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企画『お題バトル』参加作品
◆◇ 珈琲デイズ ◇◆

(珈琲なんて、好んで飲むやつの気が知れない)
 胸のうちでそう呟いて覚悟を決めると、白いタブレットを三錠、カップの中に落とし込む。
 湯気をたてる黒い液体の表面に波紋が広がり、ほぼ同時にぷつぷつと細かい泡が浮かんで消えた。スプーンを突っ込み乱暴に混ぜると、一息で中身を飲み干す。
(まずっ……)
 苦味が喉を通り過ぎると、焦げたような異臭とクドイ甘さが鼻の奥から上がってくる。すぐにそばに置いておいたグラスの水を飲み干して、ほっと息をついた。
 これほど嫌いな珈琲でわざわざ飲み干す理由は、それ以上に嫌いな錠剤を口にする嫌悪感が、相殺されて薄れればいいという希望的観測によるものだ。まぁ、効果のほどは気休めだが。
「さて、それじゃあ仕事に行ってくるか」
 気を取り直して伸びをひとつ。ヘルメットを手にして玄関に向かう。道具は先に目的地に送ってあるから、必要なものは特にない。そう考えていたが、靴を履いたところではたと気が付いた。
「いけねぇっ、忘れ物!」
 履きかけの靴を蹴り飛ばすように脱ぎ、部屋に戻る。テーブルの上に置き去りにされた目的の物に手を伸ばすが、掴もうとした指がうっかりそれを弾き飛ばした。そのままテーブルの上を滑り、慣性の法則に従い床に落下するという目を覆いたくなるような光景に、俺は青ざめ悲鳴に似た声を上げる。
「うああっ、畜生めっ」
 予想以上に大きな音を立てて、床に転がったそれを慌てて拾い上げる。
 幅広の銀の指輪。表面は光沢のあるメタル加工で、ビー玉のような透明な球体がはまっている。一見何の変哲もない指輪だが、これは俺の命綱だ。
「やべぇやべぇ」
 失態を取り繕うように丁重に指輪を左の中指に押し込めて、外へ飛び出す。思ったよりも遅くなってしまった。


 今から十数年前、奇妙な病気が世界中で猛威を振るった。
 付けられた名称は、《後天性失感覚症候群》。
 それは、人間の五感の一つを失わせるという奇病であった。
 症状自体は、命に関わるようなものではない。だが、この病のもっとも奇妙な点は、数週間のうちに全人類一人残らず罹患したということだった。
 感染症なのか、それとも遺伝病なのか、はたまた他に原因があるのか判らない。そんなあまりに異様な事態に、各国でいくつもの新宗教が乱立。一大カルトブームが流行り、さらにはテロや暴動が起こるなど、各国はかなりの混乱を来たした。一時は世界の終わりとも騒がれたらしい。結局ちっとも終わったりはしなかったお陰で、徐々に沈静化していったわけが。
 そんな騒ぎもひとまず落ち着いた所で、やっとその病の解明、さらには治療薬開発に、世界が全力で取り組み始めた。
 全世界が一つの目的のために力を合わせた訳だから、それなりの成果はもちろん出た。残念ながら特効薬となるべきものこそできあがらなかったものの、症状を軽くする薬《タブレット》が完成したのだ。
 また一方で、ハンディキャップをフォローする対策が、世界中で行われるようになった。むしろそのための技術が驚くべき速さで進歩していった。いっそ、進化と言っていいレベルだろう。
 世界中の人間が一人残らず、視覚障害なり聴覚障害なりを持つようになったのだから、当然の処置ではある。お陰である意味では生きにくい、そしてある意味では生きやすい世の中になったものだ。


