「へったクソな歌だなぁ」 吐き捨てるようにつぶやいた。 「本当にヘタ。こんなんじゃお前の方がいくらかましってもんだな」 店に入ってからはひと言も口をきかなかった連れは、神経質そうに顔をしかめると俺に向かってそう言った。 「声には張りがあるし、声域は広いし…」 頭を抑えてそいつは深々とため息をついた。 「あんたは本当にわがままだよ。別にいいじゃないか、どこで誰が何を歌ってたって」 そいつは身を乗り出すと炒め物の皿と俺の前にあったシチューの皿を交換した。 だが甘い。 それに気付いたらしくそいつは盛大に嫌な顔をすると、しぶしぶきのこをより分け始めた。 「いい歌だろ? 嫌いなんて言うなよ」 声に険があると思うのは、まあ俺の気のせいではないだろう。 「自分を裏切った女を許す歌をか? 俺は好きになれないな」 煙草に火をつけて犬歯で噛む。 「それとも何か? お前はこの歌好きなのか。それはそれはお優し過ぎてありがたいことだな。坊や」 俺は笑うと煙草を灰皿に押し付けて立ち上がった。 「どこに行くのさ」 食事中に下品な言葉を使うなと怒鳴る奴を無視してふらりと外に出る。 「だから君は…いつまでも変わらぬ君でいて、か」 大嫌いなあの曲の一節を口ずさむ。 「歌の女は何を考えて男を裏切ったのかねぇ」 そして男はどうしてそんな女を許すことができたのか 俺はズボンのポケットからマッチを取り出し、新たな煙草に火をつける。 恨み言のひとつも言わず、突き放すがごとき優しさを見せ 「きっと男はそれほど女を愛しちゃいなかったのさ」 でなければあんなことを言えるはずがない。 「―――――忘れていい、だなんてさ…」 俺はふんと鼻で笑うと火をつけたばかりの煙草を投げ捨てた。 「あほらし」 「どうした?」 俺はそこで詰まる。手洗い場は店の奥。何も考えずに外に出てしまったが、我ながら何をしに行ったんだか…。 「忘れた」 そいつは呆れたような、脱力したような顔でテーブルに倒れこむ。 「まったく、いきなり出て行っちゃったから置いていかれたのかと思っただろ」 思ったとおりの素直な反応を見せるこいつが面白くて、俺は片目をわずかに細めた。 あの歌の男のように、すべてを許してしまうのだろうか? だとしたら、それはあまりにも―――――、 「むかつくなぁ…」 連れは不思議そうな色をその目に浮かべてじっとこちらを見つめる。 それは疑うことも知らない子供の眼。 「…あの歌い手だよ。ちくしょう、また音はずしやがった。不協和音もここまで来ると我慢の限界だな。よし、お前行って来い。行ってちょっくら黙らせて来い」 あんただったら如何様にもできるだろ。そう言うこいつに俺ははんと鼻を鳴らした。 「俺が行ってどうすんだよ。宣伝だよ、宣伝。うまくいきゃ歌の依頼が入るかもしれないだろ。そうすりゃしばらくはひもじい思いをしなくてすむぜ?」 俺はにやりと笑って前方を指差した。 「とりあえず、グダグダ言ってないで歌ってきな」 そうして程なくして別の歌声が店内に響き渡った。 この世のものとは思えない美声。
しかし曲がかわってないのは、俺に対する嫌がらせなのだろう。 「あのやろう…」 俺は眉間に皺を寄せた。
この歌声に飽きない限り、別れの日はまだ来ないだろう。 俺は目を閉じる。 |
/ 感想掲示板