それは、とある時代のこと。
とある大陸に、とある国があったそうです。
他の多くの国と比べましても、飛びぬけて大きいわけでも、豊なわけでもない。
しかし都だけはとてもとても美しい。そんな国でありました。
その国はたいへん見栄っ張り王さまとお后さまによって、治められておりました。
そしてそんなお二人を見習って、国の人たちも同じように見栄っ張りでした。
お后さまはやがて一人の子供を身ごもります。
このお話は、ここから始まるのです。
さて、そんな見栄っ張りの王さまが治める国からは、馬車で幾度も月の満ち欠けを眺めなければならないような遠く遠くの山間に、小さな国がありました。
目を見張るような産物もなく、土地も貧しく痩せておりましたが、誰もがささやかに日々の実りに感謝しながら暮らしております。
その国を治めていたのは、決して武勇に優れている訳ではなく、豪放磊落という訳でもありませんでしたが、思慮深く堅実な王さまでした。また、そんな王さまの隣に座るのは、百花繚乱という訳はなく、眉目秀麗というわけではありませんでしたが、慈悲深く優しいお后さまでした。
ある年、王さまとお后さまの間に、待望の男の子が生まれました。赤ん坊は同じ頃に生まれた他の赤ん坊と比べても小さくて、そして病弱でした。
しかしだからこそ王さまとお后さまは、その王子さまをまるで手中の珠のように、大事に大切に育てられたのでありました。
しかし同じ頃、国には一つの問題が起こっておりました。
それは、国でもっとも多く食べられている芋の収穫量が、格段に減ってしまうというものでした。
もともと農産物に乏しい、決して豊かとは言えない国です。
人々はすぐに痩せ衰え、空腹に喘ぐようになりました。
一部の口さがない人たちは、同じ頃に生まれた王子さまの所為ではないかと言い、不吉な王子が悪いと主張することもありましたが、王さまもお后さまも耳を貸しません。
その代わり二人は、国を挙げてその原因の究明に取り掛かりましたが、残念ながら解明の兆しは見えてきませんでした。
それから十年以上の月日がたち、幼かった王子さまは痩せてやつれてはいるものの立派に成長し、王さまをよく助けました。
けれど優しかったお后さまは、病弱な王子さまに少しでも栄養を付けて貰いたいと、崖に生えているコケモモを取ろうと無理をして、落ちて腰を打ち、それから一日中寝込むようになってしまっておりました。
そしてそれを心配した王さまもまた、塞ぎ込み病みがちになり、そのため王子さまは余計に頑張らなければならなくなったのでした。
さて、そんなある日のことです。
王さまと王子さまの下へ、一人の旅の賢女がやってまいりました。賢女は年老い、みすぼらしい格好をしておりましたが、王さまは心から賢女を歓迎いたしました。
食べ物の少ない中、精一杯の歓迎をする王さまたちに賢女は、この国に予言と祝福を授けにやってきたのだと言います。
そして王子さまに向かってこう告げました。
「王子は旅立った先で最初に見た、白い花が咲く国の姫を妃に迎え入れるのです」
賢女はそれきり口を閉ざしてしまいましたが、王さまたちは驚きました。
確かに王子はこれから旅にでることになっていました。それは王位を継ぐ者は、その前に一人旅をしなければならないという昔からの掟によるものでした。
しかしそれを知るのは王族だけのはず。
始めは半信半疑だった王子さまでしたが、それで少しでも国が良くなるのならばと、賢女の予言に従うことにしたのでした。
そして、王子さまが旅に出る年になりました。
色々な国を渡り歩くうちに、王子さまは様々な噂話を耳にすることになります。
とある国に、とても美しい声で歌う姫がいるという噂を聞いた王子は、さっそくその国に向かいました。
貧しい皆がお腹を空かせている自分の国ですが、美しい歌声を聴くことが出来れば少しは心を慰めることが出来るだろうと思ったからです。
しかしその国には赤い花が咲くばかりで、白い花を見かけることはできませんでした。
また、たくさんのお金を持っているという国の噂を聞いて、その国にむかうこともありました。そんな国の姫に嫁いでもらえば、いくらかのお金を貸してもらうことができるだろうと思ったからです。
しかし、その国には黄色い花が咲くばかりで、白い花を見つけることはできませんでした。
長く長く旅を続け、すっかり諦めかけた王子さまは、とある国の畑で白い花が満開になっているのを見かけました。
その花には見覚えがありました。
それは、王子さまの国でもよく食べられている芋の花だったのです。
では、賢女の言っていた白い花の咲く国とは、この国のことに違いないと、王子さまはさっそくお城のあるその国の都に向かいました。
