≪黒薔薇狂詩曲≫

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11 蠢く闇

 

「ど、どうしてここに!?」
 驚きを隠せないあたしに、淳哉はきょとんとした顔で首を傾げる。
「ん、俺が来ちゃいけなかった?」
「そ、そういう訳じゃないけど……あたしに関わると一族が怒るんでしょ。それに何か起こって人が集められてるって」
「別に一族が俺らにすることなんて大したことじゃないさ。一番怖いのは母への援助が打ち切られることだったけど、それも変に意地を張らなきゃ何とかなる問題だ」
 そう考えられるようになったのも、君のお陰だけどね。あっさりとそう呟いた淳哉の言葉は、しかしけして皮肉なんかではなかった。どこかこそばゆい気持ちで視線を泳がすあたしに、淳哉は肩をすくめて苦笑した。
「それから術者への招集の件は兄貴が出ている。俺は一族の中でも――特にお偉方にとっては結構どうでもいい存在だからな。逆にこういう時には目立たなくって助かるよ」
 それは自嘲するでも意地を張るでもないどこか飄々とした軽やかなもの言いだったので、あたしはなんとなくほっとした。
「ああ、そうそう。それから俺がここまでこれた理由はもうひとつ」
 淳哉は懐から何かを取り出した。そしてそれをあたしの目の前に差し出す。それは組紐のついた小さな鈴で――、
「スゥちゃん!!」
 小さく揺らされると同時に現れた小さな使い魔を見て、あたしは思わず声を張り上げた。
「しーっ、静かに!」
 淳哉は慌ててあたしの口を押さえる。あたしはこくこくと慌ててうなずいた。
「どうして、スゥちゃん、死んじゃったんじゃ――、」
 そう。確かにスゥちゃんはあたしの目の前で、門真に鈴ごと踏み潰されてしまったはず。
「うん、それにはちょっとばかし君に謝らなきゃいけないことがあるんだ」
 淳哉はどこか落ち着かなさげな素振りを見せた。
「どんな使い魔でも、それぞれ最低ひとつは特殊な能力を持っているって事を、君はもう知っているよね」
 あたしはうなずく。例えば昭仁のインビジブルは主の望んだ物の姿を見えなくするという能力を持っている。
「この使い魔の能力はテレポーテーション。ただし能力の発現と移動先には条件がある」
「条件?」
「そう。自らが宿った呪物に何らかの異変があった時に、母体……簡単に言えば親の所に一瞬で移動できるというものなんだ」
 この使い魔は言ってしまえば電話の子機のようなもの。そして親機である母体はもちろん昭仁が所有している。
 それはすなわち、呪物――ひいてはあたしに異変が起こった時にすぐにそれと分かるような仕組みができていたということである。
「なにそれ、ひどい! あたしに言わずに勝手に!」
「だからごめんって。でも俺らは心配だったんだよ。四ノ宮に君の存在がばれるまでの猶予はどうせ限られていただろうけど、それでも結果的に一族に最初に関わらせたのは俺らだもの」
 淳哉は辛そうに顔を歪め、苦笑した。
「ただでさえ君には負い目があるのにさ」
「えっ?」
 あたしは顔をあげるが、淳哉は首を振った。
「とりあえずどうにかしてここから出なきゃな。だけど三吉埜の門真か――。俺はあんまり相性が良くないんだよな」
「相性……?」
 性格が合わないということなのかと思えば、どうやらそれは能力的な相性を指すらしい。
 四ノ宮の一族が有している四種類の異能――『幻術』『炎術』『使役』『予見』の力。四ノ宮の血統に生まれついたものは、多かれ少なかれこのどれかの能力を持っている。それは烏有創玄という、一族の始祖の力を受け継いでいるからだそうだ。
 門真の持つ四ノ宮の能力は『幻術』。幻を作り出し、人を惑わし、ひいては人の意識までも自由に操ることができる力。
 そうした『幻術』の力は、特に『炎術』の能力者にとってはなかなかやっかいなものであるらしい。
「じゃんけんなんかと一緒。一族の持つ能力は互いにそれぞれ得手苦手があるの」
 淳哉はそう分かりやすいたとえをあげてくれる。
 そのうえ門真の『幻術』の能力は、子供ながらに一族の中でも特に優秀な方であるようだ。
 そんなことを説明しながら淳哉はあたしの縄を解いてくれた。あれだけ頑丈に結わかれていると思ったのに、淳哉の手に掛かるとするするとあっという間にほどけていった。
「もしかすると――そういう趣味あるの?」
 ふと思い立ってそうたずねた途端、すごい勢いで淳哉が吹き出した。
「ちょ、ちょっとやめてよ。そういう変な誤解するのは!! 俺はノーマル!」
「いや、ただ単にアウトドアとか好きなのかなと思ったんだけど……」
 ボート遊びやキャンプではロープ張りの技術が必須項目らしいから。うろ覚えの知識でそう思ったのだけど、それとももっと専門の娯楽があるのだろうか。
「なんか自分がすごい汚れた人間に思えた……」
 淳哉は顔を真っ赤にして肩を落としていた。
「とりあえず、気を取り直して外に出よう。後のことはそれから――、」
 そう言いつつドアノブに手を掛けた淳哉だったが、その途端険しく顔をしかめた。
「――しまった。また兄貴にどやされる……」
「えっ」
「これは、――罠だ」
 呟くと同時に、淳哉はいきなりあたしを横抱きに抱えて大きく飛びずさった。脇腹に強い圧迫感を感じ、あたしは思わず「ぐげっ」とカエルのように呻く。……何だか最近こんなのばっかりだ。
 扉が音をたてて開く。
 しかし勢いはあれど開け放たれた扉の向こうには誰もいなかった。拍子抜けするも、その思いはぞわり粟立つ肌の感覚に掻き消される。
 ――闇が、蠢いていた。
 扉の向こうは明かりが灯っていない所為で、深い暗闇が凝っている。そこで見えない何かが、いや、むしろ闇そのものが蠢いている。
 あたしを庇う淳哉の腕にはひどい緊張感があった。あたしもそれにつられるようにごくりと息を呑む。
 けれどその気配はまるで何かに断ち切られたかのように唐突に消えた。あたしはぎょっとしたけれど、それに続いて二人の少年が姿を現した。

