≡ ご主人様とお人形 ≡
彼女が時計に目をやると、帰宅予定時間がすぐそこまで迫っていた。
「あんまり遅くなるとご主人様に怒られてしまうかも知れません」 彼女は慌てて帰路をたどる。
彼女は呟く。 「だってわたくしは優秀なメイドロボットですから――、」
21××年。ロボット産業は大幅に発展して、人々の生活にロボットは欠かせないものとなっていた。
始めはそれこそぎこちなく動き、決まったパターンの言葉を耳障りな合成音で喋るだけのロボットが主流だった。しかし人はもっとも身近な道具が、味気のない機械のままであることを長く許しはしなかった。 すぐに人間そっくりな外見と、人間以上に細やかな感情、もちろん自立思考さえ可能な、人類が夢にまで見た完璧なヒューマノイドが誕生したのである。 人類の友と称賛され、また見かけは人とまったく区別がつかずとも、同時にロボットは人間に忠実な下僕でもある。
すなわち「すべては
「遅くなって申し訳ございません、ご主人様」 華やかなメイド服の裾をひらめかせ、彼女は高級アパートの一室に帰ってきた。
もっとも本当に遅れて帰ってきても、彼女の主はけして怒ったりはしないだろう。
どこへ出しても恥ずかしくない完璧な主人だ。彼女はそれを秘かに誇りに思っていた。 「わたくしが不在の間、何か変わったことなどはございませんでしたか?」 買い物袋の中身を整理しながら彼女は尋ねる。主はリビングの揺り椅子に座り、窓の外を眺めながらのんびりと答えた。 「いいえ、特になかったですよ。ああ、二時過ぎ頃にセールスマンがひとり勧誘に来ましたけれど、三日前に来たのと同じ人でしたね。あまり重要な用事というわけでもなさそうでしたよ」
どこかおっとりしていて世間離れした雰囲気を持つ主は、くすくすとおかしそうに笑う。
「それよりも、君の方こそ何かあったのですか。珍しく帰宅時間がぎりぎりでしたね」
頭を下げてしおらしく謝る。しかし主人は彼女に優しく微笑み、逆にねぎらいの言葉をかけた。 「謝る必要はどこにもないですよ。むしろどうせなんだから、もっとゆっくりして来ればよかったのに」
心のこもった言葉に、彼女はさっと頬を赤くして俯いた。最近のロボットは言葉も感情も本当に人にそっくりなのだ。
「本日のディナーはミルクシチューにミートパイ。アプリコットのシャーベットもありますのよ」 そうして野菜を切り分けていた彼女だが、背後から聞こえたがたんという大きな物音に振り返る。慌ててリビングに向かうと、彼女の主は壊れた人形のように床に倒れていた。 彼女は青ざめた顔で、大きな悲鳴を上げた。
「大丈夫ですよ、何の心配もありませんって」 穏やかに優しげな声がかけられる。
あの後すぐに彼女は緊急ダイヤルに連絡をした。主を寝室のベッドに寝かせ、待つこと十数分。ロボット購入時の取り決めに従って、すぐに彼ら担当職員が駆けつけてきた。 「うちの先生はすごく優秀な方ですからね。きっとすぐになおしてくれますよ。安心してください」 隣にはその助手が残り、彼女を落ち着かせようと懸命に話しかけてくる。 「僕が助手になってからだいぶ経ちますけど、あの人は本当に立派な――、」
ぎぎぃっと寝室の扉が開き、初老の男性がゆっくりと出てきた。 「どうなんですか、先生っ」 彼女は急いで男性に駆け寄る。 「とりあえず、処置は済ませました」 彼はふうとため息をつく。 「神経回路に負荷が生じていたようですね。しばらく無理はさせないでください」
その言葉に彼女は息を呑む。彼女は長らく蒼白な顔にショックを隠しきれないという表情を浮かべていたが、それでもやがてゆっくりとうなずいた。 「そうですか。悲しいですけれど、仕方がありませんわね。忘れてしまったものは、もう一度覚えなおせばいいだけですもの」
「管理者登録をお願いします。マスター」 寝室からはそんな言葉が聞こえてきた。
「いやあ、きれいな人でしたね。先生」
帰り道、すでに暗くなった街角を歩きつつ助手は男性に話しかける。 「最近は人間とロボットは本当に見分けがつかなくなりましたからね。僕はどちらがヒューマノイドなのだかすぐには判別できなかったですよ」 助手は笑って肩をすくめる。しかし男性はうかない顔のままだった。 「どうしたんですか、先生。もしかするとご気分でも悪いんですか?」 助手は心配そうに男性を覗き込むが、彼は小さく首を振った。 「いいや、大丈夫だよ。私は長年技術者をやってきたが、こんな時代が来るとは想像もできなかったと思ってね」 本当にやりきれん世の中になったものだよ、と彼はため息をつく。 「まさかメイドロボットならぬ、 人間にそっくりなヒューマノイドが作られ始めた当初、人々は自分の意のままに動かせることができる召使ロボットの類いを競うようにして求めていた。 しかし時が経つにつれ、人々の中には命令するよりも命令をされていたい。誰よりも立派な主人を持って、その言うことに従っている方が心地よいと感じる人間が増えていった。
最近に至っては今回の依頼人のように、自らをロボットに見立て機械の振りをする人間さえ現れ始めている。 「倒錯的な時代だよ。本当に訳がわからん」 彼は深々とため息をつき、自らの助手に力なく微笑みかける。 「私にはお前のような助手ロボットがいれば充分なんだがね」
人間そっくりの助手ロボットは屈託のない笑顔で自らの主人にこたえた。 ロボットの存在理由はすべて人間に依存する。
【終】 |