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競作小説企画「夏休みの思い出」参加作品
  ≡ 夏祭 ≡

 

 未舗装の山道をゆっくり登っていくと、そこについた時にはすでに夜半過ぎだった。
 山腹を切り開くように作られた広場。かつては村の産業であった林業の資材置き場だった場所だが、今この瞬間にはいくつも連ねられた提灯の明かりが宵闇を照らし、笛や太鼓の賑やかな祭囃子が辺りに響き渡っていた。
 杖を突きながらそこに足を踏み入れたぼくに最初に気がついたのは、幼馴染みである杉浦兵悟だった。村の若者組の組頭を務める彼は、祭の実行委員会の一員として毎年忙しそうにあたりを駆け回っていた。
 脱色もしない短い黒髪に捻り鉢巻を締めて、素肌に着込んだ半被をたすきで捲り上げていた兵悟は、ぼくを見かけると目を輝かせて駆け寄ってくる。
「なんだ、健治。今年も来たのか!」
「うん。そうなんだ」
 昔とまったく変わらぬ快活さで、兵悟は破顔一笑する。
「そっかそっか。毎年毎年、律儀だな! と、その杖はどうしたんだ? 怪我でもしたのか?」
「いいや。この頃はどうにも山道がきつくってね」
「おいおい、これだから長年都会暮らしをしている軟弱なひ弱っこは。この村じゃ90過ぎのじさまばさまもツーステップでこんぐらいは踏破するぜ?」
「それはさすがに言いすぎだろう」
 豪快な兵悟の冗談に、ぼくは思わず吹き出す。すると祭の会場からもう一人の人物が近付いてきて、ぼくに親しげに声をかけた。
「なんだい、健坊。来てたのかい。足腰が鈍ったって? 少年野球のエースが形無しだな」
「重さん。それいつの話ですか。さすがにもう健坊はよしてくださいよ」
「そんなのちょっと前の話だろう。おれにとってはいくつになっても健坊は健坊だ」
 そう言った笑ったのは村で木地屋をやっていた重三さん。角ばったいかつい顔をして、指もソーセージのように太いのに、そこから生まれる細工はどれも見事な一級品だった。
「しかしお前も大きくなったよな。おれはお前が生まれ時を知ってるけど、あんなに小さかった赤ん坊がもうこんなのだからな」
「だからそれっていつの話ですか」
 重さんは大の子供好きで、幼い頃は近所の子供たちと一緒によく遊んでもらっていた。
 だからいくつになっても人を子ども扱いする癖が抜けないし、ぼくの方もなんとなく強気には出られない。
「まぁ、いいじゃないか」
 ぽんと頭に乗せようとした手を、決まり悪そうに引っ込めて重さんは苦笑する。
「健坊は祭に参加はできないけど、雰囲気だけは楽しんでいってな」
「ええ、分かりました」
 ぼくと重さんのやりとりを横で聞いて笑いを堪えていた兵悟もうなずく。
「俺も仕事があるからずっと構っていてはやれないけど、ゆっくり見て回っていけよ」
「ああ、ありがとう。兵悟」
 祭囃子の中に戻っていく背中を見送り、ぼくは変わらない様子を見せてくれた二人に胸の締め付けられるような懐かしさを感じてふっと息を漏らす。
 ここは、いつにきても変わらない。
 嬉しいような切ないような、そんな複雑な感情を胸に湛え、ぼくもまた祭の中に足を踏み入れた。


