天の歌姫 地の奏で手
  
〜変わらない日常の一幕〜

 

 

僕が信じられない そう君は言うけれど
心配しなくていい
それは君のせいじゃない

君の心
 繋ぎとめれなかった
僕がおろかなだけだったんだ

安心して  君の気持ち
 僕が全部持っていくから

泣かないで
僕の気持ち いつかきっと天に還っていくから

だから君は


いつまでも変わらぬ君でいて




「へったクソな歌だなぁ」

 吐き捨てるようにつぶやいた。
 ここは酒場。
 真っ昼間からここにいるのは、別に酒を飲むためではなくただ単に飯を食うため。
 酒場の飯は安いしまずいし最高だ。
 文句だけはいっちょ前な連れを引きずって中に入ると、聞くに堪えない下手くそな歌うたいが今流行の歌を謡っていた。

「本当にヘタ。こんなんじゃお前の方がいくらかましってもんだな」
「別にそんな悪くないじゃないか。…確かに上手いとは言えないけどさ」

 店に入ってからはひと言も口をきかなかった連れは、神経質そうに顔をしかめると俺に向かってそう言った。

「声には張りがあるし、声域は広いし…」
「音ははずれるし、速さも一定じゃない。第一俺はこの歌嫌いなんだよ」
「本音はそれかい」

 頭を抑えてそいつは深々とため息をついた。

「あんたは本当にわがままだよ。別にいいじゃないか、どこで誰が何を歌ってたって」
「あきらかに耳障りだから言ってんだよ。ほら、飯が来たぞ。きのこたっぷりの炒め物。俺の奢りだ、たんと食え」
「…ホントにあんたは性格が悪い」

 そいつは身を乗り出すと炒め物の皿と俺の前にあったシチューの皿を交換した。

 だが甘い。
 それはきのこたっぷりクリームシチューだ。

 それに気付いたらしくそいつは盛大に嫌な顔をすると、しぶしぶきのこをより分け始めた。

「いい歌だろ? 嫌いなんて言うなよ」

 声に険があると思うのは、まあ俺の気のせいではないだろう。

「自分を裏切った女を許す歌をか? 俺は好きになれないな」

 煙草に火をつけて犬歯で噛む。
 食事中には吸うなと奴は顔をしかめるが、俺の知ったことではない。甘ったるいにおいの紫煙を吐き出し、俺はくけけっと笑う。

「それとも何か? お前はこの歌好きなのか。それはそれはお優し過ぎてありがたいことだな。坊や」
「坊やって言うなっ。ほんっと、人を名前で呼ばない奴だなぁ。関係ないだろう、人が何を好きだって」
「あんまりあまちゃんだと、いつか騙されて痛い目見るぞって忠告してやってんだろ?たまには大人言うことを聞けよ」
「うるさい、ジジイ。別に優しいわけじゃないし、痛い目なら…もう、あってるさ」
「こりない奴」

 俺は笑うと煙草を灰皿に押し付けて立ち上がった。

「どこに行くのさ」
「便所」

 食事中に下品な言葉を使うなと怒鳴る奴を無視してふらりと外に出る。




 薄暗い店内を出るとまぶしさに一瞬目がくらんだ。

「だから君は…いつまでも変わらぬ君でいて、か」

 大嫌いなあの曲の一節を口ずさむ。
 旋律は悪くない。むしろ嫌いなのはあの歌詞だ。

「歌の女は何を考えて男を裏切ったのかねぇ」

 そして男はどうしてそんな女を許すことができたのか

 俺はズボンのポケットからマッチを取り出し、新たな煙草に火をつける。

  恨み言のひとつも言わず、突き放すがごとき優しさを見せ

「きっと男はそれほど女を愛しちゃいなかったのさ」

 でなければあんなことを言えるはずがない。

「―――――忘れていい、だなんてさ…」

 俺はふんと鼻で笑うと火をつけたばかりの煙草を投げ捨てた。

「あほらし」




 店に戻ると連れが不審そうな顔で俺をじっと見ている。

「どうした?」
「どこに行ってたのさ」
「そりゃあ…」

 俺はそこで詰まる。手洗い場は店の奥。何も考えずに外に出てしまったが、我ながら何をしに行ったんだか…。

「忘れた」
「おいおい」

 そいつは呆れたような、脱力したような顔でテーブルに倒れこむ。

「まったく、いきなり出て行っちゃったから置いていかれたのかと思っただろ」
「それもよかったかもな」
「待てやコラ」

 思ったとおりの素直な反応を見せるこいつが面白くて、俺は片目をわずかに細めた。
 もし俺が裏切ったとしたら、こいつはどんなことを思うだろう。
 泣くだろうか、怒るだろうか、恨むだろうか、それとも、

  あの歌の男のように、すべてを許してしまうのだろうか?

 だとしたら、それはあまりにも―――――、

「むかつくなぁ…」
「ん?」

 連れは不思議そうな色をその目に浮かべてじっとこちらを見つめる。

 それは疑うことも知らない子供の眼。
 生まれてから一度も汚されたことが無いと言わんばかりのまっすぐな眼。

「…あの歌い手だよ。ちくしょう、また音はずしやがった。不協和音もここまで来ると我慢の限界だな。よし、お前行って来い。行ってちょっくら黙らせて来い」
「はあっ!? 何で? むしろどうやって!?」
「この俺が嫌だからだよ。代わりに歌ってきな。そうすりゃあいつもさすがに黙るしかないだろうから」
「嫌だよっ、絶対。どうしてもって言うんならそっちが行けばいいだろ」

 あんただったら如何様にもできるだろ。そう言うこいつに俺ははんと鼻を鳴らした。

「俺が行ってどうすんだよ。宣伝だよ、宣伝。うまくいきゃ歌の依頼が入るかもしれないだろ。そうすりゃしばらくはひもじい思いをしなくてすむぜ?」

 俺はにやりと笑って前方を指差した。

「とりあえず、グダグダ言ってないで歌ってきな」

 そうして程なくして別の歌声が店内に響き渡った。

 この世のものとは思えない美声。
 天の歌声だ。

 しかし曲がかわってないのは、俺に対する嫌がらせなのだろう。

「あのやろう…」

 俺は眉間に皺を寄せた。
 楽しげに歪む口元を隠そうともせず。


 歌が聞こえる。




泣かないで 
僕の気持ち いつかきっと天に還っていくから  




 俺はまたタバコに火をつけた。
 紫煙は空間を広がり、ゆっくりと消えていく。

 この歌声に飽きない限り、別れの日はまだ来ないだろう。

 俺は目を閉じる。



 歌はまだ、終わらない。



 

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