<競作小説企画 第五回「夏祭り」参加作品>

  □■□ 怪しいバイトは真夏の波打ち際で □■□
 

 

 ふつう夏休みの旅行先といえば、海か山かの二択から選ぶのが無難な選択肢だと思われる。
 もしかしたらハワイのショッピングモールで買い物。あるいはスイスに行ってちょいとスキーを、なんていうセレブな選択肢から選ぶ奴もいるだろうが、そんなのはきわめてごく少数だ。むしろ少数であって欲しい。
 ちなみに俺は海でも山でもどちらでもいける口だ。太陽の日差しがまぶしい浜辺で、カキ氷やフランクフルトを食べながら青い海を眺めるもよし。容赦ない熱気がこもる下界を離れて、自然豊かな山ですがすがしい冷涼な空気を胸いっぱいに吸い込むもよし。まさにこれこそが、夏の正しいレジャーの形だろう。
 もっとも実際のところ俺は、ここ数年そんな楽しい選択肢にいきあったことは一度もない。むしろ一も二もなくバイトバイトの一本勝負だ。悲しい苦学生の現実がここにある。
 だが、いつの日か金銭的な余裕と時間的な余裕を得られることができた暁には、芋洗いの海水浴場でも閑古鳥が鳴く鄙びたキャンプ場でも喜んで行ってやる。というのが、俺がひそやかに抱いている野望なのだ。
 ずいぶんしょぼい野望だとは言ってくれるな。隣に美人の彼女を連れてという譲れない前提条件がつければ、それも立派な野望となるだろう。
 だからそれまではどんな甘い誘惑も断固として跳ね除けて、と今年も決意をあらたにした俺に、一本の電話がかかってきた。夏休みも中盤に差し掛かった真夏の昼下がり。うだるような暑さの午後のことである。
 携帯電話を耳に当てたとたん、どこかのん気で楽しげな声の持ち主は開口一番俺に向かってこう言った。
「なぁ、健介。海に行かない?」
 よし、分かった。その喧嘩、買ってやる。
 反射的に殴りに行くことを決意した俺だったが、相手が早乙女昌彦であることに気がついて踏み出しかけた足を引っ込める。もしやこれは遊びの誘いではなくバイトの連絡では無いかと気付いたからだ。
 早乙女は俺の大学の同級生で同じゼミに所属している仲間だ。柔和な笑みを浮かべ、ゼミ室に気前良く手土産のケーキやら飲み物をちょくちょく持ってやってくるような男で、女どもからはまるでお公家さんみたいで可愛いよね、という良く分からない評判を得ている。
 もっとも俺はそんな早乙女に対しては、特にその金回りの良さに気後れ半分やっかみ半分といった複雑な感情を抱いていたのだが、奴にバイトを紹介された縁で最近はともに行動することが多くなっていた。今回も単なるゼミ仲間の連絡網ではなくバイトの件かと考えたずねてみると、どんぴしゃだ。まったく紛らわしいことこの上ない。
「それで、いつから行くんだ?」
 バカンスで海に行くのはまだ良しとしない俺だったが、仕事となれば異を唱えるつもりはない。むしろ儲かるならば針の山でも血の海でも行ってやろうじゃないか。日程を確認すると奴はよどみなく二泊三日分の期間を答えた。前々からその時期は繁忙期だとは聞いていたがついに来たかと俺は小さく息をついて覚悟を決める。
 それはまさにこのアルバイト――幽霊駆除屋に相応しい、お盆のシーズン真っ只中だった。

 早乙女が俺に持ちかけたバイトとは、いわゆる幽霊退治の仕事であった。早乙女は害虫駆除のようなものだとかたくなに言い張っており、いわゆる霊媒師の行う除霊なんかとは大きく違うわけだが、それでも幽霊退治の仕事であるというのは同じだろう。
 早乙女がいったい何処から依頼を受けているのか、なんでこんな仕事をしているのかは知らないが、俺は早乙女の助手という形でアルバイトを行っている。
 血まみれの幽霊に追いかけられたり、落ち武者に遭遇したりとけっして割の良いバイトではないのだが、それでも早乙女の呼びかけを断れないのは他でもない。このバイトが余所よりも圧倒的に稼ぎの良い仕事だから。地獄の沙汰も金次第。幽霊退治も報酬次第ということだ。
 もっとも怖いものは怖いというのも事実なので、できれば今回の対象が怨念こもった恐ろしい幽霊でないことを俺は祈るばかりである。

