第二章 3、「剣の輪舞(ロンド)」(1)

 

 月明かりの無い夜の庭にぽつんとランプの明かりが灯った。ゆらゆらと淡い光を放つ灯火はともすれば宵闇にすくみそうになる心をそっと慰撫するが、その分周囲の闇はより妖しげに深く濃密になっていく。世界を隈なく覆う漆黒に対するには、その小さな灯かりはあまりにも心もとないのだ。

 だがそんなささやかな灯かりと星の瞬きを味方に、ひとりの青年が夜の闇の中に立っていた。じっと耳を澄ましているかのように目を閉じ、ぴくりとも動かない。彼の精悍な顔立ちとあいまって、まるで神代の英雄をモチーフにした立像のようである。

 だが彼は石膏や大理石で作られた彫刻ではなく生身の人間である。その証拠に今まできゅっと閉じられていた唇がわずかに開き、吐息が漏れた。

「遅いな…」

 どこからか聞こえる浮れ烏の鳴き声にすらかき消されそうな小さな声。ため息混じりのその言葉はどこか憮然としたような響きを持っている。

 月夜の晩ならその動きで時間を推測できるのだが、新月となるとそうもいかない。
 時の経過を主観で判じるしかないため、待ち時間を余計長く感じているのかもしれないが、それにしても遅いだろうと、青年は眉をひそめる。

「まさか怖気て逃げ出したか?」
「そんなこと無いよ。ここにいるよ」

 刹那。

 ぞくりと全身が総毛立った。

( ―――気配などなかったぞ!?)

 青年は振り返りざま飛び退る。
 焦燥と共に、五感を裏切るその事実に愕然となった。

 これでも自分は軍人だ。剣を手にする人間として、背後に人が立たれて気付かないはずがない。
 高鳴る心臓をどうにか落ち着かせようとするがそれもうまくいかず、彼は小さく舌打ちした。

 しかしそんなゼーヴルムの心境などかけらも気にかけず、シエロはしてやったりとほくそえむ。

「どうだい、驚いただろう。気配を隠すのは俺の八つの特技の一つだ」
「遅いぞ、シエロ・ヴァガンス…」

 腹立ちまぎれに睨み付けるが、シエロはどこ吹く風で肩をすくめた。

「冗談だ。そうピリピリすんなよ。そんなことよりこんな時間にいったい俺に何のようだい。まさか愛の告白だなんて言わないよな。そんなこと言ったら俺はそれこそ駆け足で逃げだすぜ?」

 だがそんな彼の軽口を半ば無視する形で、ゼーヴルムは二振りの剣を取り出し、交差させる形でそれを地面に突き刺した。

「シエロ・ヴァガンス。好きな方を取れ」
「おいおいおいおい〜っ」

 鬼気迫るぜーヴルムの視線を受けて、意味する所を察したシエロは頭を抱え天を仰いだ。

「恋文じゃなくて果たし状のほうかよ。それもこんな古風な決闘の形式まで持ち出して…。お前いったい何考えてるのさ」
「先日の続きだ」

 つまりうやむやのまま中断してしまった手合わせの続きをしようということらしい。シエロは実に嫌そうな顔をするがゼーヴルムは一歩も引かない。それどころか早く剣を取れとシエロをせつく。

「待てよ、待てってば! そんなせっかくジェムも目を覚ましたって言うときに止めようぜ」
「意識を取り戻したからこそやるのだ」
「それは俺には理解できない理屈だよ」

 シエロは不快そうに剣を覗き込み、さらに眉をひそめる。

「おい、これって真剣じゃないか。いったいどこから借りてきたのさ。刃がついてるぞ」
「当たり前だ。こんな村に練習用の模擬剣など置いてあるはず無いだろう」

 さも当然と言わんばかりの現役軍人にシエロはため息をついた。

「俺は使わないぞ。だいたい剣を振るうなんて俺の趣味じゃない」
「では得物は何だ」
「まあ…、これでじゅうぶんかな」

 ふところから一本の枝を取り出す。どこに入れてあったのだか、どうやらいまだに持っていたらしい。
 物持ちが良いと言うか、何の変哲も無いその枝を三日間も一体何のために持っていたのか、その使用用途が気になる所だ。
 ゼーヴルムは顔をしかめたが、以前のように反論を唱えることはしなかった。

「…手加減はしないぞ」
「その必要性は感じてないよ。あーぁ、全くしょうがないな」

 ちぇっと舌打ちする。
 それでもとにかくゼーヴルムの申し出は受け入れることにしたらしい。シエロは枝の先を真っ直ぐ彼に突きつける。

「ルールはこの前と同じでいいね。君から剣を手放させることができれば俺の勝ち。俺に一太刀でも浴びせられれば――、」
「私の勝ちだ」
「…よくご存知で」

 シエロがぽりぽりと頭を掻いた。

「やると決めたならすぐやるぞ。今度は、余計な邪魔が入らないうちにな」
「はいはい」

 呆れ混じりのシエロのため息も、ゼーヴルムの強固な意思を曇らせることは出来なかった。




   ××××




 洋灯と星が生み出す微かな灯かりの下で、二人の青年が向かい合う。互いの顔も判別しがたい 薄闇の中、しかし二人の顔には息を飲むほど真剣な表情が浮かんでいた。
 さわさわと枝葉を揺らす風が不意に止み、全くの無音が辺りを包み込んだその時、
 鍛えられた体躯がしなやかに大地を蹴った。



