Rauchen -ラウヒェン-


 紫色の煙が輪となって頭上に浮かび、やがて薄れて消えていった。

 煙草と酒。ほのかに漂う腐臭。人いきれ。
 薄暗い店内は波のような低いざわめきと共に、そんなもので満ちていた。

「おい、はやく引けよ」

 彼はゆっくりと伏せていたまぶたを持ち上げた。

「俺の番か」
「そのとおりだよ。だからとっとと引きやがれ」
「回りがあんまり遅いんで夜が明けちまうかと思ったぜ」

 皮肉気味に笑い、彼は優雅にカードを山の中から一枚引き抜いた。代わりにて札から一枚を捨てる。

「ほらよ」
「ちっ」

 どこからか苛立たしげな舌打ちが聞こえた。

  カードの交換が続く。
 彼は煙草を口元に持っていくと、甘ったるい臭いの紫煙を細く吐き出した。

「なぁ、何がそんなに気に食わないんだ」
「…」

 返ってくるのは無言の返事。黙々とゲームは進められる。

 彼は眉をひそめると、共に円卓を囲む男たちを睨みつけた。

「そんなことは無いとは言わせないぜ? さっきからちくちく視線…、敵意が痛いんだよ」

 やはり返事は無い。
 つまらなそうに男たちを睥睨して彼がゲームに戻ろうとした時、ようやく誰かが口を開いた。

「気に食わないさ。お前のような男がそこに座っていることがな」

 彼は方目だけをわずかに見開いた。

「つまり俺の存在そのものが気に食わないと。なぜ?」
「ここはオレたちのシマだ。お前のようなよそ者は迷惑なんだよ」

 ハッ、と彼は笑った。

「違うだろ。流れ者というだけなら他にいくらでもいる。あんたらは俺が気に入らないんだ」

 火のついた煙草の先で男たちを順番に指す。

「正直に言えよ。俺の何がそんなに気に食わないんだって?」
「全部だよ」

 ぼそりと返事がかえってきた。男たちの誰もがその顔を嫌そうにしかめている。

「どこの坊っちゃんかは知らねぇが、そんな仕立てのいい服着て我が物顔でそこに踏ん反り返られちゃ困るんだ。ちゃらちゃらした格好しやがって。女にもてたきゃ酒場に行きな。ここではお前のような奴は場違いなんだよっ」
「坊っちゃん?」

 彼はくくくと咽喉を震わせ、耳元で揺れる金の輪のピアスを指で弾いた。

「ここは客の格好に注文を付けられるほどお上品な店なのか?」

 嘲るような声音に男たちが色めき立つ。
 彼は肺を紫煙で満たすと、ため息をつくかのようにゆっくりとそれを吐き出した。

「この格好は俺のポリシーでね。見下されようと莫迦にされようと、俺が俺であることをやめるわけにはいくまい。ちゃらちゃらした奴は仲間に入れられない? ならそれで結構だ。だがな、いつも外見だけで判断していると、そのうち痛い目にあうぜ」

 五枚のカードがテーブルに置かれた。

「上がりだ」

 ざわりとどよめきが起こり、男たちは驚愕の眼差しで彼を見る。彼は円卓の中央に置かれた金貨の袋を取るとさっさと席を立った。

「お、おいっ」
「俺は俺であることに誇りを持っている。俺のスタイルが受け入れられないならそこを出るまでさ。楽しませてもらったぜ? 欲を言うならあともう少しぐらいはここで遊びたかったが―――、」

 煙草を指で弾き背を向けて去ろうとする彼の腕を男の一人がすかさず掴んだ。

「何のようだ? 金なら返さんぞ。これは賭けの賞金だ。俺に得る権利がある」
「…悪かったな、伊達男。もう少しここで遊んでいけ」

 彼は唇の片端を持ち上げてわずかに笑った。

「別に無理しなくていいんだぜ?」
「いいや、オレらはお前を見くびっていた。お前にはここにいる権利がある」

 彼は嬉しそうに目を細めると、新しい煙草をくわえ火をつけた。

「ならばお言葉に甘えて…」

 バサリ、と彼のふところから何かが落ちた。 誰もが何事かと注目する中、彼は笑みを引きつらすと火をつけたばかりの煙草を投げ捨てて脱兎のごとく走り去った。 よくよく見れば薄汚れた床に散らばったのは、ゲームで使っていたのとまったく同じカード。

「「「いっ、いかさまだ〜っ!!」」」

 床に転がった煙草は人知れず甘い煙を燻らした。

【終】