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◆◇ 川萩荘のライカンスロープ ◇◆

 
 隣の202号室に住むOLのお姉さんから回覧板を受け取った。
 回覧板には派手に強調された文字で『変質者注意!』『野犬注意!』と書かれていた。
 お姉さんは「女性の一人暮らしなんだから注意しないとね」と言っていたけれど、あたしなんかよりお姉さんのほうがよっぽど注意が必要だと思う。なにしろ彼女は線が細く色の白いはかなげな美人なのだ。か弱そうなその姿は、朝食どころかまともに三食食べているのか心配になる。なにより夜道を一人で歩いていたら、変質者の恰好の餌食になってしまいそうだった。
 一方色が黒くて繊細さという言葉からはまるで無縁のあたしは、どちらかといえば野犬の方がよっぽど怖い。もっとも、だからと言って変質者が大丈夫という訳でももちろんない。
 回覧板を手に自分の部屋のドアを開けようとしていたところで、ふいに視線を感じて隣を振り返る。その途端、204号室の扉が慌てたように音を立てて閉まった。
 あたしはひくりと顔を引き攣らせた。
 この204号室には一人暮らしの浪人生男が住んでいるらしいのだけれど、根暗といおうか陰気と言おうか挙動不振と言おうか。少なくともあたしはまともに顔を見たこともない。
 変質者ってこいつのことじゃないだろうな、だってなんとなく臭いし。などと思いつつ、あたしは自分の部屋に入っていった。