 広場の中心では大きな櫓が組まれ、その上では大工の棟梁が威勢よく太鼓を叩いている。櫓の周りでは人々が輪になって、楽しそうに盆踊りを踊っていた。
 大人も子供も屋台で買ったお面を被り、浴衣を着て、日常とは異なる空間を形成する一因となっている。
 また広場には様々な屋台も出回っていた。焼きソバ、綿菓子、カキ氷、リンゴ飴などといった定番の食べ物から、射的やくじ引き、金魚すくい等のこれまたお約束の娯楽まで、区画を区切るように広場に整然と整列している。その間をこずかいをしっかりとその手に握り締めた子供たちが、はしゃぎながら駆け抜けていっていた。
 その中で唯一私服であるぼくだけは一人そこから浮いており、そのせいで楽しい祭の場からはじき出されているような感じがあった。それがなんとも寂しく、わずかに所在のない気持ちで人ごみを縫うように歩いていると、ふいに目の前で金魚柄の浴衣に身を包んだ子供が転倒した。
 もともと半泣きだったその子は転んでしまったことで涙腺の堤防が決壊してしまったらしく、声を高らかに上げ盛大に泣き始めた。
「だ、大丈夫かい?」
 助け起こすこともできず、ぼくはそのこの前にぎくしゃくとしゃがみ込むと、おろおろと声を掛ける。可愛らしく髪を耳の上で結わいていたこの少女もまたしっかりとお面をつけていたけれど、もともとが小さな山間の村だ。子供の数も限られていたため、ぼくはその子が誰なのか気がついた。
「えっと、君は確か……小谷さん、の所の娘さんだったよね。名前は?」
「みかこ……。まま、ままぁっ」
 ぐずぐずとしゃくりながら名乗った少女は、再び大声で母親を呼びながら泣き出した。
「そうか、みかこちゃんはお母さんとはぐれちゃったんだね。じゃあ、一緒に探してあげるから立ち上がって」
 彼女はしばらく地面に転がったまま泣いていたけれど、このままじゃ埒が明かないと自分でも気付いたのだろう。のそのそと立ち上がってぼくについてくる。
「小谷さぁんっ!! みかこちゃんのお母さ――んっ!!」
「ままぁぁ……っ」
 ぼくとみかこちゃんは声を張り上げながら、人ごみの間を行進していく。それが功を奏したのだろう。ふいに一人の女性が大慌てで駆け寄ってきた。
「みかこっ!!」
 やはりお面を被ったその人はぼくには目もくれず、必死な様子でみかこちゃんを抱き上げた。
「もう、駄目じゃない。勝手に歩き回っちゃ。お母さん、心配したのよ」
「ごめんなさぁぁい……」
 安堵からまたぐずり始める彼女を母親はぎゅっと抱きしめる。そしてようやくぼくの方を振り返った。
「ああ、あなたは……。みかこがお世話になりました」
「いえ、どういたしまして。またはぐれたりしないように、しっかり手を握ってあげていてくださいね」
 深々と頭を下げてくる若い母親に首を振り、まだ泣きべそのまま手を振るみかこちゃんにぼくも手を振り返して、仲良く手を繋いだ親子が人ごみの中に消えていくのを見送る。
 そうすると途端に、どっと疲れが湧いて出た。山道を登ってくるのに加え、ずっとあたりを歩き回っていた所為で疲労が限界に達してしまったらしい。
 杖に寄りかかるように立ちながら、どこか休める場所がないかと思いきょろきょろと視線をめぐらせていると、ふいに後ろから声を掛けられた。
「健治君」
「サエ……」
 振り返ると、そこには紺地に朝顔をあしらった浴衣を着た華奢な少女が立っていた。顔にはやっぱりお面を被っていたが、ぼくはその声だけで彼女が誰だか分かった。
 それはぼくの小学生時代からの同級生であった、宮本サエだった。
「見てたよ。お手柄だったね、健治君。疲れたでしょう、こっちにきて少し休みましょう」
 彼女はお面をずらしてにっこりと微笑むと、ぼくを手招きする。
 彼女に連れられて行くように広場の端まで歩いていくと、サエはそこに転がっていた倒木の上に腰をかけ隣を指し示した。ぼくもそこにおずおずと座る。
 そこからは祭の全体が良く見渡せた。お囃子が賑わい、楽しそうな笑い声が響き、やわらかなちょうちんの灯かりに照らされた祭の会場は、現実離れしつつも懐かしくて、郷愁を掻きたてられずにはいられない。
 思えば幼い頃からずっと夏休みの思い出には、同じ夏祭りの景色があった。
 そこにはいつも同じように兵吾の姿があり、重さんがいて、そしてサエがいた。
 ぼくの記憶の深い所に鮮明に刻み込まれた風景。大切な大切な、何にも変えがたい思い出だ。
 サエは手にしたラムネを飲みながら、昨日ぶりに会ったかのようにごく自然に声をかけてきた。
「ねぇ、そっちはどう?」
「うん。とてもあわただしいよ」
 ぼくはこれまでの日々を思い返して、とつとつと答える。
 街での暮らしは何もかも目まぐるしく、気がつけば村を離れてからこれほどまでに長い年月がたってしまった。
「でも、大きな街だと人がいっぱいいるし、色んなお店があるし、賑やかで楽しいでしょう?」
「そうだね。でも人がたくさんいてもほとんどの人は皆それぞれ無関心だし、賑やかで楽しくてもどこか空しいよ。ぼくはこの村の方がいい」
「そっか。色々大変だったんだね」
 労わるように優しく微笑みかけるサエがとてもありがたくて、ぼくははにかみながら小さくうなずく。
 村民数百名ほどの、小さな集落。山間にあり、何をするにもけっして便利とは言えない。
 だけど道行く誰もが顔見知りで、互いに互いを思い合って、生活はささやかでも肩を寄せ合って暮らしていた。暖かで穏やかなぼくの村。
 辛いこと、悲しいことがあるとぼくは必ず村の事を思い出していた。
 ぼくはずっと、この村に帰りたかった。
 祭の光景を目に焼き付けるように視線を真っ直ぐに向けたまま、ぼくはぽつりと漏らす。
「……来年にはね、ぼくもやっとこの祭に参加できるようになりそうなんだ」
「そうなの……?」
 彼女ははっとした表情でこちらをじっと見る。
「でも、そんなに急がなくたっていいのよ? もっとゆっくり、そっちでの暮らしを楽しんでからでも全然平気よ」
 どこか慌てたような様子を見せるサエに、ぼくはゆっくり首を振った。
「自分のことだからね。自分が一番よく分かっているよ」
「そっか……」
 彼女は少し寂しげに目を伏せ微笑む。それから改めてぼくの方に向き直った。
「じゃあ来年は、一緒に回れるのね。楽しみにしているわ」
「うん。ぼくもだ」
 しわしわのぼくの手に被せるように、彼女は手を重ねる。触れ合うことも、暖かさを感じることもないけれど、ぼくは確かに彼女の気配を感じていた。
 星明りの瞬きが弱まり、東の空が少しずつ明け白み始める。
 夜が明ける。祭はもうおしまいだ。ハレの時間は終わり、日常が戻ってくる。
「サエっ!」
 祭場から、兵悟がサエを呼んだ。その隣には重さんがいて、みかこちゃんとお母さんがいて、他にもぼくをよく知る、ぼくのよく知った村の人たちが揃っている。
 サエはぼくを見てにっこり笑うと、村の人たちのほうへ駆けて行った。ぼくはその姿を羨望の眼差しで見送る。
「じゃあなっ。また来年な! それまでしっかりやれよ!」
 兵悟が大きく手を振る。
 彼らの顔には満ち足りた、幸せそうな表情が浮かんでいる。
 そして、差し込み始めた日の光に溶けるように、彼らの姿はゆっくりと消えていった。