(いっそ、味覚が狂う症状だったら良かったんだがなぁ)
 俺は、珈琲の不味さを思い出してため息をつく。偏食家の自分にとってはいっそ味覚がないほうが生きやすかったかもしれない。だが、残念ながら俺のハンディキャップは味覚に関するものではなかった。
 そんなことをつらつらと考えているうちに、バイクは目的地に到着した。
 先日竣工されたばかりの近代美術館である。オープングセレモニーもまだのため、人の姿はない。
 俺は建物の裏手に回る。工事の間に使われていたのだろう、鉄パイプやらなにやらを組み合わせた足場と、周囲を保護するための防塵カバーが一部にだけ残されていた。だがそれは、今や本来の目的から外れ俺のための目隠しとして存在している。
 周囲に人気がないことを確認して、俺はその内側に入り込む。十分な広さと明るさのあるその空間に、俺の商売道具――カラースプレーやペンキや刷毛が置かれていることを確認して、一つうなずいた。
 俺の職業は、グラフィティアーティストという奴だ。グラフィティなどと呼ばれるとむず痒くなるが、言ってしまえば単なる落書きだ。
 思い起こせば十代の頃、反抗期の衝動のままに、俺は壁や道路に落書きを繰り返していた。誰かに褒められたいためじゃない。むしろ叱られること上等、消されること上等いう喧嘩腰の態度で、ありとあらゆるものに対する不平不満を絵という形で描き殴っていた。
 その日も、高架下の広い壁に思いの丈をぶつけていた俺は、ふいに背後から声を掛けられた。当然叱られるものと反射的に悪態をついた俺に、しかしそいつは思いがけないことを告げてきた。
「君はそれを、芸術にしたいと思わないか?」
 アートエージェントと名乗る胡散臭いそのおっさんは、俺がこれまで書き殴ってきた落書きを目に留めて以来、俺を探していたという。嘘かまことかそこに才能を見出したらしい。そうして改めて俺に、『計画的に』落書きをすることを提案した。
 まぁ、それから色々あって、いつしか俺は覆面グラフィティアーティストとして名が知られるようになっていた。ちなみになぜ『覆面』かというと、おっさんいわく俺には芸術家としての威厳的な何かが足りないかららしい。余計なお世話だ。
 だが、おっさんのプロデュースが恐ろしく的確だったのは間違いない。おかげで今では余所から依頼が届くまでになり、さらには今回のように、できたばかりこの美術館の壁に思いっきり落書き――グラフィティを描くこともできるようになったのだ。
 俺は少し浮かれた気持ちで、スプレー缶に手を伸ばす。図案はすでに考えてある。思いっきり賑やかで、仰々しく、サイケデリックなもので、壁一面を埋め尽くそう。
 俺は『指輪』をスプレー缶のパッケージに向け――、
「やべぇ……バグってやがる……」
 俺は愕然とする。指輪をはずし、思いっきり振ってみるが結果は同じだった。
 この指輪は、ただのアクセサリーじゃない。
 これは、俺の『目』だった。
 世界中で猛威を振るった奇病。それが俺から奪っていったものは、五感の中でも一際大きな部分を占める『視覚』。厳密に言えば、その中の『色彩』だった。
 症状を緩和する薬――『タブレット』を飲むことで視力を失うことは避けられているが、それでも病を得て以降、俺の目に世界はすべて白黒で映るようになった。そのために、俺は手術を行い、かつこの『指輪』をつけるようになった。
 この指輪型の外部ユニットは、脳みそに埋め込まれた機械を通して俺に色彩を伝えるためのセンサーの役目を果たしている。いや、果たすはずだった。
「まずったな、どうすりゃいいんだ」
 だが、床に落とした衝撃で機械は本来の機能を失った。
 いつもだったら仕方がないと、潔く諦めて良かった。機械を直してから改めて描きに来ればいいだけの話だからだ。
 しかし今回は、新しくできた美術館の、数日後のグランドオープンの目玉の一つとして依頼が来ている。なにより、覆面アーティストの俺は、人払いが完璧にできる今のタイミングでしか描きに来ることができない。
「まったくどうするか……」
 俺はぐしゃりと頭を掻きあげて、足場に寄りかかる。金属同士がぶつかり軋む音が響く。それと同時に、防塵カバーの固定が外れて、まるでカーテンのようにはためいた。隙間から青空が覗くが、色彩を失った俺にとっては『灰』空でしかない。
 俺は眉をひそめる。
 モノクロの世界。俺は自分の目に写るこの世界が大嫌いだった。だから、それを俺に押し付ける『タブレット』も同様に、心の底から嫌悪している。
 陰気で、活気のない世界。機械で補完され、着色された視界すらも、所詮は偽物でしかない。
 まだ若かりし頃、俺はそんな不満を絵にして描いた。わざと目まぐるしい色彩を用いて、叩きつけた。
 あらゆる不満を偽物の色彩に乗せて、形にした。いや、形にすることでどうにか『本物』にしようと思ったのだ。
 グラフィティを評価されたことで、俺はどうにか『偽物』を『本物』に。モノクロの世界を、鮮やかな色彩溢れる世界にできたと思っていた。
 だが、やはりこの世界は、この視界は、結局それを阻むのだ。
 カーテンが開いて空がのぞいても、それが灰色の世界だったら何の意味もない。俺は目を閉じる。視界が黒に染まる。俺の嫌いな珈琲のような真っ黒だ。
 だが、ふいにそれが揺らいだ。いや、揺らいだような気がしたのだ。俺の頭の中で、何かが弾ける。
 俺は目を開いた。そしてもう一度、カーテンのように揺らめくカバーに目を向ける。
「……そうだよな、別に青空じゃなくてもいいんだよな……」



