◆◇ 若手ミステリー作家殺人事件 ◇◆

 ダイニングテーブルの椅子に腰を掛け、傍らの新聞を手にとると俺は他の記事には目もくれず地方欄を開いた。
 目的の記事がどこにあるのか、探すまでもなく俺には分かっていた。何しろこの新聞はすでに一週間以上前のもので、これまでに何度も何度も読み返しているのだから。
 俺の目に一人の若手ミステリー作家の死亡記事が飛び込んでくる。はじめてその記事を目にしたときと寸分変わらぬ興奮が甦り、俺の口元に笑みがこぼれた。
 そのミステリー作家は阿佐ヶ谷駿といった。もちろんそれはペンネームであり、本名を浅野信一という。俺の大学時代のゼミ仲間だ。
 学生時代、俺と浅野は仲の良い親友だった。いや、相棒だったと言い換えてもいいだろう。俺たちはミステリー小説という、同じものを愛好する仲間だったのだ。
 俺と浅野はもちろんミステリー小説を読むことも好んでいたが、それ以上に自ら執筆することに熱心だった。
 もっとも大学のミステリー研究会や文芸部などといったサークルに入ることはしていない。組織に加入することによって少なからず生じる人間関係に気を使うよりも、俺たちは飽くまで執筆だけに専念していたかったのだ。だが、それは失敗だったと今では感じている。
 俺と浅野は二人でアイディアを出し合い、いくつものミステリー小説を書き上げていった。時には投稿することもあったが結果はいつも落選で、逆に推敲という名の元に書き上げたまま放置しておいた作品も多かった。俺たちは、ただミステリー小説を書くこと自体が楽しくて仕方がなかった。
 そうした関係は二人が大学を卒業するまで続いた。可能なら卒業後も引き続き二人で書いていきたいという思いはあったが、社会に出て就職という道を選んだ俺達はとてもじゃないがそんな時間は取れなかった。
 それでもしばらくのうちは出来るだけこまめに顔を合わせるようにしていたが、二人の間がだんだんと疎遠になっていくのは避けられなかった。そして俺の海外転勤を留めに、ついに俺と浅野の連絡は完全に絶えてしまったのだ。
 所属していた部署の一大プロジェクトがようやく落ち着き、三年ぶりに日本に帰ってきた俺が楽しみにしていたことは、転勤中に出版されたミステリー小説の新刊を読むことだった。転勤中は常に多忙であり、日本から本を取り寄せて読むどころかネットで新刊を検索することすらできなかったからだ。
 だがさっそく本屋に向かい書棚を眺めていた俺は、そこに見覚えのある名前を見つけて驚いた。俺の目に飛び込んできたのは学生時代に浅野が使っていたペンネームだったのだ。
 もちろん二人で書いていた時は共有のひとつのペンネームを使っていた。だが浅野がそれとは別に、個人のペンネームを持っていたことはもちろん俺にはよく知ることだった。
 著者のプロフィール欄まで確認し、これが浅野本人に間違いないと核心した俺は、非常に驚くと同時に、その時は単純に喜ばしく思った。学生時代、ともに小説を書いていた仲間がプロとしてデビューしていたのだから。それを嬉しく思わずしてなんとしよう。
 俺はさっそく浅野−−阿佐ヶ谷駿の処女作を購入し読みはじめた。だがそうした思いはすぐに、ふつふつと煮えたぎるような怒りへと取って変わった。
 奴のデビューを華々しく飾った大手出版社のコンテスト受賞作。多くの審査員から絶賛されたその作品は、学生時代に二人で書いた作品のひとつであることに気付いたのだ。
 俺の目の前は真っ赤になった。
 俺はすぐさま昔の連絡先を引っ張り出し、浅野にことの次第を問いただすことに決めた。呼出しに応じ、数年ぶりに顔を合わせた浅野はあっさりと作品の流用を認めた。そして俺に向かって深々と頭を下げた。
 俺が海外転勤になってすぐの頃に、浅野は勤めていた会社をクビになったという。それも随分と酷い辞めさせられ方をしたせいで、しばらく会社勤めをする気にはなれず久しぶりにペンを握ったそうだ。
 だが、書いた作品はどこの公募にも引っ掛からず、思い余った浅野は昔二人で書いた未発表の作品を投稿することにした。
 そうしてその結果は見ての通り。その作品をきっかけに、浅野は若手ミステリー作家として持て囃されることとなったのだ。
 浅野は滑稽なほどに何度も俺に謝罪の言葉を繰り返した。もちろんそれくらいのことで溜飲を下げるつもりはさらさらなかったのだが、浅野に浴びるほど酒を飲まされ深く酔わされた俺は、いつの間にか浅野を許すことになっていた。
 うっすらとだが記憶があるため、浅野が話をでっちあげた訳ではないことは分かる。ごまかされたような思いは拭えなかったが、仕方ない。あの作品は共著で浅野にも半分権利があるのは確かだ。だから俺はしぶしぶながらも浅野が二人の作品を自分だけのものとして発表したことを黙っておくことにした。だが、それは明らかな間違いだった。
 その後、俺と浅野は再び交流を持つようになった。
 その一方で浅野のやり口はどんどん厚かましいものになっていった。浅野も始めはもちろん自身のアイディアで小説を書いていた。
 だがネタに詰まると徐々に学生時代に二人で考えた小説を流用するようになっていった。そしてそれを俺に取り繕うことさえもしなくなった。
 浅野の言い分はこうだ。確かにあのトリックは、謎は、事件は、二人で考えて作り出したものだ。だが、いまや自分はプロの小説家であり一方のお前はしがない会社員。ただの会社員なんかに小説のアイディアを使う機会なんてないのだから、自分が活用するのが当然だと。
 それは確かに間違いではないだろう。小説家にならなかった俺にとってはどんな素晴らしいアイディアも学生時代の良い思い出に過ぎない。だがそれを当たり前の権利ででもあるかのように言い張られるのは納得がいかなかった。
 特に今は不況の世で、俺も会社を潰さないよう休みを返上して必死で働いていた。
 その一方で、浅野は昔二人で考えたアイディアを使いまわすことで印税を稼ぎ、小説家として悠々と暮らしている。
 ある日、実に三ヶ月ぶりに取れた休みを自宅で過ごしていた俺は浅野から至急の用件があるから来てくれという連絡を受けた。呼び出された俺に浅野は鼻息も荒く、完璧な殺人トリックを思い付いたのだと言い放った。
 お前だから一番先に教えてやると言うが、なんてことはない。ただ俺に自慢をしたいだけだ。
 浅野が意気揚々と語る完全犯罪を聞きながら、俺のうちに再び抑え切れない怒りが沸き上がってきた。いや、それだけならばまだ我慢できただろう。それを打ち崩したのは浅野のあまりにも無神経な一言だった。上機嫌で酒に酔った浅野は、せせら笑いながら俺に向かってこう言ったのだ。
「お前にもオレみたいな才能があれば、小説家になれたのに残念だったな!」
 その言葉は俺の憎しみの堤防を決壊させた。
 何が小説家だ。何が才能だ。
 お前はただ、俺のアイディアを使い回しているだけじゃないか。
 こいつはもう殺すしかない。俺の脳裏はただそんな思いに占められた。それも普通に殺すだけでは飽き足らない。
 どうせなら、今こいつが自慢げに語っている殺人トリックを使って殺してやろう。
 俺は奴の話に熱心に聴き入る振りをする。浅野はそれに気を良くしたのか、さらにぺらぺらと喋り続ける。まさか自分がそれによって殺されるとは思ってもいなかっただろう。
 後日浅野の家を訪れた俺は、ためらうことなく奴を殺した。そして奴のトリックを用いて俺が奴を殺した証拠を隠蔽した。その際に奴の仕事場を探り、今回のトリックに関するメモやデータをすべて処分してきたから、そこから俺のことがばれることはないだろう。
 実際には奴のトリックにはいくつか欠点があった。あのままでは事件は遠からず漏洩してしまっただろうが、俺はあらかじめその穴を埋めておいた。
 そうしていくつかの工程を経て、俺は完全なる殺人トリックを成し遂げたのだった。