 蝉の声がやかましく響き始めた。
 日の光に晒された広場には何もなく、ただ古ぼけた慰霊碑がぽつんと置いてあるだけだった。
 今から70年ほど前、ぼくの村は一夜にして消えた。
 大型の台風が降らせた大雨で地盤が緩み、数日後に起きた突然の山崩れが村を飲み込んだのだ。
 その日は折りしも夏祭りの最中で、当然のように会場となっていた広場もその被害の範囲内にあった。そこには村の大半の人たちが集まっていた。
 かつてない規模の大災害に、テレビも新聞も声を揃えて連日の放送を続けていた。ぼくはそれをただ呆然と見つめていた。
 夏休みだったその日、離婚して都会に移った母親に会うためにぼくはひとり村を離れており、偶然にもその難を逃れたのだ。
 村はもうどこにもない。
 土砂に埋まった山腹の広場は整備され、被災者の追悼のための慰霊碑が建てられたけれど、住人の大半を失った村はその存在を維持することができず、残った僅かな村人も霧散するように余所の地に移ってしまった。ぼくもまた、都会に出た母親に引き取られ、そこで暮らすようになった。
 ぼくがこの祭に気付いたのは災害から10年以上がたった後だった。
 慣れない都会での生活にもどうにか順応し、長い長い時間をかけてようやく踏ん切りをつけて、ぼくはとうとうその地を訪れた。
 しかし災害があったのと同じ日にかつての村の広場を訪れたぼくの目に映ったのは、あの最後の日を再現するように繰り返されている夏祭り。変わらぬ姿で笑いかけてくる村人の姿だった。
 ――もしかするとそれは、死者の霊が戻ってきたとか、時空の歪みとかそういう不思議な現象ではないのかもしれない。
 寂しさに耐え切れなかったぼく自身が見せた、ただ幻なのかもしれない。
 だけどぼくはこの時期になると、毎年ここを訪れるようになった。
 繰り返される夏の祭は、もはや失うことのできないぼくの大切な心の支えだった。
 目を閉じて古い記憶を蘇らせていたぼくは、ひとつ息をついて立ち上がる。
 ぼくは都会へ戻り、日常へ帰る。
 もしもぼくの考えが確かならば、きっとこの祭りは今年で最後になるだろう。
 ぼくも歳を取り、身体のあちこちにガタがきている。先日受けた病院の診断結果も、けして芳しいものではなかった。
 だけど、それでも構わない。
 だってぼくはこれまで懸命に生きてきた。
 そして最後の日まで、同じように精いっぱい生き続けるつもりだ。
 優しい祭囃子が、今もぼくの中で鳴り響いている。
 大好きな懐かしい人たちに胸を張って会えるよう。
 村に還るその日まで。


 

<終>

素材:十五夜

 

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