空は彼らの旅立ちを祝福するように青々と晴れ渡っていた。
 「いーい天気だ。こんなに空が青いとなんだか意味もなく楽しくなってきちゃうね」
  シエロが眩しそうに空を見上げる。
 「それはお前だけだな。あまり天気が良すぎても余計な体力を消耗する。長い旅になるんだ。初めから浮かれていると途中でばてる羽目になるぞ」
  真面目な顔で忠告するゼーヴルムをバッツが鼻で笑った。
 「これで気候が良い? おれにはまだ寒すぎるぐらいだ。貴様ら揃いも揃って軟弱者のようだな」
 「それはお前がそんな格好をしているからだ」
  長衣(ジェーバ)一枚の彼の格好に冷たい視線を向けるゼーヴルムを、バッツがきっと睨みかえす。
 「馬鹿にすんなっ。これは伝統的な火の民の衣装だぞ!」
 「旅装としては不適格な衣装だと言っているのだ。別に馬鹿にしてなどいない」
 「いいや、お前の言い方は確かにおれを見下していたっ」
  認めやがれと指を突きつけるバッツに、ゼーヴルムはやれやれとため息をついた。
 「しつこい奴だな。ならばあえて言わせてもらうが……」
  そう前置きしたあと、旅に相応しい服装についてゼーヴルムが滔々と意見を述べるが、それをバッツは激しく反論する。また一方バッツの考えはゼーヴルムにことごとく打ち捨てられた。
  言葉の応酬は幾度となく繰り返されて、やがてそれはそのまま、往来のさなかであるにもかかわらず、なぜか衣服に関する激しい討論に発展していった。
  よくよく見てみると、まわりが目に入らないほどの熱心さで互いに意見をぶつけ合うゼーヴルムとバッツの胸にも、集まり始める野次馬に混じってそれを楽しそうに鑑賞するシエロの胸にも、そしてそれを止めあぐねておろおろしているジェムの胸にも、七色の光を弾く揃いのペンダントが揺れている。まるで何かの絆のように。それは四人が神殿に認められた正当な巡礼者であるという証である。
  そしてそれに加えもうひとつ、ジェムのポケットの中には五つ目のペンダントがあった。
  しかしそれがジェムの手に行くまでには、ちょっとしたひと騒動があったのだ。
 
 
 「これはどうか貴方が」
  神官は五人目のための巡礼者の証を差し出した。今まだ持ち主のいないそのペンダントを巡礼者たちの手で保管してもらうためだ。しかし預ける人間として神官が選んだ相手は、実は当初ジェムではなかった。
 「東の大陸の代表者と無事合流を果たしましたら、どうか大神殿の神官から承認を受けてください。しかしもしそれが叶わないようでしたら、シエロ・ヴァガンス殿。貴方が仮の物にはなりますがその者の承認をして下さいませ」
  うやうやしくペンダントを差し出されたシエロはほんの一瞬だけ顔をしかめた。それはよくよく注意しなければ誰も気付きはしないほどの刹那の間。事実、それに気付いたのはすぐ隣にいたジェムひとりだけだった。シエロはすぐさまにっこりと笑みを浮かべると、大袈裟な仕種でそれを受け取った。
  そして快く懐に納めると見せかけて、そっくりそのままそれをジェムの手の中に移してしまったのだ。
 「ええ〜っっ!?」
 「シ、シエロ殿!!」
  ジェムは突然のことに目を白黒させ、神官は思わず息を飲む。慌てふためく二人にシエロはだってぇ、と甘えたような声を出して肩をすくめた。
 「俺、そんな大切なもの持ってたら無くしちまいそうなんだもん。その点、ジェムなら大切に大切に保管してくれそうだし。その承認とやらはやってやるからさ。いいだろ、別に」
 「いえ、全然よくないですよ!」
  ジェムはぶんぶんと首を振ったのだが、
 「シエロ殿、そんなに持つことがおいやですか? ……そうですか。でしたら仕方がありません。譲歩いたしましょう。ジェム・リヴィングストーン殿。なにとぞ宜しくお願いいたしますよ」
 「ええっ、そんなにあっさり譲っちゃっていいもんなんですか!? もうちょっと踏ん張ってくださいよ! ってか頑張りましょう、神官さまっ」
  ジェムの必死の励ましもむなしく、結局神官がそれを認めてしまったため、最後のペンダントはなし崩しのままジェムが預かることになったのだった。
  何とも理不尽な話である。
 
