≪黒薔薇狂詩曲≫

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13 夜の森の狩人たち

 

 唯一の出入り口である扉には当然鍵が掛かっていた。
 もっともそれも淳哉にとってはさしたる問題では無いらしくて、具体的に言えば蝶つがいを炎の熱で溶かして扉を外してくれた。
 何とも便利な能力だとあたしは感心するけれど、当の淳哉は何故だか浮かない顔だった。
「むしろ問題なのは、壊してしまったものを如何に修理するかということなんだよな。ほら、俺らこの別荘の管理人じゃん。自分で壊したものを自分で直すほど、虚しい事もないと言うか……」
「淳哉さんたちは本当にこの別荘の管理人だったの?」
 部屋を出て、暗い廊下を抜けると屋敷の中はまるで真昼のような明るさだった。
 浩々と明かりのついた廊下を抜けながら、ぼそぼそとあたしは彼に尋ねる。
「そうだよ。千草バアちゃんに直々に任命されてね」
 千草バアちゃん――淳哉の口からよく聞くこの名前が、遺産相続人に自分を指名した大叔母であることをあたしは覚えていた。もっとも実際にはどういった繋がりで、どんな人なのかということはさっぱりなのだけれど。
「バアちゃんは四ノ宮の現当主の妹だよ。そして俺ら兄弟の理解者で庇護者だった。――たぶん一族のお偉方の中では、唯一まともな人間だったんじゃないかなぁ」
 淳哉の口調からは、溢れんばかりの親愛の情が滲み出ている。
「俺らを孫のように可愛がってくれてね、最後にはチャンスを与えるために俺らを管理人にした上であんな遺言状まで残してくれた。……ねぇ、美鈴ちゃん。できればさ、やっぱりこの別荘貰ってくれない?」
「えっ!?」
 突然のことにあたしはぎょっと目を見開いた。
「千草バアちゃんはね、怜一さんが唯四ノ宮の一族の中で一気を許していた相手なんだ。だから怜一さんは、バアちゃんだけには居所を教えていたりもしたんだよ」
「えっ、そうなの!?」
「当たり前だろう。じゃなかったらどうして君のところにあんな遺言状が行ったと思ってるのさ」
 なるほど。とあたしは納得する。
 確かに一族は先日の別荘での騒ぎが起きるまで、あたしの所在を掴んではいなかった。逆に言えば、その千草さんがこれまで情報を伏せていてくれたのだ。
 だとしたら父と大叔母はかなり仲が良かったんだろうし、それは感謝すべきことなのだろうけど、……だったらどうして最後まで黙っていてくれなかったのだろうか。
「あ、それは俺らのため」
 淳哉が申し訳なさそうにそっと手を上げ自己申告する。
「俺らが一族の誰よりも早く君に接触できるように、バアちゃんが気を利かせてくれたんだ」
 つまり四ノ宮でも不遇な目に会っていた彼らに最後のチャンスを与えるために、あるいは贖罪の機会を与えようと、あんな遺言状を製作したということなのだ。
 ……本当に愛情深い人だったんだと思いつつも、それでもやっぱり余計な事はしないで欲しかったと思ってしまうのは不可抗力だと思いたい。