 日中降っていた雨は、夜半を過ぎる頃には止んでくれたので助かった。
 アルバイトが終わった後、深夜までやっているスーパーマーケットで食料や日用品を買い、あたしは閉じた傘を片手に夜道を歩いていた。
 駅前の賑やかな通りは夜中でも明るく、それほど怖くはないのだけれど、駅から徒歩15分のアパートにたどり着くまでの間には細い道も薄暗い道も歩かなければならない。
 一方で可愛い猫がたむろしている空き地などもあってこれまではよく帰り道に煮干をあげたりなどしていたのだけれど、最近は顔を合わせるやいなやすぐに猫が逃げていってしまう。猫の嫌いな臭いがどこかで染み付いて残ってしまっているのだろか。
 そんなことを考えながらもっとも薄暗い区画である持ち主の分からない鬱蒼とした竹林の間の道を歩いていると、ふいに藪を掻き分けるような音と荒い息遣いが耳に飛び込んできた。あたしはぎくりと身を竦ませる。
 振り返らなくても分かる。これはまさしくたぶん、例のアレに間違いない。
 気配は慎重を喫する様にゆっくりと、しかしどんどん距離を詰めてくるのが分かった。
 こんな時間にひと気のない薄暗い道を通ってしまったのが運の尽きなのだろうか。あたしは不遇にも、今もっともホットな話題を振りまいている存在に目を付けられて、なおかつ狙われてしまったのだ。
 ああ、こんなことなら隣のお姉さんの忠告をもっとしっかり聞いておけば良かった。
 だけどもちろんあたしには、このままむざむざと襲われてやるつもりは欠片もなかった。せめて一矢報いたい……いや、あわよくばこの手で退治することはできないだろうか。
 心持ち足早に歩きつつも、あたしは後方に細心の注意を払う。そしてとうとう気配がすぐ真後ろまで迫ったと感じると同時に、あたしは傘の先端をそのまま思いっ切り背後に突き出した。
「ぎゃんっ!」
 か弱い女一人だと油断していたのだろう。傘の柄にはっきりとした重い手応えを感じた。
 よくやった、自分。と自らを褒め称えながら、あたしはそこでようやく後ろを振り向く。今しがた自分が退治したこの不埒な存在が、果たして野犬なのか変質者なのか確かめるために。しかし――、
「……ど、どっち!?」
 あたしは目を見開いたまま、言葉に詰まってしまった。なにしろあたしの足元で鳩尾を抱えてうずくまっていたのは、全身がくまなく毛に覆われ、身長の割にはやたらと等身の低い、白黒の物体。
 そう、有り体に言えばそれは『パンダの着ぐるみ』以外の何物でもなかったのだ。
 だけど本物のパンダならともかく、さすがにこれが野犬と言われるはずがないだろうと思い直す。いや、それ以前に本物のパンダが日本の竹やぶをうろちょろしていたりするはずがない。
 だからあたしは何はともあれ、この変質者の顔を拝んでやろうと着ぐるみの頭部を掴んで引っ張ってみた。
「い、痛いよ痛いよっ!」
 ……取れない。か弱き乙女の細腕とは言え、全身全霊の力を込めて引っ張っても頭部はこれっぽっちも外れる気配をみせなかった。
 仕方がないので胴体の部分から剥ごうと思ったのだけれど、これまたチャックもボタンもどこにも見当たらない。
 これはなんなんだ? まさか一生着ぐるみの中にいることを覚悟したうえで変態行為に及ぼうという背水の陣的な作戦なのか?
「酷いよ、まさかあなたにこんな乱暴なことをされるなんて……っ」
 どうにか頭部を引っこ抜こうと奮闘していたあたしに悲鳴をあげて抵抗していた着ぐるみは、とうとう吹き飛ばされそうになるほどの強い力であたしを振りほどくと、そのままくぐもった声でさめざめと泣きはじめた。
 あたしはその様子に思わず身をのけ反らせる。もっともそれは着ぐるみのあまりの女々しさに呆れ返ったわけではない。それ以前の問題だ。
 よく見れば、なんと着ぐるみの目からは本物の涙が流れていたのだ! 
 しかもさらに目を凝らせば、着ぐるみのぱっくりとあいた口のなかには、よく回る舌と牙が見える。唾液で光るそれは、まさに生き物の口の中そのもので――、
「ば、ばけものっ!?」
 あたしは思わず悲鳴を上げて後じさった。
 見た目はパンダの着ぐるみにしか見えないけれど、それはまさしく生身の生き物以外のなにものでもなかったのだ。
「ばけものだなんて、そんな酷いことを言われたら傷ついちゃう」
 着ぐるみもどきはどこか馴れ馴れしい口振りで非難するようにこちらを見る。口を開かなければ、やはりその姿は着ぐるみにしか見えない。だけどあたしはすでに、それが生身の生物であることを知っていた。着ぐるみもどきはさらに言い募る。
「仕方がないと思って欲しいよ。こっちだって、好きでこの姿になっているわけじゃないのに」
「姿に、なる……?」
 その言葉にあたしはきょとんとなった。
「あなた、もしかするともともとは別の姿だったの?」
 怯えながらもたずねると、着ぐるみもどきは無言でうなずいた。がくんと大きな首が不気味に動く様子は、肯定しているのだと気付くまで若干の時間が要った。
「じゃあ、あなたはいったい何なの?」
「たぶん……ライカンスロープだと思う」
 着ぐるみもどきはしばし戸惑った後、もぞもぞとその言葉を口にした。あたしは首を傾げる。
「ライカンスロープ?」
「和訳すると『人狼』になるの?」
 いや、逆に聞かれても困るし。だけどそこまで言われてあたしはようやくぴんと来た。
 人狼とは、すなわち「狼男」。どこかの国の伝説で、狼の姿に変身出来る人間と言われているものだ。
「でも着ぐるみじゃん!!」
 あたしは思わず相手を指刺す。目の前の相手は狼どころか、動物ですらないのだ。
「そう。だからパンダの着ぐるみのライカンスロープなの」
「ますます意味が分からないし!」
 あたしは頭を抱えてしまった。着ぐるみの『人狼』とやらは拗ねたように唇を尖らせてそっぽを向く。そうした表情の動きは確かに本物の着ぐるみには不可能なことだろう。