 俺と早乙女は、ライトバンに乗って数時間かけてとある海辺の町までやってきた。
 栄えているとはいわく言いがたい片田舎ではあるが澄んだ海が立派な観光資源となっているらしく、海水浴客に一円でも多く金を落としてもらわんがため数多くの土産物屋が賑やかに軒を連ねていた。だが見渡すまでもなくどの店も、今は盛大に閑古鳥が鳴いていた。いくら鄙びた海水浴場だとは言え、そしてレジャーには向かないお盆の時期とは言え、この寂れ具合はただ事ではない。
 海の底深くに沈み込んだような物寂しい町の様子に不振な思いを抱きながら浜辺に辿りついた俺は、そこでさらにその異様さを確信した。
 南の海を思わせる白い砂浜……とは言えないが、それでも海水浴にちょうど良い細かい砂で満たされたごく標準的な遠浅の海岸。降り注ぐ太陽光が水面に反射してきらきらと照り輝き、水平線の向こうには入道雲がもくもくと湧き立っている。まさにこのまま海に飛び込みたくなるような、見事な海水浴場の風景だ。だが――、
「いやぁ、まさにプライベートビーチって感じだね」
 眩しい太陽の日差しに目を細めながら、麦藁帽子を被った早乙女が能天気な感想を述べる。
 本来なら溢れんばかりの人でにぎわっているはずの海岸には、人っ子一人いなかった。
「なんだ、こりゃ……」
 唖然とする俺の隣で、早乙女はいつもどおりののほほんとした口調で答える。
「原因はあれだね」
 伸ばされた指の先を追っていくと、そこには毒々しい赤い文字で「遊泳禁止」と書かれた立て札があった。
 泳いでくれと訴えて来んばかりの遠浅の海岸で、「遊泳禁止」の文字ほど違和感のあるものはない。臨時休業と書かれた海の家の様子を見るに、どうやらこのお触れが出たのはつい最近のことであるらしい。
 収入の半分を夏の行楽シーズンで得ているような町で、海で泳げないというのは死活問題ではないだろうか。それを考えれば、暗く落ち込んだような町の様子にも納得がいく。
「大変だな、こりゃ。サメかクラゲでも出たのか?」
 毒をもつクラゲの大群や人食いサメでも現れたのならいくらなんでも海水浴客を招く訳には行かないだろう。俺のつぶやきに早乙女はにこやかにうなずいた。
「そうそう、良く分かったね。クラゲじゃないんだけど、良く似た厄介な奴らが大量発生しちゃったんだよ」
 ほらこれ、と早乙女は一枚の写真を差し出してくる。良く似た厄介な奴ら、という言葉に嫌な予感を覚えつつ目をやった俺は、思わず息を呑んだ。
 その写真はよくあるスナップ写真だった。そこにはこの海を背景に、微妙に腹立たしい感じで抱き付き合ったカップルが仲良くピースサインをしている。そう、ここまではいい。ここまでは普通の写真だ。だから問題なのはその背後。
 俺の目を奪ったのは海面から突き出た何本もの青白い手、手、手、手、手、手、手、手……。無数の手の存在だった。腹の芯から怖気を掻き立てるその不気味で異様過ぎる光景は、それが単なるいたずらやトリック写真ではなく、明らかな心霊写真であることを俺に直感的に伝えている。
「海開きになって間もない頃、他所から来た観光客が近くの神社のお社をふざけて壊したらしいんだ。それ以来、海水浴客が海の中で足を捕まれひきずりこまれる事件が起こり始めた。お社は無事に直したんだけど、被害は増える一方で、ついにはこんな写真まで撮られる始末なんだ」
 早乙女はあっさりとした口調でそんな洒落にならない話を告げる。
 俺がかろうじて叫びださずに済んだのは、その何百本もの手がカップルと同じようにピースサインを作っていたからだろう。
 海面から突き出す無数の青白いピースサイン。これ以上にシュールな光景はそうそうない。
 色々な意味で絶句していた俺は、どうにか我を取り戻し平然と写真を除きこんでいる早乙女におずおずとたずねる。
「なぁ、まさかこれが……?」
「そう、今回の駆除対象ね」
「マジかよ」
 俺は思わず天を仰ぐ。まぶしい真夏の太陽が視界を白く塗りつぶした。
 

