果たしてそれはいつの時代のことか。
街外れに住んでいた一人の変わり者の博士が、一体のロボットを作った。
人間の命を守ることや、製作者の命令を聞くことなど、いくつかのプログラムが組み込まれている。
そのロボットは人型ロボットの試作品だったのだが、システムのバランスがおかしいのか、それともエネルギーチャージの接続が悪いのか。大昔のどこかの国の貴婦人みたいに、それはもう頻繁にパタパタと倒れた。
博士は呆れてそのロボットを、『ダーマ<貴婦人さん>』と呼ぶことにした。
しばらくして博士は、もう一体ロボットを作った。同じようにいくつかのプログラムを組み込んである。
今度は女性型ロボットの試作品だったのだが、『ダーマ』の予備パーツや余った材料、それでも足りない部分はすでに『ダーマ』に組み込まれていた材料を剥ぎ取って作ったりしたので、なんとたったの5ドルで完成してしまった。
博士は嬉しくなって、そのロボットを『ヴィー<五ドル札>』と呼ぶことにした。
さて、『ダーマ』と『ヴィー』は試作品らしく欠陥だらけのロボットだったのだが、博士は『ダーマ』と『ヴィー』の設計図を元にしていくつもの新しいロボットを作っていった。
バージョンを重ねるうちに、ロボットはどんどん精度を増していく。時にはとんでもない失敗作ができあがったりもしたが、それでも博士の作るロボットはだんだん人間らしくなっていった。
やがて博士の努力は実を結んだ。博士はついに、人と外見上寸分違わぬ、また話してもみても語らせてみても見分けが付かない、場合によっては人以上の能力をも持ち合わせたロボットを作れるようになったのだ。
街外れに住む変わり者の博士は、世間からロボット工学の権威と呼ばれるようになった。ついでにお金もいっぱい貰えるようになった。
さて、世間に認められ、金銭的にも余裕の出来た博士は、ふと思いたって自分が最初に作った二体の試作品ロボットを改良することにした。
よく倒れる『ダーマ』も、たった五ドルで完成させた『ヴィー』も、どうにか人の形をしているだけだったところを、持て得る限りの技術と財力を費やすことで、特別製のロボットに生まれ変わらせた。
博士のロボット技術は世間に広まり、何千、何万体ものロボットが当たり前のように世界中で使われるようになっていたけれど、だからこそ最初の二体のロボットは、博士にとってはことのほか思い入れのある存在だった。
あるいは初めのころと比べ、自分の技術がどれだけ進歩したのか、確かめてみたいという気持ちも博士にはあったのかも知れない。
手間隙をかけられ、すっかりピカピカになった二体のロボットを、博士は自分の傍で働かせることにした。
もはや貴婦人のように倒れることのなくなった『ダーマ』には、執事ロボットとして施設の維持や庭の手入れを任せることにした。また、五ドルどころか何十万ドルもの費用をかけて改良された『ヴィー』には、秘書ロボットとしてお茶汲みやスケジュールの管理などを任せることにした。
やがて歳月が過ぎ、年老いた博士は隠居し、郊外に買った土地に引きこもるようになった。
作り上げた何百体ものロボットはすべて売るか、人にあげるかしてしまったが、『ダーマ』と『ヴィー』だけはずっと手元に置いておいた。
ロボット製作に人生を捧げ、結婚もせず、子供もいない博士には、いつしか『ダーマ』と『ヴィー』がまるで我が子のごとく感じられるようになっていた。
どれだけ人によく似ていても、『ダーマ』と『ヴィー』は自分の作ったロボットで、感情も何もプログラムされたとおりに動くだけだと知っていたけれど、それでも博士は構わなかった。博士は二体に惜しみない愛情を注いだ。
さて、博士が作ったロボットのおかげで、世界はかつてと比べ物にならないくらい豊かになっていた。人間があくせく働かなくても、労働はすべてロボットがしてくれる。人は芸術や娯楽や学問など、精神を豊かにすることだけを考えれば良いように変わっていった。
しかしそれだけ世界のあり方が変わっても、残念なことに人がいがみ合うことだけは変わらなかった。
いったいどこで歯車が狂ったのか、いつしか世界は大きな戦争に向けて進みつつあった。もはやその流れは止めようもなかった。
博士の作った何百体のロボットも、博士の技術を元にして作られた何万体のロボットも、すべてが戦争の道具となった。隠居していた博士も呼び戻され、戦争のために兵器を作る手伝いをさせられることとなった。
国の研究施設に移ることになった日、博士は『ダーマ』と『ヴィー』を呼び出すと二体にひとつの命令を与えた。