 
  ふと気付くと、バッツとゼーヴルムは今にも殴り合いを始めそうな険悪な雰囲気になっていた。
  慌てたジェムはとっさに二人のあいだに割って入る。
 「邪魔だ。下がってろよ」
 「何のようだ」
  目つきの悪い二人に鋭い眼光をじろりと向けられ、止めることしか考えていなかったジェムは青白い顔でもごもごと口ごもった。しかしふと妙案を思いついて、彼はぱっと顔を上げる。
 「あ、あの、自己紹介しませんか!?」
 「はっ?」
 「はあっ」
  思いがけない言葉に、いがみ合っていた二人はほぼ同時に眉をひそめる。その顔のしかめ具合は驚くほどに二人そっくりで、端から見ていたシエロはこっそりと笑いを噛み殺した。
 「えと、あの。ぼくたちってそれぞれもう名前は知っているかも知れませんけど、まだきちんと自己紹介はしてないじゃないですか。だから、その、互いの事を知ったらもっと、あの……」
  だんだん声が小さくなっていく。最後にはとうとうジェムは顔を赤くしてうつむいてしまった。
  二人はぽかんとしてジェムを見ていたが、やがてゼーヴルムがごほんとひとつ咳をして顔を上げた。
 「私はゼーヴルム・D・ラグーン。ギュミル諸島代表の軍人だ」
 「軍人さんだったの? なんかそれ分かるなぁ」
  シエロはにやりと笑って、人差し指をくるりと回す。
 「俺はシエロ。あえて言うなら遊び人かな」
 「遊び人は職業じゃないぞ」
 「知ってるとも。これは俺の生き様さ」
  妙に自信満々なその言葉に呆れたようにため息をついたバッツが、顔の前で拳を合わせた。
 「アサドの息子、フーゴのシェシュバツァル。シェシュバツァルだからな。シェ、シュ、バ、ツァル。バッツだなんて変な呼び方は絶対にするなよ。……気付いているとは思うが火霊使いだ」
  名前をしつこいぐらいに強調している。どうやらシエロの考案した呼び方がかなり気に入らなかったらしい。
  ジェムは自分の提案が受け入れられたことにほっと笑みを浮かべると深々と頭を下げた。
 「ジェム・リヴィングストーンです。一応北の学院の学生です。あの、いろいろご迷惑を掛けてしまうかも知れませんが、皆さんよろしくお願いします」
 「うん。みんな仲良くやっていこうとも」
  シエロがにやっと笑い残りの二人を見る。ゼーヴルムも鷹揚にうなずいた。
 「そうだな。付き合い難い人間もいるが努力だけは心がける」
 「何を!? それはオレの台詞だっ。オレはお前に牢にぶち込まれたことを忘れたわけじゃないんだぞっ」
  バッツとゼーヴルムは再び睨み合いを始めてしまう。もはや何を言っても止まらない二人にジェムは泣きそうな顔でおろおろしていたが、しかし後ろからとんとんと背中を叩かれ慌てて振り返った。
  見ると一歩離れた所にいたシエロが、妙に穏やかな顔で言い争う二人を眺めている。彼はこれまでの冗談ばかりの言動からは想像もつかないほど静かに言葉をつづった。
 「ねえ、ジェム。ゼーヴルムは人は結局は独りだって言ったけど、俺はそうとは思わない。人はそこまで孤独に耐えられる生き物じゃないと思うんだ」
 「は、はい。ぼくもそうです。分かり合える日は来るんじゃないかと思います。時間は、その、掛かるかもしれませんが……」
  間違えることもあるかもしれない。
  裏切られることもあるかもしれない。
  しかし人はもっと希望を持ってもいいはずだ。
  親の敵でも見るような顔で怒鳴りあっている二人を見ると、それもかなり遠い道のりのようにも思えるけれども……。
  ジェムが正直にそのことを言うと、シエロもうーんと眉をひそめたがすぐあっけらかんと微笑んだ。
 「まあ、たぶん平気だよ。俺たちにはなにより、時間だけはたっぷりあることだしね」
  茶目っ気たっぷりに肩をすくめて見せる。ジェムもそれに力強くうなずいた。
 「はい、そうですね。……っと、バッツさん! こんなところで炎を出しちゃ駄目ですよっ。待って、落ち着いて!!」
  ジェムは慌てて駆け寄っていった。
 
 
 
 
  こうして、世界の命運を担う旅の、最初の一歩が踏み出された。
  選ばれたのは四人の少年。
  しかし、彼らのうち誰一人さえ自分達に託されたものの大きさを知る者はいない。
  運命の歯車は、軋みながらゆっくり廻り始める。
  伝説という名の終焉にむかって――、
 
         
         
         
         
         
         
         
         
         
        【第一章 了】  
         |