≪黒薔薇狂詩曲≫

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17 面影は踏みにじられ

 

「ルードヴィッヒ」
 門真が噛みしめるように魔性の名を口にする。
 向けられた背中からは、彼がいったいどんな表情をしているのかは分からない。しかし振り返ったままルードヴィッヒはぴくりとも動こうとはしなかった。
「ルードヴィッヒ、動くんじゃない」
 その上でさらに制止の命令を掛け、門真は懐から呪札を取り出す。
 危ない、あたしはルードヴィッヒにそう呼びかけなければいけなかった。なのに何故か咽喉は凍りついたまま。あたしの視線はルードヴィッヒの背中、そしてそのさらに向こうの、あたしの目にはただの陽炎にしか見えない空気の揺らぎに釘付けにされていた。
 にやりと門真の顔が勝利の歓喜に歪んだ。
「ほら、やはり俺のほうが優れている」
 門真は手にした呪札をルードヴィッヒに向かって投げつける。ルードヴィッヒは何もできず、ただ呆然と立ち尽くしているしか出来ないように見えた。しかし――、
「……ふん、小賢しい」
 唐突に、魔性は手を打ち振るった。
「貴様ごときに、余の名を口にする権利は与えておらん!」
 その瞬間、ドゥンっと腹に響く音をたてて、幻ごと門真の身体は勢いよく吹き飛ばされた。慌てた英梨がその身体を支えようとするが、二人して転がるように地面に叩きつけられる。
「る、ルードヴィッヒっ!」
 あたしはようやく奴の名前を呼び、その傍に駆け寄った。
「な、何故だっ!」
 同じくしてどうにか地面から身体を起こした門真は、青ざめた顔で漆黒の魔性睨みつける。
「俺の幻術は確かに通用したはずだっ」
「ああ、確かに貴様の幻は良くできておったぞ」
 思いがけない賞賛の言葉。
 あたしはルードヴィッヒの傍らに立って、その顔を見上げる。
「だが、残念であったな。あれはもはや今生には存在せぬ。それを誰よりも知っているのは、他ならぬ余だ」
 ルードヴィッヒは笑みを浮かべた。
「何しろあれの死に際は余が看取った。あれは――余の腕の中で息絶えたゆえに、な」
 その時の表情を、あたしはいったいどう表現すればよいのだろうか。自嘲するように顔をしかめつつも、痛みと悲しみに満ちた笑み。それはいつもの傲慢な魔性からは程遠く、むしろただの一人の傷付いた青年のようで――、
「違う違うっ! こんなはずがない……っ!」
 耳を貫く悲鳴に、あたしは自分の思考を遮られてはっと視線を向ける。その先では門真もまた唖然とした表情を向けていた。
「門真は、門真は絶対に負けたりしないんだっ。門真は何時だって凛々しくて強くって――、」
 英梨は肩を怒らせ仁王立ちになり、まるで駄々を捏ねる子供のように声を張り上げている。
「だって門真は人の何倍も努力してたのに。人の見てないときだってずっと頑張ってたのに。それなのに、それなのにこんな結末だなんて――、」
「英梨君……」
 あたしは掛ける言葉を失い、ただぼうぜんと彼を見ているしかできなかった。
 英梨はぐいっと涙を拭い、顔を上げる。
「僕はそんなの絶対に認めないっ」
 ――どくん、と何の前触れもなくあたしの心臓が鳴り打った。
 嫌な汗がじっとりと背中を湿らせていく。
 早まる鼓動。足は小刻みに震え、今すぐにでも走って逃げ出したくなる衝動が起こる。
 それはこれまであたしが感じてきた中でも飛びきり最悪な――嫌な予感。
「だ、駄目っ! 英梨君、早まらないでっ!!」
 あたしはとっさに声を張り上げて叫ぶ。
 英梨は自らの足元に落ちた影に腕を差し入れる。そこでようやくルードヴィッヒも不穏な気配に気がついたようだった。
「小僧! 貴様、影の中に何を隠しておる!」
