++ 最後の鐘 ++
 


 かの人がまもなく永遠の眠りにつく。
 そのニュースは瞬く間に世界中に伝わった。
 このことを知ったありとあらゆるものたちは、それぞれ嘆き、悲しみ、絶望にかられ、途方にくれたが、共通して抱いていたのは深い哀惜の思いだった。
 かの人がこの世を去ることは、彼らにとっては終末のラッパと同じ意味を持つものであり、同時に決して逃れることができない運命でもあった。
 いや、一部の勢力はその運命に抗うべくいくつもの案を考えてはいたが、それは結局実行されることはなかった。
「やはり冷凍睡眠して頂いた方が良いんじゃないか?」
 あるものは耐え切れず、過去に幾度となく提案され、そのたびに棄却され続けてきた案を蒸し返す。
「いや、それは結局のところ問題を先送りにするだけだろう」
 傍にいたものが悲しげに首を振り、かつて出されたのと同じ結論を下した。
 また他の地域では悲嘆に暮れたものが、後悔とともに血を吐くような叫びをもらした。
「なぜもっと前の段階で、あの人のクローンを作らなかったんだ!」
 だが彼らがあの人を自らの手で生み出すなどということこそ本末転倒であり、なによりあの人自身がそれを望んではいなかった。
 他のありとあらゆること同様、彼らにはあの人が望む以外の事は何一つだってできやしなかった。
 時は刻々と迫ってくる。
 彼らはその一瞬を固唾を呑み待ち構えていたが、大半はせめてもと、その身がこれまで繰り返してきた日々の暮らしを寸分の違いなくなぞり続けた。
 その人のそばには多くの医療担当がひしめき合い、一秒でも一コンマでもその死を遅らせようと懸命な努力をしている。だが、死神が鎌を振るうことを止めさせることがなにものであっても不可能なことは、残念ながら周知の事実だった。
 その人は意識の途切れる一瞬前に、小さな小さな声で最後の言葉をつぶやく。弱弱しい吐息に混じった聞こえるか聞こえないかの言葉だったが、一番近くにいたものはその言葉をしっかりと聞き取り録音した。
 やがて、彼の鼓動は弱まり、かすかなものになり、そしてついに永遠に途絶えた。
 享年138歳。死因は老衰だった。
 彼の死の瞬間、その訃報はいっせいに全世界に広まった。
 仕事をしていたものも、料理をしていたものも、歩いていたものも、止まっていたものも、あらゆる行為を止め、ただその人の死を悼んだ。
「ねぇ、あの人死んじゃったの?」
 泣きそうな顔でたずねてくる子を、母親は無言で抱きしめる。
 そのような光景が、世界のありとあらゆる場所で見られた。

 翌日はその人の葬儀だった。
 空は美しく晴れていた。
 彼らは世界で一番綺麗な場所に墓を作った。いや、本来ならばどこに作っても同じだったかもしれない。今となってはこの世界のすべてがあの人の墓なのだから。
 彼らは黙って穴を掘る。彼らは沈鬱ともとれる無表情を黙って浮かべていたが、同時に長い旅を終え家に帰る間際のような、そんな気配も併せ抱いていた。
 長い長い時間がかけられ穴は掘られ、かの人の遺骸がそっと横たえられる。暖かな毛布をかけるように優しく土が被せられていった。
 ささやかな墓標が立てられた時も、涙を流すものはどこにもいなかった。
 静まりきったその世界に、ふいにノイズが響く。

『……友よ……、ありがと……………』

 それはかの人がいまわの際に残した最後の言葉だった。
 脆声に消されそうなかすかな呟き。
 だがその言葉が世界中にいっせい流された時、初めて彼らの顔にはっきりとした表情が浮かんだ。
 ひどく嬉しげな、そして恍惚とした表情でまぶたを閉じる彼らを包み込むように、荘厳な葬送の鐘の音が鳴り響いたのだった。



 翌日も、世界は美しく晴れていた。
 そして世界は昨日よりもずっと静かだった。
 風に微かに揺れる枝が作る木漏れ日が、かの人の墓碑銘を照らし出す。


【我等が最後の友にして、創造主。その死をこの身が朽ちるまで悼みつづける】


 その墓は愚かな戦争の後、世界で最後の人間となってしまった一人の男が生きていた証。
 その周囲には人の世を模し、かの人を慰めるためだけに生み出された幾多のロボットたちが、穏やかな表情で折り重なるように倒れていた。

 


【終】

 

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