覆面作家企画4参加作品
++ 宙の道しるべ ++

 

  〜宇宙統一暦69年5月某日〜

『お知らせをいたします。当機はあと30分ほどで国際宇宙ステーションに到着いたします。ランプが点灯しましたら席につき、シートベルトの着用をお願いいたします。繰り返します。当機はあと30分ほどで――』
 機内アナウンスが宇宙港への到着を告げる。窓の外にはこの宇宙ステーションの象徴とも言える碧い星――ステラ・パロスが、すぐ間近に見えた。
 長かった宙の旅もようやくここまでやって来た。卒業旅行に景色が綺麗だと評判の辺境惑星に友人と二人で観光に向かっているのだが、それでもまだ目的地までは道半ばでしかない。この国際宇宙ステーションは経由のための乗継ぎ駅としての役割の方が大きく、あたしたちもそれに習ってここを中継地点として目的場所を目指すつもりでいた。
 ここまで来るのにおよそ7時間。座りっぱなしだったせいですっかり足腰がだるくなっている。最初はお喋りに花を咲かせていた友人も、いつの間にやらすっかり隣で眠りこけていた。
 しかしこれでも今は亜空間跳躍航法の技術が進歩したおかげでだいぶ時間が短縮されている。旧式の航法では12時間はかかっていたらしいから本当に良い時代に生まれたと感謝が尽きない。さらにそれ以前、超光速航法やコールドスリープ航法が主流だった時代では、母星から5500万光年離れたこの国際宇宙ステーションにはけしてたどり着けなかった。
 だからこの亜空間跳躍航法を発見した人は本当に偉い。
 旅の浮かれ気分の中でそんな賞賛の気持ちが湧き上がったのだろう。宇宙港の電子書店のラインナップの中で、暇つぶしの材料として柄にもない伝記を選んでしまったのも、それを考えれば無理はないかもしれない。偉人伝とも呼ばれるものなんて、幼稚舎のころに教室の片隅に転がっていた子供向けの本で読んだ以来だったけれど、これがなかなか面白くもある。
 あたしは到着までの短い時間を潰すために、再び電子書籍を再び呼び出した。そして亜空間跳躍航法を発見した歴史的偉人のたどった人生を、文字とともに追っていくことにした。

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〜共和宇宙暦784年2月某日〜

 跳躍を終えたことを計器の針が指し示し、正面スクリーンのノイズが消えた時、そこにあったのはどの宙図にも記載されていない前人未踏の宙域だった。
 しんと静まり返ったコックピットに、割れんばかりの歓声と拍手が響き渡る。これでついに、博士の理論が正しかったことが完璧に証明されたのだ。
 しかし感極まって歓声を上げるクルーや研究員の中たったひとり、当の博士だけは黙ったままじっとスクリーンに映し出される宇宙空間を見つめていた。ふいに目にとまったその様子を不思議そうに眺めていたゲイルは、突如背中を強く叩かれて大きくよろめいた。
「どうしたんだ、ゲイル。お前も喜べよ。歴史的偉業が、今達成されたんだぞ。新しい航路が爆発的に開拓され、宇宙史は飛躍的に前進するようになるんだ」
「うん、オスカー。そうだね、ただそれにしては博士があまり嬉しそうに見えないのが気になって」
 航宙士のゲイルはこの航海の中で親しくなった研究員の一人に対してうなずいた。博士の研究所の中でも中堅所に当たるオスカーは、然りとばかりに視線を落とす。
「ああ、そうだろうな。いくらこの理論が証明されたとしても、博士としてはあまり心浮き立つというわけにも行かないだろうなぁ」
 オスカーは複雑な眼差しを痛ましげに博士に向けた。ゲイルは不思議そうに首を傾げる。
「それって、どういうことだい?」
「ああ、別に大々的に宣伝しているという訳でもないけどな。博士は今回の理論の発見のきっかけとなったセントマーリア号の消失事件の関係者なんだ」
「セントマーリア号の?」
 ゲイルは思わず目を見開く。これでもゴシップ記事やオカルト雑誌などでたびたび取り上げられることがあった50年前の大事件セントマーリア号の消失。宇宙航路から突如姿を消したその船の話は、安易な宇宙の怪談話としての側面が強かったが、この度の博士の発見により単なる眉唾物の噂ではなく亜空間跳躍航法の発見を促した痛ましい事故として歴史に残ることになるに違いない。
 だからといって、犠牲となった人々が帰ってくるわけでも、関係者の傷が薄れるというわけでも無い。それは、当の博士こそが誰よりも分かっていることだろう。
 ゲイルとオスカーは、正面スクリーンに映る碧い星をじっと視界に納めている博士の後姿を揃って見つめていた。