都はまるで夢のように美しく、またお城はぴかぴかに磨き上げられ、街の人々は自分たちの都をなによりも自慢に思っていることがうかがえました。
きっとこの城に住まうお姫さまは、この都のように美しいに違いない。
そう嬉しく思った王子さまはさっそく街の人に、この国のお姫さまがどのような人なのか尋ねることにしました。
しかし、その答えは王子さまにとって驚くべきものでした。
何しろこの国のお姫さまは、城や都を美しく飾り立てることが好きな国王夫妻とは違い、食べることにしか興味がない。
毎日毎日食べてばかりでぶくぶくと肥え太り、百貫姫と呼ばれているとそういうのです。
王子さまはひどくがっかりしましたが、それでも賢女の予言通りにこの国の姫を娶れば、少しでも国が良くなるはずだと王城へ向かいました。
王子さまはこの国の王さまと面会を取り付けると、まず都の美しさ、そして城の美しさを褒め称えました。
それは決してお世辞というわけでもなかったのですが、王さまをはじめ、城の人たちがすっかり気を良くしたことが分かりました。
王子さまは言います。
「私はここから遠く離れた、山間にある小さな国の王子です。ぜひともこの国の姫を、我が妻に迎えさせては頂けないでしょうか」
自分から言い出したことのはずなのに、王子さまは自分の口がどこかふてくされたような声を出すことを止められませんでした。
王子さまの国は、ただでさえこの美しい都の国とは釣合わない、小さな貧しい国なのです。これではもしかすると断られてしまうかもしれないと危ぶんだ王子さまでしたが、王さまは尋ねます。
「お主は我が国の姫の噂を耳にした事はないのか?」
「いいえ、城下ですでに聞き及んでおります」
食べることにしか興味のない、ぶくぶくと太った百貫姫。
どうやらそれは街の噂だけではなく、本当のことのようでした。
いっそ断ってもらっても良いかもしれない。そう思った王子さまでしたが、しかしながら王さまは少し考えた後に、あっさりと王子さまのお願いを了承しました。
百貫姫は王子さまの元へ嫁ぐことが決まったのでした。
国に帰ったらすぐに迎えを寄越すことを告げ、王子さまは自分の国に戻りました。
これで少しでも国が良くなるのならば。
王子さまが願うのはそれだけでした。
それから幾度も日が落ち、月が昇り、また日が昇った頃、お姫さまを乗せた馬車がようやく王子さまの国へ到着しました。
王子さまにとっても、お姫さまにとってもこれが初めての顔合わせになります。
(ああ、なんと太っていることだろう)
たくさんの食べ物を馬車に詰め込み、身体を重たそうにして降りてくるお姫さまを見て、王子さまが最初に抱いたのはそんな感想でした。
美しい都の国で百貫姫と呼び蔑まれてお姫さまは、その噂どおり、いいえ。その噂以上にぶくぶくと太っておりました。
これが、自分の后になるのかと思うと心労でただでさえ良くない顔色がさらに青くなる王子さまでしたが、まず最初に言おうと思っていた言葉を口に出しました。
「百貫姫よ、私はあなたが満足するだけの食べ物を用意することはできない。その理由は分かるだろう」
王子さまは賢女が彼女にしたという「望むだけの食べ物を与えなさい」という予言を知りません。
しかしどうしたって、貧しく作物にも乏しいこの国では彼女が生まれた国のように、たくさんの食べ物を用意してやることなどできないのです。
百貫姫はそれに腹を立てるでもなくひとつうなずき、続けました。
「王子さまにお願いがございます。それでもどうかわたくしに、望むだけの食べ物を与えてくださいませ。わたくしが望むのは、最初の年は食物倉庫の十六分の一の食べ物を、その次の年は八分の一の食べ物を、そして次は六分の一、さらに次の年は四分の一の食べ物を。そしてそのあとの年からは半分の食べ物です」
思いがけず凛とした声で告げられた言葉に王子さまは驚きましたが、同時に腹立たしくも思いました。
この貧しい国の様子を見て、それでもなお食べるものをねだるとはなんて浅ましく、食い意地の張ったお姫さまだ。
しかしどれだけ我がままを言っても、この国で彼女に与えられる食べ物には限りがあります。
王子さまは鼻で笑ってうなずきました。
「いいだろう。我々は百貫姫の望むだけの食べ物を与えよう」
今日食べるだけでも精一杯のこの国では、例え城の食糧倉庫であってもわずかな数の芋が転がるばかり。
がっかりしてお腹を鳴らすであろう百貫姫の姿を想像して、王子さまはわずかに溜飲を下げるのでした。
しかし、王子さまの予想に反して、百貫姫が王子さまの国の貧しくて量の少ない食事に不満を言うことは、一度としてありませんでした。
