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        覆面企画参加作品
     ≡ 桜咲く季節にまた ≡

 

 
 時間があんまり無かったから、言おうと思っていたことは次の機会にまわす事にした。

「へ? なにさ、やっぱり言わないって」

 あたしが正直にそう言うと、彼は当惑したように眉をひそめた。
 まあ会った当初から話があると伝えていたんだし、それはそれで仕方がないかもしれない。
 だけどバスが来るまでのあと十分で慌ててするような話じゃなかったから、あたしはふいっとそっぽを向く。
 十一月の冷たい風がちくちく頬をかすめていった。

「い〜の。また今度に言うことにする」
「何だよ、だいたい今度っていつだよ」

 すねたような顔をする彼の額をあたしは指先で弾く。

「そんなの、あんたが滅多にこっち帰ってこないのが悪いんじゃない」
「しょうがないだろ。親父の転勤なんだから」
「そうやってすぐに言い訳する。そんな人は絶対長生きできないんだからね」

 耳タコの言い訳をそうやってなじると、彼は逆に晴れ晴れとした顔で胸を張った。

「おうよ、俺はそっちの方が好みだね。ぱっと咲いてぱっと散る」
「花は桜木、人は武士って? あんたその格言好きよね」
「まあな。何しろ自分の名前だから」

 笹倉 武士(ささくら たけし)が彼の名前だ。

「あんたは桜じゃなくて笹でしょ」

 それはもちろんパンダの主食。なんて健康的なんだ。

「違うっ。そこは漢字じゃなくて音で捉えるんだ。サ・『サクラ』と」
「そうすると下の名前はジャイアンの本名になるよね」
「ジャイアンの名前は『武』だっ。一字違う! まったく風情の分からない女だな」

 そんな訳の分からないことで風情だの何だのと言われたくなかったから、あたしはふんと鼻を鳴らした。

「古典の成績が学年史上最悪だったあんたがなに言ってるのよ」
「俺も週に二回も道で定期を落とすようなおっちょこちょいに言われたくないね」
「ちょっ、それは関係ないでしょうが! むしろいったい誰に聞いたのよっ。二‐Dの増田? さては男バスの三上ねっ」
「それは企業秘密になっております」

 けらけらと笑う彼のコートにあたしは怒って足型をつける。

「まったく、そんなんじゃ次に戻って来た時に相手してやんないからね。あたしだって転校した幼馴染にいつまでも付き合ってやれるほど暇じゃないんだから」

 会社勤めの父を持つ彼は今年の三月、家族全員で隣の県に引っ越した。
 新しい学校に慣れないのか、それとも住み親しんだこの町が恋しいのか。
 さほど頻繁にではないが、彼はちょくちょくこの町に遊びに来る。

「あ、そのことなんだけどな」

 彼はちょっと視線をそむけて頬をぽりぽりと掻いた。

「実は親父の転勤が終わったんで、またこの町に戻ってくることになったんだ」
「はぁ?」
「春になったらめでたくクラスメートに逆戻りです」
「そ、そんなの聞いてないわよっ」
「そりゃ初めて言ったもん」

 つうか俺が戻っちゃ迷惑か、と珍しく真面目くさった顔で尋ねられ、あたしは慌てて視線をそむけた。たぶん顔が赤いのは寒さでかじかんだせいだ。

「べ、別にっ。いいわよ、そんだったら盛大に出戻りおめでとうって祝ってあげるわ」
「うわっ、嬉しくない祝われ方っ」

 ぷはっと吹き出すと彼はあたしのマフラーのボンボンを掴んだ。

「ってなことでさ、おまえの話は俺が戻ったときにな。これ約束」

 そして指きりでもするように楽しそうにそれを振り回す。
 あたしが彼からマフラーの端を取り戻したとき、ちょうどバスが到着した。彼はタラップに足を掛けながらふとこちらを振り返る。

「そうだ、そう言えば小学生の頃の秘密の場所って覚えてるか?」
「え、そりゃ覚えてるけど…」
「あそこぼちぼちいい感じなんじゃないか、時期的にもちょうどいいだろうし。せっかくだからそこで話しようぜ」