 しかし英梨は躊躇なく影から腕を引き抜く。蠢く闇の気配が爆発的に膨れ上がった。 あたしも、淳哉たちも、そしてルードヴィッヒまでも身を硬く緊張させた。だけど――、
「うおおっと、危ねえ危ねえ」
 何とも呑気な声が聞こえたかと思うと、いきなり英梨は地面に崩れ落ちた。その手のうちから何かがころころと転がっていく。
「英梨っ」
 門真が慌てて英梨の傍らに駆け付け、抱き寄せる。
「ああ、大丈夫だ。単に気絶させただけだから。しかしこりゃまた危ない所だったみたいだなぁ、皆さん方」
「ら、ランっ!!?」
 突然の思いがけない人物の登場に、あたしは目をまん丸にした。瑛梨の首に手刀を当てて昏倒させた狼人は、あたしに向かって「よおっ」と気さくに手を振ってみせる。
「お姫さんも無事なようで良かったなぁ。つうかよ、大将。いくらなんでも酷いじゃねぇか。お姫さん探すって、あんだけ人のこと扱き使っておいて、気配捉えたら自分だけとっとと飛んで行っちまうなんてさ」
 ランは「さすがにそりゃないだろう」と渋面を作るが、ルードヴィッヒはそ知らぬ顔で全面無視を決め込んでいた。
「い、今のは……」
 ランの突然の登場もそうだけれど、淳哉はいきなり膨れ上がった不穏な気配がやはり唐突に消えたことに唖然としている。
 一方昭仁は何かピンと来たようで、はっと倒れた英梨に注目する。
「あれはまさか、一族が保管していた封印の――、」
 いったい昭仁が何に気がついたのか。それはあたしも非常に気になったものの、とりあえずあたしはこの機会を逃さずそのまま真っ直ぐに門真のほうへ歩いていった。
「な、何だよ……」
 英梨の傍らの地面に座り込んだまま、あたしをきっと睨みつけてくる。そんな門真の頭上に向けて、あたしは思いっきり拳を振り下ろした。
「うはぁ、拳骨かよ」
 痛そ〜、と後ろからランの囃し立ててるのか同情してるのか判別つきかねる声が聞こえてくる。が、今は無視する。
「い、いきなり何をす――、」
「反省しなさいっ」
 涙目であたしに文句を言おうとした門真は、腹から放ったあたしの一言にびくんと肩を震わせた。
「あなたは自分がいったい何をしたか、ちゃんと分かってるの?」
「俺はただ常盤闇の鬼神と戦おうと――、」
「そういう事じゃないわ」
 あたしは首を振った。
「あなたがした一番悪いことはね、自分の企みに英梨君を巻き込んだことよ」
 門真は戸惑ったように気絶している英梨を見て、それから不貞腐れたように視線を逸らす。
「だけどあれは、英梨の方から手伝うって」
「ええ、英梨君は確かに自分からそう言ったんだわ」
 それに関しては何よりも英梨君を唆したあたしにこそ責任はある。それはもちろんけして否定しないし、罪は潔く受け入れよう。
 だけどそれでもあたしは、門真に言っておかなければならないことがあった。
「英梨君はね、あなたを信頼していたからそう言ったの。なのにあなたはそれを裏切ったんだわ」
 あたしは英梨の言葉を思い出す。
 門真の手助けをするって決めたから――。
 そう答えた時の、英梨の苦しそうな表情。自分が信じる正しさと、門真への思いに引き裂かれ、傷付いた顔。
「あなたは純粋に自分を慕っていた英梨君を利用して、悪事の片棒を担がせて、何よりも危険な目に合わせたの。そのことに対して何も感じないのっ?」
「だって――っ!」
 門真は悲鳴を上げるように声を張り上げ、そして気まずそうに視線を逸らす。
「そこまでして三吉埜の跡継ぎとしての立場を守りたかったの!?」
「違うっ! そんなのは別にどうだっていいんだっ」
 予想外に毅然とした否定の声を、あたしは意外に感じる。門真は涙を堪えて潤んだ目で、あたしをしっかりと睨みつけていた。
「親父が俺に後を継がせないと考えるのは仕方が無いんだ。だって俺は正妻の子じゃない。自分の立場は弁えているっ。だけどっ」