 数日後の現代美術館のグランドオープン初日。
 真新しい建物の中で、人々は幾多の芸術家が生み出した美術作品に目を通していく。
 そして、そんな美術館の裏庭でも、気鋭の覆面グラフィティアーティストの最新作が公開されるはずであった。
 だが、そこにあるのはいまだ工事途中であるかのような防塵カバーだけ――いや、その防塵カバーの先に作品が隠されているのだ。
 そこまで足を運んだ人々は、まるで幼い子供時代、絵本のページをめくったときのようなワクワクした気持ちでカバーをめくる。そこには――、


 客たちの感嘆のどよめきを聞いて、俺は満足な気持ちで唇の端を吊り上げる。
「なかなか好評みたいじゃないか、良かったな」
「うっせえな」
 いつの間にか俺の隣にいたのは、馴染みのエージェントのおっさんだった。
 俺は緩んだ顔を見られたくなくて、被っていたキャップを目深に引っ張る。
「そう謙遜するな。いい絵だと思うぞ。しかし派手な色使いを好んでいるお前が、まさか夜空を描くとはな」
 防塵カバーの奥にあるのは、真っ黒な壁だ。だが、それはただ黒いだけの壁じゃない。黒い壁には、満天の星が描かれているのだ。俺は美術館に頼んで、足場とカバーをそのままにして貰った。防塵カバーは、まさに夜空にかかるカーテンの役目を果たしている。
「お前は苛立ちとか、不満だとか、そんなものをモチーフに皮肉めいたグラフィティを描く奴だと思っていたが、こんな穏やかな絵も描けるんだな」
「別に穏やかじゃないさ。これは珈琲だからな」
 怪訝な顔をするエージェントを無視して、俺は自分の描いた絵を見る。
 あの時、俺の脳裏に浮かんだのは出掛けに飲んでいた珈琲だった。泡が浮かんでは消え、波紋の広がる珈琲。
 つまり空は苦くて不味い真っ黒な液体で、星屑は浮かび上がる泡に他ならない。
 それを思いついた時、世界は嫌になるほど珈琲に似ていると気付いた。
 焦げ付いたような苛立ちに溢れ、不快になるほど甘ったるく、絶望のように苦い。
「でもさ、それがどうしたって言うんだよ」
 大嫌いな珈琲。だけど、俺はそれを毎日飲む。
 真っ黒な珈琲が嫌いなら、ミルクを入れればいい。灰色の空が嫌いなら、目を背ければいい。でも、それをしないのは何故か。
 誰かに強制された訳じゃないけど、俺がそれを選択したのだ。
 それは、嫌いなものからただ逃げ続けても、何の意味もないと気付いているから。あるいは、目を逸らさず立ち向かえば、いつかは違う景色が見られると信じているからか。
 本当は深い意味もなく、単なる気休めに過ぎなくても。
「ともかく俺は、大嫌いな珈琲をそれでも毎日飲み続けるのさ」
 俺はエージェントのおっさんと、描き終わったグラフィティに背を向けた。
 さぁ、次は何を描こう。
 世界はどうしようもなくクソったれで、まるで珈琲のような毎日。そこにどんな色彩を書き殴ろう。
 俺は灰色の空を見上げて、目を細めた。 

 


【終】


【お題一覧】
珈琲、忘れ物、バグ、指輪、タブレット、カーテン、絵本、星空

 

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