第一章 2、「炎の崇拝者」(3)

 

 この日、留置所はいつになく賑やかだった。
 街の警備兵たちの詰め所にあり、主な役割を調書を取るだけの軽犯罪者を一時的に入れておく事とするここは、もちろん週末の夜や祭の日になれば酔っ払いたちの喝采がやんややんやと響き渡るのが常である。しかし、今日はそれを軽く凌駕するほどの声量が『ボーイソプラノ』としてひとつの牢屋から発せられていたのだった。
「こんな狭く汚い部屋にオレを閉じ込めるとはいったいどういうつもりだっ。きさまらこんなことをしてただで済むと思うなよ! 早くここから出しやがれ!」
 返事はない。
 それもそのはず。運悪く同じ日に留置所に入れられた者は、文句を言うことも諦め頭から毛布をかぶって寝台に突っ伏しており、看守までも耳栓を付けそ知らぬ顔をしている。
 ここに入れられてから早一時間。
 途切れることなくその罵声は続いているわけだが、いっそよくぞ咽喉が枯れないものだと言う以上に、よくぞ飽きないものだ、あるいはよくぞ悪言雑言のレパートリーが尽きないものだと感心したくなる程だ。
 音沙汰ない反応に、さらに怒りを煮えたぎらせた声の主が再び声を荒らげようとした時、この場に似合わぬ軽やかな笑い声が彼の耳を打った。
「ふふっ、元気がいいなぁ」
 見てみると、鉄格子を挟んだすぐそばに、淡い金髪を背に流し面白い見世物でも見ているような目で自分を見ている男と、やけにびくびくとしながらその陰に隠れている少年がいた。
 彼はむっとして、そのみょうちくりんな二人組を睨み付けた。



 ジェムはなかば呆然とその人物を見ていた。
 詰め所にたどり着き、どうにか面会を取り付けた彼らであるが、建物の外にまで聞こえていたその声の主がまさか自分たちが探していた巡礼の仲間であるとは思ってもいなかった。
 だがジェムが何よりも驚いたのは、そんなこと以上に彼の外見そのものだった。
 浅黒い素肌に長衣(ジェーバ)を羽織った彼は、腕から顔から全身が、赤や青や黒と言った鮮やかな刺青で彩られている。シエロや街の男たちが言っていた通り確かにかなり印象的で、一度見たらけして忘れられない容貌だ。彼の琥珀色の鋭い瞳がきっと自分たちを睨み付けている。
「きさまら、何者だ?」
 しかも厳しい口調で訊ねる牢の中の彼は、どう見てもジェムよりも二つ三つ年下だった。
「え、ええっと……」
「俺はシエロ。こっちはジェム・リヴィングストーンだ。君は?」
 戸惑うジェムの横で、シエロがにこやかに、簡潔に自己紹介をする。獄中の少年も胸を張り、堂々と自分の名を告げた。
「アサドの息子、フーゴのシェシュバツァルだ。きさまら一体オレに何のようだ? あの兵隊どもの仲間なら早くオレをここから出すように言え」
「いや、別に彼らとは何の関係もないんだけどね……」
 牢の中にいながらも少しもこたえた様子のない彼に、シエロはくすくすと楽しそうな笑みをこぼす。
「君、どうしてこんな所に入れられているのかな?」
「どうしたもこうしたもないっ」
 シェシュバツァルと名乗った少年は、きゅっと眉を吊り上げた。
「街を歩いてたらいきなり絡まれたんで、殴ってやったらここに入れられた」
「うっ……」
「おやおや、災難だったねぇ」
 シエロは目を見張りけらけらと笑い出す。ジェムは思わずうめいて数歩あとずさった。暴力を大の苦手とするジェムである。どうやらこの少年とはあまり気が合いそうにない。だが、彼の話はまだ終わらなかった。
「その後はすぐに出されたんだが、また同じやつらに襲われたんで、もう二度と馬鹿な真似をしでかさんように徹底的に叩きのめしたらまたここに押し込められた。ここの奴らは頭がおかしいぞ。自衛は当然の権利じゃないか」
 少年は仏頂面のまま、理解できないと言わんばかりに首を振る。
「いくらなんでも、命までは奪ってないよね」
 さすがに笑みを引っ込めたシエロが真面目な顔で訊ねると、
「あんまりにも弱すぎて途中で哀れになった」
 という返事が返ってきた。
 弱くなかったらどうしたつもりなんだろう、とジェムはかなり真剣に悩んだが、シエロはと言うとほっと息をつきまたなごやかな笑みを浮かべた。
「それは良かった。さすがに人殺しまでしてたら、いくらなんでもやり過ぎだからなぁ」
 不思議そうなシェシュバツァルに、シエロは今度こそはっきりと自分の正体を明かした。
「君は南の大陸代表の巡礼者だろう? 俺たちも、巡礼使節の一員なんだ。君をここから出して貰えるように何とか掛け合ってみるよ」
 ジェムもうんうんとその言葉にうなずいた。
 彼に対する印象がどうであれ、とりあえず今はそれがなによりもの優先事項だった。