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≪五万ヒット御礼企画≫

これは短編『陽天下お風呂場飼育論』の番外編……と言うか一種のパラレルと思って読んでください。


02 クリティカルヒット

 

 その決定に対し、彼は断固として抵抗を示した。

「ですからっ、それだけは絶対に認められません! 何が何でも拒否します!」
「我が儘だな」

 彼の言葉に短いため息混じりの声が返された。
 磨り硝子をはめ込んだ薄い扉を挟んで向かい合う二人。ちゃちな鍵で固定されるその一枚の板の向こうで、彼は必死の篭城を続けていた。

「いい加減認めてしまえばいい」
「我が儘だとかそう言う問題じゃないんですよっ」

 彼はぶんぶんと首を振る。
 大人しくそれを認めてしまうことは、彼にとって己の尊厳に関わる致命的な打撃を受けるに相当した。

「さっきから言っているように、これは僕のアイデンティティにおける重大な――、」
「諦めろ、河童の助」

「だから僕は河童じゃないんだってばぁっ!!」

 彼はほとんど泣きながら、己の飼い主の命名に抵抗した。


 

 ことの始まりは一週間前。

「そう言えば、貴様の名前は何と呼べばいいんだ」

 ぶっきらぼうにこう訊ねたのは、このアパートに一室を借りている独り暮らしの女子大生であった。

「さすがに名無しの権兵衛じゃ呼び難い」
「好きに呼んで下さって構いませんよ」

 その声に答えたのは彫りの深い国籍不明な顔立ちに、にこにこと浮かべられたのん気そうな表情。緑がかった黒髪を腰の辺りまで伸ばしていると言う、見るからに怪しげな風体の若い男だった。
 しかしこの青年、実は人間ではない。

 彼は人魚であり――そして彼女のペットなのである。

 真偽はともかく、迂闊にも陸に上がって干からびかけたらしい彼は間一髪で見つけた浴場に一目惚れした。そして勝手に他人の部屋に入り込んだ彼は、その部屋に住まう女子大生に発見され通報されかけ、すったもんだの末に彼女の家の風呂場に住むことになったのである。

「ここに置いて貰うなった時点で、僕はこれまでの自分を捨てて新しい人生を歩むつもりでいましたから」

 だから好きに名前をつけてください、と彼は殊勝な態度でそう言う。
 だが名前などそう簡単に決められるものではない。正直面倒臭いと彼女は顔をしかめたが、ペットと暮らすならばそれは飼い主の義務なのだろう。
 嬉しくもない命名権を与えられた彼女は一週間悩みに悩んだ末、彼にもっとも相応しいであろう名前を考え付いた。いわく――、


 

「なんでよりによって河童の助なんですか!?」

 彼は己の住処である風呂場に閉じこもってそう叫ぶ。

 彼は人魚である。誰がなんと言おうと人魚であって、牧歌的で滑稽な河童なんかじゃない。もちろん尻小玉なんか好物じゃない。彼は己の主張を貫くために、篭城と言う手段でもって必死で飼い主に抵抗していた。

「でもキュウリは食べるじゃないか」
「それはあなたが三日に一度は食事にキュウリを出すからっ」
「毎日毎日新鮮な刺身なんか用意できるか。ごく潰しの分際で厚かましい」

 文句を言うな、と彼女は冷たい眼差しですりガラスの向こうの彼を睨みつける。養われている身の上ならば、こちらの台所事情に協力してしかるべきだ、と。
 それはまさしく道理である。

 だいたい知らないとでも思っていたのか、と彼女は冷たい眼差しを彼に向ける。

「貴様、テレビの相撲中継を欠かさず見ているだろう」
「な、なぜそれを――っ!?」

 河童と言うのは大の相撲好き。
 自称人魚にも拘らず、番付チェックを趣味とする彼はうっと言葉に詰まらされた。

「そ、それは日本の国技に敬意を払っているだけです!」

 なんとかそう主張するものの段々雲行きが怪しくなってきたことは否めない。
 彼女は当然と言わんばかりの口調で、篭城をしてまで強情を張る彼を非難した。

「人がせっかくこんなに頭を絞って考えてやったというのに、どうして拒むんだ」
「絞った割には凄まじく安直な命名じゃないですか! それにいくらなんでもこれは酷すぎます」

 名は体を表わすと言うが、名前と言うのはその本人を象徴する重大なシンボルだ。当の本人にかすりもしない(むしろ何が何でも遠慮したい)名称を与えられるのは、自身のアイデンティティを崩壊に導く暴挙である。

「あのな、貴様は私に名前をつけろと言ったのだろ。ならばこうなることも予想してしかるべきではなかったのか」
「そ、そうですけど……」

 彼はおどおどと答える。彼女はやれやれと大きく息を吐き、彼を見つめた。

「貴様はこれまでの名前を捨てて新しい名前が欲しいと言う」
「……はい」
「いったいどんな事情があるのかは知らんがな――過去を捨てて新天地で暮らすにしても、新しい人生の基盤となるのはこれまで培ってきた貴様自身でしかない」

 たとえ名を捨て過去を拒絶しても、これまで得てきた経験を消してまっさらな自分になることはけしてできないのだ。

「ならばそこまで、昔のおまえを消し去ろうとすることはないんじゃないか」

 どこか慰めるような調子で淡々と言う彼女を、彼はそっと視線を上げて見る。彼はおずおずと鍵をはずし閉じこもっていた風呂場から出てきた。

「良い子だ」

 無表情の彼女にぽんと頭に手を乗せられ、彼は恥ずかしそうに首をすくめる。まるで幼い子供のような反応を見せる彼を見て、彼女は自分が折れることにした。……弱いもの苛めをしているような気持ちになってきたのだ。

「そんなに嫌なら違う名前を考えてやる。参考にするから以前の名前を言ってみろ」
「ほ、本当ですか!!」

 彼はぱっと顔を上げる。そして嬉しそうにひたすら長ったらしくてややこしい音の羅列を口にした。

「……なんだって?」

 しかし彼女は眉間に皺を寄せて怪訝な表情で聞き返す。その複雑怪奇な音節は一度聞いたぐらいでは到底覚えられそうになく、しかも舌を噛みそうだ。彼は頬を赤く染めてもう一度同じ言葉を述べ、照れたように頭をかいた。

「昔の僕の名前です」
「……なるほど」

 彼女は納得する。確かにその名前ではこの国で暮らすには不便かもしれない。と言うか、呼べといわれても絶対に御免だ。いったい彼の親は何を考えてこんな呼びにくい名前をつけたのやら。

「その名前には、何か由来があるのか?」
「はい、これは人魚の国においては由緒正しい水に関する意味を持つ名前でして」

 彼は自慢する子どものように嬉々として答える。

「『河辺の子ども』と言う立派な意味があるんです!」
「なんだ、やっぱり河童じゃないか」
「へっ!?」

 彼は目を丸くする。愕然とした表情を浮かべる彼の前で、彼女はうんうんとうなずいた。

「じゃあやはり河童の助でいいな」
「ち、ちょっと待って下さいっ!!」
「名は体を表わすとは、まさにその通りだな」

「そ、そんなの僕は絶対に認めませんよ――っっ!!」


 ――結局、未だに彼の新しい名前は決まっていない。

 

 

 

 

2、「クリティカルヒット」……『陽天下お風呂場飼育論』番外編(パラレル) 

 

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