 門真はぎゅっと泣きそうに顔をしかめる。
「嫡男じゃなくなったら、俺には何の価値も無いじゃないかっ。親父の息子だって、三吉埜の長子だなんて胸を張って言えなくなる。だから俺は、自分で自分に価値を与えなきゃって――、」
「……そうなの」
 あたしは彼の言葉を遮るように、門真の頭を抱きこんだ。
「分かった、もういいわ」
 ぎゅっと門真を抱きしめる。門真はびっくりしたように身を硬くした。
 あたしはようやく自分の勘違いに気がついた。
 どうして門真があれだけ手柄に拘ったのか。
 それは功名心に逸ってだとか、嫡男としての立場を失いたくないだとか、そういったものじゃなかった。
 彼も英梨君と同じだ。
 自分の意志ではどうにもならない家柄や血筋なんていうものによって侮られる一族。そこでこれまで自分の拠り所であった立場をあっさりと失いかけて、そのうえきっと学校でだって孤立をしていて――、
(彼は、自分に自信が持ちたかったんだ……)
 自分の価値を見失いかけて、どうすればいいのか分からなくって。
 高いプライドが邪魔をして、不安を誰かに打ち明けることもできなくって。
 自棄自暴になってもいただろう。
 頑なに凝り固まってもいただろう。
 だけどそれでもただ萎縮するでもなく、何をすればいいのか自分なりに考えて行動に移した結果がこれだったのだ。
「頑張ったわね」
 あたしの言葉に、門真はきっと顔をあげてあたしを睨みつける。きっと馬鹿にされたとでも思ったんだろう。だからあたしはぽこんともう一度彼の頭を叩く。
「もちろん門真君のした事は、けして認められることじゃないわよ」
 何しろ未成年者誘拐に、拉致監禁だ。まかり間違っても小学生のするようなことではない。
「だけどあなたは自分のできる事を、精一杯考えてしたんでしょう」
 門真は力なく俯き、小さく頷く。
「だったらついでにもうひとつ、覚えておきなさい。例え一族があなたを見下しても、学校の友達が馬鹿にしても、門真君にはもうすでに門真君の価値をちゃんと認めて、見てくれている人がいるじゃない」
 あたしは二人の前にしゃがみこんで、意識を失ったままの英梨の頭を撫ぜる。
(だって門真は人の何倍も努力してたのに。人の見てないときだってずっと頑張ってたのに――、)
 あたしは悲鳴のような英梨の言葉を思い返した。
 誰かが自分を見ていてくれている。それを知っているというだけで、不安は何倍も薄れる。それだけで人は救われることがあるのだ。
「あれだけ自分のために一生懸命になってくれる人がいて、それ以上にいったい何を望むって言うの?」
 きっと今回のことで、門真を急きたてていた不安はいくぶんか和らぐだろ。
 でもそれは、自分には何もできないと嘆きつつも、いつもそばにいて彼を見守り続けていた瑛梨の手柄だ。
 その英梨だって本当は、あんな力になんて頼らなくてもただ門真が気付くまで待ち続けていれば良かったのだ。きっと門真は自然と自分を本当に見てくれている誰かがいることを気づくことができたはずだ。
「……俺が言うのもなんだけど、本当に美鈴ちゃんって心が広いよな」
 唖然としたように呟く淳哉を、あたしはきっと睨みつける。
「大体今回の件に関してはね、四ノ宮の責任が重いのよ。あんたたち一族は、子供にいったいどんな教育をしているのよ」
「はい。それに関しては一切返す言葉はありません」
 全面降伏と言わんばかりに両手を掲げる淳哉を呆れた目で見る。
 その時呟きにも似た声が聞こえてきて、あたしは振り返る。そして思わず笑みを浮かべた。
(ごめんなさい……)
 小さく囁いた門真の頭を、あたしはもう一度ぎゅっと抱きしめた。

 

 

 

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