「しっかし、やたらめったら明かりがついてるな」
 廊下から部屋から、屋敷のありとあらゆる場所に電灯が付けられていた。それが壊れている場所に至っては、どうやら自分たちで用意したらしい灯りまでつけられている。
「暗い場所にいるのが怖かったんじゃないの?」
 あたしも小さい頃一人で留守番するのが怖くって、家中の明かりを点けて回った記憶がある。
 いくらやることなすこととんでもないからと言っても、彼らはまだ十代始めの小学生なのだ。
「そうかねぇ。そんな可愛げのある奴らだとも思えないんだけど……」
「ねぇ、門真君っていったいどういう子なの?」
 訝しげに首を傾げていた淳哉にあたしは尋ねた。
 英梨については短い間であっても一応差し向かいで会話をしている。だからその人となりや性格は何となくだけれど掴めていた。
 だけど門真とはほとんど話をすることもできず、いったいどんな子なのかもさっぱり分かっていない状況だ。
「もともと彼はこういう事をしでかしそうな雰囲気だったの?」
 あたしの問に淳哉は腕を組み、そして首を傾げた。
「うーん。しそうと言えばしそう。しなさそうと言えばしなさそうって感じかな」
「……それ、すごい有効範囲の広い答えね」
 むしろそれはまったく知らないと言っても過言では無いのではないだろうか。
「いやはや、確かに否定はできません」
 淳哉はお道化るように手を広げ、首をすくめる。
「だって俺はこれまで一族にほとんど興味を持ってなかったからさ。門真の人柄とか言われても思いつくことがほとんどないんだよ」
「自分の親戚なのに?」
「自分の親戚なんだけどね」
 そう言って飄々と、しかしどこか申し訳なさそうに苦笑する。 それは道理に反するとは知りながらも、ままならない自分の感情に対する自嘲の笑み。皮肉なことにそれは、あたしにとっても十分馴染みのあるものだった。
 他ならぬ父に対する自分の感情を思い出したあたしは思わず黙り込むけれど、それでも淳哉は知っている限りのことをあたしに答えてくれた。
「門真は三吉埜(みよしの)の家長の跡取り息子だよ」
 一杜瀬(いちとせ)ニノ錘(にのすい)、三吉埜、五津辻(いつつじ)と、四ノ宮の中において主だった四つの分家。今やほとんど有名無実となった本家の代わりに一族を取り仕切っているのが彼らである。それはすなわち一族内のほとんど中枢にいると言ってもいいだろう。
「その跡継ぎということで、門真は結構特別扱いとかも受けていたな。分家の家長クラスが集う会合にも、時には父親の代理として顔を見せることもあったみたいだし」
 門真はまだ子供だけど、三吉埜は一杜瀬に及ばないながらも、かなりの血統至上主義だからね。そう言って淳哉は肩をすくめる。
「じゃあ要するに――、彼は大人にちやほやされて勘違いしちゃったガキってことなの?」
 周りの大人に寄ってたかって煽てあげられたことで、自分の力を過信してしまったのだろうか。
 あたしは何となくそんなお決まりのパターンを思い浮かべたのだけれど、それを聞いた途端淳哉はものすごい勢いで吹き出した。状況が許せば声を大にして笑い出したいくらいなのだろうけど、今は飽くまで逃亡の最中。必死で笑いを噛み殺しており、それが逆に苦しそうだった。
「うわぁ、美鈴ちゃんも容赦ないね。まぁ、門真がちやほやされていたのは、確かに事実だね」
 どうにか笑いの発作をやり過ごし、淳哉はもったいぶったようにうなずく。
「だけどそれを彼が良しとしていたかどうかはまた別じゃないかな。たまに見かけた中での印象でしかないけど、あいつはプライドが高い分、潔癖そうでもあったからな。むしろあんなにテンパリ始めたのだって、ここ最近な気も……」
 よし、とつぶやいて淳哉が廊下の途中の部屋に入り込む。ずかずかと壁際まで近寄り、窓を開けた。
「とりあえずここから外に出よう」
 淳哉がまず外に出て、あたしを抱きかかえて地面に下ろしてくれる。
「しばらく行った所にうちの車があるから、そこまで頑張ってな」
 窓の下の植え込みを無理やり踏み越え、(途中苦渋の呻き声が聞こえた。たぶんここの手入れも彼らの仕事なんだろう)あたしたちは庭へ降り立つ。ちょうど屋敷の側面に当たる部分だ。
 そこを真っ直ぐ抜ければ森に入る。そうすればこの暗闇だ。追ってもそうそう見つけることはできないだろう。
 しかし一息に森に飛び込もうと庭に足を踏み入れた途端、屋敷から照射されたライトの明かりが背後からあたしたちに浴びせられた。