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〜共和宇宙暦735年8月 出航日当日〜

「ちょっとこっちに来てくれ。計器の具合が妙だぞ」
「おいおい、勘弁してくれよ。これから超光速航法に入るというのに」
 機関室で乗組員たちがなにやら困った顔をしている。わずかに開いた機関室の扉の隙間から、ぼくらはその様子を眺めていた。忙しそうに動き回る乗組員の間から、計器の指し示す数字が読み取れる。同時に操舵室から送られてくる飛行データの数値もパネルに点灯していた。
「なんだか、忙しそうね……」
「うん。この分だと、やっぱり中の見学は難しいかも……」
 どこかつまらなそうに呟くヒルディアの声に、ぼくは同意してうなずく。
 もとより稼働準備中の宇宙船の機関室を子供が見学するなんてことでは不可能だろうとは思っていたけれど、ヒルディアは一度こうと決めたら頑として譲らない。駄目で元々という気持ちでここまで来たけれど、やはりぼくらは怖い顔をした老齢の機関士の目にとまり、怒鳴り声とともに追い出されてしまった。
「こら、子供はあっち行っていろ。ここは子供の遊び場じゃないんだぞ」
 犬猫にするように追い立てられ、ぶつぶつと不満を漏らしながら船内の廊下を歩きだすヒルディアの後をぼくは大人しくついていく。もちろん、初めからこうなると思ってただなんて、そんなこと口が裂けても言えない。もし言葉に出そうものなら、きっとそれこそ口が裂けるほどほっぺたを摘ままれてしまうに違いない。幼馴染みのヒルディアは優しい女の子だけれど、そういう部分に関しては容赦がない。
「まったく失礼しちゃうわね、あたしたち子供じゃないのに。機械の故障だって、ロイディが見れば何か分かったかもしれないのに」
「さすがにそうは行かないよ。だってぼく、宇宙物理学だって航宙工学だって勉強し始めたばかりだし」
 大仰な褒め言葉に、しかしぼくは自分の頬が赤く染まるのを自覚した。ヒルディアは何を言うにも率直で、お世辞なんか言わない。
「あら、でもロイディは天才だって評判よ。一度見たものは絶対に忘れないんでしょ」
「うん。でもそれも今だけのことらしいから……」
 ぼくらが幼い頃に通っていた火星の能力開発センターで聞いた話によれば、ぼくらのような変わった体質の子供はここ数百年の間に増えてきているらしい。ぼくの超記憶然り、ヒルディアのESP然り。もっともそうした体質は99.98%の割合で、大人になるまでになくなってしまうものらしい。
「それに、覚えているだけじゃ何の意味もないよ。大切なのは、そこから何ができるかだもん」
「ふぅん。ロイディは真面目ね」
「そんなことはないよ。だ、だいたい、ぼくなんかよりは、ヒルディアのほうが、ずっと、ずっと……」
「わぁぁっ! 見てみて! すごいわよっ!」
 ぼくが勇気を振り絞って口に出し掛けた言葉は、ヒルディアの歓声によってあっさりと遮られた。
「……どうしたの、ヒルディア」
 ぼくは思わず滅入ってしまいそうになる声に気付かれないようにしながら、ヒルディアにたずねる。ヒルディアは休憩スペースの大きな窓の前に立って、船の外の宇宙空間を指差した。
「ほら、きれい……」
 ほうっとヒルディアは見とれたようにため息をつく。耳元でヒルディアの制御ピアスが星明りを弾く。そこには薔薇色に輝く美しい渦巻銀河があった。
「そうだね、とっても綺麗だ」
 だけど、ぼくは窓の外の銀河ではなく、キラキラと輝くヒルディアの、その碧い目に映る銀河の星々を見つめていた。
「あたし、これからあの銀河の向こう側に行くのね……。反対側から見る銀河はどんな感じなのかしら」
「きっと……同じだよ」
 ぼくは途端につまらない気持ちになって、誰に聞かせる気もなく呟く。それをヒルディアは律儀に聞き取ったようだった。
「なぁに、せっかく人がいい気分でいるのに。水を差さないでよ」
「だって、反対側だって言っても端っこを横切るだけじゃないか」
