カフェとは名ばかりのチェーン店で、泥水のようなコーヒーをすすりながら新聞を読んでいると、背後からやけにぶっそうな会話が聞こえてきた。
「知ってる? 世界ってもうすぐ滅びちゃうんだって」
ゲームの話か漫画の話か大喜利か。どちらにしても馬鹿馬鹿しいと思いながら背後を振り返ったのは、それがどう考えてもまだ幼い子供の声だったからだ。
隠す気がないだろうという衝立の向こうを覗けば、そこにいたのはお菓子のようなド派手な色をしたくりくりの髪の幼女と、そのまま育ったら即野球部員にでもなりそうないがぐり頭の坊主だった。
二人は自分たちの顔よりも高さのある、ストロベリーパフェとチョコバナナパフェを頬張っている。
(てか、親はどこにいるんだ。親は……?)
まぁ、今の時代、子供を放置して遊び回っていると言われても、呆れはするがまたかと思うだけだ。正直、あの非常識な外見をした子供を見れば、親も同様に非常識であることは想像に難くない。
「えっ? どうして?」
「いくら愚かなあなたでも、宇宙がどんどん膨張していることぐらいは知っているでしょ」
いがぐり坊主がきょとんとして聞くと、キャンディガールはふふんと鼻を鳴らして説明をする。
「宇宙は広がり続ける。だけど宇宙の外側は無限じゃない。だったらどうなるか、想像くらいつくわよね?」
いがぐり坊主は真剣な顔でパフェのクリームを頬張っている。うん、お嬢ちゃん。君の彼氏はちっとも話しについていけていないみたいだぞ。
少女はむっとした顔をすると、口をクリームだらけにした少年の目の前でおしぼりの袋を叩き潰した。
小気味良い破裂音がして、驚いた少年は目を丸くして固まる。
「つまりは、こうなるってことよ」
物分りの悪い彼に嘆息したように、少女はおしぼりを袋から取り出し少年の口を拭いてやった。
「そ、そんなの困るよ! ぼく、困る!」
少女の説明にようやく理解がいったのか、少年は今更になって慌てだす。少年、世界は滅びないから。そんなに焦らなくっていいから、まずテーブルから落ちそうになっているお冷に気が付いてくれ。
「あなたが困っても、どうしようもないわよ。世界がそうなってるんだもの、仕方がないわ」
「じゃあ、ドラえもんに助けてもらおうよ! あ、アンパンマン! アンパンマンならどうにかしてくれるかもっ」
少年は一生懸命、次から次へと知っている限りの正義の味方の名前を口にする。というか、半分以上俺の知らない名前が挙がっているな。うぅむ、これがジェネレーションギャップって奴か。
「馬鹿ね、それはお話の中の存在で現実にはいないの」
こまっしゃくれた態度で、少女はやれやれと肩をすくめる。
「ミカちゃん、ミカちゃんは怖くないの? 世界がなくなっちゃうの、怖くないの?」
少年が怯えた顔をして尋ねると、少女は眉を吊り上げる。
「ミカじゃなくて、ちゃんとミカエルって本名で呼んでよねっ」
ミ、ミカエルかよっ! 俺はタイミングよく口に含んでしまったコーヒーを噴出しそうになる。まじで親の顔が見てみたい! お前はイエス・キリストの兄弟かっつーの。
「まぁ、あたしも大賛成ってわけじゃないわよ。でも破壊の後には、必ず創造があるわ。今ある世界がいったん壊れても、あとにできる世界のほうが素晴らしいかもしれないじゃない」
「でも、僕はいやだよ」
ミカエル少女は鼻高々に高説を振りかざすが、少年はしょぼんと肩を落とす。
「世界がなくなっちゃったら、ハンバーグもカレーも食べれなくなっちゃうし、チョコバナナパフェだって食べられなくなっちゃうよ」
食い気を前面に出した少年の訴えに、ちょうどストロベリーパフェを口に含んだ少女が一瞬怯む。良し、頑張れ少年。もっと言ってやれ。
「それに、世界がなくなったらお父さんもお母さんも、死んじゃうんだよ。ミカちゃんはいいの? お父さんとお母さんに会えなくなっちゃっても、いいの? 僕はやだよ、お父さんとお母さんと、それからミカちゃんに会えなくなっちゃうの、やだよぉ……」
半泣きの少年を前に、少女も呼び方を訂正するのも忘れて、視線を落とす。その肩は、こちらも小さく震えていた。
「あたしも、やだ……。パパやママや、あんたに会えなくなるの、本当はいやだ……」
少女のまなじりに、みるみるうちに涙が盛り上がっていく。うんうん、やはり子供は素直なのが一番だ。俺が微笑ましく思ったその時――、
『きゃーーーーっ!!』
世界が滅びるかのような、甲高い悲鳴が外から幾重にも響き渡る。次の瞬間、ガラスの扉をぶちやぶって一台の車がカフェの中に突っ込んできた。
居眠り運転か、運転ミスか。暴走車だと気付いたが、誰にもどうする事もできない。車はそのまま、少年と少女がいる席へと迫ってくる。彼らは驚愕に大きく目を見開いたまま、ぴくりとも動けない。
(やばい――っ!)
俺は慌てて携帯電話を取り出すと、短縮番号を押して叫んだ。
「『一時停止』っ!」
ぴたりと、車の暴走が止まる。車だけではない。逃げ出そうとしていたカフェの客。弾き飛ばされたガラスやタイルの破片も、そのまま宙に浮かんだまま固定される。
俺はやってしまったと思いながらも、そのまま続けて言った。
「『巻き戻し』、それから『運命率変更』」
車はそのままバックで車道に戻っていく。割れたガラスも、なぎ倒された椅子も、パズルのピースを填めるように元の場所に戻っていく。時間が戻っているのだ。もっとも、再び時間が流れてももう一度車がここに飛び込んでくることはない。ほんの少しのハンドルの角度の違いによって、車は隣の空きビルに突っ込んでいくはずだ。
「まぁ、余計なお世話かもしれないけど、うっかりやっちゃったんだからしょうがないよな」
バクバクと鳴る心臓を撫ぜ下ろす。俺は時間が止まったままの世界を歩き、少年少女に近付いていった。
少年の脇の、落ちそうなガラスコップを少しだけテーブルの中ほどへ動かしておく。
そしていがぐり頭とくりくりのキャンディヘアーをぽんぽんと撫ぜると、俺はカフェを出て行った。
見上げた空は青く、太陽はさんさんと輝いている。生意気な子供もちゃんといて、ここにはまだまだ希望が溢れている。
「だから世界はまだ終わらないよ。俺は当分、君たちの飼育を止めるつもりはないからね」
俺は口元に、にやりと笑みを浮かべる。
コーヒー代を支払い忘れたのには、とりあえず気づかなかったことにしておいた。
【終】
【お題一覧(使用したものは鍵括弧)】
『大喜利』 『野球』 『扉』 『破壊』 『創造』 『猫』 『くるま』 『お菓子』 『飼育』 『新聞』 『カフェ』 『電話』 『膨張』
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