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     ≡ ある眼鏡夫妻のはなし ≡

 

 まぁ、あるところに眼鏡をかけた夫婦が居ると思ってくださいよ。
 この夫妻、実は揃って眼鏡が大好きでした。

 コンタクトじゃ駄目です。眼鏡じゃなきゃいけないんです。

 旦那さんは眼鏡が顔になじみすぎて、眼鏡をかけたまま泡立てた石鹸で顔を洗ってしまいそうになることが週に六〜七回ありましたし、奥さんは眼鏡に違和感がなさすぎて、そのまま化粧をしようと眼鏡に白粉をはたいてしまうことが週に六〜七回ありました。

 二人にとって眼鏡は顔の一部でした。
 つうか魂の一部と言っても良い、と常日頃から豪語しているつわものでした。

 そんな二人ですから、当然持っている眼鏡の数も半端ありません。

 毎日かける眼鏡を替えたとしても、二人揃って三百六十五日違う眼鏡が楽しめるぐらいたくさんの眼鏡が揃っていました。
 実際ほぼ日替わりで違う眼鏡をかけていましたし、むしろあんまりにも数が多いので実は一度もかけたことがない眼鏡もいくつかありました。これは内緒の話です。

 夫妻の趣味は眼鏡のレンズを磨くことでした。
 放っておくと日がな一日眼鏡を磨いています。磨きすぎて磨耗して度数が変わってしまうこともしばしばありました。

 二人はよく眼鏡をかけて散歩に出かけます。
 大好きな眼鏡を通して景色を楽しむという目的もありましたが、お気に入りの眼鏡を道行く人々に見せびらかすという目的もありました。

 要するに二人は骨の髄から、むしろ視神経の髄から眼鏡を愛していました。

 そうやって日々素敵な眼鏡ライフを楽しんでいる夫妻でしたが、ある時二人にとんでもない事件が起こりました。
 きっかけは旦那さんでした。

 旦那さんは奥さんに言います。

「眼鏡をひとつ里子に出すことにしたよ」

 里子です。
 あげるとかプレゼントするとかじゃない辺りが、もはやただものではありません。

「まぁ、どうしてそんなことになったの?」

 奥さんはびっくりです。
 なにしろ奥さんにとっては寝眼鏡に水な話でしたし、里子に出すことになったのがワインレッドのフレームに楕円形のつぶれたレンズが可愛らしい、二人のお気に入りの眼鏡だったから余計です。

「散歩の途中で出会った老紳士がね、あの眼鏡を見初めてどうしても譲り受けたいと言ってきたんだよ。その代わりに誰も手に入れたことがないような、素晴らしい眼鏡を差し上げるからって」

 眼鏡は二人にとって互いの次に大切なものでしたし、マイ・フェイバリット眼鏡にも執着があります。
 だけどやっぱり、誰もかけたことがない素敵な眼鏡には興味がありました。

 そんな訳で、夫妻は悩みに悩んだ末、お気に入りの眼鏡を見知らぬ老紳士に贈呈することにしたのでした。

 
 

 それから数日後、約束どおり夫妻の元に気に入っていた眼鏡の代わりがやってきました。
 しかしそれは眼鏡ではありませんでした。

 それは小さな男の子でした。

 夫妻はそりゃあもうびっくり仰天です。
 てっきり素敵な眼鏡が手元に届くと思ったのに、あらわれたのは一人の子供。

 つうか、眼鏡と引き換えにやり取りするモンじゃないだろう、という話です。
 まったくです。

 旦那さんは騙されたと怒りましたし、奥さんは素敵な眼鏡を手に入れ損ねたとがっかりしました。
 そしてこの子供をどうすればよいのかと途方に暮れました。

 多くの眼鏡好きがそうであるように、夫妻は子供が苦手でした。

 べたべたとレンズに指紋を付けられるのは我慢ならないことでしたし、どたばたと我が物顔で歩き回り、大切な眼鏡をぽっきり踏み潰されてしまったらと考えると全身の血の気が引く思いでした。

 だいたいこの子供、見るからに眼鏡が似合わなそうな顔つきをしているし、視力もがっつり7.5はありました。マサイ族もびっくりです。

 ようするに何から何まで夫妻とは合わない子供でした。

 これはすぐにあの老紳士を見つけて子供を返品しなくてはなりません。
 そして眼鏡を取り返さなくては。

 夫妻は持て得る限りの眼鏡ネットワークを使って老紳士を探し始めることにしました。

 もっともその間、男の子を放って置く訳にもいきませんから、ワインレッドの眼鏡の替わりにその子をコレクションルームに置いておくことにしました。だけど大事な眼鏡に悪戯されても困るので、他の眼鏡は別のコレクションルームに移し変えました。
 コレクションルームの一室はなし崩し的に男の子の部屋になったのでした。

 そうやって大急ぎで老紳士を探し始める準備を整えた夫妻ですが、二人はここで男の子に大事なことを聞き忘れていることに気が付きました。

「そういや君、名前はなんて言うんだい」
「メガネ」

 男の子は答えました。

 夫妻は顔を見合わせます。
 そして、少しの間だったらこの子を家に置いてあげてもいいかなと、ちらっと思ったのでした。


 

 それから十年の歳月が流れましたが、やっぱり男の子は夫妻の家に居ました。

 夫妻は生まれながらの弱視が進行して、今では眼鏡をかけてもほとんど物が見えない状態でした。もっともそれは初めから承知していたことなので、仕方がありません。
 だけど夫妻はその所為で困ることは何一つありませんでした。

 成長した男の子は夫妻のかわりに眼鏡を磨きます。
 そして夫妻の手を引いて散歩に出かけます。

 夫妻は大好きな眼鏡を通して景色を楽しむことはもうできませんでしたが、その代わりに男の子がどこに何があるかを事細かに教えてくれます。

 気が付けば夫妻にとって男の子の存在は、互いと同じくらい大切な存在でした。
 マイ・フェイバリット眼鏡すら、もはや惜しくない程に。

 旦那さんは言います。

「眼鏡とは本来、自分だけでは見えないものを見せてくれるものだしな」

 奥さんは言います。

「眼鏡は、人生においてなくてはならない大切なものですものね」

 夫妻はとっくに老紳士を探すことをやめていました。もし道でばったり会っても気付かぬ振りをするだろうし、もしかすると知らん振りをするかも知れません。

 夫妻と男の子は仲良く手を繋いで歩きます。
 散歩の帰り道、夕日に照らされた三人の影はまるで大きな眼鏡のようでした。


 


 

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