「あんな大量の『手』を、いったいどうやって駆除するっていうんだ? 本当に大丈夫なのか?」
 俺は不気味なものを見るような気持ちで、青い海を横目に捉えながら早乙女にたずねる。あんな写真を見てしまうと、先ほどまで気持ち良さそうに見えた海がとたんに不気味で恐ろしいものであるように思えてしまう。
「まぁ、やってやれないことはないって」
 早乙女はあっけらかんとした口調で答えて、停めておいたライトバンへ向かい荷台から積荷の一部を降ろしはじめた。俺もそれを手伝う。
 荷台には水の詰まった大型ポリタンクがいくつもあったり、バケツやらロープやら支柱やらがあったりとぱんぱんになっている。むしろこうした大量の荷があったからここまで来るのにライトバンを使うことになったのだ。
 俺たちはまず支柱とロープを降ろし、何往復もして波打ち際まで運んだ。
「じゃあ、さっそくこれを組み立てようか」
 いったい何に使うのかまったく想像がつかないまま、俺は言われたとおりに支柱とロープを組み立て始める。これでビーチバレーの会場でも作るのかと冗談交じりに考えていたのだが、完成したものを見るとそれは当たらずしも遠からずだった。
「ぱ、パン食い競争……?」
 二本の支柱の間にはロープが渡されており、そのロープには短いロープが何本も吊り下げられている。先にパンを括りつければそのままパン食い競争に使えそうだ。いや、それにしては若干吊り下げるためのロープが長すぎるか。
「あはは、パンは下げないよ。代わりに一枚ずつこれを下げてくれないか」
 そう言われて差し出されたのは、人の形に切られた白い紙だった。紙には一枚ずつ文字が書かれているのだが、達筆すぎて俺には読めない。
「なんだこりゃ?」
「ふふ、秘密兵器さ。まぁ、数が多いからさくさく付けてこうぜ」
 確かに渡された紙の束は百枚以上を優に数える。そして早乙女自身も同じくらいの束を持っている。膨大な作業に閉口した俺は、そのまま黙々と作業を始めたのだった。
 すべての作業が終わった時には、もう太陽は西の空に沈みつつあった。
 紙の人形をロープに括りつけた後は、支柱を波打ち際に設置する作業があった。だがそれもまた数が多く、さらにロープが繋がれた支柱は重く、すべての作業が終わったときには、俺はもうくたくただった。
「疲れた……」
 俺はそのまま砂浜に座り込む。夕日に照らされた浜辺には照る照る坊主のように吊るされた大量の紙人形が潮風にあおられてひらひらとなびいていた。
「あはは。お疲れさん、健介。次の作業は明日の朝からだから、今日は宿に行ってゆっくり休もうか」
 さすがにくたびれたらしく、首から提げたタオルで流れる汗をぬぐいながら早乙女が言う。
「宿……? あんまり宿代がかかるようなら、俺は車の中で寝泊りするぞ」
 というか、俺は元よりそのつもりだった。金を稼ぐために来て金を使うようでは本末転倒だ。金を稼ぎたいのならば無駄遣いは厳禁である。
「ああ、それは大丈夫。町の人が全面協力してくれていて、宿代も要らないって言ってくれているから」
 そう言って早乙女はにっこりと笑う。
 全面協力というよりかは、おそらく今回の幽霊駆除は町ぐるみでの依頼なのだろう。本当に早乙女はどうやってこの仕事を得ているのかと気にしながらも、文句は言わず宿へ向かう。そして俺は新鮮な海の幸に舌鼓を打ち、やがて疲れからそのまま朝までぐっすりと眠り込んでしまったのだった。