 
 


 少年たち――門真と英梨は、部屋の中にいた淳哉を見てあからさまに肩を落とした。
「なんだ。せっかく網に何かが掛かったと思ったら、火鼠一匹か」
「どうせだから毛でも織って衣でも作ってみろよ。かぐや姫にも喜ばれるぜ」
 どうやら本心からがっかりしているらしい門真に、淳哉は挑戦的に問い掛ける。だけどまだその目には緊張が残っている。たぶん先程の気配を警戒しているんだろう。
 ……と言うか、どうしてここで『竹取物語』なんかもって来るんだろう。
「残念だが、お前なんかを相手にできるほど暇じゃない。邪魔をするな」
 そう言って二人は暗い廊下からこの部屋へと入ってくる。淳哉の挑発を軽くいなす門真であるが、しかし淳哉は手に炎を纏わせさらに言った。
「そんな事いうなよ、お坊っちゃん方。少しこのお兄さんに付き合っておくれ」
 お坊っちゃん、というあからさまな侮りの言葉に門真はさっと目に怒気を宿らせた。しかしすぐにその表情は冷笑に変わる。
「……必死だな、ニノ錘傍流の末。罪滅ぼしとは言え、そこまで忠義を尽くす姿勢には感心するよ」
「罪滅ぼし……」
 その言葉にふいに気にかかり、あたしは顔をあげる。門真はとたんに嘲るような嫌な笑みを浮かべた。
「なんだ。やっぱり姫さまは教えて貰っていないようだな。どうにもこいつらに懐いていると思ったが、知らないようなら当然か」
 はっと淳哉の顔色が変わった。
「待て、門真っ」
「いいぜ、ならば俺が教えてやるぜ」
 淳哉の制止を聞き流し、門真はあたしを見る。 いったい何のことかさっぱり分からないあたしには、それが嫌ともいいとも言えなかった。
 門真は片目を眇め、にやりと笑った。
「あんたの父親を殺したのは、今あんたの目の前にいる――この兄弟だ」
「――えっ……」
 あたしはびっくりして淳哉に目をやる。
「でも、だって……直接手を下したわけじゃないって言ってたじゃない。一族の人間が、不可抗力でって――、」
 あたしは以前この別荘に来たときに聞いた、淳哉と昭仁の言葉を思い返す。彼らは確かに、自分たちが殺したのではないのだと――。
 しかし淳哉はバツが悪そうに、あたしから目を逸らし俯いていた。それはどんな言葉にも勝る肯定の印だった。
「直接殺してはいないけど、間接的には殺している。前の後継者の死の原因を作ったのは、間違いなくお前たちだろう」
 違うのか、と愉悦を含ませ問い掛ける言葉に、淳哉はぱっと顔をあげて弁明を試みる。
「だけど、あれはっ――、」
 淳哉の顔が凍りついた。いや、顔だけじゃない。その全身がビデオの停止ボタンでも押したかのように不自然に、ぴくりとも動かなくなった。
 ただその目だけが途方もない焦燥を周囲に伝えている。
 そして次の瞬間、淳哉の顔色がさらに変わった。まるで、死人でも見たかのように青ざめている。
 その視線の先を追うと、まるで陽炎のように空気が歪んでいる。あたしにはただそれだけに見える空間だけれど、淳哉の目は別の何かを映していた。
「――おじさ……」
 淳哉の唇がわずかに戦慄くように動く。
「認めろよ。お前が殺したんだ」
 目に鋭い光を宿した門真がぱちんと指を鳴らす。次の瞬間。淳哉の身体は、まるで彫像が倒れるように床に倒れ伏したのである。  

 

 

 

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