 摩擦で空気の焦げる匂いが鼻をかすめたような気がした。それほどまでにゼーヴルムの突き出す剣の勢いは早く鋭かった。心臓目掛けた強烈な一打がシエロを襲う。

「うわっ」

 シエロはそれをなんとか紙一重で避けた。
 だが次の刃がすぐさま右から袈裟懸けに振り下ろされる。これもまた容赦ない、無慈悲な一撃だ。

「ちょ、ちょっとっっ」

 それすら避けられると、今度は剣を返しざま垂直に剣を振う。

「待っ、待って。タンマ、タンマ!!」
「いちいち声を上げるなっ。わずらわしい!」
「いやっ、そういう問題ではないでしょっっ!」

 慌ててその間合いから逃亡を果たし、シエロはぜいぜいと息を切らす。
 ぎろりとゼーヴルムが鋭い眼差しを投げかけた。灰色の冷たい瞳がまるで刃のように危険な光を放っている。

「どうした、まだ始まったばかりだぞ」
「ごめん。正直、君のこと見くびりすぎてた。ゼーヴルム、君ってこんなに強かったんだね」

 シエロの目に感心したような色が浮かんだ。

 それもそのはず。
 虚偽も誇張も無く、ゼーヴルムは強かった。その剣戟はどれも鋭く重く、鮮やかな太刀筋は同世代のどの人間よりもはるかに抜きん出ている。彼より年輩の人間と比べたとしても腕の冴えは明らかだろう。

「失敗した…。ねえ、悪いけどやっぱりこれやめにしない? なんかかなり不毛な事をしているような気がヒシヒシと」
「つまりは負けを認めるということか。ならばこの先の戦闘で手を貸してもらう事になるぞ」
「あちゃあ、そうか。降参するとそういう事になっちゃうんだっけ。参ったなぁ」

 本気で困っているらしいシエロにため息をつき、ゼーヴルムはますます冷たい目線を差し向けた。

「悩むことなどあるまい。ようは貴様が本気を出せばいいだけの話だ」

 たとえるならば、それはいかなる表情も消し去りあらゆる感情をこそぎ落としたような酷薄な声。
 滲み出るように低くたんたんとしたその言葉は、しかしそれだけで背筋をぞくりとさせる響きを持つ。

 ゼーヴルムはシエロの困惑も賞賛もこれっぽっちとして信じていはいなかった。
 それもある意味問題だとは思うが、ゼーヴルムは本当にシエロを切るつもりで剣を振るった。けして手を抜いた訳ではない。
 しかしこうもあっさり避けられてしまったのは、相手の方が実力的に勝っていたからだ。それどころか、シエロにはまだかなりの余裕が感じられる。

 ぎりぎりでの回避。それは言い換えれば、全て最小限の動作という事なのだ。

「いや、だってこっちにも都合と言うものがあってさあ」

 シエロはぽりぽりと頭を掻き、首を傾ける。それは奢りも嘲りも無い、ある種無邪気ともとれるようなしぐさだ。だがそのあからさまな言動は、つまりは実力を出し切ってない事を毛頭も隠すつもりが無いということ。
 ゼーヴルムはその内情はどうであれ、一見には顔色ひとつ変えず再び真っ直ぐシエロに剣を向けた。

「これ以上手を抜いて立ち合うつもりならば、それは私に対する侮辱と受け取るぞ」
「ああっ、はい! 分かった、分かりましたよっ」

 静かなひと言の中に、煮えたぎるようなゼーヴルムの本気を見て取って、シエロはついに投げやるように怒鳴った。「海の民のくせにめちゃくちゃ血の気が多いんだから…」とぶつぶつとぼやきながらとんとんとつま先で地面を叩く。

「ようやく本気を出す気になったか。往生際の悪い奴め」
「君が執念深いんだよ」

 イーっと子供のような表情を作るシエロだが、その足元は徐々に、しかし確実にまるで踊るようなステップを踏み続けていった。

「―――リック・ラック・スナップ・イッチ…」

 シエロの口からかすかに歌のような呟きがもれる。いや、事実それは歌だった。しかしかといって呪歌や呪文などというたいそうなものではない。ヴェストリ大陸の子供なら一度は口ずさんだことがあるようなたわいもない童謡だ。それもシエロが好んでいるというだけの歌。そのリズムにあわせながらシエロは軽やかに足踏みする。

「…何やっている」

 いきなり舞い始めるシエロをゼーヴルムは呆れたような目で見据えた。
 別に踊りといっても全身を使うような舞踏やその類ではない。単にその場でリズミカルに足を動かしているだけだ。
 だがそれでも妙な行動であることに変わりは無い。

「準備運動だよ」

 シエロはしれっと答えると、からかうような眼差しでゼーヴルムを見た。

「さあ、どこからでもかかってきたら?」

 準備は出来たとばかりにゼーヴルムを招くが、その足はいまだ軽やかにリズムを刻みつづけている。はっきり言って不気味なことこの上ないが、そんなことで怯むようなゼーヴルムではなかった。
 彼は無言で剣を構えると、一気にシエロに向かって切りかかったのである。