 翌朝、俺たちは再び砂浜まで降り立った。
 まだ日が昇って間がないため、空気は清清しく砂が焼けて熱いという事もない。それでももうしばらくたてば思わず泳ぎたくなるような天気になるだろう。ただしそれも、無事に幽霊が退治されていればの話だ。
 夜の間に打ち上げられたらしい漂流物やゴミ、海草などを避けながら昨日の場所に戻ってきた俺は、そこにある光景を見て絶句した。
 パン食い競争のパンように紙人形を吊り下げたロープ。そこには一つ余さず−−青白い手首がぶら下がっていた。
「な、なんだこりゃぁぁっ!?」
「おお、大漁だね」
 喜色満面の笑顔で早乙女が近づいていく。
「お、おいっ。なんだよ、これはっ」
 腰が引けて近寄れない俺を早乙女は不思議そうな顔で振り返る。
「なにって、例の幽霊」
「なんでこんなことにっ!?」
 手首はまるで観光名物の干物のように吊り下げられて、ひらひらと揺れている。
「うん、この紙人形はね、形代なんだよ」
「かたしろ?」
 聞いた事のない言葉に、俺は首を傾げる。
「ようするに身代わり人形だね。昨日、この人形を吊るして置いておいただろう? 昨日は大潮だったから、潮が満ちた頃この人形は海の中に沈んだ。幽霊たちはこの人形を人間だと思って掴んだけれど、書いてあるお経のせいで手が離れなくなってしまったというわけ」
 つまりあの紙人形に書いてあった文字はお経だったというわけだ。
「ようするに仕掛け漁みたいなものかな」
「いや、全然違うだろ……」
 俺はがっくりと肩を落とす。
「それで、この手首たちはどうするんだ? このまま天日干しにでもするのか?」
 このまま干していれば、二、三日で手首の干物ができそうだ。
 冗談で口にした言葉だったが、早乙女は大真面目に答える。
「うん、そういう方法もあるんだけどね。それだとさすがに時間がかかりすぎるから」
 そう言って、ライトバンからバケツとポリタンクを持ってくる。早乙女はポリタンクの中の水をバケツにあける。そして手首を水の中に漬け込んだ。そのまましばらく眺めていると、驚いたことに、手首はどろどろと溶けていってしまったではないか。
「うわぁ、すげぇ!」
 俺は思わず感心して声を上げる。
「この水、聖水か何かなのか?」
「そう、その通りだ。この水はとある神社の境内から湧き出している水で、破魔の力を持つ霊水なんだ」
 早乙女はうなずく。
「この霊水は真水だからね。普段はより塩分濃度の高い海水の中にいる霊を入れると、浸透圧の違いによって膨張して最後には破裂しちゃうんだ。オレたちは、そうした現象を利用して幽霊を駆除しているのさ」
「霊水、関係ないじゃんっ!!」
 俺は思わず叫ぶ。
 しかも浸透圧の違いで破壊されるなんて、赤血球か何かかよ。
 俺は思わず脱力して座り込みそうになった。
「おいおい、のんびり座っている暇はないぞ。なにしろ全部の幽霊手首を漬け込まなきゃいけないんだからな」
「分かったよ! ところで幽霊入りの水はどうするつもりなんだ?」
「帰り道の途中に霊験あらたかなお寺があるからね。その境内に撒いて浄化してもらうつもり。木の根本に撒けば良い肥料にもなるし」
「いいのか、それはっ!?」
「いいのいいの。ほら、ちゃっちゃと作業に移るぞ」
 そうして俺たちはじりじりと照りつける日差しの下、大漁の手首を水に着けるという良く分からない作業に没頭することになった。
 ちなみに幽霊水を捨てに行った寺では、さらに別の仕事が待っており「お盆が繁忙期」という早乙女の言葉には嘘偽りはないと俺は再びげんなりすることになる。これで給金が高くなければまったくやってられない。
 もっとも後日聞いた話によると、幽霊が駆除された海水浴場にはすぐに行楽客が戻ったらしく、どうにか海水浴シーズンに間に合わせることができたらしい。観光客の評判も上々のようだ。
 俺は泊めてもらった宿での海の幸の味を思い出し、いつか理想の彼女と来る海はここにしてもいいかも知れないなと、そんなことをちらっと考えたのであった。
 


【終】

 

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