 彼は窓際の席を陣取ると、身を乗り出してあたしに言った。

「それじゃあ桜咲く頃にまたな」

 見送るあたしに手を振って、彼の姿は遠ざかって行った。


 ―――そして、それがあたしの生きて彼を見た最後の姿だった。


 


 

 町外れの河原の一角。
 それがあたしと武士の秘密の場所だった。

 春はすぐそこまで来ているはずなのに、日差しはちっとも暖かくならない。
 堤防に並んで植えられている桜も、蕾を硬く閉ざし寒さに震えているようだった。

 この桜並木の堤防は近隣で一番のお花見スポットで、春になると花見客が押し寄せて足の踏み場も無い。
 小学生の頃花見に出遅れて場所がとれず、武士と二人で管を巻いていたのもこの河原だった。
 ごつごつした幹のソメイヨシノは今はまだ華やぎの欠片もないけれど、あと一、二週間もすれば満開の花が咲くだろう。

「桜の花散るように潔く、か…」

 あたしは最後に会ったときの武士の言葉を思い出し、ぽつりと呟いた。
 風に吹かれた桜が一気に花を散すように死んでいきたいと言っていた幼馴染み。
 それがいったいぜんたいどういう訳で、

「こんな所にいるのでしょうか?」
「おいおい、こんな所とはお言葉だな」

 不満そうな声がはっきりと耳に届く。
 手に腰を当てた武士が眉間に皺を寄せあたしを見下ろしていた。

 桜が咲く頃に帰って来ると言っていた彼。
 肌寒い今の時期は、まだ約束の季節には少しだけ早い。

 だからこれは武士ではない。
 正確に言うならばこれは武士の、――― 幽霊だった。


 

 十一月のあの日、武士は死んだ。
 乗っていたバスが事故にあったのだ。

 実を言うと、その時のことをあたしはあまり覚えていない。それはあまりにも唐突で、あたしはひどく混乱していた。

 悲しくなかったはずはない。けれど気がつけば年は明け、世間は春に向かっていた。
 いつの間にこんなに時間が経っていたのかは分からない。
 だけどそれだけ時が過ぎたのなら、ようやくあたしも辛い記憶を過去の事として整頓できるようになるかもしれない。
 未来に向かってそう前向きに考え始めていた矢先――、

「あんたがこうしてあたしの前に現れちゃうんだからなぁ」

 まったく決心も何も台無しだ。あたしはふうとため息をつく。

 世の中は信じられないことがたびたび起こる。
 幼馴染が突然死んだり、その幼馴染が突然幽霊となって戻って来たり。
 もっとも足もあるし透けてもいないから、幽霊だなんてまったく思えない。生きていたときの姿そのままである。

「未練があんだからしょうがないだろ。それとも何だよ。俺が戻ってきちゃ迷惑か」

 すねたように言うその口調も相変わらずで、それは二人でした最後の会話をあたしに思い出させた。

   馬鹿らしい。
  そんなの迷惑な訳ないじゃないか。

 あたしは何だか泣きたい気持ちになって、あの時と同じようにそっぽを向いた。

「別にっ。出戻り祝いでもして欲しいの?」
「ああ。それは是非ともしてもらいたかったなぁ…」

 くすっとこぼれる苦笑いは、まるで鋭い棘のようにあたしの胸を刺した。

「じゃあ……何で死んじゃったのよっ」

 風船がパンと弾けるように、あたしの中で閉じ込めておいたはずの何かが破裂した。
 きっと彼を睨みつけ、腹の底から怒鳴りつける。

「いったいあの時あたしがどんな気持ちでいたと思ってるのよ!」

 何も言わず。
 何の前触れもなく。

 これまで生きていて、こんなにも腹が立ったことはなかった。
 感情のままにあたしは彼の胸を拳で叩く。
 だけど途端にあたしはぎょっとした。あたしの手はまるで空気にでもなったように彼の身体をすっと通り抜けたからだ。

「それはこっちの―――、いや…」

 武士は言いかけた台詞を途中で止めた。
 たぶん、あたしの目に涙がいっぱい溜まっていたからだろう。彼は手をあたしの頭に乗せるように浮かせてつぶやいた。

「ごめんな…」
「謝んないで」
「ホントにごめん…」

 あたしは顔を覆って首を振る。
 あたしの幼馴染み、笹倉武士は間違いなく死んでいる。
 それを改めて認識してしまい、胸がぎゅうぎゅうに締め付けられるような気がした。