「――さて、貴様らはいったいどこへ行こうというのかな」
「……まったく、ついてないな。子供はもうネンネの時間だぜ」
 口調だけは軽薄に、しかし表情はあくまで厳しいままに淳哉はライトを正面から浴びる門真と英梨を睨みつけた。
「貴様の挙動には興味はない。だが長姫を連れて行くのはやめてもらおうか」
「それを決めるのは美鈴ちゃんだ。だいたいお前らは、自分たちがしていることが、子供のおいたじゃ済まされないと理解しているのか」
「罪悪感から日和ったお前には何も言う権利はない」
 第一、と門真はあたしを睨みつける。
「お前が意地を張らずに鬼神を呼べば、これほど面倒なことにはならなかったんだ」
「いやよ、あたしは絶対に呼ばないんだから」
「じゃあ、どうしても呼びたくなるようにしてやろうか」
 門真の目が、ぎんと鋭さを増す。
 はっと顔色を変えた淳哉があたしを突き飛ばした。
 淳哉は片膝を着いた姿勢のまま、再びぴくりとも動かなくなる。
「淳哉さん!!?」
 あたしは慌てて彼に駆け寄ろうとしたけれど、ぴくりともしない眼差しのまま淳哉の目が悪戯っぽく光った。
 そして次の瞬間、巨大な火柱が立ち上がった。
 轟、と燃え盛る炎はしかしあたしや淳哉はもちろんのこと、門真や英梨に対してもかすりもしなかった。
 その炎は二人の少年の背後で、ふいに目も眩むほどの爆発的な閃光を放つ。
 ごろりと転がるようにして、淳哉が立ち上がった。
「残念だけど、ネタはもう割れてるんだよ」
 にやりと、口の端を吊り上げる。
「今のは門真の幻術じゃない。たぶん、英梨。お前の攻撃だろう」
 あたしはぎょっとして英梨を見た。彼はびくっと怯えたような表情で門真の陰に隠れる。
「お前は確か『使役』の能力者だったな。さしずめお前の使う妖魔の特殊能力か」
「へえ、よく気付いたじゃないか」
 しれっと言う門真に、淳哉は楽しそうに、しかし目つきだけは鋭く答える。
「たぶん影に関係する能力だろう」
 門真が一歩英梨から離れる。瑛梨の足元の地面に、ぽちゃんと波紋が生まれた。そしてそこから一匹の漆黒の魚が瑛梨の傍に寄り添った。
「正解。『月影』は英梨の使役する妖魔さ。影を喰らうことで対象の動きを止める」
 あたしははっと気が付いた。どうしてこの屋敷中、あんなに明かりが浩々と照っていたのか。
 それはこの闇夜の中でも確実に影を生じさせるため。場合によっては影を通してあたしたちをずっと監視していたのかも知れない。
「どうしてあんた自身が術を使わないんだい」
「お前みたいな三下に使ってやるのが勿体無くてな」
 門真は残酷な王様のように嘲笑う。
「へぇ、それはそれは大きく出たもんだな。だったらぜひとも、年長者に対する敬意の表わし方を思い出させてやらくちゃね」
 不敵に笑った淳哉は指を複雑に絡め、手印を結ぶ。
「《貴封(きふう)冠代(かんたい)涼白(すずしろ)天鉦(あまがね)》」
 聞き覚えのあるその呪文に、あたしははっとした。
「《朱紡(しゅほう)切々せつせつにして、今請い願う》」
 淳哉はにやりと笑むと、最後の一節を唱えた。
「《急急と律令の如く、招来、鳳凰陣っ!!》」
 轟っ、といっきに五本もの炎の柱が二人の少年を取り囲むように立ち上がる。
(お、大人気ないっ)
 あたしは思わずひくりと頬を引きつらせる。
 それは以前彼が常盤闇の鬼神を倒すために使った、最強の切り札。相方である兄の昭仁がいないため、火柱は消えずに見えているが、それでも年下の子供に使うような術では無いのじゃないだろうか。それとも淳哉にとっては、それだけ門真は油断できない相手ということか。
「ふはははは。さあて餓鬼ども、ここは素直に謝っときな。そしたら今ならお尻ペンペンぐらいで許してやるよ」
 ――むしろなんだかどこぞのチンピラかと言うような物言いに、あたしはがっくりと肩を落とした。
 轟々と燃え盛る炎に取り込まれ、英梨は怯えたような表情で門真の陰に隠れる。門真もさすがに額にじっとりと汗を滲ませてはいたけれど、それでもそこに浮かぶのは不敵な表情だった。
「それがあんたの全力か? だからあんたは三下なんだよ。半端者」
 そして門真は英梨を促す。英梨ははっと気付いたように、両腕を大きく広げてぱんと高らかに手を打った。それに合わせたように、門真がぱちんと小さく指を鳴らす。
 あたしの目に映ったのはただそれだけ。しかし淳哉は驚愕も顕わに、声を漏らした。
「な……っ! 炎が消えた!!?」
 淳哉の言葉に従うように、轟々と燃え盛っていた火柱が消失する。
今のを見たか(・・・・・・)?」
 得意げな響きすら持って、門真は淳哉に笑いかける。
「まさかっ、そんなはずがない……っ」
 ぐっと歯を食い縛る淳哉だけれど、そこには明らかに焦燥の色が濃く滲み出ている。
「俺の炎がこんな餓鬼どもにかき消されるわけが……!」
 彼は三連の火球を続けざまに放つ。英梨と門真は再び互いに目配せをし、手を鳴らす。淳哉が舌打ちをするのと同時に、火は消えうせた。
 さすがの淳哉も彼ら二人の前には打つすべがないように見える。もっとも、あたしは彼らのやり取りに微細な違和感を覚えていた。
