したのだろう。奴でなくても、教室の誰であろうと楽に解ける問題だった。だが―――、

「…分かりません」

 ざわり。
 教室がどよめいた。誰もが耳を疑う。
 教師ですら愕然とした目で奴を見ていた。
 それは鳴り物入りで学院に入った天才少年にはあってはならない返答だった。

「ごめんなさい。ぼくには、解けません―――、」

 そう言い残して奴は教室を飛び出していった。
 ざわめく教室の中でオレは慌てて席を立つと、奴を追いかけはじめた。

「待てっ、いったいどこに行くつもりだっ」
「便所っス」

 オレの名を呼び引きとめようとする教師をこの一言で黙らせ、オレは廊下をひた走った。