 武士は唇を噛みしめ悲しげな顔で俯いている。
 こういう時は、残された方だけではなく死んでしまった方も悲しいと思うものなのだろうか。

 それは何だか、―――双方ともにやるせの無い話だ。

 

 あたしがふと顔を上げたとき武士の視線は堤防の桜並木に向けられていた。つられてあたしもそちらを見る。
 まだ蕾だけの寂しい並木。その姿は黒く雄々しく、物悲しい。

「そう言えば、覚えているか」
「えっ?」
「俺が昔は桜が嫌いだったの」

 あたしは目を丸くする。そんなのまったく覚えていない。
 ここ数年の武士はいつだって桜を褒め称えて、その名が入っている自分のこともすごく自慢にしていたのに。

「小学生の頃だったかな。言ってただろう、桜はすぐ散ってしまうから嫌いだって」

 桜の花散る無常観を詠った歌人は少なくない。
 歴代の歌人と同じようにその幼い胸を痛めた分だけ、昔の武士は今よりずっと情緒豊かだったという事だろうか。

 そう思っているのに気付いたのか、彼はむっと唇を尖らせた。

「だけどおまえが言ったんだぜ。どんなに嫌ったって桜は毎年咲くんだって。それなら毎年毎年嫌な気分になるよりそれを楽しみにした方がずっといいって。自分は俺と一緒に花見できるのが嬉しいって」
「そ、そんなこと言ったっけ?」
「うわ、人の人生に感銘を与えた台詞をそう簡単に忘れるなよ」

 あんまりにも率直な過去の自分に真っ赤になるあたしを武士はけらけらと笑い飛ばす。それから肩をすくめてふうと息を吐いた。

「今年もおまえと花見がしたかったな」
「そんなの、今からだって遅くはないわよっ」

 あたしはぎょっとして武士に詰め寄る。

「ほら、あと何日かで桜は咲くわ。それまで待って一緒にお花見しようよ。あたしは武士が幽霊でもぜんぜん構わないからっ」
「そういう訳にはいかないって」

 武士は苦笑した。

「俺がここに来たのは、約束があったから」
「約束?」
「しただろう。春になったらお前が言いかけてた話をここで聞くって」

 あたしは唇を引き結んで下を向く。

 果たせなかった最後の約束。
 それを忘れた訳ではけしてない。だけど、

「それを言ったら、武士は成仏しちゃうんでしょ」
「…そりゃそうだけどさ。幽霊となってこの世をさ迷ってたらみんな心配するだろう。周りに迷惑かけちゃいけねぇよ」

 武士はまるで他人のことのようにそう言う。
 口ごもるあたしをあやすように彼は尋ねた。

「なぁ。俺の好きだった言葉、覚えているか?」

 もちろんうなずく。
 なんどもなんども、耳がタコになるほど聞かされた言葉。口を開けば自然と唇から零れる。

「―――花は桜木、人は武士…」
「そう。ようするに桜のように潔く死ぬ人間は格好良いってことだ。このままだと俺は成仏できない。俺を未練たらたらのお化けにしないでくれよ」
「でも、だけどさ…」

 あたしは答えられなかった。
 ずっと考えていたように潔く成仏したいと思う武士の気持ちは分かる。

  だけど、
   だけど―――、

「武士、…死んじゃったじゃない!」

 あたしはぎゅっと唇を噛む。堪えきれずに溢れた涙がぽろぽろと頬をつたった。

「死んじゃったのにこんなこと言ったってしょうがないよっ」
「そんなことないっ!!」

 思いがけない大きな声にあたしはぎょっとした。
 呆気にとられるあたしの前で武士は強く拳を握り締め、だけど視線はけしてあたしから逸らさなかった。

「花は毎年咲くって言ったのはおまえだろう。今年咲く桜は来年もまた咲くだろうよ。だけど散っていく今年の桜を見ることはけして無駄じゃない。俺はおまえの言葉が無意味だなんて考えない」