その代わり幾度も畑に足を運び、その地を耕すお百姓さんと話をしています。きっと王子さまと話したよりも、彼らと交わした会話の方が多いのではないでしょうか。
そんなある日、お姫さまは王子さまに向かって言いました。
「わたくしはあまり芋が好きではありません。どうか来年は小麦で作った麺包を食べられるようにしてください」
そうして王子さまに、自分の国から持ってきたらしい種籾を差し出します。
百貫姫は、どこに行っても百貫姫なのか。
お姫さまのわがままに、自分でも分からないまま幾分かがっかりした王子さまではありましたが、呆れながらもいくつかの畑を自由に使うことを許しました。
お姫さまは許しを得た畑を自らも耕し、世話をしながら、翌年には見事な小麦を実らせました。
そのきらきらと輝く黄金の小麦畑に、王子さまは驚きました。
そしてもうひとつ驚いたことは、百貫姫が収穫した小麦のうちきっかり八分の一だけしか受け取らず、残りはすべて国の百姓達に種籾として配ってしまったことでした。
またわずかに貰った小麦で作った麺包も、惜しげもなく城の者たちの口に入るようにしました。もちろん王子さまも、そのほのかに甘くて美味しい麺包の味を堪能しました。
たった一年で、お嫁に来たときの見る影もなく痩せてしまった百貫姫でしたが、まったくそれを気にする様子もなく、今度は王子さまにこう言いました。
「麺包は食べ飽きましたので、次は甘いお菓子を食べたいと思います」
王子さまが許しを与えると、お姫さまは小麦を植えた畑に今度はてん菜の種を撒きました。翌年には、まるでお姫さまの足のようにでっぷりと太ったてん菜が出来上がりました。
お姫さまはまたしても収穫したてん菜のうち六分の一しか受け取らず、残りはすべて城下のお百姓さんたちに種と一緒に配ってしまいました。
そうして受け取ったてん菜から作った砂糖で甘いお菓子を作り、城のものたちにたっぷりと食べさせました。
「甘いお菓子はもう充分です。今度は豆を蒔こうと思います」
そしてまっすぐな眼差しでこちらを見るお姫さまの姿を見て、王子さまも気付かざるを得ませんでした。
美味しいものが大好きで、ぶくぶくと太った百貫姫は、しかし決して食い意地の張った、浅ましいお姫さまではなかったのです。
王子さまは百貫姫の見かけだけで判断をして、彼女のその誠実な心根を知ろうとしていなかったことを反省したのでした。
お姫さまの作った麺包とお菓子は、とっても美味しいものでした。それをたくさん食べさせてもらった王子さまの身体は、百貫姫ほどではないものの昔よりもふくよかになっていました。
王子さまはもはや、お姫さまのすることを何一つ咎める気にはなれませんでした。
百貫姫は王子さまの許可を得て、小麦を育て、てん菜を植えた畑に、豆を撒きました。
翌年、たっぷりと実った豆のうち四分の一だけを受け取った百貫姫は、これまでと同じように残りをすべてお百姓さんたちに配り、受け取った豆で美味しいスープを作り城の者たちに配りました。
そして嬉しそうにこう言います。
「さぁ、それでは芋を植えましょう」
王子さまはうなずいて、お姫さまが小麦を植え、てん菜を育て、豆を蒔いた畑に、一緒に芋の苗を植えました。
王子さまは、お姫さまが重そうに身体を揺らしながら、一生懸命に苗を植えている姿を見ていました。
お姫さまは、普通のお城の姫君ならば決してしないであろう畑仕事で全身を黒く汚し、しかし満足そうな様子で目を輝かせています。
翌年、その畑にはお姫さまがお嫁に来た年とは比べ物にならないくらいにごろごろと大きいほくほくの芋が、たくさんできあがりました。
お姫さまがしたように、麦を育て、てん菜を植え、豆を撒けば、きっと国中すべての畑がこんなふうに見事な芋を実らせるに違いありません。
(旅の賢女の予言は、確かに間違っていなかったんだな)
王子さまは賢女に心の中で感謝しました。
そして誤解し、厭ってしまっていたお姫さまに詫び、これからはとても大事にしようと胸に決めました。
ふくふくと肥えた百貫姫はそれからも様々な方法で、より美味しく、より豊かな作物を国に与えてくれましたので、国はどんどん裕福になりました。
王さまの後を継いで一国の主となった王子さまは、それからもずっと誓いどおりに百貫姫を大事にしていきました。
それはとある時代。
とある大陸のとある山間に、小さな国があったそうです。
いつも食べ物を手放さないとても太ったお后さまの隣には、それを満足そうに眺める王さまがおりました。
彼らの国はいつだって美味しい食べ物で溢れ、人々はそれをお腹いっぱい食べ、幸せに幸せに暮らしていたといいつたえられています。
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