(何かが、おかしい……?)
 あたしはまじまじと二組の異能力者の攻防を見ていたけれど、こういうことに関して素人も同然のあたしに何かが判るわけもない。むしろ――、
「……あたま、痛い」
 あたしは思わず額を手で押さえ、呟きを落とす。これは比喩的な意味ではなく、実際に鈍い疼痛が目の奥から脳天にかけてじわじわと広がってくるのだ。
 鋭く刺すような痛みでは無いけれど、脈拍にあわせて重く圧し掛かるような頭痛。感覚としては目を酷使し過ぎた時に起こる、偏頭痛にも近い。けれど、どうして今頃になって突然――、
「くそうっ!!」
 忌々しげな淳哉の悪態にあたしははっと顔をあげた。淳哉は口惜しげに地面を蹴り飛ばしている。
 確かに自分の頼みの力がことごとく無力化されれば、自棄になりたくなるのも無理はないだろう。
「……ふん、やっぱりな。二ノ錘傍流と言えど、所詮たいした事はないじゃないか。俺の方がよほど優れている」
 鼻持ちならない傲慢な言葉にきっと淳哉は門真を睨みつける。しかしその言葉、今に限っては誰かに聞かせるものはなく、気づかぬ間にこぼれた独白であるようだった。
 もっともそれでも腹立たしいことには変わりない。きつく自分を睨みつける淳哉に気付いた門真は、鼻を鳴らして口角を吊り上げた。
「一族の爺どもはいったい何を恐れていたのやらな。所詮こいつは半端者、外の血を引く一族の恥じゃないか」
「……そうやって油断していると、後ろからガブリと噛み付かれるかもしれないぜ」
 びくりと英梨が背後を気にする。しかし苦虫を噛み潰したような顔の淳哉に言われても、門真はただ嘲笑うだけだった。
「その言葉、まるきりお前に返してやるよ。――そう、尻を叩かれ、お仕置きされるのはお前の方だろう?」
 蝶の羽を毟る子供のような、どこか残酷で暗い笑みを浮かべ、門真はぱちんと指を鳴らす。
 ふいに、門真の周囲の空気が歪んで揺らめいた。
 それは確かに春に見る自然現象に似ているけれど、明らかに陽炎なんかでは無い。異質なタイミングで現れたそれは、あたしの目には単なる空気の揺らぎにしか見えなかった。
 けれど、――淳哉にはそうではなかった。
 淳哉は真っ白に色をなくした顔で、怯えたように一歩後ずさる。
「お、おじさ――、」
 震える淳哉の唇が、うわ言のようにひとつの単語を紡ぎ出す。
ねぇ(・・)どうして殺したの(・・・・・・・・)?」
 びくんと、淳哉の肩がはねた。
 もしかすると彼の耳には、門真の声も別の誰かのものに聞こえているのかも知れない。
なぜ平気な顔でそこに立てているの(・・・・・・・・・・・・・・・・)?」
「ち、違――、」
 真っ青に震えながら、さらに淳哉は後ろに下がる。
 ぺろりと唇を舐める門真は、彼を嬲る事が愉しくて仕方が無いとばかりに、ゆっくりと言葉を紡いだ。
人殺しの癖に(・・・・・・)
「――――っっ!!」
 くしゃりと淳哉の顔が歪む。彼は頭を抱えると、声にならない悲鳴を上げ――、
「やめなさいっ!!」
 ぱぁんっと、風船が割れるような音がした。
 同時にぴきっと頭の中で何かが軋み、鋭い頭痛があたしを襲う。それでもあたしはそれを無視して、門真を厳しく睨みつけた。門真はぎょっとした表情であたしを見ている。
「それ以上、死者を冒涜することはやめなさい。子供でもしていいことと悪いことの区別ぐらいつくでしょうっ」
 幻術使いの門真がしたこと。
 あたしの目には映っていないけれど、それでも予測だけは簡単についた。
 門真は淳哉に、あたしの父親――四ノ宮怜一の幻を見せたのだ。
 彼の口から直接聞いた、淳哉たち兄弟の心の奥底に根付く傷。 そこに塩を塗りこむような真似をされたら、誰だって平静でいられる訳がない。
 そのうえ死者の姿を使い、さも当人の言葉のように騙るとは、これほど他者の心を踏みにじる技もないだろう。
「ねぇ、しっかりしてよ」
 あたしは淳哉の肩を揺さぶる。
「……美鈴、ちゃん」
 まだどこか焦点の合わない目をしている淳哉の頬を、あたしは思いっきり張り飛ばした。すぱーんっと我ながら小気味良い音が辺りに響く。
「しっかりしなさいよっ。怜一って人が、あんな事を言うような人間じゃないって事は、あたしよりもあなたの方が良く知ってることでしょう!」
 淳哉がぱちくりと瞬きをする。かなり驚いたらしく、瞳孔が開いていたけれど、それでも徐々に焦点は定まってきた。
「あの子達に、あんな術なんか使っちゃ駄目だって、しっかり分からせてあげて」
 残念ながらあたしをここまで憤らせたのは、門真があたしの父の姿を使ったからではなく、死者の姿を騙り利用するような卑劣な術それ自体だった。 やはりあたしの心は、父に対して冷淡な態度しか取れない。だけどそんな懊悩は胸の奥に押し込めて、あたしは自分が気付いた事をそっと淳哉に耳打ちした。
「さっき炎が消えたこと、やっぱりおかしいと思うの」

 

 

 

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