「こっちだって困ってるんだもん。気がついたら毎晩こんな姿に変身するようになっちゃうし。朝、人間に戻ったときに、この姿になっている時の記憶がないのは幸いだよね」
「今は人間の時の記憶はあるの?」
「幸か不幸か、ね」
 バランスの悪い巨大な頭部が、がくんと傾ぐ。そのたびにあたしはぎょっとさせられずにはいられない。だが確かに、変身している間のことは覚えていないというのがライカンスロープの伝説の定説だったと思うから、そこらへんはまさしく伝承どおりといえるだろう。
「そんな不幸な身の上なのに、今日はさらに輪をかけて不幸なことにあなたに首をもがれそうになったし」
 先ほどのやり取りを思い出したのか、着ぐるみはふたたびえぐえぐと泣きじゃくり始めた。なんとも不気味かつみっともないことこの上ない姿だけれど、こうやって目の前で泣かれてしまうとこちらが苛めているような気分にさせられてなんとも居心地が悪い。
 だからあたしは慌てて釈明の言葉を口にした。
「だって仕方がないじゃない! 襲われそうになったら、誰だって抵抗くらいするわ! だいたいこんな所に潜んでいたのだって、誰かに襲い掛かろうと待ち伏せしていたんじゃないの?」
「とんでもないっ!」
 あたしの言葉を着ぐるみは必死になって否定する。たぶん白黒じゃなければ真っ赤か真っ青か、あるいはその二色のツートンカラーになっていただろう。
「誰かを襲うだなんて、そんな恐ろしいことをするはずがないじゃない!」
「じゃあ、どうしてこんな所に隠れていたの?」
「そ、それは……」
 パンダの着ぐるみは一瞬言葉に詰まり、それから言い辛そうにもごもごと口を動かす。
「お腹が減って……」
「ほら、やっぱり!」
「だから違うって! これまでだって人間を襲ったことはないし、ましてや食べたいと思ったことなんて一度もないよ!」
 着ぐるみは立ち上がって熱弁を振るう。その勢いに首ががくんがくんと揺れた。
 バランスが悪い所為でどうしても揺れずにはいられないのだろうけれど、このパンダ、全長が2m近くあり、薄暗い中ではかなりの威圧感があるのだ。たぶん気の弱い子供が見たらトラウマにでもなってしまいかねない。
「じゃあ何が食べたかったの?」
「……笹」
 ぼそっと返ってきた答えに、あたしは思わず吹き出してしまった。なるほど、確かにそのとおりだ。パンダの好物と言えば確かに笹に違いない。
「そんなに笹が気に入ったんだ。よっぽど美味しかったに違いないね」
「美味しい訳ないじゃない!」
 しかし意外なことにパンダは嘆かわしげな様子で首を振った。
「パサパサしてるし、筋っぽいし、人間に戻った時にお腹の調子が悪くなるし! だけど、だけどどうしても食べずにはいられない……!」
 まるで薬物中毒かアルコール依存症の人間のように、パンダの着ぐるみは悲嘆にくれたようにがっくりと膝を着く。
「なるほど。そんな自分に嫌気が差して、ついに自棄になって凶行に走ったわけね」
「違うよ。そんなつもりはこれっぽっちもなかった。本当だよ」
 パンダは慌てて顔をあげる。
「ただ、あなたの買い物袋の中から笹以上にかぐわしい良い匂いがして、ついつい我慢できずに引き寄せられて……」
「買い物袋?」
 あたしはきょとんと首を傾げる。
「今日の買い物の中に、ぱんだホイホイに成り得るようなものなんて、あったかしら」
 あたしはスーパーの袋の中身をごそごそと漁っていく。今日購入したものといえば、最近よく服に動物の毛がついているのでゴミ取り用のコロコロさせる掃除用具と、詰め替え用のシャンプーリンスコンディショナーと、一週間分の食材くらい。そういえばスペアリブも買ってあるから、まさかそれに引き寄せられたのかと思っていると、急にパンダの着ぐるみが声を張り上げた。
「ああっ、それだっ!」
 何事かと思ってみると、パンダが指差したのは今日の夕飯のおかずのために買った「笹かまぼこ」。
 笹と付いてればなんでもいいのか、冗談だろう。そう思ってパンダを睨みつけたのだけれど、パンダは今にも飛びつかんばかりの熱心さで笹かまぼこに心を奪われている。「とってこーい!」と投げたら条件反射で追っていきそうなほどだ。もっともあたしはそんなことをするつもりはこれっぽっちもなかったけれど。
 あたしがためらいがちに笹かまぼこのパッケージを差し出すと、パンダは砂漠で水を受け取った遭難者のごとく感極まった様子で歓喜の声をあげた。
「ありがとう! やっぱりあなたは優しいね!」
 初対面の時から一向に変わらない馴れ馴れしさ全開の口ぶりにあたしは閉口するのだけれど、ここでふいにひとつの考えに思い至る。
「……ねぇ、もしかすると人間の時のあなたは、あたしの知っている人だったりするんじゃないの? それは誰なの?」
 そう考えればパンダの馴れ馴れしさには納得がいく。けれどパンダは途端に憑き物が落ちたような声で小さく悲しそうに呟いた。
「それは言えないよ。だって人間の時にまでそんな目で見られたくないもの」
 そんな目。それはたぶん、夜の暗がりでパンダの着ぐるみを目撃したような目のことを言うのだろう。
 確かに人間に戻り、何も覚えていない状況でそのような反応をされてしまったとしたら、理由は分からなくても傷付いてしまうに違いない。
 あたしは再び笹かまぼこに熱中している着ぐるみのライカンスロープを残して、そっと竹林を後にした。空を見上げれば雲の隙間から綺麗な月が覗いていた。
 月夜の竹林にパンダ。なんとも風流なことじゃないか。例えそれが着ぐるみもどきのライカンスロープだとしても。
 月を見上げ、そんな考えにひたりながら歩いているうちに、なにやらあたしも気分が高揚し少しずつ浮き足立っていくのを感じた。