 自宅のリヴィングルームで、俺は再び新聞の記事に目を落としほくそ笑む。
 この犯罪こそはまさしく俺の作品だった。
 自作のミステリー小説では他人の称賛を貰えたことのない俺だったが、この新聞記事やテレビで流されるニュース、あるいは週刊誌の特集こそが俺の作品を讃える品評だった。
 もともとのトリックは浅野が思い付いたものだから、あるいは盗作と呼ばれてしまうかもしれない。だが浅野だって二人の作品を自分だけの物として利用したのだからおあいこだろう。
 いや、浅野が死んだ今、これまで二人が練り上げてきたネタを今度は俺が使って小説を書いてもいいかもしれない。浅野一人に美味しい思いはさせられないじゃないか。
 だが、そんな甘美な空想にひたっていた俺はふいに鳴り響いた玄関のチャイムによって現実に戻された。
 なにかと思って扉を開けると、そこにいたのは厳めしい表情を顔に貼付けた二人組の男。奴らは黒い手帳を掲げると俺の名前を読んだ。
「ちょっと署まで来て話を聞かせて貰えませんか」
 俺はこの情景に覚えがあった。
 それはこれまで書き、そして読んできた小説の中では幾度となく出てきた任意同行を求めるシーン。だが険しい彼らの目はすでに俺が犯人であることを確信していることを伝えていた。
 そしてこのとき俺はようやく、自分が重大なミスを犯していたことに気がついた。
 ミステリー小説における完全犯罪とは、そのトリックが暴かれるからこそ意味があるのだと。
 俺達のトリックを暴いたのが刑事なのかどこぞの探偵なのかは知らないが、こうした展開はごく当然のものなのだ。
 ああ、自分は何て愚かな真似をしてしまったのだろう。そう後悔しても、もはや後の祭り。
 そうして俺のミステリー作品は、犯人の逮捕という形であっけなく幕を閉じたのだった。
 


【終】

 

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