「それでも、向こう側に行くことには違わないじゃない。ロイディは細かいわね。男らしくないわよ」
 真っ直ぐに自分を睨みつけるヒルディアの視線から逃げるように、ぼくは窓の外を見る。
「……だって、その間はずっとヒルディアに会えなくなっちゃうし……」
「仕方がないでしょ。パパとママは学者なんだから。あたしだって大きくなったら学者になるのよ」
 誇るように胸を張るヒルディアに、ぼくはとっさに訴えかける。
「でも、7年間も会えないんだよ。しかも、その間ヒルディアを置いてぼくだけが年をとっていくなんて……!」
 ヒルディアはこれから7年間の冷凍睡眠を行い、銀河の反対側へ行く。ヒルディアの両親はその道では名の知れた宇宙工学の学者で、そこで新しい宙域開拓の足がかりを作るのだ。そしてヒルディアもその計画に同行する。だけど、ぼくはそれが堪らなく寂しかった。
 ぷんぷんと目尻を吊り上げていたヒルディアは、ふいに表情を緩ませると苦笑するようにぼくの目元を手の平で擦った。
「もう、泣かないの。ロイディ……」
 そう言われて初めてぼくは、自分が目にいっぱいの涙を溜めていたことに気がついた。
「7年なんて、あっという間よ」
 あっけらかんと言うヒルディアがいっそ恨めしくて、ただ無言で首を振る。
 7年は2,556日。そして61,360時間で3,681,641分間。
 これは、ぼくが生きてきた年月の半分を上回る。そして今せっかく同い年のヒルディアと、それだけの年齢差が開いてしまうのがぼくは嫌だった。
「7年なんてたいしたことないわ。だってあたしのパパとママは6歳違いだもの。それよりも一年多いだけでしょう?」
 あっさりと告げるヒルディアの言葉に、ぼくは顔をあげる。
「あたしは七年間眠っている間、ずっとロイディの夢を見ているわ。だからロイディは七年間あたしを忘れずに、ちゃんと迎えにきてくれなきゃだめよ」
 ヒルディアはぼくの手をぎゅっと握ると、まっすぐにぼくを見た。水分をたくさん含んだような碧い目。どこか拗ねたような膨れっ面。
 泣き出しそうにも見えるその表情に、ぼくはようやくヒルディアも不安だったのだということに気がついた。
「ロイディは素敵な大人の男の人になって、眠れる美少女のあたしを迎えに来てくれるの。約束だからね」
「うん、分かった。約束するよ」
 ぼくは何度も繰り返しうなずく。ヒルディアも忘れないでね、迎えにきてねと何度も約束をねだる。気が付けば、ぼくもヒルディアも顔をぐしゃぐしゃにして泣いてしまっていた。
 やがて船内アナウンスが、宇宙船が間もなくコールドスリープモードに移ることを告げた。見送りの客は船着き場へ移動し、宇宙ステーションへ戻るよう急き立てる。ぼくらは手を繋ぎ、名残を惜しみながら船着き場に戻った。
 そこでは多くの人がやはり同じように別れを惜しんでいる。ぼくのパパとママも、ハンカチで涙を拭いながらヒルディアのおじさんとおばさんと別れの挨拶をしていた。やはり皆、七年ものお別れが寂しいのだ。
 最後にぼくとヒルディアはぎゅっと抱きしめ合う。ヒルディアのふわふわの髪がぼくの首筋をくすぐる。このまま七年間もさよならなのだと思うと余計に寂しくなってしまって、ぼくはさらに強くヒルディアを抱きしめた。
「ロイディ、気持ちは分かるけどそろそろ時間よ」
 目を真っ赤にしたママが、ハンカチで鼻をかみながらぼくの肩に触れる。ぼくは強く唇を噛んでヒルディアから離れた。ヒルディアは何かを堪えているような表情でぼくをじっと見ていた。
(ロイディ、大好き……)
 背を向けて歩き出したぼくははっとして振り返る。
(絶対に迎えにきてね。待ってるからね……)
 ヒルディアの耳からは滅多に外すことのない制御ピアスが消えていた。ぼくは声を出す替わりに目一杯手を振る。それは久しぶりに聞く、ヒルディアの心の声(テレパス)だった。
 ぼくはヒルディアのこの願いを絶対に忘れないでいようと、固く心に誓った。