 武士はあたしをまっすぐ見すえて言った。

「俺はおまえの言葉が聞きたいんだ」

 痛いくらい真剣な言葉があたしの胸に突き刺さる。
 あたしもまっすぐ彼を見つめ返した。

「…本当に聞きたいの? もう、何の意味もないのに?」

 彼はちょっと苦笑する。

「去年俺と花見したことをお前は無駄だと思うのか?」

 あたしは小さく首を振った。
 死が二人を別っても、あたしが武士と出会えたことは無駄ではなかった。

 本当は、けしてこんな風に言うはずじゃなかった言葉。

 この分じゃ武士はあたしが何を言いたいのか知っているのだろう。
 だったらもっと早くに言えば良かったな。と、あたしは頬を赤らめる。

「あたしは、あなたが好き。幼馴染みとしてじゃなく、笹倉武士が好きなの」

 もう間に合わないこの言葉。
 桜のようにただひと時、華やかに咲いて散っていくだけの言葉。

 だけど武士は、それはそれは嬉しそうに笑った。

「俺もだ」

 その言葉にあたしはほっと胸を撫ぜ下ろす。何だか胸のつかえが取れたような気がする。
 きっと、あたしはずっとこの言葉を言いたかったんだ。
 ああ、これでもう何も思い残すことはない。

「そう言えば、昔ふたりでここに桜を植えたね」

 今更になって懐かしい思い出がふと脳裏をかすめた。
 そんな遠い日の記憶のように武士の姿がだんだん薄くなっていく。

「あの木はいったいどうなったんだろう…」

 そうか、もうお別れの時間なんだ。あたしにははっきりそれが解った。

 さよなら、武士。最後に話せて楽しかったよ。

 あたしはゆっくりと目を閉じる。


 ―――でも、出来る事ならずっと一緒にいたかったな。
 

 そんな思いを最後にあたしの意識は真っ白になった。


 

 

   ※   ※   ※


 

 

 目の前には、もう誰もいなかった。

「…まったく。本当にまぬけだよなぁ」

 深々とため息をついて俺はその場に座り込む。

 俺の前に立っているのは幼馴染みの少女ではない。
 そこにあるのは土手にしっかりと根を張る一本の桜の若木だった。

 それは大昔、ふたり花見にあぶれた事に腹を立てて、自分たち専用の桜を作ろうとこずかいを出し合って植えた苗木である。
 堤防上の桜並木には敵わないが、それでも若々しく枝を伸ばしたその桜木は根元に早すぎる花弁をすべて散らしていた。


 十一月のあの会話の後、事故で死んでしまったのは俺ではなくあいつの方だった。
 

 あまりに早く、あっけないその別れを俺はなかなか受け入れられなかったが、それでも事実は違えようがない。
 衝撃冷め遣らぬまま新学期にあわせて帰郷した俺は、ふたりの桜がいち早く花をつけたのを聞きつけて慌ててこの河原に飛んできた。そして、再びあいつに会ったのだ。

 ―――もっとも、

「死んだのが俺だと思ってたんだから、おっちょこちょいにも程があるよな」

 しっかりしているように見えてどこか抜けていたあいつだ。
 たぶん自分が死んだことにも気が付いてなかったのだろう。

「でも、これでようやく成仏できたんだよな」

 俺は再び息をつく。
 あいつの気持ちを知らなかった訳じゃない。
 薄々そうだろうなと思っていたけど、自分も同じ気持ちだったからいつでも言えると甘い気持ちでいたのだ。

「…それじゃあ、まぬけは俺もおんなじか」

 なんでもっと早く告げなかったのだろうかと、今となっては後悔ばかりが胸を締め付ける。だけど―――、

「思いを確かめられただけ俺は幸運なのかもしれないな」

 俺は小さく微笑み、散り落ちたビロードのような手触りの花びらにそっと指を這わす。

 柔らかなこの花びらはきっと今年も盛大に散るだろう。
 それは切ないくらいに艶やかで、美しい景色。

 俺は桜の花が咲くたびにきっと毎年ここに来る。  


 季節は移ろい、また巡る。
 だけどそれはけして無意味なことじゃない。
 

 少なくとも、―――俺はそれを知っている。   


<fin.>

 

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