 それから数日後の可燃ゴミの日。収集所にゴミを置きに出たあたしは、アパートの入り口の前で今まさに出勤せんとする隣の部屋のOLのお姉さんとばったり一緒になった。
 お姉さんはいつもそのままファッション雑誌に出られるようなぱりっとした華やかなスーツに身を包みブランド物のショルダーバッグを下げているのだけれど、今日はそれに加えてもうひとつ小さな手提げ鞄を手にしていた。
 あたしが視線を向けたのに気付いたのだろう。お姉さんは綺麗に化粧をした顔にほのかな恥じらいを浮かべながらも、微笑を向けた。
「最近ね、会社にお弁当を持って行くようにしているの」
「へぇ、手作りですか! いいですね。中身は何ですか?」
 そんな大層なものは入っていないけれど、と前置きしたお姉さんは輝かんばかりの笑顔であたしに答えた。
「笹かまぼこなのよ」
 いってきますと、以前に比べて随分血色の良くなった顔に笑みを浮かべて出社するお姉さんを見送ったあたしは、そのまま無言でアパートの階段を昇る。いや、むしろ言葉が続かなかった。
 人は見かけによらないものらしい。それも半端なく。
 しかしそもそも我々人間は、『人』と言う化けの皮がはがれたときにはじめて、その本性が分かるものなのかもしれない。
 そんなことを考えながら自分の部屋に入ろうとしていたあたしは、また隣の部屋の――OLのお姉さんとは逆側の204号室の――扉がわずかに開いておりそこから不愉快な視線が向けられていることに気付いた。
 もう我慢できない。腹に据えかねたあたしは、もはや飛びかからんばかりの勢いでその視線の元に駆け寄り力づくで扉をこじ開ける。
「いい加減にしなさい! この間から人をじろじろと見て、いったい何のつもり……」
 だけど、そう怒鳴りつけようとしたあたしの台詞は、最後の句読点まで辿り着くことができなかった。言葉を途中で遮るように彼の悲鳴が覆いかぶさったからだ。
「ごめんなさいごめんなさい! もう女の子を付け回したりはしません! 夜道で待ち伏せしたりはしません! 受験が上手くいかなかった所為でストレスが溜まっていたなんてことを言い訳にしたりしません! だから噛み付かないで齧らないで! どうか僕を食べないでえぇぇっ!!」
 頭を抱えた浪人生男は半狂乱になったように謝罪の言葉を繰り返し、ついには大きな骨付き肉を祟り神への供物を捧げるかのようにあたしに差し出してきた。
 よく見れば彼の部屋は台風に直接見舞われたかのような荒れ果てた様子であり、何より彼自身、腕なり顔なり足なりに、まるで大きな犬にでも齧られたかのような噛み痕がくっきりと残っている。
 それはともかく、どうしてあたしは始めてまともに見たはずのこの部屋と隣人の浪人生男の姿に見覚えが――いや、嗅ぎ覚えがあるような気がしているのだろう?
 あたしはあたしに対して怯えきって壊れたように謝罪の言葉繰り返す隣人からおもむろに視線をはずす。
 そして自分の本性は果たして何なのだろうかできれば可愛い猫ちゃんとかであって欲しいなぁという他愛もない想像を巡らす事で、薄っすらと気付かざるをえなくなりつつある現実から目を逸らすのであった。

 


【終】

 

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