 それからぼくは懸命に勉強に励んだ。
 ヒルディアを迎えに行くためには、しっかりと勉強をし、博士となって新しい航法を編み出すのが一番早いと思ったからだ。ヒルディアが目を覚ましても、そこには冷凍睡眠を必要とする七年分の距離があるのだから。
 そして何より、ぼくは誰よりも努力をしてヒルディアに認めてもらえるような素敵な大人にならなければいけなかった。
 けれど、それから一年もたたないうちにぼくの耳に飛び込んできたのは、セントマーリア号の信号が航路から突如消失したという信じがたいニュースだった。
 政府の記者会見では、ヒルディアたちの乗ったセントマーリア号はエンジントラブルにより爆発事故を起こしたと発表された。だけど、それを信じている人は一人もいなかった。なぜなら問題の宙域にはそんな痕跡は欠片もなく、セントマーリア号は突然失踪したとしか考えられなかったのだ。
 どちらにせよ、宇宙船の行方は知れず、捜索もやがて打ち切られた。だけどぼくは、あの船が欠片も見つからないほどばらばらになってしまったとは思えなかった。セントマーリア号は絶対にどこかにいるはずだと、確信にも近い思いで信じていた。
 だから、ぼくは行方不明になったセントマーリア号を見つけることを人生の目標に変えた。
 ぼくは約束どおりに、必ずヒルディアを迎えに行かなければならなったから。
 
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〜共和宇宙暦784年2月某日〜

「おい、見ろ! あんな所に宇宙船が……! まさかあれはセントマーリア号か!?」
「まさしく博士の推論も証明された形だな」
「ボロボロなのは50年前の宇宙船だからというだけではなく、亜空間跳躍航法の衝撃に耐え切れなかったんだろう。生体反応はさすがに無しか……」
 研究員や乗組員たちはどこか興奮したような眼差しで廃船と化した宇宙船に注目していた。
 今回の跳躍は、かつてセントマーリア号が意図せずに通った航路をたどるような形で行われた。だからこの宙域であの船を発見することは予想できたことだった。
 けれど驚き目を見張る人々の中で肝心の博士――ロイディは宇宙船には目もくれず、眩しいくらいに碧い星を視界に納めたままぽつりと呟いた。
「ようやく君を迎えに来れたよ、ヒルディア。だけどこんなに年老いたぼくを見て、君は笑わないでいてくれるかな。永遠に年をとらない、少女のままの君は……」
 あれから、50年もの年月経ってしまった。約束した7年よりも、さらに長い年数が。
 ここに来るまでの月日は恐ろしく長いようでいて、しかしあっという間だったような気もする。確かにあったはずの困難や辛苦さえも、もはや遠くどこか薄ぼんやりしている。
 不思議とロイディには、この碧い星にこそヒルディアの魂が眠っているように思えた。それはこの星がヒルディアの目と同じ色をしているからなのかも知れない。けして薄れ消えることのない、彼の記憶に刻み込まれたまま微笑を浮かべ続ける少女の碧い瞳と同じ色――
『笑ったりなんかしないわよ』
 彼ははっと耳を澄ます。現実の耳に届くのは歴史的偉業を成し遂げた人々の喜びの歓声だけ。しかしロイディの耳には確かにその声が聞こえていた。
『約束どおり貴方は素敵な大人の男性になったわね。会えて嬉しいわ』
 それは単なる幻聴か、あるいは単なる妄想なのか。
 だけどそれは確かに、ヒルディアの声だった。あの最後の日に、彼女がかけてくれたのと同じヒルディアの心の声(テレパス)――
『迎えに来てくれてありがとう、ロイディ……』
 つぅっとロイディの頬に熱い液体が流れ落ちる。
「っ……うぁ……、ぅわああぁぁっ……!!」
 突如膝をつき泣き崩れる博士を、仲間たちは驚いたような眼差しで見つめていた。
 眩しいばかりの碧い星はそんな彼らを、優しい無関心で見守っていた。

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 〜宇宙統一暦69年5月某日〜

『人生における最大の目的を果たし終えたぼくの旅はここで終わる。けれど将来多くの者たちがさらに遠くを目指して旅立っていくに違いない。』
『それゆえにぼくは、我々の小さな前進を見守っていたこの碧い星を――』

「『ステラ・パロス(宙の道しるべ)、と名づける』か……」
 パタンとディスプレイを閉じ、あたしは再び窓の外に視線を向ける。
 亜空間跳躍航法が証明されてから長い長い間、人類の旅路を見守ってきた碧い星はただそこに静かにたたずんでいた。

 

 

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