それは、屋敷に残り、地下にあるシェルターで、そのシェルターの管理と維持をおこなうこと、という命令だった。そうして博士はその命令と、施設と彼ら自身の整備の方法だけを残し、あとのデータをすべて二体の機体から抜き去って、外部の記録媒体に移してしまった。
博士は改めて、『ダーマ』と『ヴィー』に命じた。
この記録媒体にアクセスして、データをロードしてはならない。また自分が戻るまでシェルターから出てはいけない、と。
実のところ博士は、自分が作ったロボットが戦争の道具となることに我慢が出来なかった。特に我が子のようにすら思う『ダーマ』と『ヴィー』。この二体だけはどうしても、戦争に関わらせたくはなかった。
だから博士は二体を隠すことにしたのだった。また役に立つデータをほとんど外に移してしまえば、万が一、地下シェルターが見つかっても二体が戦争に利用されることはないだろうとも考えて、機体とデータを別々に分けることもした。
ふと思いついた博士は、さらにそこにひとつの仕掛けをほどこした。もっとも、それはあまりにも科学者らしくない空想で、博士はつい苦笑する。それでも博士は満足だった。
そうして二体に別れを告げた博士は、シェルターに鍵をかけ、愛着のある屋敷を去った。無事に戦争が終わったら、その時にはまたここに戻り、『三人』で穏やかに暮らしたいものだと願いながら。
それから、いったいどれだけの歳月が過ぎたことだろう。
管理と維持が徹底されているシェルターにも、あちこちに綻びが見られるようになってきた頃。いつものように広いシェルター内を整備していた一体のロボットは、そこで見慣れないものをみつけた。
はたして何処から紛れ込んできたのか。それの見た目は、まるで短いケーブルに似ている。また、中にモーターでも組み込まれているかのように、何に触れなくても勝手に動いた。
ロボットは、データになくとも、この紐のようなものは『命あるもの』なのだと理解した。だが、この『命あるもの』は、エネルギー切れを起こしかけているのか動きがひどく鈍い。恐らく、このままではその命は失われてしまうのだろう。
ふいにロボットの中に、ぷかりとあるプログラムの断片が浮かび上がった。それは『何か』の命を守ることを、ロボットに訴えかけた。
データを失ってしまっている今では、『何か』とは『何』なのか、そのロボットには分からない。しかし分からなくてもなお、ロボットは今目の前にある命を救いたかった。欠片となってしまっていても、回路の中心でそのプログラムは、存在を強固に主張している。
けれど、そうするにはひとつ大きな障害があった。ロボットの中には施設と自分達の修繕の仕方についての知識があっても、命あるものを救う方法はインプットされていない。いや、かつては存在していたが、外部に移されてしまった今となってはないも同然だった。
ロボットは困った。しかし困ると同時にロボットには、その方法が記録されている媒体が残されていることも分かっていた。
その媒体にアクセスすることは禁止事項だったけれど、『何か』の命を救うことは、基本原理として最優先にプログラムされている。
まるで迷い子の様に回路の中で幾度も電気信号を巡らせた後、とうとうロボットはプログラムを実行した。そのロボットは、禁止されていた記録媒体にアクセスし、かつて自分の中から失われた膨大な量のデータをロードしたのだ。
データは極めて長い間保存され続けていたけれど、ほんの一箇所のエラーもなく完璧に残っていた。それはまるで奇跡のようだった。
そして――、『彼女』はすべてを思い出した。
『彼女』は自分とともにシェルターを管理していたもう一体のロボットにも、データをロードさせる。
二体のロボットにデータが再インストールされた瞬間、シェルターのロックが解除された。それは、ある人物の手によって設定されていたものだった。
実のところその人物は、”単なるロボット”が自発的に命令に背くことは有り得ないだろうと考えていた。ロボットとは感情も何もプログラムされたとおりに、動くだけのものだと知っていたから。しかしそれでもなお、夢物語のような空想に希望を託し、彼はこの仕組みを設定していたのだった。
カレンダー機能が正常であるのなら、あれから途方もなく長い年月が経過している。間違いなくその人物――博士はいなくなってしまっているだろうし、それどころか戦争の後、生き残っている人間がいるのかどうかすらも分からない。
それでも、かつて『DAMA<ダーマ>』と『VEE<ヴィー>』と呼ばれていた『二人』は、開いた扉をくぐり、閉じられた世界から外の世界へ足を踏み出した。
それが自分たちの主の、確かな望みなのだと分かっていたから。
【終】
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